2011年10月26日水曜日

講演会「リメディアルの英語教育の実践について」講師組田幸一郎・11/17(木)18時から・広島大学教育学部にて




以下の要領で、講演会を開催します。一般の方も参加できますので、どうぞお誘い合わせの上ご参加ください。



講演会
「リメディアルの英語教育の実践について」





■趣旨説明

昨今は大学で(筆記体の)アルファベットを教えるカリキュラムのことが話題になっていますが、このことからしても、高校に入ったものの、基礎学力がついていないので中学英語をやり直さなければならない高校生は現在、かなりいると推定されます。もちろんこの基礎学力の未定着問題は、中学1年の基礎が身についていない中学2年生、3年生にもあてはまります。

つまり、「やり直し」「学び直し」であるリメディアルは中学校から大学に至るまでの英語教育の重要課題なのです。

しかし、世間はとかく偏差値の高い生徒にばかり注目しようとします。英語教育界でもリメディアル教育に対する関心はまだまだ十分とは言えません。

そこで今回はリメディアル英語教育について熱意と経験と実績をもつ組田先生に徹底的に語っていただくことにしました。多くの皆さんの参加をお待ちしております。



■日時

2011(平成23)年11月17日(木)午後6時から8時まで



■場所

広島大学教育学部K棟108教室
http://www.hiroshima-u.ac.jp/add_html/access/ja/saijyo3.html




■参加形態

一般公開(基本は広大生を対象としていますが、お近くの英語教師の方なども大歓迎します。講演会は無料です。大きな会場を用意したので、事前の申込は不要です)



■講師

組田幸一郎先生 (千葉県立成田国際高等学校)
著書に『高校入試短文で覚える英単語1700』、『高校入試フレーズで覚える英単語1400』、『高校これでわかる基礎英語』、『高校入試スーパーゼミ英語』(文英堂)など。
共編著書に『成長する英語教師をめざして』(ひつじ書房)。
ブログは「英語教育にもの申す」 http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/




この件に関する連絡先
柳瀬陽介(広島大学教育学部)
yosuke@hiroshima-u.ac.jp
研究室電話082-424-6794


2011年10月21日金曜日

オメの考えなんざどうでもいいから、英文が意味していることをきっちり表現してくれ

今年は数年ぶりに学部一年生に英語の授業をしています。授業はライティングで、使っている教科書はStyleなのですが、英語を書く準備段階として、この教科書をきちんと理解しなければなりません。

最近の英語の授業では、「次の英文を読んで、あなたの考えを自由に(日本語で・英語で)述べてみよう」といったスタイルが多いのかもしれませんが(間違っていたら教えて下さい)、大学の授業で私はそのようなスタイルは取りません。少なくともテクスト読解の最初の段階ではそのような意見表明などはさせません。敢えてぞんざいな言葉で表現するなら「オメの考えなんざどうでもいいから、英文が意味していることをきっちり表現してくれ」というのが私が最初に求めることです。

なぜなら大学の教科書というのは、学生さんが日常的・惰性的に考えているだけでは、思いもつかないし、気づくこともできないことを学生さんに告げるからです。そのような内容を伝えるテクストをいいかげんに読んで、「考えを自由に述べて」みたりしたら、たいていの場合、学生さんは自分の日常的・惰性的な思考に引きつけて、よく聞くような凡庸な事柄を延々と述べるだけだからです。そんなつまらないことをテクストは言っているわけではない。

今年のエイプリール・フール記事でも少し書きましたが、「下線部の英文を見て適当に思いつくことを述べなさい」のような発問では、学生の知的枠組みは壊れず、テクストが伝えようとしている新たな知識体系は学生の中に入ってゆきません。

ここは愚直なほどにテクストの言語に忠実に、一語一句ゆるがせにせず、文法と文字通りの意味に忠実に読み解きながら、そのテクストの比喩的な意味や行間の含意をも丁寧に拾い上げてゆかねばなりません。

あまり大げさな言い方をしてもいけませんが(そもそも上記の教科書はそんなに難しい内容を伝えているわけではありません)、きちんとしたテクストを読むときは我意を捨てて、虚心坦懐にテクストの言葉に耳を傾けなければなりません。あなたが理解したいことを適当に引き出すのではなく、テクストがあなたに理解させたいと願っていることを正確に探り当てなければなりません。そうして謙虚に理解の努力を重ねる時に聞こえてくる声が、テクストが伝えようとしてくれることであり、多くの場合それこそが私たちの因習的な思考を破壊し新たな可能性を教えてくれます。それが精読です。大学は精読を学び、ひいてはその精読を高速にこなすことができるだけの知的能力を身につける場所だと私は思っています。(くだらない文書の速読・多読などには、知的訓練は要りません。そんなことは慣れと経験だけでできるようになります)。

その精読の邪魔にしばしばなってしまうのが、おそらくは中高で教えられたと思われる機械的な英文和訳の習慣です(「英文和訳」「翻訳」「英文解釈」などの用語の使い分けについてはhttp://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/08/blog-post_26.htmlをお読みください)。

機械的な英文和訳は次の図のようにまとめることができます。




学習者は、英文を見るや否や、反射的に(電子)英和辞書をひいて、その中から適当に思える訳語を見つけます。そしてその訳語を適当に日本語の語順になるようにノートに書き付けます。これで機械的な英文和訳は終わりです。これで教師には予習をしたポーズを取ることができ、叱責や減点を免れることはできますが、知的理解はほとんど伴っていません(だから知的喜びや内発的動機づけなどもほとんど感じることがありません)。

もちろんこの機械的な英文和訳とて、上で私が批判した「下線部の英文を見て適当に思いつくことを述べなさい」などよりはテクストに忠実にあろうとしているのかもしれません。なにせ適当に考えを述べるだけでしたら、ちょっと目立つ単語を見つけては、そこから「よく聞く話」や「自分がたまたま知っていること」を連想して、それをペラペラと日本語(あるいは英語で)述べるだけですから、それは読解ではありません。

とはいえ機械的な英文和訳は作業に過ぎません。ほとんど考えることもなく、想像力を働かせることもなく、ただ「こなす」ことができる退屈な流れ作業です。しかし、少なからずの高校生がこの作業をすることを英語を学ぶことだと思わされているのは周知の通りです。


そういった機械的な英文和訳と全く異なるのが、忠実な英語読解に基づいた創造的日本語表現としての翻訳です。



学習者は、英文を文の流れにそって、文法と語義に忠実に読みます。「たぶんこんなことを言っているんじゃないか」といった推測ではなく、愚直なくらいに英語に即した忠実な理解を試みます。そうして英文が言おうとしていることを、頭の中で絵にします(具体的な絵にしにくい抽象的な論考なら「例えばどういうことを言っているんだろう」と絶えず具体例を自分で考えようとします)。

そのように絵を描くと ―小説なら登場人物の表情や仕草が目に浮かぶぐらい具体的に描ききると― その絵が明らかに伝えようとしている意味、秘かに伝えようとしている意味、その絵に描かれていない事柄が伝えている意味などがわかります。この「わかる」感覚は身体的といっていいぐらいで、読みながら「はあ、はあ、こういうことか」と実感することができます。その絵(つまりは英文の意味)が、自分にとって新しいものでありながらも、それまでに自分が培ってきた生きた意味の体系にぴたりと当てはまり、「なるほどこうなのか」と納得がゆくわけです。

納得できたら、その頭の中の絵を、できるだけ自然な日本語で表現しようとします。その中で英文の品詞とは異なる品詞で日本語表現をするかもしれません。異なる構文で日本語表現をするかもしれません。そうなってもいいから、とにかく自分の納得した感覚を一番素直に表現できる日本語を自分の中から探り当てます。これが私の言う翻訳です。

この翻訳の際は、むしろ英和辞書は使うべきではないでしょう。異なる言語の訳語ではニュアンスがかえってわかりにくくなったりするからです。ひくなら英英辞書でしょう。

いや、翻訳家の警句「辞書をひく馬鹿、ひかぬ馬鹿」を思い出すなら、辞書は敢えてひかずに丁寧にその箇所およびその前後を何度も丁寧に読むべきかもしれません。きちんとした作家が書いたものなら、文章は必ずわかるように書かれていると私たちは仮定することができます。その仮定に基づいて英文そのもの ―当該箇所およびその前後―を何度も徹底的に読むわけです。すると、時に文章の最後まで読まなければならないこともありますが、わからなかった語句の意味も明らかになってゆきます。その努力を怠ってすぐに辞書をひいて適当な「意味」を見つけたつもりになってわかったつもりになるのが「辞書をひく馬鹿」です。(もちろん警句の後半である「辞書をひかない馬鹿」についても忘れてはいけません。特に外国語を読み解く場合、私たちは徹底的に辞書を読んで、その外国語表現の常識的語義や含意を体得しておこうとすることは必要です)。

そうして徹底的に頭を働かせて、頭の中に絵を描きますが、その絵を日本語で表現するのがこれまた難しいものです。ここでも英和辞書はしばしば邪魔になります。自然な表現を妨げることが多くあるからです。むしろ英和辞書は一切使わずに ―もちろん専門用語の定訳を調べる時は別です― 自分の中から日本語を搾り出します。そうして出てきた日本語がぴったりとしたものであればよし、そうでなければその日本語で類語辞典をひき、日本語の同義語を探します。そうして頭を働かせているうちに自然な日本語は出てくるものです(時にそれは数日後に出てきたりしますが)。


私が大学の英語の授業、あるいは英文テクストを使った専門の授業で読解のために日本語を使う場合は、もちろんこのような忠実な英語読解に基づいた創造的日本語表現としての翻訳を試みています。

他の英語教師の皆さんはいかがでしょうか。本日、「みんなこんなことはよくわかっているだろうな」と思いつつ、念のために上の図を簡単に黒板に描いたら、思いの外多くの学生さんがその図をノートに写していたので、この文章をしたためました。

おそまつ。

2011年10月11日火曜日

卒論・修論・博論の書き方を解説したサイト

私のゼミ生の一人が、ウェブ上で読める、卒論・修論・博論の書き方を解説したサイトを紹介してくれましたので、その情報をここで共有します。(皆さん、他に良いサイトがあれば教えて下さい)。




中田亨 
(産業技術総合研究所 デジタルヒューマン研究センター)
やればできる 卒業論文の書き方
http://www015.upp.so-net.ne.jp/notgeld/sotsuron.html



松尾豊
(東京大学大学院工学系研究科)
松尾ぐみ
http://ymatsuo.com/japanese/matsuogumi.html
論文の書き方
http://ymatsuo.com/japanese/ronbun_jpn.html
英語論文の書き方
http://ymatsuo.com/japanese/ronbun_eng.html



伊藤 貴之
(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科)
修士論文の作り方
http://itolab.ito.is.ocha.ac.jp/~itot/lecture/msthesis.html



暦本 純一
(東京大学大学院情報学環教授、 株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所副所長)
よい論文の書き方
http://d.hatena.ne.jp/rkmt/20101215/1292374172
修論(D論)参考
http://d.hatena.ne.jp/rkmt/20101217/1292573279


岡田稔
(早稲田大学大学院情報生産システム研究科教授)
科学技術論文の書き方(「目次」をクリック)
http://www.okada-lab.org/Ronbun/



金谷健一
(岡山大学大学院自然科学研究科計算機科学講座教授)
ここが変だよ日本人の英語(正・続)、研究成果を世界に広めよう
http://www.suri.cs.okayama-u.ac.jp/~kanatani/j/english.html


舘野泰一
(東京大学大学院学際情報学府 博士課程 中原淳研究室所属)
【大学生・院生向け】文章の読み方・書き方・考え方・発表の仕方まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133342163910863801


発声練習
春から研究室に配属される新四年生向けエントリー(主に理工系)
http://matome.naver.jp/odai/2133361852221244601?&page=1



Mike Ashby
(Engineering Department, University of Cambridge)
How to Write a Paper
http://www-mech.eng.cam.ac.uk/mmd/ashby-paper-V6.pdf


PLoS: Computational Biology
Ten Simple Rules for a Good Poster Presentation
http://www.ploscompbiol.org/article/info:doi/10.1371/journal.pcbi.0030102



よい情報はできるだけ共有したいと考えます。冒頭にも述べましたように、この他にもよいサイトを御存知でしたら、下のコメント欄や私のメールアドレス("@hiroshima-u.ac.jp"の前に"yosuke"をつける)までお知らせ下さい。



追記

なお、およばずながら私も以下のページを中心に論文の書き方などについてまとめています。

(旧)英語教育の哲学的探究:教育
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/education.html