2018年4月18日水曜日

Chimamanda Ngozi Adichieの動画:The danger of a single story


この記事は、下記の記事と同じく、学部生向けのある授業の補助資料として作成したものです。

敎育に関するKen Robinsonの動画

動機づけに関するDan Pinkの動画




以下の動画では "story" について語られますが、この語は、「理解のための構図」や「私たちが物事を認識をする際の形式」 あるはぐらいの抽象的な意味で理解するとわかりやすいかもしれません。

Oxford Living Dictionariesのstoryの1.1 A plot or story lineの"+ More example sentences"を参照してください。あるいは"the same old story"といった慣用表現も上の意味に近いと思います。 
https://en.oxforddictionaries.com/definition/us/story

関連記事
3/11の学会発表スライド:なぜ物語は実践研究にとって重要なのか―仮定法的実在性による利用者用一般化可能性―
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/03/311.html

そういった意味での「ストーリー」あるいは「(お)話」は人間に多大な影響を与えますが、ある事柄について一つのストーリー・(お)話しか語られなかったらどうなるかというのがこの講演の趣旨です。

学校教育でも、一種類のストーリー・(お)話しか語られないことはないでしょうか?

この動画を通じてストーリー・(お)話について考えたいと思います。






以下の書き起しは “Ideas worth spreading” としてWeb上に無料公開されているものなので、出典情報を明記した上でその一部を転載することには問題がないと考えました。書き起しの前にある数字は講演でその発言が現れる時間です。書き起しの下にある「※」印以降の文章は私の蛇足です。

https://www.ted.com/talks/chimamanda_adichie_the_danger_of_a_single_story/transcript


*****

00:27  講演者のChimamanda Ngozi Adichieが最初に読んだ本に書かれていた世界
I wrote exactly the kinds of stories I was reading: All my characters were white and blue-eyed, they played in the snow, they ate apples, and they talked a lot about the weather, how lovely it was that the sun had come out.
※ 私たちが書くことは私たちが読むものに大きく影響されるということに注目。ちなみに、ここの言い方から彼女が読んでいた本は英国で出版された本であることは明らかでしょう。


01:32 私たちは「話」に影響を受ける。特に子どもは。
What this demonstrates, I think, is how impressionable and vulnerable we are in the face of a story, particularly as children.
※ 私たちは抽象的な原理よりも、話に影響を受けやすいことに注意。

02:24 ナイジェリアの作家の本を読まなければ、自分のような人間が文学の世界に登場することはないと思い込んだままだったかもしれない。
Now, I loved those American and British books I read. They stirred my imagination. They opened up new worlds for me. But the unintended consequence was that I did not know that people like me could exist in literature. So what the discovery of African writers did for me was this: It saved me from having a single story of what books are.

02:47 彼女の母親がお手伝いの少年について語っていた唯一の話
I come from a conventional, middle-class Nigerian family. My father was a professor. My mother was an administrator. ... The only thing my mother told us about him [=Fide, a live-in domestic help] was that his family was very poor.

03:31 聞かされていた話のせいでなかなか認識できなかった現実
All I had heard about them was how poor they were, so that it had become impossible for me to see them as anything else but poor. Their poverty was my single story of them.
※ 私たちにも似たような経験はないだろうか。


04:01 ナイジェリアから来た女性がアメリカ人である自分と似ていることに対する驚き
My American roommate was shocked by me.
※ これについても似たような経験はないだろうか。

04:37 会う前から形成されていた印象
What struck me was this: She had felt sorry for me even before she saw me. Her default position toward me, as an African, was a kind of patronizing, well-meaning pity.
※ このような「上から目線」の話は、英語教科書にもないだろうか。

05:09  「アフリカ」と一括りにされる
I must say that before I went to the U.S., I didn't consciously identify as African. But in the U.S., whenever Africa came up. people turned to me. ... [T]here was an announcement on the Virgin flight about the charity work in "India, Africa and other countries."
※ この経験は、外国に行った日本人であるあなたが「アジア人」としか見られないことに相当するだろうか。もしあなたが「あなた」という個人で決して考えてもらえないなら、あなたはどう感じるだろうか。

05:44  私たちはしばしば「一つのお話」ばかりを信じている。
So, after I had spent some years in the U.S. as an African, I began to understand my roommate's response to me. ... I would see Africans in the same way that I, as a child, had seen Fide's family.
※ 「あの人は○○だから」という決めつけをあなたはどのような時にしてしまいがちだろうか。あなたと共に私も考えたい。

06:53 アフリカについての偏見の始まり
[I]t represents the beginning of a tradition of telling African stories in the West: A tradition of Sub-Saharan Africa as a place of negatives, of difference, of darkness, of people who, in the words of the wonderful poet Rudyard Kipling, are "half devil, half child."
ウィキペディア:ラドヤード・キップリング
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0


08:42 同じ話を流し続けるメディアの怖さ
I realized that I had been so immersed in the media coverage of Mexicans that they had become one thing in my mind, the abject immigrant. I had bought into the single story of Mexicans and I could not have been more ashamed of myself.
※ テレビニュースで同じ画像ばかりが繰り返されるのを見たことはないだろうか。

09:14  一つの同じ話を語り続ければやがてそれが現実に見えてくる。
So that is how to create a single story, show a people as one thing, as only one thing, over and over again, and that is what they become.

09:25 一つの話を語り続ける背後にはしばしば権力がある。
It is impossible to talk about the single story without talking about power. There is a word, an Igbo word, that I think about whenever I think about the power structures of the world, and it is "nkali." It's a noun that loosely translates to "to be greater than another." Like our economic and political worlds, stories too are defined by the principles of nkali: How they are told, who tells them, when they're told, how many stories are told, are really dependent on power.
※ 一つの話が語り続けられる時には、誰が、いつ、どのように語っているかに注意。
 SNSの隆盛と共に"echo chamber"や"filter bubble"といった表現が聞かれるようになってきたが、自分がそれらの中に入ってしまっていないかには本当に注意が必要。食べる物をに気をつけなければならないのと同様に、私たちは読み聞くメディアに気をつけなければならない。

Wikipedia: Echo chamber
https://en.wikipedia.org/wiki/Echo_chamber_(media)
Wikipedia: Filter bubble
https://en.wikipedia.org/wiki/Filter_bubble


10:00  権力によってある一つの話が決定版の話となってしまう。
Power is the ability not just to tell the story of another person, but to make it the definitive story of that person.
※ 一つの例にしか過ぎないが、最近、読売新聞が、官邸サイドからの情報だけに基づいて取材もせずに元文部科学省事務次官の前川喜平氏を貶めるような記事を一面に掲載したと思われる事件があった。

郷原信郎が斬る:読売新聞は死んだに等しい(2017/6/5))
https://en.wikipedia.org/wiki/Echo_chamber_(media)

これに限らず、権力者がある特定の話だけを流布させようとすることはしばしばあるので注意が必要。逆に言うなら、特定の話だけを流布させることができるなら、その人権力者になれると言えるのかもしれない。

ちなみに上の話だけで「読売新聞は官邸の手先」などといった一つの話にしてしまうのも怖い。

12:45  ステレオタイプは全面的な虚偽ではないが、物事に関する一側面しか扱っていないまま真実として流布してしまうことが問題。
The single story creates stereotypes, and the problem with stereotypes is not that they are untrue, but that they are incomplete. They make one story become the only story.

参考
Wikipedia: Public Opinion (book)
https://en.wikipedia.org/wiki/Public_Opinion_(book)
Project Gutenberg: Public Opinion by Walter Lippmann
http://www.gutenberg.org/ebooks/6456

13:33  ある人・事象に関する一つの話しか聞いていないと、その人・事象の尊厳さえ奪いかねない。
I've always felt that it is impossible to engage properly with a place or a person without engaging with all of the stories of that place and that person. The consequence of the single story is this: It robs people of dignity. It makes our recognition of our equal humanity difficult. It emphasizes how we are different rather than how we are similar.

17:24  お話を悪用することもできれば善用することもできる。
Stories matter. Many stories matter. Stories have been used to dispossess and to malign, but stories can also be used to empower and to humanize. Stories can break the dignity of a people, but stories can also repair that broken dignity.

18:05  「唯一の話」を拒否しなければならない。
I would like to end with this thought: That when we reject the single story, when we realize that there is never a single story about any place, we regain a kind of paradise.
※ しかし私たちは、自分の耳に心地よい一つのお話ばかりを好んでいないだろうか。私たちが「唯一のお話」を拒否できるようになるためには、どういった敎育あるいは文化が必要だろうか。











2018年4月17日火曜日

「異教科間で対話し協働できる教員の育成に関する研究」に寄稿した9編の研究報告


先日、広島大学大学院教育学研究科教科教育学専攻の有志メンバーによる「共同研究プロジェクト」のホームページが新しくなりました。



異教科間で対話し協働できる教員の育成に関する研究


このホームページには、メンバーによる研究報告が掲載されています。研究代表者として私はメンバーに「既存の査読付き学術論文誌ではなかなか書けないような萌芽的で大胆なことを書こう」と提案しました。

ここにはそこで私が書いた研究報告(共著も含む)について、タイトルと概要を掲載します。もしご興味があればそこにあるURLをクリックして研究報告をお読みください。



研究報告(2017年度)



「教科教育学」の二つの意味
柳瀬陽介

「教科教育学」とは何を意味するのでしょうか?「数学、音楽、国語・・・」などのさまざまな教科に関するそれぞれの教育学を変数xを使って総称する「x科教育学」という意味でしょうか? 確かにそのような意味で「教科教育学」という用語が使われる場合もあるでしょう。しかし、この小文では、「教科教育学」は、「複数の教科の学びを学習者の中で統合させるための教育学」とも規定できることを示し、広島大学大学院教育学研究科の教科教育学専攻での共通科目は、「x科教育学」を深めるだけではなく、複数の教科を連動させる「教科教育学」を学ぶ機会ではないかと提言します。



それぞれの教科の中の科学と物語
 ―10教科への問いかけ―
柳瀬陽介

日本では強力な「文系か理系か」という区別が、それぞれの教科を「文系」「理系」「それら以外」に分けてしまい、学習者の自己認識もその三つのどれかにしてしまいがちです。これは、教科教育と学習者の可能性を狭めてしまう区別であるように思えます。この小論では、心理学者のブルーナーの物語様式の科学規範様式の概念区分を使って「文系」と「理系」の概念内容について再考し、それぞれの教科には物語的側面と科学的側面の両方があるのではないかと問題提起します。



創造性を一元的な評価の対象にしてはいけない
柳瀬陽介・八木健太郎・徳永崇

この論は、一元的な評価が創造性をかえって阻害しているという主張をします。論証のために科学史家のクリーズと哲学者のアレントの論を援用して、評価を一元的な「評定・測定」(rating / measurement) と多元的な「鑑賞・実感」(appreciation) の二種類に分けます。その概念的区別に基づいて、創造性を「評定・測定」の対象とすることはかえって創造性を損ねることにつながるので、その評価は文化共同体における「鑑賞・実感」の自由に委ねるべきだと主張します。創造性の評価を行わなければならないのなら、文化共同体での発表の場に出て自らの作品・表現を共同体での自由な「鑑賞・実感」の語り合いの中に委ねることができた事実をもって「合格」とするだけの評価(評定)にとどめるべきだとも論じます。



教科教育における「リアリティ」
―音楽科・社会科・英語科について―
柳瀬陽介

この論では、学校での教科教育が学習者の「リアリティ」の感覚に即していないのではないかという問題意識を受けて行われた対談に基づくもので、物語論の観点から社会科と音楽科と英語科におけるリアリティについて考察します。さらに、リアリティが教材から奪われ、学習者が学びのリアリティを、受験勉強についてのサクセスストーリーにしか感じることができなくなった場合についての懸念についても言及します。



数学教育学講座院生・教員との対話から考える英語による授業のあり方
柳瀬陽介

この論では、英語教育学の教員が数学教育学の院生と教員と行った対話に基づき、数学を英語で教えること、数学を物語で説明すること、高校までの英語教育の三点についての考察を行います。西洋言語を基盤として成立した数学を英語で表記することには確実な利点がありますが、だからといって数学の研究と教育の営みのすべてが英語で行われるべきとはならないかもしれません。また、数学を物語様式で説明することは、初学者が理解の糸口を得るためには有効ですが、その物語化は必ずしも容易ではありませんし、ましてや英語で行うことは困難です。現在の英語科に関しては、数学の体系的な面白さを知った者には知的な面白さを提供できていないようです。




研究報告(2016年度)



教員自身の「異教科間コミュニケーション」
柳瀬陽介

本稿では、「教科教育学研究方法論」の構想期・準備期・実施期を振り返り、教員自身がいかに自らとは教科・専門を異にする同僚教員とコミュニケーションをとってきたかについて振り返る。構想期については「改革ありき」と「二種類の融合」の観点から、準備期間については理念(「持続可能性と革新性」)の堅持という観点から、実施期間については「主要教科」という表現がもつ偏見の観点から主にまとめる。



教科教育学研究方法論
柳瀬陽介

本稿では、「教科教育学研究方法論」の授業目的を、複合性 (complexity) の観点から、3.11以降の日本の状況やスマホを巡る諸問題を例にして説明した上で、2016年からフィンランドで開始された、教科の枠組みを超えた「テーマ別授業」についても簡単に紹介し、知識がますます高度に相互依存する現代においては、専門家が相互にコミュニケーションをとれることが決定的に重要であることを論ずる。



意味と真理の概念から捉えた対話の概念
柳瀬陽介

本論は、「教科教育学研究方法論」で対話を進める際に筆者が参考にしていたDavid Bohmの対話論をまとめ、その一部にNiklas Luhmannの意味論を補足し、かつ意識の統合情報理論 (Integrated Information Theory) の考え方も参考にしながら再整理したものである。



本質性か連動性か?
柳瀬陽介

「教科教育学研究方法論」において、「10教科共通の・・・」といった表現が多用されたが、この表現が意味することは認識論の違いによって異なりうる。本稿はこの表現の、本質主義 (essentialism) に基づく意味と、親族的類似性 (family resemblance) に基づく意味を比較検討することによって、異なる教科間で対話し協働する際の基礎認識について考察する。




関連記事(広大教英ブログ)

異なる10の教科を教える専修の大学院生が自分の専門の枠組を超えた対話を行う授業
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2018/04/10.html

社会科教育の話を聞いた英語科院生の振り返り
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2017/05/blog-post_9.html

他教科の院生・教員との対話から学んでいる英語教育専攻大学院生の振り返り
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2017/04/blog-post_27.html





2018年4月10日火曜日

ダニエル・ピンク著、大前研一(訳) (2015) 『モチベーション3.0  持続する「やる気!」をいかに引き出すか』講談社+α文庫



邦訳タイトルがなんだか安っぽかったので、手に取らなかった本書でしたが、著者のDan Pinkは私が読む多くの本に取り上げられており、また、彼のTED動画を授業で使うことにしましたので、本書の翻訳を読んでみました。

さすがベストセラーを出す作家の作品だけに、非常に読みやすく、読者の便益を最大化するような工夫が随所にある本です。心理学のモチベーション(やる気)についての理論をうちたてた心理学者のエピソードもいろいろ読めます。

本書の内容の一部は、以下の動画でも知ることができますが、この動画を何度も視聴したとしても本書を読む価値はあります。



RSA ANIMATE: 
Drive: The surprising truth about what motivates us





https://www.youtube.com/watch?v=u6XAPnuFjJc

WIKIPEDIA: Drive: The Surprising Truth About What Motivates Us
https://en.wikipedia.org/wiki/Drive:_The_Surprising_Truth_About_What_Motivates_Us


以下は、本書について私が簡単に説明する時のために作ったノートです。著作権保護のため意図的に、本書を読んでいない方には抽象的すぎてわかりにくい書き方にしています。邦訳は文庫本になっていますので廉価ですから、ご興味をもたれた方はぜひ本書をお読みください。

モチベーション3.0
持続する「やる気!」をいかに引き出すか

1 Motivation 1.0

2 Motivation 2.0: Extrinsic motivation, Type X

2.0  主な理論家:スキナー、テイラー
参考記事: いかにして私たちの世界は標準化されてしまったのか Ch.2 of The End of Average by Todd Rose

2.1  うまく働く場合
規則的ルーティンタスク
指令者自身が退屈だと認め、実行者に自由を与える場合

2.2  うまく働かない場合
エンカルタとウィキペディアの場合
ロウソク問題

3  Motivation 3.0: Intrinsic motivation, Type I

3.0 主な理論家:デシライアン(→下のself-determination theory: SDTを参照)、コーン

3.1 Autonomy (自律性)
3.1.1 Task
3.1.2 Time
3.1.3 Technique
3.1.4 Team

3.2 Masterry (熟達性)
3.2.1 Dweck: growth mindset, not fixed mindset
TED: The power of believing that you can improve
3.2.2 Grit (情熱)
やり抜く力 GRIT(グリット)
Grit: Why passion and resilience are the secrets to success
WIKIPEDIA: Grit
TED: Grit: The power of passion and perseverance
3.2.3 Asymptote (漸近線)

3.3 Purpose (目的)
3.3.1  利益の最大化か目的の最大化か
3.3.2  チェックリストの危険性
3.3.3  The MBA OATH

補足
Self-determination theory (自己決定理論)

4.1 Autonomy

4.2. Competence

4.3 Relatedness