tag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.comments2017-09-29T08:02:30.650+09:00英語教育の哲学的探究2柳瀬陽介http://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comBlogger366125tag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-86427799965764347672017-01-22T22:13:29.967+09:002017-01-22T22:13:29.967+09:00県の英語教員研修会(県教委主催の)に行ったところ、入試の英語がTOEFL TEAPなどの資格試験や客...県の英語教員研修会(県教委主催の)に行ったところ、入試の英語がTOEFL TEAPなどの資格試験や客観テストに変わっていくことを「よいことだ」と考える先生が多くてびっくりしました。というより、集まった人たちは英語教育が今後「どうなるか」ばかりで「どうするか」という視点がほとんどないことに驚きとともに危惧を覚えました。客観テスト対策に終始する英語授業なんて、異文化を理解したり文学を味わったりということが捨象されて、人格の完成とはほど遠い英語教育になってしまうのではないかと思います。Bridgenoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-43447303444747400792016-10-27T08:24:54.304+09:002016-10-27T08:24:54.304+09:00コメントをありがとうございます。
一年目は何かと大変かと思いますが、体調は保てていますか?
さて、こ...コメントをありがとうございます。<br />一年目は何かと大変かと思いますが、体調は保てていますか?<br />さて、この話題に関しては反響が大きいです。<br />大学の教員養成教育や学界の研究動向が見逃している問題の一つだと思います。<br />いろいろな意見交換ができればと思います。<br />2016/10/27<br />柳瀬陽介柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-25449460865889397152016-10-27T01:14:47.589+09:002016-10-27T01:14:47.589+09:00柳瀬先生
お久しぶりです。お元気でしょうか?
私は今年の3月に教英を卒業したFです。現在は宮崎の高...柳瀬先生<br /><br />お久しぶりです。お元気でしょうか?<br />私は今年の3月に教英を卒業したFです。現在は宮崎の高校で講師をしております。<br />1ヶ月ぶりぐらいに先生のブログを開くと、私が現在進行形で悩みに悩んでいる学習障害(や発達障害)に関する研究の紹介がされているではありませんか。現場に出て半年程しか経っておりませんが、率直な感想として、この問題は(公立中学校はもちろん)進学校ではない高校における英語教育の大きな課題であると認識しております。ぜひこの分野の研究が進み、現場の英語教師たちの救いとなればいいなと思います。<br />何かお手伝いできることがありましたら、大したお力にはなれないかもしれませんが喜んでお手伝いさせていただきます。<br />A travel-in-Japan adviserhttps://www.blogger.com/profile/03248914726059509781noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-7068824785951800622016-10-11T09:31:49.186+09:002016-10-11T09:31:49.186+09:00hill-ryo様
はじめまして。
コメントをありがとうございました。
私の出張により、コメントの掲...hill-ryo様<br />はじめまして。<br />コメントをありがとうございました。<br />私の出張により、コメントの掲載が遅くなり申し訳ありません。<br />先生のコメントを院生にも伝えます。<br />きっと喜びます。<br />私のメールアドレスは、@hiroshima-u.ac.jpの前がyosukeというものです。<br />またもし何かございましたら、今度はそのメールアドレスにもメッセージをお願いできたら幸いです。<br />この分野は、公教育としての英語教育を構築する上でとても大切だと思います。<br />英語教育を、決して金持ちや権力者だけのためのイケイケドンドンの営みにはしたくないと思っています。<br />これからもどうぞよろしくお願いします。<br />2016/10/11<br />柳瀬陽介柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-69697745389528019552016-10-07T12:37:37.635+09:002016-10-07T12:37:37.635+09:00柳瀬先生
はじめまして。関東圏の私立大学附属校で英語教員をしているhill-ryoという者です。
...柳瀬先生<br /><br />はじめまして。関東圏の私立大学附属校で英語教員をしているhill-ryoという者です。<br />いつも知的好奇心を刺激される先生のブログを楽しく読んでおります。ありがとうございます。<br /><br />上記の修士の学生のテーマですが、私も7年ほど前にスローラーナーの実態把握というテーマで非常に拙い修士論文を執筆致しました。その時には、当時働いていた学習障害や発達に困難を抱えている生徒を教えているNPO法人を手伝っていたため、そこの生徒たちに協力をして頂きました。<br /><br />様々な側面で難しさがある研究課題ですが、是非知見が積み上がっていって欲しい分野です。私にお手伝い出来ることがあるかどうか分かりませんが、何かご協力出来ることがあれば喜んでお手伝い致します。<br /><br />コメント欄で失礼致しました。hill_ryohttps://www.blogger.com/profile/05138899726029928928noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-38302191878097556542016-04-01T22:25:51.517+09:002016-04-01T22:25:51.517+09:00意識はモニターである、との見方、同感です。
そしてそのモニターが無意識に大して働きかけることができる...意識はモニターである、との見方、同感です。<br />そしてそのモニターが無意識に大して働きかけることができるわけですから、そこには複雑なフィードバックが起こり、決定論にはならない、予測不可能な豊穣が生まれ、それが人間の意識には自由意志として感じられるのではないかと。<br />実際に「自由」なのかどうかは、神のみぞ知ることに思えます。那賀乃とし兵衛https://www.blogger.com/profile/04926824465820810703noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-52745968354992355942016-03-10T22:22:27.993+09:002016-03-10T22:22:27.993+09:00linkindogさん、
そうですか、他研究科の留学生でしたか。
私はてっきり他の学生さんかなと思い...linkindogさん、<br />そうですか、他研究科の留学生でしたか。<br />私はてっきり他の学生さんかなと思い込んでいました。<br />いつかお会いした時に、よかったら正体を明かしてください(笑)。<br /><br />坐禅もいいですね。<br />と言っても私は20代の頃、我流でやって一度お寺に行っただけで、あの頃は観念だけでやっていたと思います(一種の黒歴史です 汗)。<br /><br />今、もしやるとしたら、おそらく身体を感じる訓練として行うかもしれませんが、もしやるとしたら、それよりも上記の光岡先生らが教えてくださっている韓氏意拳の稽古に行くべきでしょうね(私はここ二年ほど一応会員にはなっているのですが、ほとんど稽古に行っていません)。<br /><br />もし機会があれば、ぜひ光岡先生や甲野善紀先生の講習会にご参加ください。<br /><br />それでは!<br /><br />2016/03/10<br />柳瀬陽介柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-63256909932595307062016-03-09T22:42:37.314+09:002016-03-09T22:42:37.314+09:00先生
『生存教室 ディストピアを生き抜くために』という本のご教示に、どうもありがとうございます。
...先生<br /><br />『生存教室 ディストピアを生き抜くために』という本のご教示に、どうもありがとうございます。<br />探して読んでみます。<br />私も内田樹さんのファンなのです。「辺境ラジオ」は面白いラジオ番組です。<br /><br />武術に興味を持っていますが、なかなか接する機縁がないですね。<br />そのかわりに、走りと坐禅に心を奪われています。<br />その楽しさは、もう、言えないものです。<br /><br />ちなみに、私、別の研究科の留学生で、先生の授業を半年受けましたよ。<br />ご自慢の人差し指と中指を動かすジェスチャーは、いま街で出会う小さい子の注意をひくために、使わせて頂いています。<br />けっこう受けますよ。<br />linkindoghttps://www.blogger.com/profile/09909652974025323108noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-14352535353804275402016-03-09T17:41:32.688+09:002016-03-09T17:41:32.688+09:00linkindogさん、
コメントをありがとうございました。
"Collaborativ...linkindogさん、<br /><br />コメントをありがとうございました。<br />"Collaborative Therapy: Relationships And Conversations That Make a Difference"という本は、私はその存在すら知りませんでしたが面白そうなので注文して読んでみることにします。ご教示に感謝します。<br /><br />それ独自で「万物の尺度」たる他人に、「外の」基準を押し付けるのは「暴力」だというのは面白い表現ですね。<br /><br />そういう意味で、教師は「暴力」(あるいは「権力」と呼んだ方がいいかもしれません)を職業上使わざるを得ない存在ですね(これは警察官や自衛官が暴力を司る職業であるのと同じようなものだと私は考えています)。<br /><br />教職の暴力性あるいは権力性をどう自覚し、それを活用するかというのはとても大切なことだと思います。これまでの教師論は、善意が強すぎて暴力性・権力性の自覚が足りなかったのではないかとも思います。暴力性・権力性に無自覚であることは、それを完全否定することと同様に危険なことだと思います。<br /><br />その点で、私が最近読んで久しぶりに感動あるいは感服した本は、内田樹先生と光岡英稔先生の対談本である『生存教室 ディストピアを生き抜くために』 (集英社新書)です。<br /><br />これは本当にすごい本です。やはり「からだ」で思考している人はすごいです(最近私は「あたま」だけで、あるいは小手先だけで書かれた文章に対する嫌悪感が強くなり、少々困っているぐらいですが、それはまた別の話として)。<br /><br />この本もぜひ読んでください。私もブログに感想を書きたいのですが、近年、本当に時間がありません。<br /><br />そして興味を持ったら、両先生がこのような思考をすることを可能にしている武術にもぜひ興味をもってください(笑)。<br /><br />2016/03/09<br />柳瀬陽介柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-12573668537095300792016-03-09T17:14:36.925+09:002016-03-09T17:14:36.925+09:00はじめまして。
私、広島大学の学生で、もうすぐ卒業する者です。いつも先生のブログを読んでいます。
た...はじめまして。<br />私、広島大学の学生で、もうすぐ卒業する者です。いつも先生のブログを読んでいます。<br />たくさんの知的な刺激を受けています。どうもありがとうございます。<br />先生のご紹介で、『オーブンダイアローグとは何か』という本を1月1日に買って、読みました。<br />感動しました。<br />それを手がかりに、Collaborative Therapy: Relationships And Conversations That Make a Difference という本を探して、読みました。<br />これも感動した本です。<br /><br />そしてこの2冊の本から学んだ知見を実生活に応用してみました。<br />すると私と周りの人の関係は、ガラリと変わりました。もちろんいい方向にです。<br />私を変えた本です。<br /><br />私の今の理解で、『オーブンダイアローグとは何か』という本を、誤解を恐れずにまとめれば、「目の前の「この」人は、世界の真理である(少なくともその人にとって大事な事柄に関しては)」ということです。例えば、一般的に「人にやさしくする」ということは、「美徳」とされています。しかし、もし目の前の「この」人にとって、それは苦痛でしかないならば、「この」人にとって、「人にやさしくする」というのは、よくないことです。「この」人は正しいのです。従って、「この」人に向かって「人にやさしくしてください」という発言は、暴力です。<br />極端に言えば、「この」人は、万物の尺度です。礼儀、ルール、善悪、美醜などの「外の」基準は、「この」人の前で、無意味です。<br />私が考える唯一の例外は、「この」人のためになるものかどうかです。もちろん、2つの前提があります。ひとつ目は、特に「この」人にとって大事な事柄においてです。ふたつ目は、たとえ「この」人のためになるとしても、「この」人が心から納得する形でなければ、意味がないのです。<br />「この」人は世界の真理です。しかし私は、その人が真理とすることをまったく知らないのです。今まで私の知識は、「この」人の尺度で測られると、間違いだらけです。従って、「この」人と付き合うとき、慎重に、慎重に「この」人の声を聞き、勉強しなければならないのです。<br /><br />このように極端に見える方法は、何度も予断や憶測から私を助けました。<br /><br />「オーブンダイアローグ」はコミュニケーションのテクニックではなく、生き方そのものだと私は考えます。<br /><br />以上です。<br /><br />本のご紹介、どうもありがとうございます。<br /><br />linkindog<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />linkindoghttps://www.blogger.com/profile/09909652974025323108noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-17359075826122114292015-10-01T19:06:52.661+09:002015-10-01T19:06:52.661+09:00雨月物語は、ちくま学芸文庫版で、原文と注釈と現代語訳がそろったものです(原文だけではとても読めません...雨月物語は、ちくま学芸文庫版で、原文と注釈と現代語訳がそろったものです(原文だけではとても読めません 汗)。私は読むのははじめてなので、少しずつ読んでゆきます。柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-84560099073215547892015-09-30T23:55:16.603+09:002015-09-30T23:55:16.603+09:00こんばんは。
幾度も失礼します。
>日本語文学は『雨月物語』
これは、原文ということですか?
ワ...こんばんは。<br /><br />幾度も失礼します。<br /><br />>日本語文学は『雨月物語』<br />これは、原文ということですか?<br />ワクワク。<br /><br />by雨月物語大好きな人さちこnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-18641489062485629702015-09-30T18:32:52.461+09:002015-09-30T18:32:52.461+09:00さちこさん、
書き込みをありがとうございました。
私は英語はThe New York Review ...さちこさん、<br />書き込みをありがとうございました。<br />私は英語はThe New York Review of Books、日本語文学は『雨月物語』、ドイツ語は参考書を読むつもりです(ドイツ語はいかんせん、まだ読解力がありませんから)。<br />10月から本格スタートですが、多くの人が来てくれたらと思います。<br />それでは!<br />2015/09/30<br />柳瀬陽介柳瀬陽介https://www.blogger.com/profile/05970610356649572378noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-10701149816470421802015-09-29T21:31:51.178+09:002015-09-29T21:31:51.178+09:00こんばんは。
わあ、私も「水曜日に参加」したいです~!!
いまだ読んでいない気になる文学作品(小説)...こんばんは。<br />わあ、私も「水曜日に参加」したいです~!!<br />いまだ読んでいない気になる文学作品(小説)を読んでいく。それが一段落すれば古典移りたいですね、日本霊異記とか(岩波の日本古典文学体系でも持参しましょか)。<br /><br />それから・・?<br /><br />外国文学(翻訳したもの)いくつか、まだ決めてません (笑)<br /><br />それから・・?<br /><br />金曜日に行きます?<br />頭からっぽなので独語辞典と文法書持参で、グリム童話でも持っていきます。<br /><br />ははは。<br /><br />阿呆な妄想はここらへんでやめておきます。<br />このブログを真剣に見ておられる方々、すみません。<br /><br /><br />>経団連すらからも批判<br />笑いましたよ。さちこhttp://kita725.seesaa.net/noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-10649851622470510562015-07-07T11:31:58.254+09:002015-07-07T11:31:58.254+09:00身体の動きには模倣能力があり、それが思考の概念と共通する点だった。
この身体の動きは目に見えるように...身体の動きには模倣能力があり、それが思考の概念と共通する点だった。<br />この身体の動きは目に見えるようになった主観である。<br />動くことで動きの内部知覚が生じる、これも概念が内部知覚である点で<br />共通する。<br />この動きを言葉にすることができる。つまり、動きに概念を模倣させる<br />こともできる。こうして目に見える主観としての動きが<br />目に見える概念となって、手話などのボディランゲージになるAnonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-74901270959043284062015-07-06T23:48:44.251+09:002015-07-06T23:48:44.251+09:00続き 子供に科学を身近に感じさせるには、子供たちを冷たいようですが、彼ら自身を環境の一要素に見立て目...続き 子供に科学を身近に感じさせるには、子供たちを冷たいようですが、彼ら自身を環境の一要素に見立て目標を変えるとそれに付随する動きが変わり結果が変わることや、自分が学校と家の中にいる時などそれぞれの環境の中での活動の差異や、自分と対象を対峙させて自分はどういう反応をするか、そして対象を別の対象に変えると、反応も変わるか、今度は対峙する対象ではなく、それを知覚する自分を誰か別の人に変えてその人はどういう反応をするか、など、自分や友達など身近な人を巻きこんだ科学内容だと子供たちは面白がるかもしれない。でも何歳から学ばせればよいだろう。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-56369998346945320462015-07-06T23:24:16.333+09:002015-07-06T23:24:16.333+09:00続き。思考は外界に対面して内部に概念を作りあげる。武術において、思考は師匠の動きを知覚して、それを回...続き。思考は外界に対面して内部に概念を作りあげる。武術において、思考は師匠の動きを知覚して、それを回し蹴りという概念として生成する。概念は回し蹴りの模造である。次に師匠の回し蹴りを思考ではなく体で摸倣しようとする。動きを摸倣したら、思考の場合は概念を内部で知覚するが、体の場合は動きを内部で知覚する。頭の記憶と体の記憶。体にとっては動きが概念。概念で言葉を生成するように動きで武芸を披露する。概念も摸倣だが、動きも摸倣できる。思考は他者の思考を摸倣できるように動きも他者の動きを摸倣できる。同じ領域に属するものどうしでは互いに摸倣できるのだろうか。もちろん完全に全てを摸倣できない場合もあるだろう。主観的概念だけでなく客観的概念もあるという立場では思考が概念を外界から生成できるのは、外界に理念存在があるからだ、となる。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-41902631883434031352015-07-05T00:49:41.410+09:002015-07-05T00:49:41.410+09:00学習指導要領に生きる力とありますが、知識、道徳、体力と、真善体であり、美が欠けてます。真善美体で全体...学習指導要領に生きる力とありますが、知識、道徳、体力と、真善体であり、美が欠けてます。真善美体で全体的です。芸術教育。<br /><br />また記憶は視覚的記憶は見たものを自分の中に外的な形で取り込むと思いますが、動きの記憶は動きを体の中で知覚してその内的知覚を記憶することで、いつでも動きを、記憶から単語を取り出すように、動きの記憶から動きを取り出すと考えます。動きの記憶は武術以外にも仕事にもあると思います。普遍的な動きの記憶は水のような動きでしょう。言葉の記憶に偏らずに、動きの記憶、言葉の記憶、芸術制作の記憶、自然や社会の記憶の形成など諸記憶をバランスよく形成したほうが良いと思いました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-47369816747804836062015-07-05T00:33:24.577+09:002015-07-05T00:33:24.577+09:00続きです。シュタイナーは社会三層論で人間を三つの要素にわけたアナロジーとして社会を形成しますが、それ...続きです。シュタイナーは社会三層論で人間を三つの要素にわけたアナロジーとして社会を形成しますが、それには法政治領域、経済領域、精神領域が対応してます。この三つの要素はそれぞれが独立しているので、例えば精神領域に属する教育も国家から独立しています。つまり教育が自由です。国家も教育から自由です。三つの要素は平等、博愛、自由にそれぞれが対応し、それぞれが独立していることで、それを達成するための活動が束縛されることなく存分に達成できるという理論だと思います。<br /><br />液体と固体の関係は概念の物質的な表現と考えると、液体が普遍です。<br /><br />なので、水のようになる武術は体でイデア、つまりアイデア、概念、理念を体現しようとしていると考えられます。ここにジークンドーと老子とヘーゲルがつながります。<br /><br />Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-22144398423918304602015-06-24T20:02:22.597+09:002015-06-24T20:02:22.597+09:00長々とすみません。
今日はこれで最後にします
対象と生徒との結びつきによる経験の繰り返しにより、
...長々とすみません。<br />今日はこれで最後にします<br /><br />対象と生徒との結びつきによる経験の繰り返しにより、<br />同じ分野の個々の経験が記憶の中で一つに結び合わされて本質が取り出され<br />能力になると考えておきます。つまり個々の経験に共通する本質的要素、<br />すなわち経験における普遍を取り出したということでしょう<br />この経験における普遍が基礎となり実生活に応用されるのでしょう<br />そしていろんな分野の経験を積むことで能力は複数になります<br />Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-70265546667820122052015-06-24T19:48:25.963+09:002015-06-24T19:48:25.963+09:00目的概念は世界の個々のものを結びつける。
これは車の各部分の部品が結び付けられて一つの機能を有する全...目的概念は世界の個々のものを結びつける。<br />これは車の各部分の部品が結び付けられて一つの機能を有する全体となり、<br />そのパーツと別のパーツを車の骨格に結び付けて完成するとか<br />プラモデルの肩のパーツを完成させ、足のパーツを完成させ、<br />それを骨格に結び付けて完成させるというようなイメージができる。人々がある地点に集まり乗り物に乗り、目的の場所に移動し、それと同時に別の地点に集まった人が乗り物に乗り目的の場所に移動するという集団動作も目的概念の中で互いに結び付けられる<br />教育において全人を育成するという目的を抱くと、時空の中にあるどんな対象と生徒を結びつけて経験させるかが問題になる。<br />それは人間の本質的な構成要素の各部分を一つ一つ育成できるような計画だろう<br />それをシュタイナー教育は実践しているように思われるAnonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-76643275132077217592015-06-24T18:44:44.262+09:002015-06-24T18:44:44.262+09:00少なくとも移動目的ならこの結びつきの論理が適応できるかもしれません
バイクにのってある家にまで行こう...少なくとも移動目的ならこの結びつきの論理が適応できるかもしれません<br />バイクにのってある家にまで行こうとする。<br />まずバイクと自分を結びつける。今度はその空間と自分とバイクとの関係を分離して、<br />自分とバイクを目的地に結びつける等 移動に関することなので戦争の論理の一部として<br />応用が利くかもしれませんね<br />ちなみに結びつこうとしたり分離しようとしたりする「関係の変化」は「動き」により実行されますAnonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-78132595260140141452015-06-24T18:31:27.461+09:002015-06-24T18:31:27.461+09:00実践の過程を考えてみました。
それは目的を原因とした人間はどう動くのかの考察です
それを料理つくりの...実践の過程を考えてみました。<br />それは目的を原因とした人間はどう動くのかの考察です<br />それを料理つくりの考察から始めてみます<br />この考察により、論理的なものがなさそうに見える料理の過程<br />からも論理的なものがあると思えるかもしれません。<br />味噌汁を作るという目的を持つ。そこで①材料を並べて、包丁で一個の材料の結びつき<br />を分離する、②その間に鍋と水を結びつけて、その結びついた鍋をコンロと結びつけておく<br />③この二つを①の結果を②の鍋の中に入れるという形で①と②を結びつける。<br />ここから見出せる論理は、まず人間を含む外界の内容は互いに個別的であるということ。<br />ここに個別的なものを結びつけた完成図である目的概念が現れる。これにより、その<br />目的概念の中で、一つの個別と一つの個別を結びつけたり分離したりして、それを<br />さらに別の個別と個別が結びついたものと結びつける。 結びつきとは関係である。<br />こうして最後には互いに外的でありながらまるで一つに結びついたものが完成する。<br /><br />言語をこれで考えると、思考するという目的により<br />個々の文字が意味によって結びつけられて単語になり、個々の単語が結び付けられて<br />一つの文になると考えられる。<br /><br />人間の計画とその実行についてもこれが成り立つかはまだ考えていません<br />Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-38316718040147403182015-06-24T18:08:41.103+09:002015-06-24T18:08:41.103+09:00全ての能力を鍛えるにはどうすればよいかを考えてみます。
まだ未熟な部分もありますが、はじめます。
...全ての能力を鍛えるにはどうすればよいかを考えてみます。<br /><br />まだ未熟な部分もありますが、はじめます。<br />まず、個々の能力は別の領域に応用できるという点で<br />特殊な能力です。たとえばタイピング能力を身に着けると<br />ピアノ演奏に指使いが生かせると思います。<br />能力の基礎が身体にあるとすると、身体の各部分を使う能力を全身ぶんだけ<br />一つ一つ身に着けると、その人は身に着けた能力だけでなく、他の全ての体を使う<br />能力に関する才能を身につけたことになる。<br />具体例としてはシュタイナーは身体を三つにわける。頭部と胸部に四肢である。<br />この三つに対応する楽器がある。頭部は管楽器、胸部は弦楽器、四肢は打楽器である。<br />なのでこの三つの楽器をある程度マスターした人は、身体を使う全ての能力の才能をも<br />蓄えたことになると考えられる。だから特定の領域に全人間を見出してそれらをマスター<br />することで知らずに全方位の能力に向かって努力していたことになるAnonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8438123205528217340.post-70344082143178149382015-06-23T21:30:51.870+09:002015-06-23T21:30:51.870+09:00続きです。知行合一は老子の弱さと強さの話とつながるかもしれません。
水のような柔らかいものが、硬い強...続きです。知行合一は老子の弱さと強さの話とつながるかもしれません。<br />水のような柔らかいものが、硬い強いものに勝るというのです。<br />この水と硬いもの、は液体と固体の関係にあると思います。だから<br />弱さと強さは普遍と特殊の関係にあり弱さの中に強さがあると考えられます。<br />聖書にも弱さの中に神の力が宿るとありますね。この弱いものが柔軟に硬い強いもの<br />にあわせて形を変えることで強いものに打ち勝つ 可能性 があるのです。<br />理論と切り離された実践は、ほんとうに一部の状況にしか適合できず、<br />理論のみでは何もできないが、理論の中に実践があれば、ある実践に適合しながら理論を<br />通して別の実践へも開いています。これが弱さと強さの統一だと考えますAnonymousnoreply@blogger.com