2010年5月31日月曜日

ウェブで英語を自学自習し、豊かな文化社会を創り上げよう!

■英語を英語の語順・音で理解できるようになることが基盤!

英語の習得には時間がかかります。学校の授業に出ているだけでは不十分です。というより学校の授業に期待するより、自分でどんどん勉強してゆきましょう。
英語習得で特に大切なのはインプットです。英語を聞いて、それをそのまま(=英語の語順で流れる英語の音で)理解できることが何よりも大切です。

英語を英語の語順・音で理解できる基盤がないと、英語を正確に速く読むことができません。発話の「中身」の大半は読書によって築かれるわけですから、この基盤をゆるぎないものにするための基礎訓練を大切にしてください。

この基盤がなく英語の読書をしないままに、いくら「会話練習」をしても、内容の薄いことを定型句ばかりを使っての発話しかできません。中身のない発話はいくら「ペラペラ」のように聞こえても現実世界では相手にされません。日本人の英語マニア同士で「ペラペラ」度を競い合いたいのなら別ですが、世界の人々と信頼関係や友情を築こうとすればなにより中身のある発話が必要です。ですから最初は「英会話」に憧れすぎることに気をつけてください。





■ここでの初級・中級・上級の定義

この記事は、「初級」「中級」「上級」に分けた簡単なガイドです。定義は以下のようにします。

初級: 自分が知っている内容に関して、自分が知っている(=単語帳では覚えたはず)単語によって構成された英語を聞いて理解することができない。

中級: 自分の知識と語彙の範囲でなら、なんとか英語を聞いて理解できるが、その理解は不安定

上級: 教養ある英語話者とほぼ同じように英語を聞いて理解できるが、まだまだ知識・語彙の習得が必要。



■初級者はディクテーションとレシテーションの基礎訓練を徹底

初級者は基礎訓練を徹底的にやることが必要ということはどの分野でも共通して言えることです。もしあなたが本気で英語を習得したいのなら、地道な基礎訓練を継続してください。

初級者にとっての基礎訓練とは「集中的入出力訓練」です。入力(=耳や眼から入ってきた英語)をそのまま出力(=口や手で再生)する訓練を徹底して、(比喩的な言い方に過ぎませんが)「英語回路」を自分の心身に作ってください。この「英語回路」ができていないと、思うように英語を発話できません(理系の方などで英語論文はバンバン読めるのに、英語を話すことは苦手という方もぜひこの「集中的入出力訓練」をやってみることをお薦めします)。

集中的入出力訓練の方法論は以下を参照してください。



しかしここで問題になるのが、集中的入出力訓練で使う教材です。教材がなければ訓練はできません。

そこでお勧めなのがNHK語学番組です。現在多くの番組が無料のストリーム再生を行っています。どの番組も、タイトルだけにまどわされず、一度自分で聞いてみて、自分がディクテーション(聞き取った英語を書きとってみる訓練)やレシテーション(暗唱)をするのに最適な番組を選んでください。

NHK語学番組(英語)は



です。

追記(2010/05/31): NHKの語学番組をMP3ファイルにして、iPodなどに録音するには以下のソフトがいいとの情報提供がコメント欄でなされましたのでここでもお知らせします。



追追記 (2010/06/01): アメリカ英語の発音はPhonetics: The Sounds of American Englishで学べます。発音に関しては、すぐに上達しなくとも、発音の原理を知っておくことはとても大事です。折に触れこのサイトで遊びながら英語の発音の原理を少しずつ理解してください。



■中級者は字幕・トランスクリプト付きの英語教材を使おう

初級レベルの訓練が徹底し、自分でもだんだん英語を聞いて理解することが困難でなくなったら、今度はどんどん英語を聞く量を増やしましょう。英語の語彙を増やし教養を広げ深めてください -- 繰り返します。教養・知識の基盤を欠いた「英語力」は趣味の英語でしかありません。英語を使って自分の世界を広げたいのなら語彙・教養を大切にしてください。

ただし一言注意。語彙は単語帳で覚えても使えるようになりません。よく英単語の日本語訳語は言えても、その日本語訳語(あるいは英単語)の概念を尋ねると答えられない学生さんがいます。そのような表面的な音声記憶では語彙は使いこなせません。語彙は実際の英語使用 --英語そのもののためではなく、知識を伝えるための英語使用-- で学んでください。

中級者は以下の記事を参照して自学自習を進めてください。

字幕付きの無料動画で楽しく英語を学ぼう



追記:辞書について:2010/09/27

英語の力を初級・中級から上級に上げるためには徹底的に辞書を引いて、ことばに対して自覚的で敏感にならなければなりません。辞書について大切な事は二つ、(1)とにかく頻繁に引く、(2)英英辞書で引く、です。これは徹底してください。この意味で一番のお薦めは、ウェブを見るブラウザーにGoogle Dictionaryという拡張機能を追加することです。

Google Dictionary on Chrome
https://chrome.google.com/extensions/detail/mgijmajocgfcbeboacabfgobmjgjcoja

これだとウェブで読んでいる英語でわからない単語があれば、その単語をダブルクリックするだけでその意味がわかります。私が知る限り、この方法が最速です。

※ブラウザーはChromeかFirefoxをお薦めします。私は動きが速いChromeを常用にしています。

なおGoogle Translateは、莫大な量のデータを元に統計的に機械翻訳するソフトです。語順が安定した言語同士の翻訳でしたら実用的にはほぼ問題ない翻訳がすぐに得られます。英語以外のヨーロッパ言語のサイトを読むには非常に便利です。ただ日本語のように語順が自由な言語に関しては、それが起点言語であっても目的言語であっても、あまり翻訳の質は高くありません(だからGoogle Translateはあまり日本では話題になっていないのかもしれません)。ですがぜひインストールしてください。

Google Translate on Chrome
https://chrome.google.com/extensions/detail/aapbdbdomjkkjkaonfhkkikfgjllcleb

参考記事
自動機械翻訳の実用化、言語コミュニケーション教育の新しいデザイン
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/04/blog-post_23.html



話を辞書に戻しますと、ブラウザー上にない英単語ではGoogle Dictionary on Chromeは使えませんから、以下のような辞書を適宜使い分けてください。

代表的な英語辞書・辞典・百科事典ならDictionary.com
http://dictionary.reference.com/
※このDictionary.comの辞書はiPhoneの無料アプリにもなっています。非常に便利です。

Collins Cobuild Online
http://www.collinslanguage.com/

Longman Dictionary of Contemporary English
http://www.ldoceonline.com/

Cambridge Advanced Learner's Dictionary Online
http://dictionary.cambridge.org/

Oxford Advanced Learner's Dictionary Online
http://www.oup.com/elt/catalogue/teachersites/oald7/?cc=global

※ただ、学習をする際に、紙の辞書というのは参照性・通覧性・再読性などに優れ、線を引くということで学習履歴が残りますから、やはり有用なメディアではあります。個人的には、Collins COBUILD, Longman Dictionary of Contemporary English, Cambridge Advanced Learner's Dictionary, Oxford Advanced Learner's Dictionaryなどの学習者用英英辞典を紙メディアで購入・常用し、語彙力と自信をつけるという学習手段をお薦めします。

数千冊の英語辞書を一気に串刺し検索できるOneLook Dictionary Search
http://www.onelook.com/

英語の各種レファレンスならBartleby.com
http://www.bartleby.com/

英語ライティングの総合ガイドならTHE OWL AT PURDUE
http://owl.english.purdue.edu/owl/


英和・和英を総合的に調べるなら英辞郎
http://www.alc.co.jp/
英辞郎の便利な使い方は
http://eowimg.alc.co.jp/content/help/tips/index.html

英和・和英の専門辞書ならWeblio英和・和英
http://ejje.weblio.jp/

※参考記事「河本健(編)(2007)『ライフサイエンス論文作成のための英文法』羊土社
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/02/2007.html



■上級者はGoogle Readerで英語入力の量と質を飛躍的に向上させよう!

上級者は自分の興味関心に従ってどんどん英語を聞き・読み、自分の知識を広げ深めてください。

現在ウェブの英語世界には莫大な知識が埋もれています。英語ができれば無料(あるいは極めて廉価)でどんどん勉強ができます。(逆に言いますと日本語でしか勉強ができないと、やたらとお金がかかりますし、勉強の量も質にも一定の限界があります)。英語を自分なりに使いこなせるようにして、知識を広く深くし、世界中の英語話者と協働的に問題解決をしてゆきましょう。

以下、三つの助言をいたします。


(1) 自分の好きな知的サイトを見つけよう

取り敢えずは以下のようなサイトから自分の好きな知的サイトを見つけてください。

Free Online Courses from Top Universities

Intelligent Video: The Top Cultural & Educational Video Sites
http://www.openculture.com/intelligentvideo
YouTube/Education
http://www.youtube.com/education?b=400

Intelligent YouTube Channels
http://www.openculture.com/smartyoutube

PublicRadioFan.com
http://www.publicradiofan.com/

iTunesのiTunesU
(Apple社のiTunesという無料ソフトはiPod/iPhone/iPadなどの製品だけのためのソフトでなく、音声・映像管理の汎用プラットフォームです。Apple社の製品をお使いでない方もぜひご利用ください。私はiTunesの中でも、学術用にはiTunesUを、趣味の音楽のためにはRadioを愛用しています)
LibriVox
http://librivox.org/


(2) Google Readerを使って自動的に情報収集しよう


※ Google Readerは、2013年半ばでサービス停止となります。(このGoogleの姿勢に対する批判記事はThe EconomistのGoogle's Google Problemにあります)Google Readerの代わりとしてはFeedly (http://www.feedly.com/)がよく使われているようです(私も使っています)。

Google Readerをインストールし、自分の好みのサイトをRSS登録しましょう。RSSのソフトは従来使い勝手の悪いものが多かったですが、Google Readerは本当に使い易いです。Google readerをぜひお使いください。



Google Reader Tutorial (1:06 with subtitles) by Google




Google Readerを使うなら、ついでにGoogleが作っているブラウザーであるChromeを使いましょう。Chromeはextensionを追加すると非常に便利になります。私はGoogle Reader, Evernote, delicious用のextensionを追加していますが、これがあると一発で情報保存ができるので本当に便利です。

Using Extensions on Google Chrome





なおGoogle Readerに自分のお気に入りサイトを登録するとどんどん記事が集められますから、最初は慣れずにとまどうかもしれません。

しかしここで大切なのは、情報・知識に対する新しい感覚を身につけることです。

昔は情報・知識は湧き水のようにちょろちょろと来ました。私たちはそれを大切に手ですくい、ありがたくすべてを飲み干していました(それでも喉の渇きは止まりませんでした)

しかし現在は、ウェブで英語を使うなら、情報・知識は洪水のようにやって来ます。すべてを飲み干すなんてとてもできません。私たちは今、洪水の荒波をネットサーフィンする必要があるのです。(これが高度知識社会の恐ろしさであり楽しさです)

この英語ウェブでのネットサーフィンは最高に面白いです。Google Readerに集まった情報の見出しを次々に読んで、瞬時に自らへの関連性を判断します。読むと決めた記事は速読します。いい!と思ったらその記事を丸ごとEvernoteに保存します。他人にも伝えたいと思ったら、その記事を短い言葉にうまくまとめてTwitterに投稿します。


Google Readerによる英語ウェブのネットサーフィンは、従来のようなダラダラした時間つぶしのネットサーフィンとはまったく異なります。私はGoogle Readerを使うようになってから、ダラダラしたネットサーフィンとはまったく無縁になりました。仕事の集中力が切れた時にGoogle Readerを見ますが、そうしますと次々に質の高い情報が来ているので、いい気分転換になり、しばらくGoogle Reader + Evernote + Twitterで作業したらリフレッシュして仕事に戻ることができます。先程確認しましたら私は現時点で167のサイトを登録していました。これらのサイトからの情報が自動的に集まってくれるのは感動ものです。

Google Readerは本当にお勧めです。



(3) 豊かな知的共同体を創りましょう。

私は上にも述べたように、Twitterを情報伝播のために使っています。私がfollowしている人・団体ももっぱら情報伝播のためにTwitterを使っています。これらの人・団体の情報の質は高いので、本当に面白いです。


私は個人的交友関係をTwitterで築くつもりはありません(それは他の媒体で行います)。皆さんももしよかったらTwitterや他のWeb媒体を質の高い情報・知識共有のために使いませんか?面白かったらぜひfollow (Twitter)やRSS登録(Google Reader)させていただきます。

また私は学術的、芸術的に面白いと思った動画などを以下のコレクションに集め始めました。


Video collection by Yosuke YANASE

Art collection by Yosuke YANASE


ご興味があればぜひRSS購読してください(Twitterでは私のウェブ活動の更新はすべてお知らせしておりますのでTwitterでフォロー(http://twitter.com/yosukeyanase)していただければ便利かもしれません)


ウェブと英語を使って豊かな文化社会を創り上げましょう!



関連記事
Google Reader + Twitter + Evernote + Chromeの相乗効果が創り出す新しい知の生態系



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オンライン読書会(Linguistic Imperialism Continued)の報告

■Ustreamを使って研究会を公開

先日(2010/05/29土曜)にUstreamを使ったオンライン読書会に参加しました。読書会の母体は東京大学大学院の寺沢拓敬さんを中心とするメンバーで、オンライン参加は武蔵大学の直井一博さんと私でした。


扱った本は

Routledge, 2010



■武蔵大学の直井一博さんのまとめ

以下は直井さんが作成したその日の議論のまとめです。原文をそのまま掲載します。


・現代の「帝国論」との接合、関係
Pの議論で前提とされている国家、国家間の関係が19世紀的であるという指摘。現代の諸国家間の関係とそれを論じる見方はより動的で複雑になっていることは確かであろう。それに一定程度準拠しないわけいにはいくまい。この意味で、現代思想のさまざまな考え方、社会理論に概略的にでも触れておく必要がある。

・英語使用に伴う不平等感、つまり、支配被支配(ヘゲモニー)の実際とその感じられ方を取り上げたのがPであると思われる。英語を母語として用いている人々・地域とそうでない人々・地域との間の力の不均衡が問題とされている。ただし、母語話者の概念や実態を正確に捉えようとするだけでも一枚岩ではない議論が必要であるし、第二言語、外国語という切り分けも程度問題であることも多い。19世紀的国家観とそれに結びついた言語から自由になりきることはできないとしても、現在の世界での人々の英語使用とそれに伴う使用実感、特に不平等感や力の不均衡がうまく説明できるための枠組み、概念が必要であるのかもしれない。
「文化」の概念を本質主義化してしまうことの危険に自覚的になるのと同じように、言語Xを特定カテゴリーに据えてしまうのではなく、その作業を行なう際につきまとう概念操作上の危うさを明記した上で、CDA的な、つまり、パワーの実際が具体的にどう作用しているかの観察を進める必要があるように思われる。こう考えて検討を進めていくならば、ミクロ-マクロの接合問題にもつながっていくように思う。

・応用言語学のあり方が問題化されていることは間違いない。ディシプリンとしての応用言語学も固定化せず前進していくものであると理解するならば、社会の実際、社会で問題にされている論点との関係もまた考えねばならない。

・学術的な概念、用語と日常的な概念、用語との関係が取り上げられた。「進化論」と「価値」の問題、「生態学」と「価値」の問題に関する柳瀬さんの指摘は重要である。日常生活で用いる進化論や生態学ecologyの用語とそれらのインパクト(何に対してのインパクトかも含めて)と、元来学術的な文脈での意味合いとの乖離自体をしっかりと捉える批判的な立場は堅持する必要があろう。

それと共に、学術的な概念がいかに日常生活で翻案されて独り歩き的に用いられ、思考、行為に、ミクロマクロに影響するかを検討してみることも重要であると考える。なんのためにか。ともすると陥りがちな議論上の袋小路から脱するために、ということもある。また、我々の思考・行為を良くも悪くも枠づけている概念を明らかにできるため、ということもある。

・Pの議論では、世俗的な、多様な価値を負わされた「エイゴ」の働き(=英語を用いる人々の間での力の不均衡な配置と利用のされ方)が問題とされている、と理解している。進化論や生態学と同様に厳密に「エイゴ」を扱えるかどうかの問題もあるが、仮にそう扱われたとして、それらがどのように作用しているか、何が現在そうあるように作用させているかを理解することは重要だと思われる。X→Yの図式において、因果関係という場合(If X, then Y)もあれば、「~に影響を与える、~を枠づける(ただし必ずしも決定しない)」という解釈学的な関係(X shapes, but not necessarily determines Y)もありうる。

・社会の中での英語を、人々がどのような視角からどのように語っているのか、それらが何に影響されているか、枠づけられているか。社会で力をもっている英語に関する見方、価値の表明はどのようにdiscursiveにでき上がっているのか、それらを人々がどのようにみているか、それらを利用しながら、人々はどのような力を行使しているか。個人的なdesiresと社会的な言説に登場してくる「エイゴ」がどのように関連づけられて表現され、それによってどのような力を行使しているのか。

・AAALに参加された先生の報告にあったように、応用言語学の一部では、多言語を使うワタクシが多言語を用いることをどのように捉えるか、という方向で研究が進んでいる。ナラティブ、ライフヒストリーとして語られる英語や他の言語を用いるワタクシという視点で取り上げられつつある。社会、コミュニティの中で、また、複数のそれらを渡り歩く(越境する)中で、言語を用いるワタクシが、他者たちとの関係の中で、具体的にどのように自らのidentity/-iesを感じ、自覚し、定義し、また、それをリソースとして利用しながら言語使用を展開しているかを捉える視点である。Pの議論ではミクロに位置づけられることになろうが、ミクロとマクロの連続性をこそ重要視したい。語られ方もまた言語使用にほかならないという意味で、dismissされてはならないと考える。




■単純な勧善懲悪的議論に警戒を

私個人の意見を付け加えるとしたら、Phillipsonは二項対立的な書き方が過ぎているので、議論が生産的でなく、いわば「勧善懲悪」的になってしまっているのが欠点だと思っています。英語を"Panacea or pandemic?"という枠組みで問いかけるのは、ジャーナリスティックで耳目を引く書き方ではありますが、逆にそこから冷静な分析が進みにくいように私には思えます。

その点では私はやはり"critical"な研究をさらに"critical"に見ようとする研究--言ってみるなら"critical critical studies"--の方に共感を覚えます。

私たちは言わば「大海を航海しながら船を修繕する」(We are like sailors who on the open sea must reconstruct their ship but are never able to start afresh from the bottom. )(Neurath's ship)ようなことをしなければならないのですから、ホロウェイChange the World Without Taking Power)が提唱するようなしたたかな戦略が必要だと考えます。


この意味でも私はPhillipsonの議論の仕方よりも、Pennycookの議論の仕方に共感を覚えます(柳瀬英語ブログを参照)。



■「帝国」(Empire)の現代的理解が必要

また、PhillipsonはHardt & Negri のEmpireを数カ所引用しているものの、Hardt & Negriの議論の本質を捉えた引用とはなっていません。Hardt & Negri の"Empire"概念は、19世紀的な"imperialism"概念では捉えきれないことはHardt & Negriが繰り返し強調していることなのに、Phillipsonはまったくそれを理解していないように思えます。



■「エコロジー」という耳障りのよい言葉に注意

上の直井さんのまとめに追加しますなら、「生態学」(ecology)は本来、科学的な概念で日常的な価値観とは独立したものですが、Phillipsonのような議論では「エコロジー」という用語が「何か善いもの」といった含意ばかりが全面に出たような使用がなされがちです。

これは「進化論」についても同様で、もともとは科学的な概念が、妙に価値づけられた言葉として日常的に転用される例は少なくありません。このような転用・誤用される科学概念は、科学の装いを持ちながら私たちに思考停止を迫りかねませんので注意が必要だと思います。


■「英語教育学者・英語教育研究者」に対する分析も重要

研究を行なう人々であれば、以上のようなことがらに関して無自覚には行なえず、かなり意識化しているはずですが、一部の研究者はそうであっても、一部の研究者はこういった問題設定を拒否しているようすらも思えます。こういった「英語教育学者・英語教育研究者」の集まりである「学会」や「学界」を分析の対象にすることも「英語教育学」「英語教育研究」の発展には重要でしょう。

ただし、こう主張する私も他人からの観察・分析を免れない存在であり、「究極の権威・判断主体」などはないことはルーマンが強調する通りです)。私はこの節の主張をすることによって自らを「究極の権威・判断主体」に高めようとしているのではないことだけはくれぐれも誤解のないようにお願いします。


■ICTを使って議論を多元的にする

Ustreamを使ったオンライン読書会について短く述べますなら、私は電子参加を非常に楽しみました。遠くまで出かける時間とお金が節約できるだけでなく、母体の議論をオンラインで観察しながら、同じように観察している遠隔参加者とメタ的な議論をUstreamのチャット機能で重ねるのはとても楽しい経験でした(Ustreamのチャットは保存されませんから、最低、自分の発言はテキストエディタで作成してからチャットにコピペすることをお薦めします)。

メタ参加者が多数いますと、議論は錯綜するかもしれませんが、これから学会のシンポなどでも、壇上で議論が進むと同時に少数の指定討論者がチャットで書き込み、その書き込みが壇上の大型スクリーンに現れるようにすれば議論が多元的になり面白いと思います。少なくとも私はそういう実験をする価値はあると思います(でも英語教育界はとても保守的だから、まずこんなことをやらないだろうなぁ)。

追記
TodaysMeetというソフトを使えば上記のような面白い会議進行ができるのではないかと思います。誰かこれについて情報をお持ちの方があれば教えてください。

http://todaysmeet.com/



いずれにせよ楽しい読書会でした。主催の寺沢さんに改めて感謝します。



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2010年5月26日水曜日

大型図書館は前世紀の遺物?

ひさしぶりに大学図書館で本を借りる(私は本は原則すべて私費で買うことにしている)。電子データベースやバーコードリーダーで検索や貸出などの末端作業は効率化されたが、いかんせん紙の本は一カ所にしかないというのがネックになっている。

探している本が地下二階と地上二階にあるというので、まず地下に降りる。長い廊下を通って目的の場所につくも本がない。地上二階にあがっても所定の場所には本がない。

諦めずに周辺を探すとなんと地下二階にあるべき本も含めて、私が探していた本三冊を見つけることができた。

今回私は本を見つけることができたが、大型図書館で、誰かが不用意・不注意に本を所定の場所に戻さなかったら、その本は事実上見つからないようになるというのも十分考えられる。

また、検索してもたいていの本は大学教員が個人研究室に事実上私有しているので、借りることは非常に困難(というよりも実際は不可能)である。学生もしばしばこのことに不平を言う。

ならば教員個人研究室の本は一定期間を超えたら大学の図書館に所蔵するようにすればよいかというと、大学図書館はスペースがないという理由でそれは断る。

大学図書館にこれ以上の本を増やすことはどんどん困難になっている。加えて上に述べた、発見不可能になるというリスクもある。また本を誰かが借りていればその本をしばらく読むのは待たなければならない。

町の小さな公共図書館は別にして、大学図書館といった大型図書館は書籍そのものをデジタルで所有し貸出さないとどうにもこうにもならないのではないか。デジタル書籍は発見も容易だし同時複数貸出も自由だ。

小手先の工夫を重ねるよりも、今の内に本格的なデジタル化を大胆に進めるべきではないか。


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【広告】 教育実践の改善には『リフレクティブな英語教育をめざして』を、言語コミュニケーションの理論的理解には『危機に立つ日本の英語教育』をぜひお読み下さい。ブログ記事とちがって、がんばって推敲してわかりやすく書きました(笑)。


【個人的主張】私は便利な次のサービスがもっと普及することを願っています。Questia, OpenOffice.org, Evernote, Chrome, Gmail, DropBox, NoEditor

メディア論から考える英語教育: 2つの学会発表予定

■ナラティブを考える中で芽生えてきたメディア論の重要性

ナラティブ(物語)の問題意識が、ルーマンの問題意識と絡んできたりして、最近メディア論を勉強しています。「ナラティブ」というメディアはどういうものなのか。そもそも「メディア」とは何なのか。「メディア」は言語コミュニケーションに、そして社会にどのような影響を与えているのか・・・といったのが最近の私の問題意識の一端です。


■2つの学会発表予定

そこで思い切って以下の二つの学会発表をしてみようと現在考えてみます。

その1が全世界的規模でのメディア論による英語教育の考察、その2が近代日本に関するメディア論による英語教育の考察だとまとめられます。


学会発表予定その1

英語の知識言語化と社会の機能的分化の進行が与える日本の英語教育への影響

【問題設定】メディアは社会を変える。日本の英語教育も現代の急激なメディア進化に対応した認識をもたなければならない。メディア論からの英語教育分析が求められる。

【方法】本発表はOng (1982)のメディア論とルーマン(2009)の社会分化論を統合させながら分析と論考を行う。

【結果】人間の言語コミュニケーションは、原初音声文化、原初書記文化、筆記書記文化、印刷書記文化、電子音声文化、地球的書記音声文化のように主要メディア文化が変遷している。同時にそれぞれの変遷により、社会は分節的、中心/周縁的、階層的、機能的な分化を遂げている。これらの結果、英語は地球的な「知識言語」となり、さらにその「知識言語」の機能分化も進行している。

【結論】英語の「知識言語」化と現代社会の機能的分化は、巨大な複合性をもたらしている。現代の英語使用を考えるためにはPhillipson (2010)のような単純化された枠組みは不適切である。社会システムの複合化にはおそらく教育システムを複合化することが現実的な対応であろう。



学会発表予定その2

ポスト近代日本の英語教育:両方向の「翻訳」と英語の「知識言語」化について

【問題設定】日本の学校英語教育は1970年代頃から「コミュニケーション」(=類型的な「英会話」)へと傾斜し、その傾向は2000年代にいっそう加速しているように思える。本発表はこの流れをより大きな枠組で分析し、ポスト近代日本における英語教育のあり方を考察する。

【先行研究】水村(2008)は「現地語」(=生活言語)・「普遍語」(=知識言語)「国語」(=国民国家言語)の枠組みで日本語の変容を捉えた。山岡(2009, 2010)は「国語」形成要因の一つとして「翻訳」を捉え、さらにその翻訳が学校英語教育制度により「英文和訳」に変容し、その普及とともに逆に職業的な翻訳家(「英文和訳」でなく「翻訳」ができる者)が要請される過程をまとめた。しかしこれらの論考は20世紀末からの情報革命の加速的進行を必ずしも十分には捉えていない。

【方法】本発表ではメディアが言語コミュニケーションひいては社会に与える影響を重んずるメディア論(Ong 1982, ルーマン 2009)に基づきながら、ここ10年余りのInformation Communication Technologyの進化を概括し、その帰結としての英語および日本語の状況を整理する。

【結果】現代を、コンピュータが情報の汎用記録・大量保存・高速検索・連結化体系化・偏在化を可能にし、人間がコミュニケーションにより情報の進化の促進をしている時代と分析するなら、英語はそのコンピュータ生態系に最も適合した言語として飛躍的な進化をとげ、日本語を含めた他の国民国家言語を圧倒的に引き離そうとしている。

【考察】これまでの日本の英語教育が「翻訳→英文和訳→英会話」の流れの中にあったとしたら、今後の道筋としては、(1)引き続き英会話、(2)両方向翻訳(英和と和英)、(3)英語の知識言語化、(4)これらの組み合わせなどが考えられる。これらの道筋に対して本論は、(1)は19世紀的帝国主義支配下の発想であること、(2)は英語教育界が指導する力量を失っているかもしれないこと、(3)は現代版森有礼的発想として慎重に考察されるべきであること、(4)は分析的思考を要求することなどを指摘する。



まとめますと、その1の全世界的規模のメディア論では、先史時代から現代に至るまでのメディアの進化を大まかに概括した上で、現代の英語を捉え直す試みです。批判の対象の一つとしてPhillipson (2010)のLinguistic Imperialism Continued(Routledge)をあげます。

その2の近代日本に関するメディア論による英語教育の考察は、優れた翻訳論であり近代化論である水村(2008)山岡(2009, 2010)に基づきながらも、最近のICTの進化を概括することにより、ポスト近代(あるいは近代化を「明治」という言葉に象徴させるなら「ポスト明治」)の英語教育のあり方を考察するものです。


まだまだ勉強不足なので、学会発表というのをプレッシャーにして勉強に励みたいと思います。


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2010年5月22日土曜日

Karen Johnson先生のセミナーで考えたこと:WHY, HOW, WHATの融合

■Karen Johnson先生と吉田達弘先生に深く感謝

2010年5月19-20日に兵庫教育大学で開かれたKaren Johnson先生のセミナーは素晴らしいものでした。Johonson先生、およびこのセミナーを開催してくれた吉田達弘先生(兵庫教育大学)に深く感謝します(吉田さん、本当にありがとう。そしてお疲れ様でした)。ここでは私がそのセミナーで私なりに学んだことをお伝えします。



■端的に問います。よい教師とはどのような教え方をしているのでしょう。

Johnson先生は教師教育(teacher education)の専門家です。このセミナーでも「よい教師を育てる」あるいは「自らがよい教師に成長する」にはどうすればよいのかというのが実践的なテーマとして通底していました。この記事ではそのエッセンスを私なりにまとめてましたので、ご興味のある方はぜひお読みください。


■すぐに「授業で何をすればいいのですか」と問わない

とはいえ、Johnson先生は、いつでもどこでも誰にでも有効な魔法の処方箋を提示するわけではありません(このあたりの誤解は未だになくなりません。ぜひ『リフレクティブな英語教育をめざして』をぜひお読み下さい)

Johnson先生も、自分のセミナーで「やらないこと」(Not)として次のように言っています。

Not a methodology or an approach for how to 'do' L2 teacher education, but rather, a theoretical framework for how to think about what we do in L2 teacher education. Karen Johnson先生配布資料(2010.5.19)より


というわけでいきなり特効薬を得ようとするのではなく、以下、しばらく考察にお付き合いください。



■「教育方法学」(HOW)を「教育内容学」(WHAT)と分離させてはいけない

日本の一部では「教育方法学」と「教育内容学」を分けてしまって、相互不可侵状態にすることを奨励する学問政治がありますが、教育の方法(HOW)と内容(WHAT)を分離させてしまうことは、教師の力量形成にとって逆効果だとSociocultural Theory/Approachは捉えます。

What is learned is shaped by how it is learned.

The interdependence between what is taught and how it is taught is crucial to the processes of learning-to-teach and the development of teaching expertise.
Karen Johnson先生配布資料(2010.5.19)より


Learningにおいてもteachingにおいても、何をどのように教えるかというのは不即不離で、その連関をまったく考えずに「方法学」や「内容学」を突き進めても学ぶことや教えることの実践は改善しないというわけです(もちろん準備段階として、二つを分けて行うことは有効でしょうが)。



■WHYとしてのOrienting

Johnson先生は、"Orienting”についても強調しました。

Orienting - situate the concept, skill, or content you are teaching in such a way as to make all of its features salient and relevant to the students; help them relate to it in some concrete or personally relevant way. This will help them see the 'big picture' and relate what they already know to what you are going to teach them. Karen Johnson先生配布資料(2010.5.20)より


質疑応答の時に、私はこの"orienting"は、learningとteachingにおけるWHY -- WHATとHOWとつながったWHY --と考えていいかと尋ねましたところ、Johnson先生もこれに同意してくれました。

そうしますと学ぶ時および教える時では、WHY-HOW-WHATを一つのつながりにすることが重要だとなってきます。


■優れた指導者はWHYから始め、HOW、WHATへと進む

そこで私が思い出したのが、以前に見た講演です。なぜマーチン・ルーサー・キングやスティーブ・ジョブスといった人は多くの人を引きつけるのか、というのを単純な原理で説明した講演です。




(大きな画面で、transcriptも読みながら視聴したいならhttp://www.ted.com/talks/view/id/848からどうぞ)

凡庸な指導者は、WHATばかりを説き、HOWやWHYを省略してしまいがちだが、優れた指導者はまずWHYを、情熱を込めて語る。そうして人々の心に火をつけてから、それぞれの人にHOWを伝えそれぞれの人にそれぞれの形で参加してもらう。凡庸な指導者が最初に言うWHATは最後にしか言わない、というのがその講演の要旨といえるでしょうか。



■教え方の四類型:学びを促す教え方とは?

そうしますと、学びと教えにおいては次の四つの類型があるとまとめられるかと思います。

(1) WHAT

(2) WHAT + HOW

(3) WHAT + HOW + WHY

(4) WHY <=> HOW <=> WHAT


教えることで例を取ります。

(1)のWHATとは、教える内容だけをいきなり最初に提示して、それだけで授業が終わってしまうような教え方です。「はい、今日の授業は受動態をやります」と言って板書と説明を繰り返し、「あ、そろそろ時間ですね。練習問題は家でやってきてください」と言って教室を去るような授業です。


(2)のWHAT + HOWとは、(1)のように説明(WHAT)から入り、授業の終りの方でその内容についての練習問題(HOW)を生徒にやらせるような授業です。ただここでのWHATとHOWは木に竹をついだようなものです。WHATとHOWは時間的には連続していても、生徒の心の中では連続していません(その連続と不連続の関係を「+」という記号で私は表そうとしています)。練習問題をやる段になって生徒は「あれ、どうするんだったけ?」と困惑したり、内容説明をしている時の教師の心にも次にどのようなHOWの展開をするかの考えがなく、練習問題のページを開いて「あ、そうか。練習問題はこれだった」と思い起こしたりします。


(3)のWHAT + HOW + WHYとは、(2)をやった後に、「皆さんが学んで練習したことは、実は○○のような時に使える・面白い・意義深い等々ものなのです」と言うような授業です。実は個人的思い出としては私の高校の世界史の先生がこのタイプでした。いや、正確にいうならHOWは殆どないままに、授業はWHATばかりでした。三学期の最後の授業でWHYを言ってくださったので私は「ああ、そういうことだったのか」と始めて世界史の勉強をする意義を得心しましたが、同時に「そのような意義は最初に、あるいは折にふれて言って欲しかった」と思わざるを得ませんでした。昔話をさらにするなら私の高校の数学の先生は(2)のWHAT + HOWだけでしたので、私が数学の面白さ(WHY)がわかったのは、私が大学院時代に統計学をマスターする必要から、紆余曲折の末、自分で高校の数学の参考書で自学自習した時でした。「高校時代に数学の面白さがわかっていたらな」とは今でも、いや、歳をとるほど残念に思っています。


(4)のWHY <=> HOW <=> WHATとは、原則としてWHY, HOW, WHATの順番で進むものも、三者が渾然一体となったものです。随時に生徒は「なぜこれを学ぶのか」「どうやればこれを学べるのか」「そもそもこれは何なのか」と刺激を受けて学びを深めてゆきます。私がこれまで見た授業がうまい先生方も、この(4)のパターンで授業を進めていたように思えます。


もちろん毎回の授業で(4)である必要もないかもしれません。WHYは学年、学期、あるいは単元の始めに強調するだけかもしれません。逆にWHY, HOW, WHY, WHAT, WHY...とどんどんとHOWやWHATを通じてWHYを深めてゆくような授業パターンもあるでしょう。

上記の四類型は言うまでもなく単純化した原理ですから、これを信条として機械的に適用するのではなく、原理を理解した上で、原則として心に留めながら、実践においては臨機応変に授業を行ってゆくというのが現実的なところでしょう。



■さまざまな実践をこの四類型の観点から分析してみる

私たちは授業だけでなく、プレゼンテーション、テレビ番組、商品売り込みなどさまざまに他人に働きかけ他人の思考と行動に影響を与えようとする実践を目にしています。それらの実践をこの四類型の観点からしばらく分析してみてはどうでしょうか。上のビデオを見てなぜこの四類型の観点が重要であるかを理解し(WHY)、さまざまな実践の観察で実際にどのような働きかけがなされているかを見取り(HOW)、そうしてはじめて自分はどんな授業案(WHAT)を作るべきかを考えるというアプローチの方が、いきなり授業案を書こうとするよりも有効ではないでしょうか。というのもいきなり授業案を書こうとしても、結局はどこかで見たような、自分の過去の授業の繰り返し、あるいは現在流行りの授業の表面的な真似に終わりがちだからです。

「なぜ生徒はこれを学ばなければならないだろう」という問い(WHY)を、「指導要領に書いてあるから」「教科書にあるから」といった表面的で、学びの実践(HOW)や学ぶ内容の本質(WHAT)に結びつかないような答えでごまかしてしまわずに、ゆっくり考えることが大切かと思います。



Second Language Teacher Education: A Sociocultural Perspectiveをぜひお読みください

と、私の脱線が続きましたが、Johnson先生のセミナーでも使われた Second Language Teacher Education: A Sociocultural Perspective(Routledge, 2009)は読みやすく深い本です。どうぞお読みください(Amazon.comではKindle版もあります)。


最後になりましたが、改めてJohnson先生、吉田先生、兵庫教育大学の皆さん、そしてこのセミナーを財政的に援助したくださった兵庫教育大学に御礼申し上げます。学んだことを少しでも広げ、そして深め、よりよい社会をつくってゆきたく思います。

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2010年5月18日火曜日

ルーマンのメディア論から考える日本の英語教育

修士課程の授業で「ルーマンのメディア論から考える日本の英語教育」を解説しましたのでここにその音声と使用したスライドをアップロードします。パスワードは不要です。

今回はちょっと「暴走特急」になって、いろいろと大胆なことをしゃべりました(汗)。まあそれでも録音する前の前振りの話に比べればずいぶんおとなしいのですが(笑)。




(ただしスライド番号69からの部分を解説)



スライドは、2009年3月6日(金)の10:00-18:00に開催された慶應義塾大学言語文化研究所の言語学コロキアムでの講演の資料と同じものです。

このようなメディア論から考える英語教育論については、近いうちに学会発表をしてまとめてみたいと思っています。

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意識の神経科学と言語のメディア論に基づく教師ナラティブに関する原理的考察 (申込)

2010年8月7日(土)・8日(日)に関西大学で開かれる第36回 全国英語教育学会 大阪研究大会の口頭発表部門に以下のように申込をしました。よかったら聞きに来てください。


タイトル:

意識の神経科学と言語のメディア論に基づく教師ナラティブに関する原理的考察


要約:

【問題設定】教師による実践のナラティブが教師成長に貢献することは経験的に知られているが、その原理的説明は必ずしも十分ではない。本論文は、実践のナラティブを、心理的側面(reflection)と社会的側面(story-telling)から原理的に解明することを試みる。

【方法】心理的側面に関しては、意識(consciousness)の限定的な、しかし当人からすれば有用な働き(user illusion)を説明原理(神経科学)として用いる。社会的側面に関しては話し言葉と書き言葉の進化的分化(メディア論)を説明原理として用いる。

【結論】ナラティブは、reflectionにおいてもstory-tellingにおいても「真理」に関わる言説とは言えないが、ナラティブの経験を通じて語り手は、聞き手の共同体と共に複合的な現実に対処する道筋を見出す。(370文字)


キーワード:

ナラティブ リフレクション 教師教育

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2010年5月17日月曜日

J. Matthews and R. Matthews著、畠山雄二・秋田カオリ訳 (2009) 『成功する科学論文 構成・プレゼン編』丸善株式会社

[この記事は『英語教育ニュース』に掲載したものです。『英語教育ニュース』編集部との合意のもとに、私のこのブログでもこの記事は公開します。]


科学論文は約12年ごとに数が倍増すると言われている(Stix, G (1994). The speed of write. Trends in scientific communication. Scientific American, 271, 106, 106-111)。


そのように激化する科学活動の中で、科学者が自分の知見をいかにコミュニケートするかというのは最重要課題の一つである。それは口頭でのコミュニケーション(口頭発表)から始まる。

科学技術系の研究者にとって、プレゼン(口頭発表)というのは日常生活そのものである、。さて、そのプレゼンであるが、いろいろなスタイルがある。例えば、学会発表や学科でのゼミ、それに就職試験での口頭試問や授業での口頭発表、さらには、昼食時で軽いおしゃべりや公の場における演説といったものまで、それこそいろいろある。どんなスタイルのプレゼンであれ、プレゼンをするチャンスが与えられたのであれば、とにかく、一生懸命やることだ。プレゼンは、どんなものであれ、科学の場においては、それ独自の位置づけをもっており、ピア・レビューにもとづく論文発表への橋渡しとして、どれも同じくらいの価値をもっている。(32ページ)



科学技術系のコミュニケーションを成功させようとすれば、まずは構成を整理しなければならない。そのためには次のような基本的なパターンに習熟する必要がある。

カテゴリー、時系列、空間、機能、重要性、問題解決、特殊性、複雑性、賛成と反対、因果関係、演繹法、帰納法 (69ページ)



整理された構成の内容は、さらに「ストーリー」に高められる必要がある。

[読み手が]求めているもの、それはストーリー性である。つまり、読み手の側としては、論文に対して、序盤と中盤、それと終盤といった「流れ」を求めているのである。そしてまた、そのつながりがよく見えるようにしてもらいとも思っている。(84ページ)



ストーリーは、科学者倫理に基づき、例えば動詞の時制にも注意して書かれる必要がある。

・すでに刊行されている論文に掲載されている事実は現在形で書く。
・何度か繰り返された出来事に対しては現在完了形を使う。
・まだ一般化されていない実験結果に対しては過去形を使う。
・まだ刊行されていない論文に言及するときは過去形を使う。
・投稿中の論文内にある図表に対しては、現在形を使ってもかまわない。(77-81ページ)



内容をわかりやすく伝えるには図表が有効だが、その使用についてもいろいろな助言が与えられている。図においては三つのE (Evidence, Efficiency and Emphasis)のために使えというのは(101ページ)は覚えやすい助言だろう。


プレゼンテーション・スライドを使ったプレゼンに関しては、見出しをフレーズでなくセンテンスで書く「オルタナティブ・デザイン」(Alley, M and Neeley, K. A. (2005). Rethinking the design of presentation slides: A case fro sentence headlines and vidual evidence. Technical Communication, 52, 417-426.)を著者は勧める。例えば「ハチミツに関する事実」ではなく「糖度が高いためハチミツの質が落ちることはない」と書くわけだ。センテンスを考えることは必ずしも容易ではないが、その苦労は発表者と聴衆の両方のためになるというわけだ。(さらに「オルタナティブ・デザイン」では主張が掲載されたスライドには必ず証拠も掲載することを勧めている)。


この本は補遺も充実していて、CONSORTやSTROBEについての簡単な解説がつけられている。

CONSORT, which stands for Consolidated Standards of Reporting Trials, encompasses various initiatives developed by the CONSORT Group to alleviate the problems arising from inadequate reporting of randomized controlled trials (RCTs).
http://www.consort-statement.org/


STROBE stands for an international, collaborative initiative of epidemiologists, methodologists, statisticians, researchers and journal editors involved in the conduct and dissemination of observational studies, with the common aim of STrengthening the Reporting of OBservational studies in Epidemiology.
http://www.strobe-statement.org/


「無作為化比較試験」や「疫学」については科学英語の関係者は基本的知識を身につけておくべきだろう。


訳者は最後にこう言っている。

私ども訳者も、この手の本はこれまでいくつも手に取り読んで(そして訳して)きたが、本書を読んで改めて「なるほど~」と思うことが少なくなかった。(181ページ)


私も同感だ。興味をもたれた方はぜひご自身でお読みください。




⇒アマゾンへ






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2010年5月14日金曜日

言語コミュニケーション力の三次元的理解

修士課程の授業で「言語コミュニケーション力の三次元的理解」を解説しましたのでここにその音声と使用したスライドをアップロードします。パスワードは不要です。








スライドは、2009年3月6日(金)の10:00-18:00に開催された慶應義塾大学言語文化研究所の言語学コロキアムでの講演の資料と同じものです。




なお、「言語コミュニケーション力の三次元的理解」は、大津由紀雄編著(2009) 『危機に立つ日本の英語教育』の「学校英語教育の見通し --言語コミュニケーション力論・複言語主義・コミュニケーション論」でわかりやすく説明しております。さらにこの稿ではサブタイトルにも示されているように、複言語主義という大きな流れと「書き言葉」「話し言葉」の区別やメディア論も含めたコミュニケーション論についてもわかりやすくまとめております。

この他にもこの本にはたくさんの興味深い論考が掲載されています。ご興味のある方はぜひお買い求めください。



現在、ウェブ文化の隆盛にはすさまじいものがあります。その中で短絡的に活字文化の死を予測する声も聞かれますが、そういった悲観論は過去にも何度も聞かれました。ラジオが登場した時には新聞がなくなると言われ、テレビが登場した時には映画は亡びると言われましたが、新聞もラジオもテレビも映画も生き残っています。インターネットはそれらを技術的にはすべて包括しうるかつてない包括的なメディアですし、ラジオやテレビは私はいずれインターネットに包含される(べき)とも考えていますが、活字出版つまり実際に手にとって読む本の文化は残ると私考えます。

しかし活字出版文化がこれまでと同じでOKとはまったく考えていません。活字文化はインターネットと同時期に異なるように進化 (=共進化) して、ウェブでは実現できない独特の喜びを読者に与えられるように、この新しい環境に適応していかなければなりません。

私はよりよきウェブ文化のために自分でできることはできるだけやってゆこうと思います。同時に過渡期にある出版文化へのサポートも自分なりにやってゆこうと思います。





というわけで、買ってね (笑)。

2010年5月10日月曜日

情報伝達のためのTwitterを始めました

■Twitterをどう使いこなすか

Twitterが流行っていますが、私はどうも「昼飯カツ丼なう」といった使い方に共感できず、どうすれば使いこなせるのかとしばらく考えていました。

授業用に使って、学生さんからの反応を得るツールとして使おうかとも考えましたが、私が担当する授業は受講生が最大で65名程度なので、Twitterを使うより直接コンタクトを取った方がはるかにいいでしょう。また学生さんが安心して発言するには、登録者だけがアクセスできるMoodleやWebCTにするべきでしょう。



■一方的な情報伝達手段としてのTwitter使用

そこで思いついたのが、Twitterを情報伝達のためだけに使うということです。私がみなさんのお役に立つかもしれないと思う情報だけを短くお伝えします。一方向の送信だけです。

面倒くさいので、私はTwitter上では双方向のコミュニケーションを行いません。リフォロー (Refollow)もリプライ (Reply)へのリプライもしません。冷たいのかもしれませんが、まあ私は離婚までしちゃった人間ですのでご勘弁を(笑)。



■というわけで私のTwitter


登録名


です。

私が提供する情報は英語教育やウェブ文化に関するものが中心で、後は個人的に面白いと思ったものです。

形式はシンプルにします。


All Video Sessions of IATEFL, April 2010 http://iatefl.britishcouncil.org/2010/sessions/videos

社会文化的理論に基づく言語教師教育2010/05/19兵庫教育大学神戸サテライトキャンパス https://sites.google.com/site/sctlecture/


内容: 基本的にリンク情報だけです。タイトル(あるいはそれに準ずるもの)にURLを入れたものだけにします。

言語: タイトルが英語でしたら英語ページの情報です。日本語でしたら日本語ページの情報です。

解説: Twitterの文字制限もありますから、解説は一切加えません。
 例えば上の一番目の例ですと、イギリスの学会(IATEFL))の発表の多くの動画・トランスクリプト・スライド・PDFなどが見られる、私にとって画期的なものですが、そのような私の見解は含めません。
 また二番目の例も、私が参加できるのを大変に楽しみにしている研究会ですが、詳細は書きません。
 どのツイート(Tweet)もタイトルを見て、皆さんが直感的にURLをクリックするかしないかを決定していただければと思っています。



■情報洪水時代の情報収集

たしか梅田望夫さんがどこかで言っていたことですが、これだけ情報が爆発的に増加すると、無限とも思われる情報の中から直感的に自分にとって重要だと思われるものを的確に探し当てる嗅覚が必要になってくると思います。


私はそのような情報収集をGoogle Readerで行い、Twitterで公開します。収集した情報の処理はEvernoteなどで行い、その結果はBlogや論文・商業出版で公開します。ご興味のある方は、それぞれの興味関心に応じて適宜利用してください。


なおこのように情報が洪水にやってくるような時代においては、ますます古典的な意味での教養が大切になってくる(教養がないと情報に振り回されるだけになる)と考えますが、それについてはまた改めて考えたいと思います。



■私の情報公開

ですから私の情報公開は、次のような役割分担を有します。

・Twitter: もっとも迅速で短い情報伝達
・Blog: 少し考えた上で書く原稿
・論文および商業出版物: 吟味した上で書く原稿


もちろん個人的にはEvernoteやDropboxにより多くの情報を有していますが、それは当たり前のことですが個人使用にとどめます。

Mixiは個人的に「テキトー」に書いたり書かなかったりしているだけです(「ボイス」にはうまく動かないコンピュータに対する呪詛が書かれているだけです 笑)。

なお今回のTwitter公開に伴ない、使い勝手の悪かった掲示板(「広場」)は閉鎖します。皆様の長年のご愛顧には感謝しますが、この掲示板は内部サーバーエラーが多く、私も試みたのですが、Twitterで可能な迅速な情報伝達ができません。近日中に掲示板は閉じる予定です。






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2010年5月9日日曜日

Googleが変える検索文化と翻訳文化

下の記事は、Lifehackerの「Android用ビジュアル検索アプリ『Google Goggles』に翻訳機能が追加 」および「Android携帯で写真検索できる「Google Goggles」、何でも解析っぷりはスゴイ(動画まとめ)」に基づき、私なりに情報を少し追加したものです。皆さんもどうぞLifehackerをご購読ください。



■AppleもクールだがGoogleは恐ろしいぐらいクール

世間ではiPadが話題になっていますが、私は別に天邪鬼を気取るでなく、正直iPadにはあまり食指が動いていません。ある程度のウェブアクセスでしたらiPhoneでできますし、それ以上の機能を求めるならむしろ今年の後半に出ると言われているGoogle Chrome OSのネットブックを買おうと思っているからです。

(Google Chrome OSに関する3分半の短いプレゼンテーション)



(Google Chrome OSに関する11分のプレゼンテーション)


私はアップル社は好きですが、それ以上にグーグルがすごいと思わざるをえないのは、グーグルが理念に基づき、徹底的に抽象的な思考革命をなしとげ、それをシンプルなデザインと快適なユーザーエクスペリアンスに実現させるからです。(関連記事:Googleから目が離せない




■美学のアップル、理念のグーグル、既得権益のマイクロソフト

岡嶋裕史 (2010)『アップル、グーグル、マイクロソフト - クラウド、携帯端末戦争のゆくえ』(光文社新書)の内容を私なりに強引にまとめますと(曲解にご注意)、

アップルはスティーブ・ジョブスの美学に基づく組織である
グーグルは理念に基づくネットワーク的集団である
マイクロは既得権益を守る会社である


となろうかと思います。

ですからアップルは独自の美学を持ち続けさらに発展させています(それだけにスティーブ・ジョブスがいなくなるとどうなるのだろうと思わされます)。

一方グーグルは、彼らの理念

Google's mission: to organize the world's information and make it universally accessible and useful


に基づき、ラディカルに発想し行動しますから、そのプロダクトは本当に世界を変えるぐらいのインパクトをもっているかと思います(それだけに、グーグルが理念に基づき暴走し、なおかつ自分たちは"Don't be evil"のモットーに基づき行動しているので悪をなしうるはずがないと思い込んだ時にもたらすかもしれない破局的災厄は恐ろしいとも思えます。ネット覇権への警鐘としては、例えば岸博幸 (2010) 『ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化 』(幻冬舎新書) などをご参照ください。)



マイクロソフトに関しては、このブログの読者ならご存知のように(笑)、正直私はまったくいい印象をもっていません。上記の本からも、マイクロソフトを動かしているのは、Windows95以来築き上げた既得権益体制を守ることに過ぎないのではないかといった印象を得ました(関連記事: Too much success in the Past)




■「検索」(search)の概念をGoogleが創り、さらに変えた!

知的生活において、私はもはやGoogleなしの生活は考えられません。現在私が行っている教育・研究活動をGoogleなしで行うことは不可能です。

Google以前の時代は、


BG (Before Google)


と呼びたいぐらいです。

Googleが創り出した「検索」(search)の概念そして文化は世界を変えたと言えるでしょう。


しかしGoogleは、携帯端末OSのAndroidにおいて -- 3月に友人と、広島市のドコモショップに行ったら、そこの店員がAndroidという言葉を知らなかったので私はびっくりしました。 --さらに検索の概念と文化を変えようとしています。Google Gogglesのvisual searchの技術です。


これまで「検索」とは、キーボードでタイプした語をウェブ上で探すものでした。最近ではキーボード入力の代わりに自動音声認識入力もできるようになっていますが、Google Gogglesのvisual searchはそれをさらに徹底させ、携帯端末で捉える現実世界の写真をそのまま入力とし、それに相当するものをウェブ上で探すというものです。

(Google Gogglesの2分間プレゼンテーション)



Google Gogglesのテキストでの説明はこちら


これでさらに私たちの生活は大きく変るのではないでしょうか。



■写真で撮った言語を自動翻訳してくれる!

さらに驚くべきは、携帯端末で撮影した画像の中に含まれる言語表現を自動翻訳するという技術です。


Translation in Google Goggles Prototypeの2分間のプレゼンテーション



Google Mobile Blogでのtranslationに関する説明はこちら



私が授業の機会を使って、書き言葉についてお話させていただいた際の質疑応答で、「外国語教育において書き言葉が重要だというのはよくわかったが、それならなぜ日本だけでなく世界中で外国語教育が話し言葉中心になっているのだろう」という疑問がある院生から出てきました。


私のとっさの答えは「外国語教育がもっぱらmass educationになったからではないか」というものでした。

もしそうだとするとこういった簡単で便利な自動機械翻訳は、外国語教育に関するmassの需要や認識を大きく変え、やがては外国語教育の体制も大きく変るのではないでしょうか。自動機械翻訳が人間の簡単な語学力に完全に取って代わることはないにせよ、そのかなりの部分を支えるようになるのではないでしょうか。(関連記事: 自動機械翻訳の実用化、言語コミュニケーション教育の新しいデザイン)。


少なくとも私はその可能性をしっかりと視野にいれて、今後の英語教育を考えてゆきたいと思っています。



追記1

Google apps for educationの展開からも目が離せません。


追記2

上記のGoogle Gogglesのvisual searchは、iPhoneアプリもある程度できるようですが、先程iTunes Storeでチェックしたら、まだ日本では入手できないようでした。









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2010年5月8日土曜日

「達人」の技から批判的に学ぶということ

■『リフレクティブな英語教育をめざして』

学部四年生の授業で、ひつじ書房の『リフレクティブな英語教育をめざして―教師の語りが拓く授業研究』の中の私が書いた章「自主セミナーを通じての成長」のコピー(および近刊の田尻悟郎先生に関する本のエッセイ)を学生さんに読んでもらいました(著作権法上の特例として認められている学校法人内での教育目的コピー配布です)。

学部生のみんなが、私が思っていた以上に批判的に考えてくれていたので、ここではその授業後に学生さんが寄せてくれた感想の一部を抜粋します。



■お手軽なマニュアル的思考の蔓延について

最初の学生さんは、現代ますます進行している「お手軽文化」というか「マニュアル的思考」について書いています。

最初のプレゼンのパートナーの方が言われていた「近年は何をするにしても簡単な方法に走る傾向がある」という意見が印象的でした。書店にも「~のコツ」というような書籍が多く並んでいますが、その内容を実践するだけでうまくいくのでしょうか?成功者の例を模倣するだけでなく、その根本的な成功の要因を理解し、それを自分に合った方法で実践すべきであるというパートナーの意見に非常に共感を覚えました。


■経験の少ない人間が「達人の技」を見る際の注意点

次の学生さんは、ひょっとしたら上で言及した「パートナー」だったのかもしれません。後半ではかなり批判的に考察したと思われる見解を表明しています。

実践は、多方面につながり、重なり合い、曖昧で移ろいやすく微妙なことに満ち溢れている。

私が今回の論文を読んで一番強く感じたことは、人の成功例をただまねするだけでは上手くいかず、その背後にある本質を知らなければならないということです。

現代の社会においては、「単純な情報」や「手っ取り早い方法」が好まれる風潮があるように思います。例えば、書店に行けば「○○のコツ」、「○○すればうまくいく」などのハウツー本が多く並んでいます。そういった文句につい魅かれて手に取り、そこに書かれた内容をまねしようとする読者は少なくないと思います。

しかし、そういった読者のうち、一体どれだけの人が成功を収めているのか疑問が残ります。他人が成功した事例を鵜呑みにして、ただ同じことをするだけで誰でも同じように成功するとは限りません。なぜなら、そういった本の著者が本当に伝えたいことは事例ではなく、その背景にある理論だからです。その理論を知ることなしに表面だけの理解では上手くいかないと思います。論文にあったように、原理を知った上で自分用にアレンジすることが成功には必要不可欠です。

今回の記事の中では自主セミナーについて述べられていましたが、私は特に「学生の内に自主セミナーに参加することの意義」について考えました。私自身、達人セミナーには何回か参加したことがあります。1回目は2年生の冬でした。大学の授業で理論としての授業の組み立て方や教授法については学んでいましたが、セミナーでは実践的で具体的な指導法を達人たちが実演してくれたため授業よりもずっと有意義なものだと感じ、また来年の教育実習ではぜひ技を実践してみたい気持ちにもなりました。
ですがおそらく学生のときにセミナーに参加する上で気をつけないといけないのは、その点です。現場に立ったこともない私たち学生が、基本的なSLAの知識や古典的な教授法も知らないままに達人の技を真似することは危険なことだと思います。教師に大切なことはTTP(徹底的にパクる)、CKP(ちょっと変えてパクる)、TKP(徹底的に変えてパクる)であると達人が教えてくれました。そしてこれを実践するためには自分自身に英語教育の知識と、分析力がなくてはならないと私は考えます。こういう言葉を教えてくれるのも自主セミナーならではだと思うし、自己のスタイルが確立していない学生だらかこそ、自主セミナーに参加することは現場の先生方の声を聞きさまざまなスタイルがあることを身をもって知れるという点で非常に有意義なものであると思います。


■授業のHowからWhyへ

次の学生さんも、教育実習の現場で表面的な真似しかしなかった実習生の姿と反省を報告しています。

昨今、教師に求められるものはもはや単純な知識だけにとどまらず、地域社会とのコミュニケーション作成能力、生徒の指導力、そして何より授業力というものが特に必要なスキルとして台頭してきている。英語教師といった枠組みから見れば、それは有効なタスクの選定能力とその実行能力であると私は考える。(ここでいうタスクとは課題などに限定せず広義なものと捉える。)

当たり前の話ではあるが、大学や短大を卒業したばかりの新任教諭がそのようなスキルを完全な形で習得しているとはまず考えられず、基本的には先達たちが残した技術の模範から入ることになる。今回の議題、自主セミナーはそうした技術の享受と、同様に新任として参加している教師との意見交換の場として重要な意味を持っていると考えられる。何かの発展の背景には必ずといっていいほど、前時代の模倣があったためである。

しかし、模倣の意味をそのまま捉えて、失敗するケースが最近よく見られる傾向がある。教育実習にいった生徒幾人かにその授業の組み立てについて聞いたところ、自分の技量の未熟さとともに、有名な教師の授業をそのまま用いようとして失敗してしまったという回答が目立った。映像の中の流れるような一流教師の授業風景と、反応の悪い現実とのギャップに驚いたのだそうだ。

確かに言われてみれば当たり前で、同じ授業をしてもその効果は様々な要因によって変化する。教える側の力量のみならず、生徒の意欲、学力、生徒を取り巻く環境、数えだすときりがない。論文の中でも述べられていることだが、我々新米が先輩教師から学ぶのは模倣ではなく昇華の技術であると私も考える。「どうやって教えるのか」という、いわば授業の枠(手段)を形成することばかりに集中し、何を教えたくてこのやり方を用いるのかという目的をないがしろにするのは本末転倒といえる。近年は小学校教育に英語が取り入れられることに先立ち、英語に触れる機会が生徒にとっても、また教師にとっても増えていくことはまず間違いないだろう。そうした中で縦の技術提供のみならず、横の情報交換の場の形成は大きな意味をもつと考えられる。


■「当たり前」のことを当たり前にやる

次の学生さんの意見はかなり手厳しいです。ハイ、私も「当たり前」のことができていない教師です(汗)。

達人たちの言うことの根底で共通することは、生徒個人や生徒観を掴むこと・生徒があって授業が成り立つと認知することだと思いました。しかし、教師としてそれらは「当たり前」のことではないでしょうか。

記事を読むと、これら「当たり前」が出来ている教師が「達人」と呼ばれ、実際に評価の高い授業を実施しているような印象を受けざるを得ません。逆に言えば、「当たり前」が出来ていない、「達人」とはいえない教師が多いとも言えるのではないでしょうか。言い換えれば、「当たり前」だと認知していない教師や、認知しているが実行に移していない・移すことを困難に感じている教師が多いということではないかと思います。

認知していないとすればそれはなぜか、と私なりに原因を挙げれば、根本的に子どもへの愛情が欠けていたり、子どもを見ようとせず、或いは子どもの反応を見逃してしまったりする教師。生徒指導と学習指導を別のものと捉えている教師。プライドが高く自分の授業の改善点を見ようとしない・認めない、または上手くいかないとき生徒に責任を求めてしまう教師。評価の高い理論や教師の活動を万能だと錯覚し、そのまま当てはめる教師。集団としてしか生徒を見れらない教師。こういった教師自身の性格や知識・経験不足が挙げられ、また実行に移すのが困難だとすれば、校務分掌や(消極的)生徒指導、保護者対応など、授業や生徒と接する以外のことに多く時間が割かれてしまい、授業作りのための時間や生徒との交流時間が十分でないなどの外部的な原因が挙げられるかもしれません。これらの教員自身の内部的原因や外部的原因を改善することで、生徒個人・生徒観を掴むことの重要性や授業における生徒の地位、つまり「当たり前」に気づき、ひいては授業を改善し、「達人」になれるのではないでしょうか。

■教師とは永遠の学習者

次の学生さんは、学ぶことの重要性を強調してくれました(ありがとう!)

近い知り合いで、この春から小学校の教員になった人がいる。彼から話を聞く限り(もちろん個人情報などの具体は伏せた上で話を聞かせてくれた限りでは)、とても大学で学んだことだけでは成り立たないと言っていた。

大学の講義や教育実習でもやらないような仕事が、授業に関する仕事と同じくらいあるそうだ。クラス目標?育てたい子ども像?給食当番は?掃除当番は?教室の配置は?年間指導計画?校務分掌?家庭訪問?朝の会・帰りの会の手順?研修?

教員養成課程であっても、たった4年の大学生活の中で「教員」を作り上げることはできない。

だから自ら学ばなくてはならない。自ら学びに行かなくてはならない。


授業や研究を通じて今後とも教育実践について少しずつ考えてゆきたいと思っています。



追記

上記の授業で私が使った解説スライドはここからダウンロードできます。

その際の私の解説音声ファイルはここからダウンロードできます。(ただし最初の5分ぐらいは、前回の学生さんのコメントについて語ったもので、上記の原稿については音声開始5分後-9分後について語っています。





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2010年5月7日金曜日

書き言葉が私たち近代人をつくった:Walter Ongの議論 (Orality and Literacy) から

■書き言葉が私たち近代人をつくった

以下の文書ファイルおよびその解説音声ファイルは、院生の合同ゼミでの発表予定者発熱欠席のため急遽私が臨時発表したものです。文書ファイルは私の英語ブログのいくつかの記事を再掲したものですが、テーマ別に順序を入れ替えているのでその分便利になっているかとも思います。

要旨としては、

・近代的な人間とは、人間の本性がそのままそれだけで進化して到来したものではない。

・近代人は、書き言葉というメディアを人間が使い始めたことによって生じたものである。

・話し言葉メディア的人間から書き言葉メディア的人間への移行と葛藤は、例えば古代ギリシャ(プラトン)に見られる。

・グーテンベルクの活版印刷機以降、書き言葉の伝達は写本から製本に変わったがこのテクノロジー変化が、近代をつくる大きな一因となった。

・グーテンベルク革命に匹敵する(あるいはそれ以上の)現代の情報革命は、これからの人間のあり方、少なくとも知識社会のあり方を大きく変える可能性が高い。



■ネタ本(笑)

まあ、要はWalter OngによるOrality and Literacy: The Technologizing of the Word (New Accents)の第一章から第三章の議論に、私の与太話を付け加えたものです。

この本はQuestiaで調べ物をしているうちにたどり着いて、読み始めたら非常に面白かったので、現在もよみ進めている最中です。翻訳書『声の文化と文字の文化』の存在は前から知っていましたが、今回私は便利なQuestiaだけで読んでいるので、この翻訳書は参照していません(Questiaって感動的に便利なのよ)。



■ どんな人に聞いて欲しいか

次のような方はぜひ文書ファイルと音声ファイルをご参照くだされば幸いです。

・近代言語学に倣ってか倣わずか、「書き言葉」とは話し言葉を文字に起こしたものだけでしょうとしか思っていない方。

・「英語教育」は、まだまだ「会話」を充実させなければならないと思っている方。

・大学や大学院でなぜこんなに「論文」という特殊な言語使用を勉強しなければならないか今ひとつわかっていない方。



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【広告】 教育実践の改善には『リフレクティブな英語教育をめざして』を、言語コミュニケーションの理論的理解には『危機に立つ日本の英語教育』をぜひお読み下さい。ブログ記事とちがって、がんばって推敲してわかりやすく書きました(笑)。


【個人的主張】私は便利な次のサービスがもっと普及することを願っています。Questia, OpenOffice.org, Evernote, Chrome, Gmail, DropBox, NoEditor