2018年4月18日水曜日

Chimamanda Ngozi Adichieの動画:The danger of a single story


この記事は、下記の記事と同じく、学部生向けのある授業の補助資料として作成したものです。

敎育に関するKen Robinsonの動画

動機づけに関するDan Pinkの動画




以下の動画では "story" について語られますが、この語は、「理解のための構図」や「私たちが物事を認識をする際の形式」 あるはぐらいの抽象的な意味で理解するとわかりやすいかもしれません。

Oxford Living Dictionariesのstoryの1.1 A plot or story lineの"+ More example sentences"を参照してください。あるいは"the same old story"といった慣用表現も上の意味に近いと思います。 
https://en.oxforddictionaries.com/definition/us/story

関連記事
3/11の学会発表スライド:なぜ物語は実践研究にとって重要なのか―仮定法的実在性による利用者用一般化可能性―
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/03/311.html

そういった意味での「ストーリー」あるいは「(お)話」は人間に多大な影響を与えますが、ある事柄について一つのストーリー・(お)話しか語られなかったらどうなるかというのがこの講演の趣旨です。

学校教育でも、一種類のストーリー・(お)話しか語られないことはないでしょうか?

この動画を通じてストーリー・(お)話について考えたいと思います。






以下の書き起しは “Ideas worth spreading” としてWeb上に無料公開されているものなので、出典情報を明記した上でその一部を転載することには問題がないと考えました。書き起しの前にある数字は講演でその発言が現れる時間です。書き起しの下にある「※」印以降の文章は私の蛇足です。

https://www.ted.com/talks/chimamanda_adichie_the_danger_of_a_single_story/transcript


*****

00:27  講演者のChimamanda Ngozi Adichieが最初に読んだ本に書かれていた世界
I wrote exactly the kinds of stories I was reading: All my characters were white and blue-eyed, they played in the snow, they ate apples, and they talked a lot about the weather, how lovely it was that the sun had come out.
※ 私たちが書くことは私たちが読むものに大きく影響されるということに注目。ちなみに、ここの言い方から彼女が読んでいた本は英国で出版された本であることは明らかでしょう。


01:32 私たちは「話」に影響を受ける。特に子どもは。
What this demonstrates, I think, is how impressionable and vulnerable we are in the face of a story, particularly as children.
※ 私たちは抽象的な原理よりも、話に影響を受けやすいことに注意。

02:24 ナイジェリアの作家の本を読まなければ、自分のような人間が文学の世界に登場することはないと思い込んだままだったかもしれない。
Now, I loved those American and British books I read. They stirred my imagination. They opened up new worlds for me. But the unintended consequence was that I did not know that people like me could exist in literature. So what the discovery of African writers did for me was this: It saved me from having a single story of what books are.

02:47 彼女の母親がお手伝いの少年について語っていた唯一の話
I come from a conventional, middle-class Nigerian family. My father was a professor. My mother was an administrator. ... The only thing my mother told us about him [=Fide, a live-in domestic help] was that his family was very poor.

03:31 聞かされていた話のせいでなかなか認識できなかった現実
All I had heard about them was how poor they were, so that it had become impossible for me to see them as anything else but poor. Their poverty was my single story of them.
※ 私たちにも似たような経験はないだろうか。


04:01 ナイジェリアから来た女性がアメリカ人である自分と似ていることに対する驚き
My American roommate was shocked by me.
※ これについても似たような経験はないだろうか。

04:37 会う前から形成されていた印象
What struck me was this: She had felt sorry for me even before she saw me. Her default position toward me, as an African, was a kind of patronizing, well-meaning pity.
※ このような「上から目線」の話は、英語教科書にもないだろうか。

05:09  「アフリカ」と一括りにされる
I must say that before I went to the U.S., I didn't consciously identify as African. But in the U.S., whenever Africa came up. people turned to me. ... [T]here was an announcement on the Virgin flight about the charity work in "India, Africa and other countries."
※ この経験は、外国に行った日本人であるあなたが「アジア人」としか見られないことに相当するだろうか。もしあなたが「あなた」という個人で決して考えてもらえないなら、あなたはどう感じるだろうか。

05:44  私たちはしばしば「一つのお話」ばかりを信じている。
So, after I had spent some years in the U.S. as an African, I began to understand my roommate's response to me. ... I would see Africans in the same way that I, as a child, had seen Fide's family.
※ 「あの人は○○だから」という決めつけをあなたはどのような時にしてしまいがちだろうか。あなたと共に私も考えたい。

06:53 アフリカについての偏見の始まり
[I]t represents the beginning of a tradition of telling African stories in the West: A tradition of Sub-Saharan Africa as a place of negatives, of difference, of darkness, of people who, in the words of the wonderful poet Rudyard Kipling, are "half devil, half child."
ウィキペディア:ラドヤード・キップリング
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


08:42 同じ話を流し続けるメディアの怖さ
I realized that I had been so immersed in the media coverage of Mexicans that they had become one thing in my mind, the abject immigrant. I had bought into the single story of Mexicans and I could not have been more ashamed of myself.
※ テレビニュースで同じ画像ばかりが繰り返されるのを見たことはないだろうか。

09:14  一つの同じ話を語り続ければやがてそれが現実に見えてくる。
So that is how to create a single story, show a people as one thing, as only one thing, over and over again, and that is what they become.

09:25 一つの話を語り続ける背後にはしばしば権力がある。
It is impossible to talk about the single story without talking about power. There is a word, an Igbo word, that I think about whenever I think about the power structures of the world, and it is "nkali." It's a noun that loosely translates to "to be greater than another." Like our economic and political worlds, stories too are defined by the principles of nkali: How they are told, who tells them, when they're told, how many stories are told, are really dependent on power.
※ 一つの話が語り続けられる時には、誰が、いつ、どのように語っているかに注意。
 SNSの隆盛と共に"echo chamber"や"filter bubble"といった表現が聞かれるようになってきたが、自分がそれらの中に入ってしまっていないかには本当に注意が必要。食べる物をに気をつけなければならないのと同様に、私たちは読み聞くメディアに気をつけなければならない。

Wikipedia: Echo chamber
https://en.wikipedia.org/wiki/Echo_chamber_(media)
Wikipedia: Filter bubble
https://en.wikipedia.org/wiki/Filter_bubble


10:00  権力によってある一つの話が決定版の話となってしまう。
Power is the ability not just to tell the story of another person, but to make it the definitive story of that person.
※ 一つの例にしか過ぎないが、最近、読売新聞が、官邸サイドからの情報だけに基づいて取材もせずに元文部科学省事務次官の前川喜平氏を貶めるような記事を一面に掲載したと思われる事件があった。

郷原信郎が斬る:読売新聞は死んだに等しい(2017/6/5))
https://en.wikipedia.org/wiki/Echo_chamber_(media)

これに限らず、権力者がある特定の話だけを流布させようとすることはしばしばあるので注意が必要。逆に言うなら、特定の話だけを流布させることができるなら、その人権力者になれると言えるのかもしれない。

ちなみに上の話だけで「読売新聞は官邸の手先」などといった一つの話にしてしまうのも怖い。

12:45  ステレオタイプは全面的な虚偽ではないが、物事に関する一側面しか扱っていないまま真実として流布してしまうことが問題。
The single story creates stereotypes, and the problem with stereotypes is not that they are untrue, but that they are incomplete. They make one story become the only story.

参考
Wikipedia: Public Opinion (book)
https://en.wikipedia.org/wiki/Public_Opinion_(book)
Project Gutenberg: Public Opinion by Walter Lippmann
http://www.gutenberg.org/ebooks/6456

13:33  ある人・事象に関する一つの話しか聞いていないと、その人・事象の尊厳さえ奪いかねない。
I've always felt that it is impossible to engage properly with a place or a person without engaging with all of the stories of that place and that person. The consequence of the single story is this: It robs people of dignity. It makes our recognition of our equal humanity difficult. It emphasizes how we are different rather than how we are similar.

17:24  お話を悪用することもできれば善用することもできる。
Stories matter. Many stories matter. Stories have been used to dispossess and to malign, but stories can also be used to empower and to humanize. Stories can break the dignity of a people, but stories can also repair that broken dignity.

18:05  「唯一の話」を拒否しなければならない。
I would like to end with this thought: That when we reject the single story, when we realize that there is never a single story about any place, we regain a kind of paradise.
※ しかし私たちは、自分の耳に心地よい一つのお話ばかりを好んでいないだろうか。私たちが「唯一のお話」を拒否できるようになるためには、どういった敎育あるいは文化が必要だろうか。











2018年4月17日火曜日

「異教科間で対話し協働できる教員の育成に関する研究」に寄稿した9編の研究報告


先日、広島大学大学院教育学研究科教科教育学専攻の有志メンバーによる「共同研究プロジェクト」のホームページが新しくなりました。



異教科間で対話し協働できる教員の育成に関する研究


このホームページには、メンバーによる研究報告が掲載されています。研究代表者として私はメンバーに「既存の査読付き学術論文誌ではなかなか書けないような萌芽的で大胆なことを書こう」と提案しました。

ここにはそこで私が書いた研究報告(共著も含む)について、タイトルと概要を掲載します。もしご興味があればそこにあるURLをクリックして研究報告をお読みください。



研究報告(2017年度)



「教科教育学」の二つの意味
柳瀬陽介

「教科教育学」とは何を意味するのでしょうか?「数学、音楽、国語・・・」などのさまざまな教科に関するそれぞれの教育学を変数xを使って総称する「x科教育学」という意味でしょうか? 確かにそのような意味で「教科教育学」という用語が使われる場合もあるでしょう。しかし、この小文では、「教科教育学」は、「複数の教科の学びを学習者の中で統合させるための教育学」とも規定できることを示し、広島大学大学院教育学研究科の教科教育学専攻での共通科目は、「x科教育学」を深めるだけではなく、複数の教科を連動させる「教科教育学」を学ぶ機会ではないかと提言します。



それぞれの教科の中の科学と物語
 ―10教科への問いかけ―
柳瀬陽介

日本では強力な「文系か理系か」という区別が、それぞれの教科を「文系」「理系」「それら以外」に分けてしまい、学習者の自己認識もその三つのどれかにしてしまいがちです。これは、教科教育と学習者の可能性を狭めてしまう区別であるように思えます。この小論では、心理学者のブルーナーの物語様式の科学規範様式の概念区分を使って「文系」と「理系」の概念内容について再考し、それぞれの教科には物語的側面と科学的側面の両方があるのではないかと問題提起します。



創造性を一元的な評価の対象にしてはいけない
柳瀬陽介・八木健太郎・徳永崇

この論は、一元的な評価が創造性をかえって阻害しているという主張をします。論証のために科学史家のクリーズと哲学者のアレントの論を援用して、評価を一元的な「評定・測定」(rating / measurement) と多元的な「鑑賞・実感」(appreciation) の二種類に分けます。その概念的区別に基づいて、創造性を「評定・測定」の対象とすることはかえって創造性を損ねることにつながるので、その評価は文化共同体における「鑑賞・実感」の自由に委ねるべきだと主張します。創造性の評価を行わなければならないのなら、文化共同体での発表の場に出て自らの作品・表現を共同体での自由な「鑑賞・実感」の語り合いの中に委ねることができた事実をもって「合格」とするだけの評価(評定)にとどめるべきだとも論じます。



教科教育における「リアリティ」
―音楽科・社会科・英語科について―
柳瀬陽介

この論では、学校での教科教育が学習者の「リアリティ」の感覚に即していないのではないかという問題意識を受けて行われた対談に基づくもので、物語論の観点から社会科と音楽科と英語科におけるリアリティについて考察します。さらに、リアリティが教材から奪われ、学習者が学びのリアリティを、受験勉強についてのサクセスストーリーにしか感じることができなくなった場合についての懸念についても言及します。



数学教育学講座院生・教員との対話から考える英語による授業のあり方
柳瀬陽介

この論では、英語教育学の教員が数学教育学の院生と教員と行った対話に基づき、数学を英語で教えること、数学を物語で説明すること、高校までの英語教育の三点についての考察を行います。西洋言語を基盤として成立した数学を英語で表記することには確実な利点がありますが、だからといって数学の研究と教育の営みのすべてが英語で行われるべきとはならないかもしれません。また、数学を物語様式で説明することは、初学者が理解の糸口を得るためには有効ですが、その物語化は必ずしも容易ではありませんし、ましてや英語で行うことは困難です。現在の英語科に関しては、数学の体系的な面白さを知った者には知的な面白さを提供できていないようです。




研究報告(2016年度)



教員自身の「異教科間コミュニケーション」
柳瀬陽介

本稿では、「教科教育学研究方法論」の構想期・準備期・実施期を振り返り、教員自身がいかに自らとは教科・専門を異にする同僚教員とコミュニケーションをとってきたかについて振り返る。構想期については「改革ありき」と「二種類の融合」の観点から、準備期間については理念(「持続可能性と革新性」)の堅持という観点から、実施期間については「主要教科」という表現がもつ偏見の観点から主にまとめる。



教科教育学研究方法論
柳瀬陽介

本稿では、「教科教育学研究方法論」の授業目的を、複合性 (complexity) の観点から、3.11以降の日本の状況やスマホを巡る諸問題を例にして説明した上で、2016年からフィンランドで開始された、教科の枠組みを超えた「テーマ別授業」についても簡単に紹介し、知識がますます高度に相互依存する現代においては、専門家が相互にコミュニケーションをとれることが決定的に重要であることを論ずる。



意味と真理の概念から捉えた対話の概念
柳瀬陽介

本論は、「教科教育学研究方法論」で対話を進める際に筆者が参考にしていたDavid Bohmの対話論をまとめ、その一部にNiklas Luhmannの意味論を補足し、かつ意識の統合情報理論 (Integrated Information Theory) の考え方も参考にしながら再整理したものである。



本質性か連動性か?
柳瀬陽介

「教科教育学研究方法論」において、「10教科共通の・・・」といった表現が多用されたが、この表現が意味することは認識論の違いによって異なりうる。本稿はこの表現の、本質主義 (essentialism) に基づく意味と、親族的類似性 (family resemblance) に基づく意味を比較検討することによって、異なる教科間で対話し協働する際の基礎認識について考察する。




関連記事(広大教英ブログ)

異なる10の教科を教える専修の大学院生が自分の専門の枠組を超えた対話を行う授業
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2018/04/10.html

社会科教育の話を聞いた英語科院生の振り返り
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2017/05/blog-post_9.html

他教科の院生・教員との対話から学んでいる英語教育専攻大学院生の振り返り
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2017/04/blog-post_27.html





2018年4月10日火曜日

ダニエル・ピンク著、大前研一(訳) (2015) 『モチベーション3.0  持続する「やる気!」をいかに引き出すか』講談社+α文庫



邦訳タイトルがなんだか安っぽかったので、手に取らなかった本書でしたが、著者のDan Pinkは私が読む多くの本に取り上げられており、また、彼のTED動画を授業で使うことにしましたので、本書の翻訳を読んでみました。

さすがベストセラーを出す作家の作品だけに、非常に読みやすく、読者の便益を最大化するような工夫が随所にある本です。心理学のモチベーション(やる気)についての理論をうちたてた心理学者のエピソードもいろいろ読めます。

本書の内容の一部は、以下の動画でも知ることができますが、この動画を何度も視聴したとしても本書を読む価値はあります。



RSA ANIMATE: 
Drive: The surprising truth about what motivates us





https://www.youtube.com/watch?v=u6XAPnuFjJc

WIKIPEDIA: Drive: The Surprising Truth About What Motivates Us
https://en.wikipedia.org/wiki/Drive:_The_Surprising_Truth_About_What_Motivates_Us


以下は、本書について私が簡単に説明する時のために作ったノートです。著作権保護のため意図的に、本書を読んでいない方には抽象的すぎてわかりにくい書き方にしています。邦訳は文庫本になっていますので廉価ですから、ご興味をもたれた方はぜひ本書をお読みください。

モチベーション3.0
持続する「やる気!」をいかに引き出すか

1 Motivation 1.0

2 Motivation 2.0: Extrinsic motivation, Type X

2.0  主な理論家:スキナー、テイラー
参考記事: いかにして私たちの世界は標準化されてしまったのか Ch.2 of The End of Average by Todd Rose

2.1  うまく働く場合
規則的ルーティンタスク
指令者自身が退屈だと認め、実行者に自由を与える場合

2.2  うまく働かない場合
エンカルタとウィキペディアの場合
ロウソク問題

3  Motivation 3.0: Intrinsic motivation, Type I

3.0 主な理論家:デシライアン(→下のself-determination theory: SDTを参照)、コーン

3.1 Autonomy (自律性)
3.1.1 Task
3.1.2 Time
3.1.3 Technique
3.1.4 Team

3.2 Masterry (熟達性)
3.2.1 Dweck: growth mindset, not fixed mindset
TED: The power of believing that you can improve
3.2.2 Grit (情熱)
やり抜く力 GRIT(グリット)
Grit: Why passion and resilience are the secrets to success
WIKIPEDIA: Grit
TED: Grit: The power of passion and perseverance
3.2.3 Asymptote (漸近線)

3.3 Purpose (目的)
3.3.1  利益の最大化か目的の最大化か
3.3.2  チェックリストの危険性
3.3.3  The MBA OATH

補足
Self-determination theory (自己決定理論)

4.1 Autonomy

4.2. Competence

4.3 Relatedness



 



動機づけに関するDan Pinkの動画



この記事は、「敎育に関するKen Robinsonの動画」と同じく、学部生向けのある授業の補助資料として作成したものです。

「成績がよかったら褒めて、悪かったら辱める。あるいは成績がよかったら経済的利益が得られるし、悪ければ経済的に苦しむと言い聞かせる。そして成績の測定のために標準テストをどんどん使う」 -- これは現在の日本の教育の作動システム (Operating System: OS) であるように思えます。

しかし、このやり方は、本当に学習者の能力を伸ばしているのでしょうか。この考え方で日本は創造性を高めているのでしょうか。

このやり方で勝ち残って敎育に関する権力者となったエリートは、「然り」と言うでしょう。というより、現実に進行している敎育「改革」や敎育「再生」のほとんどは、このシステムの徹底です。

教師もそのシステムのさらなる貫徹のために努力するべきなのでしょうか。学習者だった時代を思い出してください。自分はこのシステムで幸せだったでしょうか(他人を蹴落とすことだけに幸せを感じるようなエリートは、ここで「もちろん」と言うのでやっかいなのですがw)。周りの仲間はどうだったでしょうか。このシステムに投げ込まれている子どもの表情はどうでしょうか・・・。

以下の動画は、アメリカのベストセラー作家によるTED講演ですが、内容はこれまでの心理学研究に基づいたものです。

この動画から、学校教育のあり方、教師の行動様式について根源的に考え直してみましょう。

以下に講演の書き起しの一部を転載しています。書き起しは “Ideas worth spreading” としてWeb上に無料公開されているものなので、出典情報を明記した上でその一部を転載することには問題がないと考えました

書き起しの前にある数字は講演でその発言が現れる時間です。書き起しの下にある「※」印以降の文章は私の蛇足です。

Dan Pink TEDGlobal 2009
The puzzle of motivation



https://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation/transcript

01:07 今日の講演は「お話」ではない。証拠に基づいた「訴訟事実」である。
I don't want to tell you a story. I want to make a case.
※ 講演者は、自分の履歴で笑いをとった後に、これから述べることは心理学研究による証拠に基づいた事実だということを強調している。
以下、ロウソク問題をトピックにして研究結果が紹介される。


03:58 「アメとムチ」は創造性を阻害する。
You've got an incentive designed to sharpen thinking and accelerate creativity, and it does just the opposite. It dulls thinking and blocks creativity.
※ これは衝撃的な事実。言ってみるなら、「欲につられて視野狭窄状態に陥る」といったところでしょうか。そうなると、「アメとムチ」で中高六年間を(最近は小学校の間の年月も)子どもを誘導している敎育関係者は、子どもの才能を伸ばしているのでしょうか?
  こう尋ねますと「いや、大学に入ってから創造性を高めればいいんですよ」とよく反論されますが、私の個人的印象では、大学ではすばらしいものを創り出す創造性どころか、現状とは異なる事態を想像する想像力すら奪われているような大学生が少なくないように思います。創造性の高い大学生の多くは、学校教育の反抗者や落ちこぼれであったようにも思えます。

04:22 条件づけの賞罰が有効なのは一部の限られた課題のみ
These contingent motivators -- if you do this, then you get that -- work in some circumstances. But for a lot of tasks, they actually either don't work or, often, they do harm. This is one of the most robust findings in social science, and also one of the most ignored.
※ たしかに多くの研究がこのことを裏づけているのに、この研究結果はなぜ世間に普及しないのだろうか。きわめて個人的な思いつきに過ぎないが、私たちには他人を支配したいという権力欲が根強くあり、教師も学習者の運命を左右することに秘かに快感を覚えているのだろうか。
  小説『1984』では、「迫害の目的は迫害、拷問の目的は拷問、権力の目的は権力なのだ」という台詞すらある。もし私のこの権力説が荒唐無稽だというなら、他にどんな理由が考えられるだろう。私は純粋に知りたい。
ジョージ・オーウェル『1984年』での言語(ニュースピーク)に関する部分の解説
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/05/1984.html

05:09 機械的な20世紀的課題と創造的な21世紀的課題で区別するべき。
That's actually fine for many kinds of 20th century tasks. But for 21st century tasks, that mechanistic, reward-and-punishment approach doesn't work, often doesn't work, and often does harm.
※ しかしこの区別は敎育関係者に共有されているのだろうか?教師の多くは自主研修の時間を持てずに、十年一日のように受験問題集や資格試験対策問題集を読んでいるだけで、情報革命が常態化した21世紀の現状を理解できているのだろうか?

関連記事
ケヴィン・ケリー著、服部桂訳 (2016) 『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』 NHK出版
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/01/2016-12-nhk.html
 伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017) 『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/01/2017-9.html

06:15 条件つきの報酬が有効なのは、決まりきった(退屈な)仕事だけ
If-then rewards work really well for those sorts of tasks, where there is a simple set of rules and a clear destination to go to.
※ こうなるとパターン化された退屈な受験問題だけを教えるのなら、「アメとムチ」は有効なものだとも思えてくる。教育方法だけでなく、教育内容、そして教育内容に多大な影響を与える教育評価も含めて敎育を考えないと敎育の改善は図れない。

08:35 これは事実である。
This is a fact -- or, as we say in my hometown of Washington, D.C., a true fact.
※ "A true fact"とは畳語表現によるナンセンスで観衆の笑いを誘っている。もしこの表現が必要なのだとしたら、その他の種類の事実、例えば "untrue fact"も成立することになってしまうからだ。
 とはいえ、 "alternative facts"という表現はトランプ大統領の側近に実際に使われたことに注意。幸い米国ではこの表現はすぐに馬鹿げたものとして批判され笑いのタネにされたが、気をつけていないとことばは権力者の勝手な言い回しによってすぐに無意味なものにされてしまう。
 『1984』での絶対権力者は、語の意味や語そのものを剥奪する事業を体系的に遂行している。体系的ではないにせよ、ことばの意味を無効にしてしまうようなことばづかいを連発する政治家は存在するので注意したい。
WIKIPEDIA: Alternative facts
https://en.wikipedia.org/wiki/Alternative_facts

11:02  LSEでのメタ分析
Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of pay-for-performance plans, inside of companies. Here's what they said: "We find that financial incentives can result in a negative impact on overall performance."
※ このメタ分析論文の文献情報はわかりませんでした。ごめんなさい。

11:20 経済危機の今であっても、あまりにも多くの組織がこの古い「アメとムチ」の考え方に凝り固まっている。
And what worries me, as we stand here in the rubble of the economic collapse, is that too many organizations are making their decisions, their policies about talent and people, based on assumptions that are outdated, unexamined, and rooted more in folklore than in science. And if we really want to get out of this economic mess, if we really want high performance on those definitional tasks of the 21st century, the solution is not to do more of the wrong things, to entice people with a sweeter carrot, or threaten them with a sharper stick. We need a whole new approach.
※ 日本の学校は、「アメとムチ」で学習者の「思考力・判断力・表現力」を育て「主体的で対話的で深い学び」を促進しようとしていないだろうか。必要なのは、これまでの教育「改革」のさらなる進行や、敎育「再生」の徹底ではなく、そのような古い考えに凝り固まっている権力者―政治家、文部官僚、研究者、教師―の考え方を変えることではないのか。

12:06 自律・熟達・目的
And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: autonomy, mastery and purpose.
Autonomy: the urge to direct our own lives.
Mastery: the desire to get better and better at something that matters.
Purpose: the yearning to do what we do in the service of something larger than ourselves.
※ この三つの要素は、ピンク氏がおそらくはデシとライアンの「自己決定理論」に基づいて言い直した表現だと思われる。この三要素についてはピンク氏の著書『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』を参照のこと(このブログの次の記事でこの本の簡単なまとめだけは提示します)。


12:47 自律性:自分のことは自分で決める。
I want to talk today only about autonomy. ... Traditional notions of management are great if you want compliance. But if you want engagement, self-direction works better.
※ Complianceとengagementという対比に注意。前者は、日本でもそのまま「コンプライアンス」として使われるようになったが、予め定められた事柄に従順に従うことを含意することが多い。後者は、現代アメリカ英語の一種の流行語で、たいていはよい意味で使われると私は観察しています。訳語としては「熱中」ぐらいが適切かと私は考えていますが、しばらくは考え続けたいと思っています。


14:26 企業の技術者に一日の自由研究日を与え、その結果を共有させる。
FedEx Days

14:46  グーグルの20%ルール
And at Google, as many of you know, about half of the new products in a typical year are birthed during that 20% time: things like Gmail, Orkut, Google News.
※ 学習者(小学生から大学生まで)の学習時間の20%が、学習者一人ひとりが課題を決めて、学びならばなんでもやっていいとなったらどうなるだろうか。現状でこれをやれば、多くの日本の子どもは「自分で何をやればよいかわからない」と途方にくれてしまうかもしれないと私は考えているが、現状はどうだろうか。そうだとしたら「だから、グーグルの20%ルールなんて無理です」とこれまでのやり方を墨守することが教師のやるべきことだろうか。教師は子どもの感性を取り戻す、あるいはこれ以上破壊しないことに全力を傾注しなければならないのではないだろうか。

15:14 結果達成に基づく労働環境
the Results Only Work Environment (the ROWE)  ... They just have to get their work done. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them.
※ ただしこれを行う前提は、自分の仕事がどこからどこまでという線引 (job description 職務内容規定書) がしっかりしていること。それがはっきりしておらず、「善意」に基づいて子どもについてのことは、あれもこれもと何でも教師が抱え込むことが奨励されているし、教師自身もついついそうしてしまいがちな日本でこれをやれば、残業が今以上に多くなるかもしれない。
   ちなみに私はこれまで職務内容規定書に関しては、「なんだか個人主義的過ぎて嫌だなぁ」ぐらいに思っていたが、広島大学で共に働く外国人の同僚がjob description的な言動を示すのを見るにつけ、「このような線引が明確にあるからこそ、組織全体のシステムづくりを考えられるようになるのでは」と少しずつ考え方を変えている。

16:43 エンカルタとウィキペディアの競争で前者が負けるとは誰も思っていなかった。
10 years ago you could not have found a single sober economist anywhere on planet Earth who would have predicted the Wikipedia model.
※ ウィキペディア:エンカルタ


17:21 要約 (1) 20世紀的なアメとムチのやり方の有効性は限定的。(2) 条件つきの報酬はしばしば創造性を破壊する。(3) 外からは見えない内在的な動因こそが成功の鍵。
Let me wrap up. There is a mismatch between what science knows and what business does. Here is what science knows.
One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a natural part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances.
Two: Those if-then rewards often destroy creativity.
Three: The secret to high performance isn't rewards and punishments, but that unseen intrinsic drive -- the drive to do things for their own sake.
※ 教育学部にいて「内在的動機づけ」ということばを知らない人は少ないだろうが、もう一度、この概念を教科書の上だけの知識だけではなく、私たちの生活の中でも成立している場面かどうかを検討しよう。
   外在的動機づけ(アメとムチ)が効果的だった場合、逆効果だった場合、内在的動機づけがうまくいった場合、うまくゆかなかった場合について具体的に思い出そう。動機づけについて教条的になることなく、私たち人間の性質についてよく観察しそれを分析する習慣を徹底させよう。










2018年4月7日土曜日

いかにして私たちの世界は標準化されてしまったのか Ch.2 of The End of Average by Todd Rose


以下は、Introductionから始まる私の「お勉強ノート」です。 

  
Todd Rose (2017) 
Penguin Books 
  
Chapter 2 
  
How Our World Became Standardized 
(いかにして私たちの世界は標準化されてしまったのか) 



 産業界でのケトレーともいえるテイラー 

フレデリック・テイラー (Friedrick Taylorを、20世紀の誰よりも人々の生き方に対して影響を与えた人物だと考える人もいます。テイラーはケトレーの考え方を、産業界に適用しました。ビジネスは、個々の労働者に合わせるべきではなく、ビジネスのシステムに合う「平均人」 (the Average Man) を採用するべきだとするのがテイラーの考え方でした。テイラーは何事にも唯一最善の方法 (one best way) があり、それこそは標準化されたやり方 (the standardized way) であると固く信じていましたテイラーからすれば労働者がそれぞれに個性的なやり方で仕事を進めることほど悪いものはなかったわけです 

それでは標準的なやり方を誰が考え出すかという問題が残ります。テイラーは、標準的な仕事の計画 (planning) や管理 (control) や意思決定 (decision making) 、労働者に任せるのではなく、専門の計画者 (planner) に任せるべきだと考えました。テイラーはその人たちを当時は新しかった管理職 (manager) という名前で呼びました。現在、自らは手を動かさずに計画や管理などに専念する管理職という職種は当たり前のものになっていますが、19世紀の感覚ではそういった自ら体を動かさない人間というものは非常に奇異でした。しかしこの 管理職という職種ををテイラーは普及させたのです。 

1911年に彼が出版した『科学的管理法の原理 (The Principles of Scientific Managementはアメリカだけでなく、国際的なベストセラーになりました。農業社会から産業社会へと社会が大転換しつつも、たとえば1900年のアメリカでは高卒が人口の6%、大卒が2%しかいなかったような状況では、不慣れな労働をする多くの労働者には、標準化された方法を「唯一最善の方法」と呼んで教え込むことは現実的な選択だったのかもしれません 

現在、自分の会社がテイラーの科学的管理法の考え方を採用していると認める会社はほとんどないでしょう。なぜならばテイラー主義 (Taylorism) は今ではレイシズムやセクシズムと同じように、悪い意味合いをもつようになってしまったからです。しかしながら、テイラーの考え方は現在でも非常に強く、多くの会社や組織はテイラー主義で動いています。 

蛇足 
今では、テイラー主義やフォーディズムといった用語は批判の対象になることはあれ、表だって称揚されることはほとんどないことは、上にあるとおりです。しかしここで気をつけておきたいことがいくつかあります。 

一つは、その当時ではテイラー主義はそれなりの効用をもっていたに違いないということです(そもそもそうでなければ、テイラー主義がそれだけもてはやされるわけはありません)。工場での作業が単純だが労働者はその仕事のやり方をよく知らないし、そもそもそれまで同じ場所で同じように働く習慣がなかった時代においては、テイラー主義のやり方は有効でありかつ画期的だったのでしょう。 

しかし、単純作業が複雑(複合的 complex)課題になりますと唯一の正解はなくなります。私たち一人ひとりが自分なりの選択によって課題どこからどのように対処するか決定しなければならなくなります。私たち一人ひとりの個性(長所や短所)を踏まえた上で、自分なりの戦略を立て、その順番と方法で課題に挑み、その成功や失敗からさらに自分の戦略を修正してゆくやり方です。 

その戦略は、他の人にとっては有効な戦略ではないかもしれません。しかし、課題が複合的であるため、課題遂行に「唯一最善の方法」がない場合は、それぞれの人間が自分にとってもっともぴったりする方法を自分なりに選んだ順番で試すことの方が、「平均人」に基づいて予め策定された「唯一最善の方法」を強制的にやらされるよりも効果的なはずです。もちろんその課題についてほとんど知らない人には「平均的な方法」をマニュアルとして示すこともあります。初心者はマニュアルを最初は頼りにするでしょう。しかし初心者も、少しずつマニュアルのやり方を少しずつ自分に合わせて変えたり、マニュアルにはない自分なりの方法も考案したりするでしょう。少なくとも自律性といった動機づけの点では、自分なりの方法を試す方が有効でしょう。 

複合的な課題に対処する場合は、「平均人」に基づいて考案された「唯一最善の方法」を押し付けることもなく、また、誰か特定の(たとえば名人の)やり方を押し付けることもなく、各人に課題と自分の間の相互関係を理解させながら、それぞれのやり方を発展させる方が有効なはずです。 

いいたとえになるかどうかわかりませんが、たとえば将棋という複合的なゲームでよい弟子を育てる場合を考えてみましょう。この場合、師匠は弟子の個性を見極めながら最小限の助言しかせず、弟子に自分なりの棋風を見つけさせることが多いのではないでしょうか。別の例をあげます。私は会社勤めの経験がないのでよくわかりませんが、優れた上司が優れた営業職を育てる場合は、上司は部下に画一的なマニュアルの遵守を求めるでしょうか?上司自身のやり方を部下に押し付けるでしょうか?もちろんそんな上司も多くいるでしょうが、そんなやり方では部下が育たないというのが現実ではないでしょうか。 

こうなると人を育てる管理職がするべきことの理解が変わってきます。複合的な課題に対応する場合においては、管理職は既成の方法を教え込んだり押し付けたりするより、部下の個性をよく理解した上でその部下の課題への独自の取り組み方を部下と共に探すべきでしょう。そのためには管理職は、部下のことばをよく聞かなければなりません。そもそも部下の個性は管理職より部下の方が知っている場合の方が多いのですから、独自の取り組み方を見つけ出すのは部下である可能性の方が高いでしょう(すぐれた管理職はそれまでの経験から、一人ひとりの部下の個性を見い出すことに長けているかもしれませんが、その可能性は今はおいておきます)。 

この点、次のように、人間には司令を下す管理職に適した人々と司令を実行する労働者に適した人々の二種類があると類型的に述べているテイラーは、やはり人間を個性でなく類型で見ており、この点は批判されるべきでしょう。以下は、ローズの本では引用されていないテイラーのことばです。 

It is also clear that in most cases one type of man is needed to plan ahead and an entirely different type to execute the work. 

Taylor, Frederick Winslow. The Principles of Scientific Management [with Biographical Introduction] (p.26). Neeland Media LLC. Kindle 版. 

私は今回、テイラーのThe Principles of Scientific Management読んでみましたが、テイラーには(ゴルトンや後に出てくるソーンダイクと同じように)、かなりの階級意識というか、「何かに優れた者は何においても優れているし、何かでダメな者はどんなことにおいてもダメ」といった考えが強いように思えます。これが差別意識から来るのか、それとも当時の公教育が不十分で人々の個性的な長所と短所を理解する機会がほとんどなかった時代的制約から来るのかは私には判断できませんが、いずれにせよ、テイラーの考え方を今そのまま称揚することはとてもできません。 

しかし、そういったテイラー主義は口では批判的に語られても、実際は、時代遅れのままに継承されているということは強調されなければなりません。特に日本では、あるやり方を無批判的に墨守することが望ましいと思われているような職場が未だに多いようですが、私たちが取り組む課題がますます複合的になり、私たち一人ひとりに創造性が求められ、かつ、私たちの多様性がますます明らかになってきた現代において、私たちはテイラー主義の限界を頭でも身体でも理解し、その使用をきわめて限定的にした上で、新しい働き方を創造してゆく必要があります。 

考えてみれば、それこそがこの本の狙いの一つですから、このあたりで私の蛇足は止めて、本書のまとめに戻ります。 


 敎育界に波及するテイラー主義 

テイラーの考え方は教育界にも波及しました。多くの教師が教育の新しい使命は、卒業生をテイラー型の経済活動に適した労働者にすることだと考え始めました。テイラーは個性ある一人ひとりのためのシステムではなく、平均的な労働者 (average workers) のためのシステムを作るべきだと考えましたが、教育界におけるテーラー主義者たちも同じように、学校も一人一人の個性を伸ばすことよりも、平均的な学習者のための標準的な教育 (a standard education for an average student) を提供するべきだと考えました。 

テイラー主義者たちは、子どもを、産業界の課題を「完璧に」 (in a perfect way) こなす労働者にするための体系的敎育を行うには、教育システムのすべてを科学的管理法の中心的教義にかなうように設計し直さなければならないと考えた。すべてを平均に即して標準化するのである (standardize everything around the average)。アメリカ中の学校が「ゲーリープラン」を採択したが、これはそれが発祥した産業化の進んだインディアナの市の名前にちなんだものである。学習者は年齢集団によって分けられた(学習者が実際にどれだけできるのか、どれだけ興味をもっているのか、どんな適性をもっているのかによって分けられるのではない)。この学習者集団はさまざまな授業を受けたが、どの授業も標準化された時間だけの長さをもっていた。始業のベルも導入されたが、これは工場のベルを真似たものであり、子どもに将来の仕事に対して心の準備をさせることが目的であった。 

To organize and teach children to become workers who could perform industrial tasks in “a perfect way,” the Taylorists set out to remake the architecture of the entire educational system to conform to the central tenet of scientific management: standardize everything around the average. Schools around the country adopted the “Gary Plan,” named after the industrialized Indiana city where it originated: students were divided into groups by age (not by performance, interest, or aptitude) and these groups of students rotated through different classes, each lasting a standardized period of time. School bells were introduced to emulate factory bells, in order to mentally prepare children for their future careers. Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.722-727). Penguin Books Ltd. Kindle . 

テイラー主義者は、敎育界における管理職ともいえるカリキュラム策定者 (the curriculum plannerという役割も生み出しました。 

科学的管理法の考え方にしたがって、これらのカリキュラム策定者は、固定的で変更不可能ななカリキュラムを作り出した。このカリキュラムは、学習者は何をどのように教えられなければならないか、教科書には何が内容として含まれなければならないか、どのように評価されなければならないかなど、学校で起こるすべてのことに対して指示を与えた。  

Modeled after scientific management, these planners created a fixed, inviolable curriculum that dictated everything that happened in school, including what and how students were taught, what textbooks should contain, and how students were graded. Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.727-730). Penguin Books Ltd. Kindle . 

こういったテイラー主義の考え方は時代の要請や気風に合ったのでしょうか、1920年代にはアメリカのほとんどの学校がテイラー主義に基づいた敎育をするようになったそうです。  
蛇足 
自分が何を当然と思っているのかに気づくことは難しい。なぜならまさにそれを当然と思っているからだ」("It is hard to notice something you take for granted because you take it for granted."といった言い回し (Ken Robinson) がありますが、ここの指摘を読んで、「そうか、敎育にはそれ以外の方法もあるのか」とほぼ初めて気づく方も多いのではないでしょうか 

といいますのも、テイラー主義的な以下の命題を「当然」と考える敎育関係者(および学習者)は多いと思われるからです。 

(1) 教師は標準的な教育方法と評価方法で学習者を教え評価する。それを受け入れない学習者は指導の対象となる 

(2) 教師はカリキュラム策定者が標準として定めた教育内容と教育方法と評価方法を受け入れる。それを受け入れない教師は指導の対象となる 

しかし(1)で指導の対象となった学習者の中に、実はその分野に独自の適性をもっていた場合も多いはずです。また(2)で指導の対象となった教師の中で、その個性をなんとか貫きとおしたため、後年、きわめて優れた教師に成長し、同業者の尊敬を受けている方は、私は何人も直接的に知っています。 

現在の多くの敎育がテイラー主義的であること。そしてそのような敎育が、いつ、どのような時代背景で浸透し、その当時の現実、そして現在の現実とどのような齟齬を生じさせているのかを理解することは、敎育関係者にとってとても重要なことだと思います。もし私たちが本気で創造性と多様性を大切にしようと思っているなら、それは必須の課題ともいえるでしょう。 

話をまた本書のまとめに戻します。 



 教育界でのゴルトンともいえるソーンダイク 

ケトレーの考え方が、産業界でテイラーによって適用されたとするならば、ゴルトンの考え方はソーンダイクによって教育界に適用されました。ゴルトンがケトレーの考え方を不十分だとみなしたのと同様、ソーンダイクもテイラーの考え方は不十分だとしました。(実に奇妙な一致です)。 

ゴルトンは、ケトレーの「平均は類型 (type) である」という考え方を受け継ぎながらも、その平均からどれだけ離れているかで人々を階級 (rank) に分けることができると考えましたが、同じようにソーンダイクも、平均に基づく標準的な教育方法を採択するべきという考え方を継承しながらも、その教育方法はできる子とできない子を選別するために用いるべきだと考えました。 

テイラー主義者は、敎育の目的は、どの学習者にも同じ平均的な敎育を授け、同じ平均的な仕事への準備をさせることだと主張したが、ソーンダイクはそれは間違いだと考えた。ソーンダイクによるならば、学校は、若者を能力にしたがって選別 (sort) するべきである。そうすれば若者はそれぞれの人生において適切な地位に効率的につくことができる。それは管理職かもしれないし労働者かもしれない。卓越した指導者かもしれないし使い捨てされるようなはみ出し者かもしれない。いずれにせよ、そうすれば教育的資源を能力別に配分することができるのだ。 
But Thorndike believed that Taylorists were making a mistake when they argued that the goal of education was to provide every student with the same average education to prepare them for the same average jobs. Thorndike believed that schools should instead sort young people according to their ability so they could efficiently be appointed to their proper station in life, whether manager or worker, eminent leader or disposable outcast—and so that educational resources could be allocated accordingly.   Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.750-753). Penguin Books Ltd. Kindle .  
ソーンダイクは、平均との差 (deviation 偏差)による選別で学習者を階層化 (ranking) するとい自分の考えを具現化するために、手書き、スペリング、算数、読解、絵画などで次々に標準化テスト (standardized tests) を作成し、それはアメリカ中に広まりました。 

このソーンダイクを著者のローズは次のように評します。 

ソーンダイクにとって、学校の目的とは、すべての学習者を同じ水準にまで教育することではなく、生まれもっての才能の水準にしたがって学習者を選抜することであった。敎育の歴史の中でもっとも影響力をもった彼が、敎育は学習者の能力を伸ばすことはほとんどできず、敎育はすぐれた脳をもって生まれた学習者と、劣った脳をもって生まれた学習者を区別することに限定されていると信じていたのはひどく皮肉なことである。 

For Thorndike, the purpose of schools was not to educate all students to the same level, but to sort them, according to their innate level of talent. It is deeply ironic that one of the most influential people in the history of education believed that education could do little to change a student’s abilities and was therefore limited to identifying those students born with a superior brain—and those born with an inferior one.  Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.778-781). Penguin Books Ltd. Kindle . 

しかし今日ソーンダイクのランク付けの考え方は、学習者だけではなく教師にも行き渡っています。教師は管理職に評価されその評価の階級によって、昇進・賞罰・終身雇用などが決められます。学校や大学も様々なメディアでのランキングで格付けされますが、それらのランキングの多くはGTA などの平均によって決まるものです。また各国の教育の状態もPISA (Programme for International Student Assessment) といった国際的な標準化テストによって定められます。 

私たちの21世紀の教育システムは、まさにソーンダイクの意図通りに作動している。小さい頃から、私たちは平均的な学習者のために設計された標準化された敎育カリキュラム上でどれだけのことをなすかという点で選別される。平均よりも上なら褒美や機会が与えられるし、平均以下なら制限が加えられたり見下されたりする。現代の評論家や政治家や活動家はしきりに、私たちの教育システムは壊れていると語るが、実際にはその逆が正しい。ここ一世紀にわたって、私たちは教育システムを完璧なものにしたので、今やそれはうまくオイルの回ったテイラー主義マシンのように、設計の意図通りの目的のためにおよそ効率的に動いている。学習者を社会でそれぞれに見合った場所に送るために効率よく学習者を階級化しているのだ。 
Our twenty-first-century educational system operates exactly as Thorndike intended: from our earliest grades, we are sorted according to how we perform on a standardized educational curriculum designed for the average student, with rewards and opportunities doled out to those who exceed the average, and constraints and condescension heaped upon those who lag behind. Contemporary pundits, politicians, and activists continually suggest that our educational system is broken, when in reality the opposite is true. Over the past century, we have perfected our educational system so that it runs like a well-oiled Taylorist machine, squeezing out every possible drop of efficiency in the service of the goal its architecture was originally designed to fulfill: efficiently ranking students in order to assign them to their proper place in society.  Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.799-805). Penguin Books Ltd. Kindle .  
もちろん、テイラー主義やソーンダイク主義などの平均主義 (the averagarianismの長所もありました。20世紀にこれらの考え方がなければ、アメリカをはじめとした国々は産業化にうまく対応できなかったでしょう。標準化テストで人を選抜することで、血縁第一主義 (nepotism) やコネ第一主義 (cronysimの影響を少なくすることができたでしょう。 

しかし、平均主義の浸透により、私たちは、学校や職業生活や人生でうまくやるためには、狭い範囲の期待に自分を合わせることを社会から強制されるようになってしまったのです。(society compels each of us to conform to certain narrow expectations in order to succeed in school, our career, and in life.) (Kindle の位置No.819-821) 

 現状をローズは次のようにまとめます。 

私たちは皆、他の人たちと同じようになろうと必死になっている。いや、もう少し正確にいうなら、私たちは他の人達と同じだが勝っているようになろうと必死になっている。ある学習者が才能豊かだと判定されるのは、その学習者も他の人たちと同じ標準化テストを受けてその得点が勝っていたからだ。ある志望者が望ましいと判定されるのは、他の人と同じ資格をもっているがその格が上だからだ。 

We all strive to be like everyone else—or, even more accurately, we all strive to be like everyone else, only better. Gifted students are designated as gifted because they took the same standardized tests as everyone else, but performed better. Top job candidates are desirable because they have the same kinds of credentials as everyone else, only better.  Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.821-824). Penguin Books Ltd. Kindle . 

ローズはこのようにも言います。 

私たちは個性の尊厳を失ってしまった。私たちの独自性は、重荷、障害、もしくは成功への途上での後悔すべき寄り道となってしまった。 
 We have lost the dignity of our individuality. Our uniqueness has become a burden, an obstacle, or a regrettable distraction on the road to success.  Rose, Todd. The End of Average: How to Succeed in a World That Values Sameness (Kindle の位置No.824-825). Penguin Books Ltd. Kindle .  

このような社会状況で、いかにして個性を理解し活かすことができる条件を作り出せるのかというのが著者の根源的な問いかけです。 

  
⇒蛇足 
こうしてみますと、21世紀の日本の教育もソーンダイク的な考えに染まっているように思えます。先程の(1)と(2)の命題に続いて、以下の命題を信じている人は、学校教育について権力をもっている人に多いのではないでしょうか。そしてその人たちの言い分を多くの市民・教師・保護者・学習者が「そんなもんだ」と思い込んでいるのではないでしょうか。 

(3) 社会が学校教育に第一に求めることは、産業界の人材として適したエリートを選別することである。 

(4) 限られた敎育資産は、できるだけエリートの敎育のために使われ、非エリートの敎育は彼ら・彼女らが反社会的にならない程度にとどめておいた方が合理的だ。なぜなら、) エリートはおしなべてすべてに優れ、非エリートはだいたい何をやっても劣るからだ。 

(5) 教師や学校の評価は、どれだけエリートを輩出できたかによって決まる。 

(6) エリートの選抜は標準化されたテストによって行われるのがもっとも科学的であり公正である 
  
(7) 標準化されたテストに対してもっとも効率のよい準備をするのが、もっともよい教育である 

(8) 標準化されたテストで評価されないことを学ぶのは、無駄な寄り道にすぎない 


しかし、これらが唯一の考え方ではないはずです。そもそもこういった考え方に基づく学校教育が、子ども・若者を幸せにしているのでしょうか。日本の社会を活性化させているのでしょうか? 

これらの考え方は、大量生産体制への社会的な準備競争が必要だった19世紀中頃から20世紀中頃ぐらいまでにせいぜい有効だっただけで、社会の競争(というより協調)が、均一性に基づくものから、多様性に基づくものに変化した21世紀には時代遅れのものとはなっていないでしょうか。 

21世紀の前提は、たとえば、複合性・非対称性・不確実性や(伊藤穰一)、過程化・頭脳化・流動化・投映化・共有資産化・共有社会化・自動選別化・再編創造化・相互作用化・自動記録化・発問化・新生化(ケヴィン・ケリー)などといった概念でとらえられるものに変わっているのではないでしょうか。 

関連記事 
伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017) 『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房 
   
ケヴィン・ケリー著、服部桂訳 (2016) 『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』 NHK出版 
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/01/2016-12-nhk.html 


そうなると上記の(1)から(8)の前提を私たちは書き換えなければなりません。以下、私の考えをとりあえず提示します(これらについてはこれから随時考えることによって、今後改訂するかもしれませんが、まずは書き出すことによって、私の、そして読者の皆さんの、思考を活性化することを狙って書き出します。参照の便を考え、これまでの前提を(1)、新しい前提を(1)' といったように表記します。 


(1) 教師は標準的な教育方法と評価方法で学習者を教え評価する。それを受け入れない学習者は指導の対象となる。  
  
→(1)' 標準的な教育方法と評価方法に対して困難を覚える学習者に対して、教師は学習者にあった教育方法と評価方法を探す。 
  
  
(2) 教師はカリキュラム策定者が標準として定めた教育内容と教育方法と評価方法を受け入れる。それを受け入れない教師は指導の対象となる。 
  
→(2)' 教師はカリキュラム策定者が定めた教育内容と教育方法を参考にしながらも、公教育の教育方針の範囲内で、それらを教育の現状に合うように、それらを変更することも、それらとは異なったこともを考案し実践する。もちろん言うまでもなく、その試行に対して教師は教育的責任を負う。 
  
  
(3) 社会が学校教育に第一に求めることは、産業界の人材として適したエリートを選別することである。  
  
→(3)' 社会が学校教育に第一に求めることは、学習者一人ひとりの個性を尊重し、それを伸ばすことである。 

参考:日本国憲法第13条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 
  
  
(4) 限られた敎育資産は、できるだけエリートの敎育のために使われ、非エリートの敎育は彼ら・彼女らが反社会的にならない程度にとどめておいた方が合理的だ。なぜなら、) エリートはおしなべてすべてに優れ、非エリートはだいたい何をやっても劣るからだ。 
  
(4)' 学習者がそれぞれに示す能力が異なるがゆえにそれぞれが受ける教育が異なるものであるにせよ、どの学習者も等しく自らの能力を伸ばす政治的権利を有する。(学習者は「異なれども対等」に教育を受ける権利を有する)。 
  
参考:日本国憲法第26条:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 
  
    
(5) 教師や学校の評価は、どれだけエリートを輩出できたかによって決まる。  
  
(5)' 教師や学校の評価は、どれだけ一人ひとりの学習者の可能性を開花させたかによって決まる。 
   
  
(6) エリートの選抜は標準化されたテストによって行われるのがもっとも科学的であり公正である。  
  
→(6)' もし「エリート」が「すべての側面において優れた人」を意味するのなら、これは現実に即していない概念である。一人ひとりの可能性を発見する方法として、標準化されたテストは適切な方法ではない。 
※ この論点は大きなものなので、これについては、2018年8月8日の外国語教育メディア学会 (LET) のパネルディスカッションで詳しく説明したいと考えています。詳しい説明についてはしばらくお待ちください。 
  
外国語教育メディア学会第58回全国研究大会 
講演・シンポジウム講師紹介 
講演・シンポジウム詳細 
  
  
(7) 標準化されたテストに対してもっとも効率のよい準備をするのが、もっともよい教育である。  

(7)' 標準化されたテストへの対策を過度に行うことは、学習者一人ひとりの学びの可能性を限定してしまう。 
  
  
(8) 標準化されたテストで評価されないことを学ぶのは、無駄な寄り道にすぎない。  
  
→(8)' 学びは標準化されたテストで出題される・されないにかかわらず、学習者の可能性を伸ばすために行う。 


これら8つの考え方についてはいろいろな意見がありうると思います。 
  
現場教師、特に困難な現場で教えている教員にとっては(1)'や(2)'は、当たり前のこと、というより、そうでないと毎日が成立しないものでしょう。 
  
(3)や(4)に関しては、多くの政治家や実業界で教育に関する「有識者」と呼ばれている人たちの本音かもしれません。ですから(3)'や(4)'は、そういった人たちにとっては、いかにも青臭く、とりあえず建前として否定はしないものの、現実にはほとんど実現する気のない理想なのかもしれません。 
  
(5)'に関しては、現場教師が毎日の実践で、あるいは卒業生がふらりと学校に訪ねてその近況を教えてくれた時などに実感していることかと思います。しかし同時にそんな教師は(5)のプレッシャーを、権力志向の強い管理職だけでなく、一般の保護者からも感じているのかもしれません。 
  
(6)と(6)'については上にも書きましたように、もっと詳しい説明が必要です。そういった説明ができるようになるためにも、私はこの一連の記事を書いたり、他の勉強も続けていますので、その説明に関しては今しばらくお待ちください。 
  
(7)は進学校の現実です。その中で(7)'のような考え方をを教師までもが失ってしまうことが怖いです。また進学校でそれなりにいい思いをして来た優等生が、大学の教育学部で教育について広い視野と深い思考から考え直すことなく卒業して教師となってしまうことも私は実は怖れています。 
  
(8)は、実は私は大学生からよく聞きます。「無駄な寄り道」をしてしまったと言う学生さんほど、私からすると魅力的な人物であることが多いのですが、彼ら・彼女らにそう思わせないようにするにはどうしたらよいのかと思っています。ついでながら申し上げますと、(8)を頑なに信じて大学に合格してきた学生さんと対話をしていると、私には、彼ら・彼女らが私と目をなかなか合わせようとしなかったり、そもそも目に力がないような表情をしていたりすることが多いように思います。もちろんその観察は私という存在の影響であったり反映であったりするのかもしれませんが、学生さんの表情を教育におけるもっとも有効な指標の一つと考える私にとっては、学生さんが(8)と考えてしまうことには大きな懸念をもっています。 
  
  
以上、駄文も含めて、この本の第二章をまとめました。私は先日、翻訳書も手に入れて読みましたが、翻訳は読みやすく、また参考文献にはすでに翻訳された書籍の情報もありますので、この翻訳書はお薦めです。ただし、上の翻訳は私が行ったものであることは付記しておきます。 




関連記事

Introduction of The End of Average by Todd Rose (2017)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/03/introduction-of-end-of-average-by-todd.html
平均の発明 Ch.1 of The End of Average by Todd Rose (2017)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/03/ch1-of-end-of-average-by-todd-rose-2017.html

いかにして私たちの世界は標準化されてしまったのか Ch.2 of The End of Average by Todd Rose
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/04/ch2-of-end-of-average-by-todd-rose.html 



 
追記(2018/04/18)
一試合得点数の高いプレーヤーばかり集めることによってチームがガタガタになってしまったバスケットボールチームのNew York Knicksのエピソードはやはり興味深いので、その件に関するリンクを備忘録としてここに掲載しておきます。

Bad Decision Making is a Pattern With the New York Knicks
https://www.huffingtonpost.com/david-berri/bad-decision-making-is-a-_b_7283466.html

この記事の著者のDavid Berriの著書には Stumbling on Wins があります。