2018年10月20日土曜日

熊谷晋一郎 (2018) 『当事者研究と専門知 -- 生き延びるための知の再配置』(金剛出版)



 金剛出版の『臨床心理学増刊第10号』である『当事者研究と専門知 -- 生き延びるための知の再配置』は非常に読み応えある書籍でした。



■ 研究の共同創造
 この本は、「研究の共同創造 (co-production)」という視点で企画編集されました。共同創造とはもともと公的サービスの創出に市民が参画する実践だそうです。

Wikipedia: Co-production (public services)
https://en.wikipedia.org/wiki/Co-production_(public_services)
ウィキペディア:協働
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%94%E5%83%8D

 公的サービスの共同創造では、市民はサービスの単なる受け手・消費者であるだけではなく、公的機関と共にサービスを企画・デザイン・運営・管理することにも参画します。

 私が関与している英語教育研究でいうなら、現在、学会で行われている研究のほとんどは研究者によって企画・実行・評価されています。英語教育研究を実践的な分野として考えるなら、英語教育の当事者である学習者や教師が切実に感じていることこそが研究のテーマになるべきですが、学会での研究はそういったニーズとはほぼ無関係に進められ、当事者は「自分たちが大切に思っていることがきちんと研究されればよいが・・・」と思いながらも、その思いは裏切られ続け、学会から興味をなくしています(当事者の中には、学会とは完全に独立して草の根で研究活動を始めているところもありますが、それはまた別の話として)。

 研究の共同創造の発想では、当事者が「このような研究がほしい」という企画を出し、研究者にそのテーマでの研究を依頼し(あるいは共に行い)、その研究を評価するという研究活動が推進されます。

 この本に話を戻しますと、この本はそういった共同創造の発想で、さまざまな困難を抱えた当事者がいわば "cross-disability"に当事者研究の課題を設定し、さまざまな研究者に原稿を依頼してできあがったものです。そしてその研究は編集責任者の熊谷氏によって総括されています。

 まずはこの共同創造という試みを知るだけでも、この本を読む価値はあると思います。

熊谷晋一郎「知の共同創造のための方法論」 (pp. 2-6)



■ 医学モデルの暴走

しかしもちろん当事者もこの本に貢献しています。その一つが、脳性まひという障害を共有する熊谷晋一郎氏(東京大学先端科学技術研究センター)と尾上浩二氏(Disabled People's International: DPI 日本支部)の対談です。


対談:継承すべき系譜1:運動 (pp. 28-38)

 ここでは「医学モデル」、つまり障害を疾病とみて、それを治し克服することに専念する考え方が暴走していた時代の恐怖が語られています。障害克服のためには、当事者は「生存権も人権も認められない医療の実験台のように扱われ」(尾上 p. 30)、「医療者だけでなく家族、当事者さえ医学モデルの内部でしか思考できなくなり、しかもそれが当事者を救おうとする善意の装いをまとっている」(尾上 p. 31)システムの恐ろしさです。
 暴走する医学モデルに対する障害者の抵抗の運動の長年の成果でもって、現在では障害者が医療実験台として自由を剥奪されるいわば「身体刑の時代」はほぼ終わりました。しかし今度は「生権力が作用する規律=訓練の時代」となり、当事者は「ほぼ自動的に自己反省を繰り返し、責任を一身に背負い、おのずと内向的になり、もはや怒りの声を上げる動因さえ根こそぎ奪われている」(熊谷 p. 31) とも言えます。

 科学と善意の名のもとに、どのようなことがなされてきたかが垣間見えるこの対談は、科学と善意を売り物にする職に就く者が一度は読むべきものかと思います。教育の世界においても、ここまでの程度ではないにせよ、当事者を軽視するような制度や慣習はあるはずです。障害者はいわば、社会の歪みをもっとも早くもっとも鋭敏に感じざるを得ない存在かと思います(それを是正するのが社会のあるべき姿なのですが、それはさておき)。障害者の経験から、いわゆる「健常者」が学ぶべきことは大きいと思います。



■ 医師による医療人類学・社会学的自己省察

もう一つ私が非常に興味深く読んだ論考は、精神科医が自らを語った物語です。

熊倉陽介「医療者の内なるスティグマ -- 知の再配置の試みから」 (pp. 83-92)
(東京大学大学院医学系研究科精神保健分野)

 医師による医療人類学・社会学的自己省察ともいうべきこの物語りで私たちには精神医療に関する洞察を一気に深めることができます。そこでは「精神科という得体の知れないものと出会うことに対する不安と恐怖から、聴診器を身につけることによって身を守っていた」著者が、「こころという得体の知れないものと出会うことに対する不安と恐怖から身を守るべく、精神症状を客観的に評価したり診断したりするという別の鎧を手に入れて」精神科医となり、その結果、「人のこころには出会っていなかったように思う」 (p. 88) という述懐があります。医療という権力を帯びた場で、医療者の無知や偏見から、当事者がさらに傷を深める不幸についても語られています (p. 89)。「専門知識や職業人として求められる規範について、それによって得るものと失うものが求められる」 (p. 89) というのが著者の結論の一つですが、この結論が強い説得力をもって響いてきます。

 上と同じような蛇足的なアナロジーを付け加えてしまいますが、学校教師も、人間の成長という得体の知れないものと出会うことに対する不安と恐怖から、学力を客観的に評価したり診断したりするというテストという別の鎧を手に入れて、その得点向上に邁進することで学習者のこころと出会うことなく、少なからずの学習者がそれぞれに抱えている傷を深めているのかもしれません。

 英語教育においても、「そもそも英語力なんてこの私に必要なの?」「テストで測られている力が実際のコミュニケーションとずいぶん異なっているように思える」「英語の授業ではどんどんコンプレックスが強くなってしまうだけ」「英語力をつけるための塾も留学もお金がなければ何にもならない」といった矛盾はさまざまにあるはずです。

 世間で流通している英語教育にまつわる言説は、そんな矛盾に蓋をして実に美しく語られます。しかし、それは何に奉仕し何を抑圧している言説なのでしょうか。英語教育においても、熊倉氏のこの文章のように深い語りが語られ始めることを願っています。いや、願っているなどという他力本願ではなく、私自身も学校英語教育の矛盾を言語化するべきでしょう。

 英語教育学習者や英語教師などは、障害を抱えた方々から見れば「マジョリティ」かもしれませんが、マジョリティにはマジョリティなりの葛藤があり、それをうまく言語化しておかないと、いつか大変なことにつながりかねないというのが私の懸念です。実際、日本でもアメリカでも今まで「マジョリティ」とされてきた人々の鬱積がどんどん圧力を高めてきているように私には思えます。

マジョリティの当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/blog-post.html

 共同研究者と「英語教師の当事者研究」というテーマで研究活動を行っている私ですが、ある種の「マジョリティの当事者研究」という意識をもって研究を進めてゆくべきかとも思い始めています。

 その意味で、この本の野口裕二氏と大嶋栄子氏の論考から学んだことは、別のブログ記事で「英語教師の当事者研究」に即してまとめてみたいと思います。

 この記事では、その他の論考についても一切述べることができませんでしたが、とりあえず私なりのまとめと感想を述べました。ご興味のある方にはぜひ一読をお薦めしたい本です。








関連記事(当事者研究関係)

浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』(2005年,医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2005.html

浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(2002年、医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2002.html

当事者が語るということ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4103.html

「べてるの家」関連図書5冊
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/11/5.html

綾屋紗月さんの世界
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

熊谷晋一郎 (2009) 『リハビリの夜』 (医学書店)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/04/2009.html

英語教師の当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

熊谷晋一郎(編) (2017) 『みんなの当事者研究』 金剛出版
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/2017.html

樫葉・中川・柳瀬 (2018) 「卒業直前の英語科教員志望学生の当事者研究--コミュニケーションの学び直しの観点から--」
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/2018.html

8/25(土)14:00から第8室で発表:中川・樫葉・柳瀬「英語科教員志望学生の被援助志向性とレジリエンスの変化--当事者研究での個別分析を通じて--」(投影資料・配布資料の公開)
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/82514008.html

第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/15.html

マジョリティの当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/blog-post.html



國分功一郎 (2017) 『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)



 昨年から話題の國分功一郎先生の『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院) (第16回 小林秀雄賞)は、やはりものすごい本でした。こういうのを「哲学」というのだなと思わされ、「英語教育の哲学的探究」などという看板を掲げている私は恥ずかしく、いたたまれなくなります。ですが、そういった自己憐憫には耽溺せずに自分の分野で自分がやれることをやるだけだと開き直るしかないとも思っています。

 私はまだ一読しただけですが、とりあえず現時点での「お勉強ノート」をまとめ、今後の再読解への仮設的理解にします。これから何度も読んで、私の思考法を刷新したいと思っています。

 以下のまとめのページ数は本書のページ数です。まとめには私の表現・誤解などがかなり入っていますので、この本の論点に興味をお持ちの方は必ずご自身でこの本を読んでください。※印以下の文は補足です。まとめでは敬称略となっていることを予めお詫び申し上げます。


*****



■ 能動態と中動態の対立 (バンヴェニスト)

 能動態では、動詞は主語から出発し主語の外で完遂する過程を指し示す。これに対立する中動態では、動詞は主語が過程の内部にある過程を指し示す(バンヴェニスト (1966) による定義)。 (p. 81)   言い換えるなら、能動と中動の対立は、主語が過程の外にあるか内にあるかである。 (p. 88)

 ※『週刊読書人ウェブ』の特集での國分の説明はわかりやすいので、ここに引用する。

 たとえば「曲げる」というのはこの対立[=中動態と能動態の対立]で言うと、能動に対応します。「曲げる」という過程は主語の外で完結するからです。それに対し、たとえば「反省する」というのは主語の内で起こる過程ですね。「惚れる」とかもそうです。中動態は僕らが知っている能動/受動の対立ではうまく説明できない事態をうまく説明してくれます。「惚れる」というのは能動でも受動でもない。単に誰かを好きになってしまう過程あるいは出来事が主語の中で起こっているだけです。中動態はこういう事態を実にうまく説明してくれる。

 能動と受動の対立では、自分が自発的・積極的・主体的にやるのか、それとも単に事態を受け入れているのか、やらされているのか、そういうことが問題になります。つまり「する」と「される」の対立であって、そのどちらかでしかない。しかし「惚れる」は「する」ことでも「される」ことでもないのです。それはいわば「起こる」ことです。僕らの言葉はこれをうまく説明できない。しかし、かつては能動態と中動態の区別があったわけで、これを簡単に説明できたのです。

特集「中動態の世界」 第二部 「失われた「態」を求めて」國分功一郎講演(荻窪・Title)
https://dokushojin.com/article.html?i=1581

 ※二枝 (2009) によるならば、中動態 (middle voice) を考察に入れることで、"be born, be excited" といった「行為を受ける」という概念と結びつきにくい受動態表現や、"enjoy oneself, improve oneself" などの他動性の高くない再帰構文や、 "The door opened easily"といった中間構文の理解も容易になる。ちなみに現代英語で中動態的な意味を表す表現の中心的なものは「身体などの手入れ」(wash, shave, bath, get dressed)、「位置変化を起こさない動作」 (bow, turn around)、「身体の姿勢の変化」 (sit down, stand up) などである。
 二枝美津子 (2009) 「中動態と他動性」『京都教育大学紀要』 No. 114, 2009. (pp. 105-119)
http://lib1.kyokyo-u.ac.jp/kiyou/kiyoupdf/no114/bkue11409.pdf



■ 出来事を私有化する言語によって描かれる行為

 私の身体で「歩く」という過程が実現されるにせよ、実に多くの要素が協働しなければならない。ところが、能動と受動を対立させる言語は、もっぱらこの出来事を、<私の>行為として、<私に帰属するもの>として記述し、いわば<出来事を私有化>する。 (p. 176) 。

 ※例えば、私はカメラを首から下げて歩いている時、しばしば思いがけず、気がついたらカメラを握ってある花の方に歩み始めていることがある。この歩行はその行為に先立つ私の「意志」によって説明するより、たまたま視界に花が入ったこと、その花が思いがけず可憐だったこと、近くに車が通っていなく危険がなかったこと、そもそも私がその時カメラを持っていたこと、その日はそれほど時間に追われていなかったからカメラを手にしていたこと、数日前から仕事に疲れ美的経験を欲していたこと、などなどの諸要素の縁が結実して起きたことと考える方がいいのではないだろうか。もちろん私の身体内部での実に様々な部位の協働に対して私が意志および意識を持ち合わせていないことは言うまでもない。(自由)意志という意識による行為の説明は、仔細に検討すると多くの問題をはらんでいる。

 

■ 意志という概念の設定 (アレント)

 私たちは常に過去からの帰結である選択に常に迫られているが、行為に責任を問うためには、どこかで過去からのつながりを切り裂き、その行為の選択が新たに開始されたとする地点を設定しなければならない。そこで設定されたのが意志という概念であるとアレント(『精神の生活』)は主張する。 (p. 132) 

 だが、これは「無からの創造」を求めるような定義であり、この定義は定義対象の存在の可能性を自ら切り崩してしまっている。 (p. 138)

 ※ 「自由意志」に関しては、リベットの古典的な実験以来、神経科学の分野でも疑義がもたれていることは周知の通り。
関連記事
"MIND TIME" by Benjamin Libet (and some thoughts of mine)
http://yosukeyanase.blogspot.com/2010/08/mind-time-by-benjamin-libet-and-some.html

 アレントによる「意志」の定義は、意志の虚構性をうまく説明しているのかもしれない。とはいえ、この虚構は、近代社会ではーーあるいは能動態と受動態の対立で物事を考える言語社会ではーー社会的・法的にとても有用とされてきたものである。しかし、この本で國分が述べるように、依存症(およびそこからの回復)といった現象を考えると、この対立はむしろ有害かもしれず、私たちは中動態による思考を(も)復活させた方がよいのかもしれない。



■ 権力の関係を能動性と中動性の対立で定義する (フーコー)

  また、アレントの「意志」概念は、上司からの非暴力的なパワハラで、ある行為をやらざるを得なかった部下といった場合をうまく説明できない。例えば狡猾な圧力を受けた部下が、公的文書に虚偽の記載をするといった背任行為をした場合、それはあくまでも部下の意志による能動的行為であり、その行為の責任は部下にしかない、と糾弾するのはどこか直感的に受け入れがたい。かといって部下は、自分の意志をまったく奪われていたというような意味で受動的であるわけでもない。

 フーコーは次のように説明する。

 その人が本当はやりたくない行為を、暴力を使わずに不承不承やらせる非自発的同意をもたらす権力の行使、つまり少なくとも外見上はその人が自分の能動性を発揮してその行為をしたように見せることにおいて、その人は能動的でもあるし受動的でもある。逆に言うなら、能動的でもないし受動的でもない。

 この矛盾は、権力の関係を能動性と受動性の対立ではなく、能動性と中動性の対立によって定義すると解消される。つまり、権力の行使者は行為の過程の外におり能動的である。他方、権力を行使されて行為を行った者は行為の内におり中動的である。 (p. 151) 

 言い換えるなら、部下は虚偽記載の報告書を書きそれに署名したという点である行為を中動態的に行ったが、同時に、パワハラ上司も、巧みな行動誘導という行為で自分以外の対象(部下)にある結果をもたらしたという点で能動的な行為を行った。

 フーコーは「中動態」という用語なしで中動の様態を思考することができたといえる。 (p. 163)

 ちなみにこのフーコーの権力観はアレントの権力観と異なる。 (p. 154)

 ※パワハラに長けた権力者は、部下に何かを力ずくでさせることは決してしないが、部下が不承不承にあることをせざるを得ないような状況に部下を心理的に追い込むことを非常に得意とする。その巧みな権力行使が問題視されても、そういった権力者は、「私はそんなことをやれと言ったことは一つもない」と述べ、部下がその行為を権力に「やらされた」という受動性--つまりは陰の行為者は権力者自身であることーーを否定し、例えば「あくまでもあれは部下が勝手にやったことだ」と部下の能動性を主張する。たしかに部下は完全な受動性において行為を「やらされた」のではなく、中動性においてある行為を行った。だが私たちは、その行為にその部下の能動性を認めるべきではないだろう。能動的であったのは、その行為の外にいて心理的な圧力をかけ続けた権力者に求めるべきではないだろうか。
 


■ 自動詞表現と受動態はどちらも中動態に由来する(細江逸記)

 英文学者でありながら、フランス語・イタリア語・スペイン語・ロシア語・ロシア語・スカンジナビア諸語の現代ヨーロッパ語、および朝鮮語・アイヌ語・琉球語など日本語に比較的近い言語、さらにはサンスクリット語・ギリシャ語・ラテン語の知識をもった細江 (1928) は、インド=ヨーロッパ語においてはもともと受動態と能動態の対立はなく、受動態はあくまでも二次的に発展したことを示した。

 そこからみちびかれる結論は、自動詞表現と受動態はどちらも中動態に由来するもので両者は兄弟のような関係にあることである。 (pp. 178-179)  細江は能動態(「過向性能相」)を「動作が甲より出て乙に過向し、その乙を処分すること」、中動態(「不過向性能相」ないし「反照性能相」)を「動作が行為者を去らずその影響は何らかの形式において行為者自身に反照する性質のもの」と定義した。これはバンヴェニストの30年以上も前に、細江がバンヴェニストの中動態の定義に到達していたことを示す。 (p. 180)

 細江はまた中動態の意味の根底には「自然の勢い」があるとも述べた。 (p. 186)

※ この細江の研究を國分は、「いまでも通用するというより、いまではもうほとんど見られなくなってしまった真の碩学が残した高密度の議論と言うべきであろう」 (p. 178) と評しているが、まったくそのとおり。「言語教育を研究しています」と述べながら、日本語以外には英語と(わずかばかりの)ドイツ語しか知らない私としては真剣に反省しなければならない。
 ちなみに國分はこの本を書くために、東京神田のアテネフランセでギリシャ語を学び始め、スピノザの『エチカ』のラテン語原文をノートに写しながらキーフレーズの暗記を始めたという(「あとがき」)。彼はこうも述べている。

ラテン語原文を何度も読むことで、それまでどうしてもうまく理解できなかった論点を突破することが可能になった。翻訳で読んでいたならば、ラテン語の動詞の態のことなど気づかなかっただろう。やはり、「読めよ。さらば救われん」こそが研究における真理である。 (p. 333)

 人文・社会系の人間の一人として、肝に銘じておきたいことばである。



■ ある仮説としての言語史(「動詞の憶測的期限」)

 名詞表現 
→名詞から発展した非人称動詞
→その動詞が中動態の意味を獲得 
→中動態は自らに対立する能動態をその派生体として生み出す
→中動態はさらに受動態という派生体も生み出す
→やがて中動態は受動態にその地位を奪われる
→中動態と能動態の対立は、能動態と受動態の対立にとってかわられる
→中動態はその存在すら忘れられるが、それが担っていた意味は分割され、自動詞、再帰表現、使役動詞などなどの諸表現に相続された。 (p. 191)

 動詞の原始的な形態は「起こる」こと(出来事)であり、「する」と「される」の対立とは無縁であった。 (p. 198)

 ※これは憶測に過ぎないと、國分は何度も述べているが、この仮説により見通しが一気に得られることは確か。ちなみに、私は英語話者をファシリテーターとした "Writing Group" にここ二年近く参加しているが、いつも思うのは「英語話者は、<Agent + Action> という図式で語るのが、本当に好きだなぁ」ということ。英語話者からすれば「海が見える」なんていう日本語表現は本当に奇妙なのだろうと思う。
   とりあえず「英語話者に受け入れられやすい英語を書く」ことを当座の目標としている私は、最近できるだけ<Agent + Action>という図式で英語を書くようにしているが、日本文学の英訳などでは、もっとこの図式から外れるが日本語の感覚に近い英語表現を多用するべきなのかもしれない。



■ スピノザによる中動態的な思考

 『ヘブライ語文法綱要』という文法書も執筆したスピノザは「言語を言語として意識していた」 (p. 235) 哲学者であるが、彼はヘブライ語の不定詞について、ヘブライ人たちは「行為する者と行為を受ける者が一つの同じ人物である場合」を新しい第七番目の種類の不定法としてつくる必要があると考えた、としている。 (p. 234) これは「内在原因」 (causa immanens) を表現するような不定法である。 (p. 235)

 スピノザは『エチカ』の第1部定理18において「神はあらゆるものの内在原因であって、超越原因ではない」 (Deus est omnium rerun causa immanens, non vero transiens.) と定義したが、ここでの "transiens" は「他動詞の」とも翻訳できる。つまり超越原因=他動詞的原因とはその作用が自分以外の他に及ぶ原因であり、「神=自然」というスピノザのテーゼに反する。このような神は内在原因として説明されなければならない。この超越原因=他動詞的原因と内在原因の対立は、能動態と中動態の対立を思い起こさせる。 (p. 237)

 スピノザは「中動態」という用語を用いたことはないが、彼の思想の中には中動態に通じる概念が明確に存在している。 (p. 236)

 ちなみにアガンペンは、ジル・ドゥルーズがスピノザ研究で論じた「表現」の概念に注目し、「内在原因という関係は、それを構成する能動的な要素が原因となって第二の要素を引き起こすのではなく、むしろ、それが第二の要素のなかで自らを表現するということを含意している」と述べた。

※ 上には書かなかったが、國分はスピノザの「コナトゥス」 (conatus) 概念についても言及している。先日、ダマシオの最新刊のまとめを書いた時も、私はダマシオがこの概念について言及していたことをまとめから省いたが、この概念についてはやはりもう少し勉強したほうがいいのかもしれない。

ダマシオがスピノザのコナトゥス概念について述べている箇所は以下の通り。

The continuous attempt at achieving a state of positively regulated life is a defining part of our existence--the first reality of our existence, as Spinoza would say when he described the relentless endeavor of each being to preserve itself. A blend of striving, endeavor, and tendency comes close to rendering the Latin conatus, as used by Spinoza in propositions 6, 7, and 8 of the Ethics, part 3. In Spinoza’s own words, “Each thing, as far as it can be its own power, strives to persevere in its being,” and “The striving by which each thing strives to persevere in its being is nothing but the actual essence of the thing.” Interpreted with the advantage of current hindsight, Spinoza says that the living organism is constructed so as to maintain the coherence of its structures and functions, for as long as possible, against the odds that threaten it. It

Damasio, Antonio. The Strange Order of Things: Life, Feeling, and the Making of Cultures (Kindle の位置No.610-616). Knopf Doubleday Publishing Group. Kindle 版.

関連記事
Damasio (2018) "The Strange Order of Things: Life, Feeling, and the Making of Cultures”
http://yosukeyanase.blogspot.com/2018/10/damasio-2018-strange-order-of-things.html
Wikipedia: Conatus in Spinoza
https://en.wikipedia.org/wiki/Conatus#In_Spinoza



■ スピノザにおける能動と受動

 スピノザによる能動と受動の概念は、私たちの現在の常識では少しわかりにくい。(少なくとも文法形式による能動態・受動態の区別で定義される能動と受動とは異なる)。

 スピノザによるならば、私たちの変状が私たちの本質を十分に表現しているとき、私たちは能動である。逆に、私たちの変状が外部からの刺激によって圧倒され私たちの本質を本質というよりも外部の刺激の本質を多く表現しているとき、私たちは受動である。  (pp. 256-257) (『エチカ』第3部定義2を参照せよ)

※ この論点を、きわめて安直に英語教育の現場に適用するなら、一見生徒が英語をたくさんしゃべっているクラスでも、生徒は(スピノザ的な意味で)能動的ではなく、受動的である--すなわち、教科書などの模範文や教師からの影響を受けて口を動かしているだけ--ことはしばしば観察される。

 ちなみに "speak English" と "speak in English" の違いは、単に形態的に能動性(他動詞的)と中動性の違いに対応しているだけでなく、意味的にも能動性と中動性の違いに対応しているのだろうか。つまり、"speak English" とは「とにかく何でもいいから、英語という言語形式を産出せよ(=自らの外に出せ)」ということを含意しかねないが、 "speak in English" はどちらかというならば、「ある者があることを英語で語り、自らの心理的・社会的状況を変化させた」といった含意をもつとはいえないだろうか(安直な発想による素朴な疑問)。

補記(2018/10/21)

 上の記述はあまりに雑なので、少し補っておきます。

 英語母語話者が教師として英語を教えている日本の教室を考えてみましょう。教師がある生徒に発言することを求めます。ですが、その生徒はもごもごと日本語で発言を始めました。教師は(笑顔であるいはしかめっ面で) "Speak English, please" と言うでしょう。しかしこの状況で "Speak in English, please" と言う可能性は前者の可能性よりも低いように私には思えます(私の直感なので間違っているかもしれませんが)。

 今度はその授業で、生徒が少グループごとに英語で話し合う場面があったとします。教師は教室の中を歩き回りながら、それぞれのグループでどのような英語での話し合いがなされているかを観察します。ところがあるグループでは日本語で話し合っていました。教師は "Speak English, please" と言うかもしれませんが、この場合は "Speak in English, please" とも言いそうです。少なくともこの状況におけるこの二種類の発言の許容度は同じぐらい高いのではないでしょうか。

 以上は私が想定した状況で私の直感に基づいた判断をしているだけなので、これをもとにきちんとした議論を組み立てることは本来できません。しかし、とりあえず話を進めるために、以上の想定・判断が正しいと仮定させてください。

 第一の事例は、一人の生徒が他のすべての人々(教師と残りの生徒)に対して語りかける行為でした。これは "speak" という動詞が「主語から出発し主語の外で完遂する過程を指し示す」行為と思われます。この行為は、話者(指名された生徒)が、彼以外の他者(教師と他の生徒)に対して「英語」と認識される言語形式を聞かせること、です。だからこそ "Speak English, please" という(バンヴェニストが定義したような意味での)能動的な表現が好まれるとは考えられないでしょうか。

 これに対して第二の事例は、ある少グループの生徒が内部で語り合っている事例でした。ここで彼ら・彼女らに求められているのは、「自分たちが語って自分たちに影響を与える」という行為であり、ここでの動詞 "speak" は「主語が過程の内部にある過程を指し示す」とも捉えられるので中動態的な "Speak in English, please" も容認されるのではないでしょうか。もちろん、ここで求められている行為は、グループの生徒たちが、そのグループの外にいる教師に対して英語と認識される言語形式が聞こえるようにすること、とも捉えられます。ですから "Speak English, please" も容認されるように思えます。

 直感的判断に基づく生煮えの思考ですので、間違っているかもしれませんが、とりあえずは仮説を出して考えるという方略に基づき、ここに仮説を出してみる次第です。ご意見のある方は何らかの方法でお知らせくださったら幸いです(ただしこのブログのコメント欄は、ロボット投稿があまりに多いので閉鎖しています。私のメールアドレスは広島大学のホームページで検索していただけたら出てきます)。




■ スピノザにおける自由

 自己の本性の必然性に基づいて行動する者は自由である。 (『エチカ』第1部定義7)。つまりスピノザの考えに従うなら、自由と対立するのは必然性ではなく強制である。 (p. 262)

※ とっぴな例に思えるが、合気道はこのスピノザ的な意味での自由を理想としているとは言えないだろうか。つまり本来の自分を表現することを理想とし、たとえ外敵に襲われ自分らしさを損なわれそうになったとしても、自分らしさ(具体的には自分がもっとも動きやすい姿勢・体勢)を保つ。さらには、相手を対象 (Object) として分離して考え他動詞的に制圧してしまうのではなく、自分が自分らしく立ち続ける中で(自分の行為を自分自身の内に働かせる中で)、結果的に相手の攻撃を無効にするということである。そしてそれは自己の表現であると同時に自分よりもはるかに大きなもの(スピノザ的に言うなら神)の表現である、という考え方である(これまた安直なアナロジー 笑)。



■ 中動態の世界を生きるということ

 「私たちは中動態を生きており、ときおり、自由に近づき、ときおり、強制に近づく。」 (pp. 293-294)

 だが、私たちはそのことになかなか気がつけない。法も中動態の世界を前提としていない。私たちは自分たち自身を思考する際の様式を根本的に改める必要があるだろう。 (p. 294)

 ※私たちの日常的な行為は、(学校文法的な意味での)能動態的に<私は+私の行為を+行う>という構図で捉えるよりも、中動態的に「いつのまにか(ついつい)ある行為をしているという出来事が私に生じていた>という構図で捉えた方がいいのではないだろうか。

 以前に書いたこのブログのある記事では、次のようにある論文の一部を翻訳した。

 私たちの言語の文法の基盤は、「行為者(主語)が何か(目的語)に対して行為する(動詞)」である。たとえば「ジャニーがリーディングの試験を落とした」である。 (The grammar of our language is built on a pattern of ACTOR (Subject) ACTS (VERB) on SOMETHING (Object) as in "Janie failed the reading test.") (p.77)

 社会文化状況的な見解によれば、上記の文法は誤っている。結果や成果は、複数の行為者の間での相互作用および相互作用の歴史の中から生じてくるのだ (flows from)。行為者が存在している状況。従事している活動。状況や活動およびそれらに含まれているすべての事柄についての解釈。その他の行為者による相互作用や参加。状況で利用された媒介的な手立て(対象物、道具、テクノロジー)。相互作用が生じた時間と空間。これらの混沌は「システム」と呼ぶことができる。「活動システム」 (activity system) や「行為者-行為体ネットワーク」 (actor-actant network) と呼ぶ者もいる。したがって私たちの教育研究と教育評価の文法は「行為者(主語)が何か(目的語)に対して行為する(動詞)」 (ACTOR ACTS on SOMETHING) ではなく、「結果XがシステムYから生じる」 (RESULT x FLOWED from SYSTEM) といったものであるべきだ。 (pp.77-78).

関連記事
On Qualitative and Quantitative Reasoning in Validity (質的研究と量的研究における妥当性の考え方)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2017/09/on-qualitative-and-quantitative.html


 しばしば「やる気」も、"How can I motivate my students?"と、教師が能動性を発揮し、他者化された学習者をどう教師が望むように学習させるか、という権力的な関係の話になってしまうが、元々、 "be motivated"とは中動態的な事態であり、誰か他の者の能動により受動的に引き起こされる事態ではないのではないだろうか?

 教師はよく "How can I motivate my students?" と能動態の文で考えるが、そもそも私が他人を "motivate" するということは自然なことなのだろうか?"motivation (motive)" や "motivate" あるいはそれらの訳語と考えられる「動機」や「動機づけ」という語を当たり前に使っている現代日本人は、「誰かが誰か他の人に動機を与える」や「誰かが誰か他の人を動機づける」といった表現を何の問題もなく受け入れるが、それらの表現は私たちをうまく表現しているだろうか?

 もし「動機」ということばをそれよりも昔から日本で使われてきたと思われる「やる気」に換えるなら、「誰かが誰か他の人にやる気を与える」や「誰かが誰か他の人にやる気づけられる」といった表現は奇異というか胡散臭くなるように私は思える(まるで妙な自己啓発セミナーに出席したみたいで)。私の個人的な感覚では「やる気」は自分の中に湧くか湧かないかのものであって、他人に制御されるものではない(というよりも自分でも制御できるものではない)。

 英語の表現に戻るなら、私は "to motivate someone else" だけでなく、 "to motivate oneself" という表現も私は不自然であるように思える。もちろん現在の英語では "be motivated" という表現があるから、それをもとにした「文法的創造性」で"motivate someone else" や "motivate oneself"  といった表現も生み出すことができる。だがこれらはいわば文法的創造性によるやや過剰な派生であり、私たちの心のあり方を逸脱した事態を表現しているとはいえないだろうか。そしてその表現が、やがては私たちの現実としてみなされてしまうようになっているのではないだろうか?

 少なくとも私は誰か他人を目的語(対象)にもつことができる「動機づけ(る)」という表現よりも、あくまで自分に生じるか生じないかの出来事の表現である「やる気が出る」の方がずっと自然に思える。だから私は某教育センターで学習意欲に関する研修講師として三年間関与しているが、そこで私は基本的には「動機(づけ)」ということばは使わず、「やる気(が出る・出ない)」ということばを使っている。

 ここで脱線して変な例を出すが、日本語を母語にしている私にとって「腹減った」(あえて直訳調に英語にするなら "The stomach is empty")というのは、とても即物的(客観的)であると同時に心理的(主観的)でもある便利な表現であるように思える。これが英語の "I am hungry"となると、屁理屈が好きな私は「なぜ<私>という抽象的な概念をここでわざわざ出す必要がるのだろうか」と思ってしまう。さらにドイツ語で "Ich habe Hunger" となると、私はそれを「<私>ナル存在者ハ、<空腹>ナル対象ヲ、<所有>スルトイフ行為ヲナス>」と翻訳してしまい、「このような言語を使っていたら、抽象的な哲学が好きになるはずだ」と苦笑してしまう。

 この話は笑い話にせよ、「動機づけ」という問題は教育において重要である。

私たちが教育を語ることばの文法についても、もっと自覚が必要なのではないか。

すくなくとも言語教育者であるならば。




追記

この本のどの章も面白いですが、メルヴィルの『ビリー・バット』を題材にした第9章は非常に具体的で英語教育関係の人間にも読みやすい章となっているかと思います。この章を題材に、英文学者、英語学者(言語学者)、哲学者を招いてシンポジウムが開けたら英語教育の学会も多少は面白くなるでしょう。


追追記

以下の『週刊読書人ウェブ』の記事は非常に読み応えがあります。

特集「中動態の世界」 第一部 國分功一郎×大澤真幸「中動態と自由」(代官山蔦屋書店)
https://dokushojin.com/article.html?i=1580
特集「中動態の世界」 第二部 「失われた「態」を求めて」國分功一郎講演(荻窪・Title)
https://dokushojin.com/article.html?i=1581

また、以下の現代ビジネス所収のエッセイを読んだ上で新潮社サイトの動画を見ると、國分先生が中動態の議論を通じておっしゃりたいことがさらによくわかるように思えます。

現代ビジネス:私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51348
新潮社:第16回 小林秀雄賞
https://www.shinchosha.co.jp/prizes/kobayashisho/16/



 







2018年10月15日月曜日

マジョリティの当事者研究


たまたまツイッターで知った、岩永直子 (BuzzFeed News Editor, Japan)氏による熊谷晋一郎氏への連続インタビューは非常に面白いものでした。その第三回目で、熊谷氏は、杉田俊介氏のことばを引用しながら、「マジョリティの当事者研究」について語っています。


不要とされる不安が広がる日本 熊谷晋一郎氏インタビュー(3)


詳しくは上のインタビュー記事を読んでほしいのですが、その趣旨を私なりにまとめますと、以下のようになります。


(1) マジョリティの言語的貧困:マジョリティである多数は男性は、社会的にあまりにも優遇されてきたので、自らを表現することばが貧しい。

(2) 身体には嘘はつけない:自分のことばを内省する場合は自意識の問題だからいくらでも言い訳が効く。だが、自分の身体の声を聞くのは怖い。

(3) 苦しさを表現できずに衰弱するマジョリティ:マジョリティ側の人間が「虐げられ傷ついている」「幸福ではない」といった言語化しにくい被害者意識をもったとき、彼ら・彼女らは、マジョリティであるがゆえに表面化することができず、自分が衰弱していくように感じる。

(4) マジョリティの自責・他責:日常言語でうまく言い表すことができない見えにくい困難をもつマジョリティは、自分を責めたり、暴力的で露悪的な言動を取るようになりかねない。ひいては排外的・排他的な集団に急速に取り込まれてしまう。

(5) 現在の対立軸:対立軸は「リベラルvs反リベラル」や「マイノリティvsマジョリティ」ではなく「見えやすい困難vs見えにくい困難」ではないか。

(6) マジョリティの困難:マジョリティも見えにくい困難を抱え込んでおり、罪悪感や被害者意識、見えやすいマイノリティ性への複雑な感情を募らせているのかもしれない。

(7) マジョリティの当事者研究:マジョリティにも自分たちの困難を正直に見つめことばにしてゆく当事者研究が必要なのかもしれない。


これらに、私の解釈(蛇足)を付け加えます。

(1) の「マジョリティの言語的貧困」とは、別段、マジョリティが知っている語彙が少ないということではありません。私見にすぎませんが、マジョリティの語彙はしばしば、形式的あるいは定型的に語られる「使い古されたことば」 (ハイデガーの "Gerede" ???) に過ぎず、聞いていてどこかしっくりきません。上滑りというか、キャンキャン騒ぎ立てられるだけで、聞こうとしている私の身にしみわたってきません。聞いていてどうも集中できませんーーもちろんこれには聞き手である私の問題も絡んでいるのでしょうが、そのことはここで割愛しますーー。

これに対して、たとえば先日の当事者研究全国交流集会名古屋大会での発話者ーーほとんどすべてがマイノリティーーが自らの困難を語ることばは豊かでした。力があり、中に血が通っている実感があります。ことばにその人の存在が込められています。ことばの意味とことばの息遣いにまったく齟齬がありません。ことばが迫ってきます。

関連記事
第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/15.html

私が敬愛してやまないある中学校英語教師は、かつて「家庭などで苦しい思いをしている子どもこそ深いことばをもっている。私はそのことばを英語にする手伝いをしたい」とおっしゃっていましたが、この観察もこの (1) の論点につながるようにも思えます。

マジョリティのことばは貧しく、しかし、それが世間に流通しているだけに、マジョリティは時にそのような空々しいことばを過剰にわめきちらしてしまうのかもしれないーーちょうど、問題行動を引き起こして自分でもどう自分を表現すればよいかわからずに沈黙する子どもに対して滔々と説教する教師のようにーーという可能性について私たちはきちんと考えるべきかと思います。


(2) の「身体には嘘はつけない」については、身体を騙したり身体に無理強いをさせ続けた末に、症状の形で身体からの逆襲的なメッセージを受け取った人は納得できるのではないでしょうか(私も何度もそのように身体からの強烈なメッセージを受けました)。日頃から身体の声を聴き取って、その声にしたがって生きてゆけばいいのでしょうが、自分の身体を否定するような意識に絡め取られてしまった人は、身体の声を聞くのを怖がります。

熊谷氏はインタビュー (2) で、そのような人々を精神科医のローウェンの説を引きながら「仮面と現実の自分を区別することが難しく、身体を自分の意思の従属物とみなしており、『こうあるべき』という強靱な意志によって、みずからの身体的な感覚や感情さえもその仮面の下に抑えこむ傾向」をもつ「ナルシスト」と称しています。


 

ともあれ、身体の声を聞くことを拒み続けることによってかろうじてマジョリティに属している人々は少なくないように思います。マジョリティからマイノリティに「転落」した人々は、時に解放的な笑いで自分を表現しますが、その笑いの自然な響きをマジョリh地の人はすこし身体で感じるべきなのかしれません。


(3) の「苦しさを表現できずに衰弱するマジョリティ」の少なくとも一部は、そんなナルシストなのかもしれません。現代社会で暮らす自分に苦しさを覚えつつも、現代社会のタテマエからするとそれを「苦しさ」と認めることができずに、外面ではマジョリティを名乗りつつも、内面では苦しさを増大させ、自分は実は被害者なのではという思いを抑圧的に抱いてしまいます。


(4) の「マジョリティの自責・他責」は、そんなマジョリティが「こんな自分では駄目だ」と自分を責めたり、仕事とは関係のないところで思わず攻撃的になったり、あるいは鬱積する否定的な感情のはけ口をある一定の人々に見出し、排他的な集団に強烈に同調してしまいます。

トランプ大統領を支持したのは貧しい白人層、というのがこれまでの通説でしたが、最近は、実は収入や地位にかかわらず、息苦しさや停滞感を感じている白人がトランプを支持しているのではないかという論説も出始めました。

Charles M. Blow: White Male Victimization Anxiety
https://www.nytimes.com/2018/10/10/opinion/trump-white-male-victimization.html
Charles M. Blow: The Trump Circus
https://www.nytimes.com/2018/10/03/opinion/the-trump-circus.html
Paul Krugman: The Angry White Male Caucus
https://www.nytimes.com/2018/10/01/opinion/kavanaugh-white-male-privilege.html

私は、日本でも似たような現象が起こっているのではないかと思っています。もちろん政治を単一要因だけで分析するのは愚かなことでしょうが、「マジョリティの鬱積」という論点は今後重要になってくるのではないでしょうか。


(5) 「現在の対立軸」とは、そうなると「リベラルvs反リベラル」や「マイノリティvsマジョリティ」ではなく、「見えやすい困難vs見えにくい困難」つまり、自らの苦しさを表現できる人々と表現できない人々の間の対立ではないかという熊谷氏の指摘には私は大きくうなずきました。両者はそれぞれの、比較できないし、比較しても意味がない自分が所有する苦しみを負っているという点で共感し連帯もできるはずなのですが、見えやすい困難をもったマイノリティが自分の苦労を語るのを、見えにくい困難を内に秘めたマジョリティは、羨望の思いで見ているのかもしれません。さらにはその羨望を自分でも認めずに抑圧するがゆえに、それらのマジョリティの人々は自分でも制御できないぐらいの暗い情動を発現させてしまうのかもしれません。


それが、(6) の「マジョリティの困難」なのでしょう。ひょっとしたらマイノリティと共に現代社会の歪みや矛盾と戦うこともできるはずなのに、社会的タテマエから現代社会を肯定せざるをえない。仮に、そのタテマエから抜け出て、自分を語ろうとしても、現代社会に流通している語彙は、その苦しみを十分に表現できない。だから「使い古されたことば」で自分や仲間をごまかしたり、マイノリティを罵倒したりして、自らの苦しみに向き合えないーーこれがマジョリティの困難なのかもしれません。


そうなると (7) でいう「マジョリティの当事者研究」も必要なのかもしれません。先日の記事で、私は、英語教師志望学生を対象とした当事者研究で、今年は以下の原則を立ててみようかと考えているということを述べました。


(1) 身体のメッセージをもっと大切にしよう

語る人の表情や姿勢、聞く自分の身体の情動の様子をもっと観察しよう。それらが表現しようとしていることばにならない想いを大切にしよう。

(2) おざなりなことばを控えよう

沈黙を埋めるためにおざなりのことばを安直に発することなく、ことばが身体から湧き上がってくるのを待とう。頭の中だけで考えたような薄っぺらなことばで自分たちの真実をごまかさないようにしよう。

(3) 自らの表現を当事者研究の原則に照らし合わせよう

身体で表現してしまった自分の情動も、ついつい発してしまった自分のことばも、それが互いの可能性を豊かにするためになっているかどうかを、当事者研究の原則に照らし合わせてみよう。

関連記事(再掲)
第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/15.html


表面的に考えたら、これらの原則は学生さんの発言を少なくしてしまうのではないかとも思いますが、そうやって使い古されおざなりになったことばを捨てることが、「マジョリティ」の人々に必要なのかもしれません。そうして沈黙に耐え、自分の身体の情動が、それが身振りであれことばであれ、何かの形をとって現れてくるのを辛抱強く待つべきではないでしょうか。

関連記事
7/15(日)の公開研究集会:外国語教師の身体作法(京都外国語大学)は予定通り開催します + 柳瀬の当日発表資料公開
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/07/715.html

7/22の公開研究集会「外国語教師の身体作法」での柳瀬発表の後の質疑応答
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/07/722_17.html


共同研究者とはまだ廊下で立ち話をしただけで、きちんと話し合っていませんが、いろいろと考えてゆきたいと思います。

ともあれ、非常に考えさせる熊谷氏のインタビューでした。


さまざまな弊害が指摘されるようになったSNSですが、このような出会いができるのは本当にありがたいです。




杉田水脈議員の言葉がもつ差別的効果 熊谷晋一郎氏インタビュー(1)
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kumagaya-sugitamio-1

「生産性」とは何か? 杉田議員の語ることと、障害者運動の求めてきたこと 熊谷晋一郎氏インタビュー(2)
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kumagaya-sugitamio-2

不要とされる不安が広がる日本 熊谷晋一郎氏インタビュー(3)
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kumagaya-sugitamio-3

偏見を強める動きに抵抗するために 熊谷晋一郎氏インタビュー(4)
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kumagaya-sugitamio-4


追記
上の (2) のインタビューで、熊谷氏は、優生思想を以下のような理路で超克しようとしています。

・優生思想は、人が生産する財やサービスの価値で人間の価値を測ろうとする。

・しかし財やサービスに価値が宿るのは、そもそもそれらが人間に必要とされるからである。

・そうなれば、価値の源泉は人間が何かを必要とすることではないか。

・人間が何かを必要としているということには、無条件に価値が宿っているのではないか。

・優生思想は、その根源的な価値を見落としているのではないか。

この思想についてもしばらく考えたいと思います。私が専門とする(言語)教育も根源的には価値に基づくものですから。




関連記事(英語教育関係)

パネルディスカッション『今日叫ばれる"英語教育の危機"とは? ―そのとき教育現場は?―』 発題者:柳瀬陽介・樫葉みつ子・山本玲子 指定討論者:卯城祐司
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2014/05/blog-post_31.html

柳瀬陽介 (2014) 「人間と言語の全体性を回復するための実践研究」(『言語文化教育研究』第12巻. pp. 14-28)
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2014/12/2014-12-pp-14-28.html

「優れた英語教師教育者における感受性の働き―情動共鳴によるコミュニケーションの自己生成―」(『中国地区英語教育学会研究紀要』 No. 48 (2018). pp.11-22)
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/05/no-48-2018-pp11-22_88.html


関連記事(当事者研究関係)

浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』(2005年,医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2005.html

浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(2002年、医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2002.html

当事者が語るということ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4103.html

「べてるの家」関連図書5冊
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/11/5.html

綾屋紗月さんの世界
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

熊谷晋一郎 (2009) 『リハビリの夜』 (医学書店)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/04/2009.html

英語教師の当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

熊谷晋一郎(編) (2017) 『みんなの当事者研究』 金剛出版
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/2017.html

樫葉・中川・柳瀬 (2018) 「卒業直前の英語科教員志望学生の当事者研究--コミュニケーションの学び直しの観点から--」
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/2018.html

8/25(土)14:00から第8室で発表:中川・樫葉・柳瀬「英語科教員志望学生の被援助志向性とレジリエンスの変化--当事者研究での個別分析を通じて--」(投影資料・配布資料の公開)
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/82514008.html

第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/15.html


関連記事(オープン・ダイアローグ関連)

オープンダイアローグの詩学 (THE POETICS OF OPEN DIALOGUE)について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/12/poetics-of-open-dialogue.html

オープンダイアローグでの実践上の原則、および情動と身体性の重要性について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html

オープンダイアローグにおける情動共鳴 (emotional attunement)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/01/emotional-attunement.html

オープンダイアローグにおける「愛」 (love) の概念
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/01/love.html

当事者研究とオープン・ダイアローグにおけるコミュニケーション (学生さんの感想)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/03/blog-post_7.html

飢餓陣営・佐藤幹夫 (2016)「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか(言視舎)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/05/2016.html

比較実験研究およびメタ分析に関する批判的考察 --『オープンダイアローグ』の第9章から実践支援研究について考える--
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/08/blog-post.html

ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル、高橋睦子、竹端寛、高木俊介 (2016) 『オープンダイアローグを実践する』日本評論社
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/2016.html




2018年10月14日日曜日

第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して



2018年10月7日(日)に愛知淑徳大学で開催されました第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加しました。ここではその感想を私なりにまとめておきたいと思います。



■ ことばの力

開会式に続く10:20-12:00の登壇発表では、なんと17組の当事者研究の取り組みが報告されました。私は最初「このスケジュールではまともな発表は無理だろう」と思っていましたが、若干時間オーバーした組もあれど、どの発表も6分という枠組みの中で独自の世界を示したのは驚きでした。短い時間の発表でも、安直なまとめやおざなりなことばが出ずに、自らの身体から出てくることばが連続しました。私はいっときも集中を欠くことなく、ずっと聞き続け、時に大笑いしながら、ぐっと胸の奥で発表者の想いをかみしめていました。

それぞれの当事者が抱える問題(=「苦労」)はさまざまでしたが、どの発表からもことばの力を感じました。複数の障害をかかえるある発表者は、達観したというよりは突き抜けたような明るさで自らの苦労を語り続け、聴衆の方が圧倒されていました。この明るさは、彼女が自らを客体化することばを豊かにもっていることから生じているように思えます。アルコール依存症のある当事者は--その方によれば彼はアル中ではない、なぜなら「アル中とは料理酒まで飲んでしまうやつだから」とのこと(苦笑)ーーは、仲間からもらうことばの力によってその方なりのペースでの生き方を獲得しているように思えました。ある性的マイノリティの方も、自分の声を受け止めてくれるたくさんの仲間がいたからこそ、カミングアウトをすることができ、それにより自分の性別認識に関する自分と周りの人のギャップという問題を減らすことができたとおっしゃっていました。

これらのことばの力は、当事者研究のことばの使い方・作法によっても生じているように思えます。下手をしたら愁嘆場の嘆きや屈辱感にまみれた告白になりかねない自らの問題を、当事者研究はあくまでも「研究」として、当事者が、自分を、いや自分の問題を対象化して語ります--抄録集に掲げられた「当事者研究の理念」の最後は「『人』と『こと(問題)』をわける」です--。私の周りにいたある聴衆からは「まるで修士論文の発表みたいだね」という声があがっていましたが、今回の抄録集も「苦労のプロフィール」「研究の動機・目的」「研究の方法」「研究の経過と内容」「考察(わかったことや課題)」「まとめ・感想(研究してよかったこと、苦労したこと、さらによくする点など)」という形式で統一されていました。

ただ、当事者研究の発表は通常の論文発表とはいろいろな点で大きく違います。その一つはユーモアです。「当事者研究の理念」にも「『笑い』の力ーーユーモアの大切さ」が掲げられています。

・当事者研究という場には、不思議と笑いとユーモアが溢れています。
・「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」と言われるように、ユーモアには、苦しい現実から距離をとり、苦労に打ちひしがれないために人間に供えられた力であり、究極の”生きる勇気”だとも言われています。(抄録集 p. 10)

上の説明の「不思議と」という表現に私は共感します。どの発表者も、笑いをとろうとはしていません。語っているうちに、思わず自分でも笑ってしまうような表現法になり、それにつられて聴衆も、世間の常識・良識からすれば「笑ってはいけない」ところなのについつい笑ってしまっているようです。このユーモアの共有によって、全員が苦労に対するある態度を確立しているようです。考えてみれば、ユーモアを共有する共同体には、どこにも生きる覚悟と品のある知性を感じることができます。この生きる態度が当事者研究の特徴の一つかもしれません。

先程とは別のアルコール依存症の方は、みずからを「くま」と喩え、アルコールを「エサ」と呼び、どのように自分が「サボローくん」に乗っ取られ「冬眠」してしまうかという「苦労」を、それまでの人生で蓄積されてしまっていた「裏切る/裏切られる」という二分法的思考の観点から分析していました。その方の当事者研究を聞いていても、ユーモアに溢れた語り方は、自己分析にとってなにか本質的な役割を果たしているのではないかと思えます。

複数の発表者が自分の苦労について「なにかいいネーミング(病名)があれば教えてください」と聴衆に訴えていましたが、このことから考えても、ユーモアをもって自己分析することは、高度な知性(=対象との距離のとり方と対象の捉え方)を必要とするものだということがわかります。「病名」とは、それがうまく決まれば、研究の焦点がぴたりと定まるようなもの--学術論文の研究課題 (Research Question) に匹敵するようなもの--であることがうかがえます。ユーモアをもって自らを語るという言語使用については今後きちんと考えたいと思いました。

ユーモアの延長上にはあるのでしょうが、それとは少し異なる語り方として「エンターテイメント」としての語りがあるかと思います。ある発表者(ケアする立場の方)は、自分の苦労を正面から語れずに、どうしても「エーカッコシー」 --A(C) --になってしまうことが自分の問題だと語っていました(笑)。別の方は「本当に伝えたい素直でかっこ悪いことば」が語れず「ホップ・ステップ・スリップ」して、当事者研究ではしばしば「爆発」と称される問題行動しまうと語っていました。この方の「爆発」を「エンターテイメント」と呼ぶのは適切ではないかもしれませんが、お二人を見ていると、いわゆる「エンターテイメント」的な表現というものも、「自分に直面することができない自分」を守りながら表現する、ある意味で正直な表現方法ではないかとも思えてきました。

ここにあげたのは、私ができたメモを基に再構成できたエピソードだけですが、当事者研究の語り方、コミュニケーションのあり方については、まがりなりにも言語教育に携わっている私としてはきちんと考察しなければと思わされるものでした。



■ 自律性

登壇発表を見ていてもう一つ強く感じたのは、「自律性」  (autonomy) についてです。弱い立場におかれ社会的烙印を押されていた多くの従来の当事者は、医者などの専門家から病名を宣告されそれを自らのアイデンティティとして生きざるをえないような立場に追い込まれていました。しかし当事者研究は、その病名宣告という言語行為を簒奪というか奪い取り (appropriate) 、自分が自分の「病名」というアイデンティティを自分で決定するという言語行為を作り出しました。かつてJames Brownは  "I'm black and I'm proud" と歌いましたが、当事者研究はそのようにことばの意味の反転をするだけでなく、新たな病名ということばを創造することすらやっています。奪われかけたことばの力を奪い返すだけでなく、それに新しい力を加えています。

さらに、当事者研究は、当事者の生き方を専門家からの「処方」に委ねてそれに従うだけ(従わなければ叱責される)という生き方を、当事者が自らの意志で自分の問題に対して向かい合い、周りからの支援を得ながら自分の助け方を自分で決めるという生き方に転換させているように思えます。だからといって当事者研究は医者などの専門家の働きを否定しているわけではありません。そうではなく、自分が抱える問題をあくまでも自分の問題として、自分が主体的に対応することを選び、専門家も含めた周りの人々の知恵を借りながら、「自分の苦労を自分の苦労として味わう」のが当事者研究だと私は理解しました。

「当事者」をどう英訳するかについては、私はずっと考え続けていることですが、この観点からすると「当事者」は "owners of problems" とも訳せるのではとも考え始めました。「苦労」を自らの苦労として引き受けて、それと共に生きる術を自ら、周りと共に探究していくのが当事者研究と言えるかと思います--当事者研究の理念の一つは「自分自身で、ともに」です--。

「これが自律性でなかったら、何が自律性なのだろう」というのが当事者研究についての私の思いです。



■ 当事者研究の源流

登壇発表の後には、向谷地生良先生と熊谷晋一郎先生の話がありました。


向谷地先生は、約40年前の浦河赤十字病院精神科病棟の写真をスクリーンに示しながらお話を始めましたが、そこには「精神科への入通院の経験を生き抜いた若者の生きようとする知恵の集積が当事者研究の源流です」と書かれていました。向谷地先生は次に昔の集合写真を見せながら、静かで落ち着いた語り口で「この人は・・・、この人は・・・」とご自身が関わった方々(すでに物故)の思い出も語りました。その方々は「人の苦悩が最大化した状態」としての精神疾患を生き抜いた方々です。「単純な『いい/悪い』を超えた意味の世界を見つけたい」、「『和解』が当事者研究が目指すものだ」とも向谷地先生は語っておられました。

このお話は、「英語教師の当事者研究」といった形で当事者研究を見よう見まねでやっているような私にとって、非常に重いものでした。

関連記事
樫葉・中川・柳瀬 (2018) 「卒業直前の英語科教員志望学生の当事者研究--コミュニケーションの学び直しの観点から--」
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/2018.html
英語教師の当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2016/09/blog-post_8.html

しばしば「当事者研究には決まった方法はない」とも言われます。今回の大会でも「当事者研究には正しいメソッドはないのだから、感じるままにやることが大切」といった発言もありました。しかし、たとえ形は融通無碍・変幻自在に行うとしても、その精神(魂)だけは受け継がねばならないのではないかと私は自戒しました。私はこれからも当事者研究に学び続けてゆこうと思っていますが、当事者研究の源流だけは肝に銘じておかねばと思っています。



■ 「語りを公開する」という革命

続く熊谷先生は、向谷地先生のお話を「過去を振り返ることで未来を切り開くもの」として受け止めたと述べた上で、「当事者」と共通点の多い身体障害者のことについて語りました。自ら身体障害者である熊谷先生は、「障害は私たちの身体の内にではなく、外にある」として社会の変革を志向した障害者運動を高く評価しつつも、それが障害者の自立-- "independence" と私は翻訳しました--を目指すあまりに、障害者の孤立を招いたのではないかという問題提起をされました。

その点、当事者研究は、仲間を必要としている依存症の自助グループなどを参考にしたこともあり、当事者が孤立してしまうことが構造的に防がれていると熊谷先生はおっしゃいました。(英語で言うなら、当事者研究などの自助グループが目指しているのは "interdependence" と言えるかもしれません)。

ウィキペディア:アルコホーリクス・アノニマス


近年、日本でも注目されているオープン・ダイアローグも、問題を抱える者が孤立しないチーム体制を組んでいます。しかし、そこで語られる内容は、原則として非公開です。ですが、当事者研究はその語りを公開するという途を選んでいます。これは革命的なことではないかと熊谷先生はコメントされていました。

ウィキペディア:オープン・ダイアローグ


もちろん語りを公開しない方がよい場合もあるでしょう。ですから「当事者研究の方がオープン・ダイアローグよりもすごいのだ!」などという幼稚なことをここで言っているわけではありません(笑)。ただ、当事者の語りを公共空間にもたらすという言語行為が拓く世界の可能性については、しっかりと考えてゆくべきでしょう。

「当事者研究では情けなさや弱さがキラキラしている」とも熊谷先生はおっしゃっていました。熊谷先生といった方が当事者研究を研究しているということは本当に大きなことかと思います。

東京大学先端科学技術研究センター 当事者研究Lab
http://touken.org/



■ 一人称的あるいは二人称的な当事者経験

当事者研究発表会は、通常の学会のようでいて通常の学会とは明らかに異なる会でしたが、相違点の一つは(当たり前のことではありますが)、当事者研究では当事者の苦労から切り離された第三者的な語り方が決してされないということです。これは発表者の発言からだけでなく、質疑応答や発表の間の雑談でも感じられたことでした。当事者研究発表会で語る人々は、発表者ならもちろん第一人称的に当事者経験をしている者として、質問をする人なら「同じでもなく違うでもなく」その当事者と正面から向き合う第二人称的な当事者経験をしている者としてことばを発しているように思えました。もし当事者研究の場に、活字から知っただけのような専門用語を振り回す人がいたとしたら、その人のことばはどこか場から浮いてしまって、そのことばは力を得ないのではないかと想像します。これが通常の学会と異なることの一つでしょう。

当事者研究とは、それが発表者であれ聴衆であれ、まずは自らの身で感じることが必要であるように思えます。当事者研究の理念の一つである「研究は頭でしない、身体でする」というのは、実際の行動の変容、そしてそれに伴う認識の変容を大切にしようという意味だと私は理解していますが、これを私なりに大幅に言い換えるなら、「当事者研究を活字に閉じ込めてはいけない。当事者研究は自分で生きるもの」となるかもしれません。



■ 感性と理性、あるいは身体のメッセージと歴史の知恵を大切にしよう

ここから学校教育という、元々の当事者研究とは異なる文脈で当事者研究を行う私の関心に引き寄せた考えを書きます。

学校教育に関する私の懸念の一つは、学校で使われることばが、知性先行のものばかりになっており、感性と理性から乖離しつつあるのではないかということです。ここでの感性・知性・理性の三分法はカント以来の常識的なものですが、それなりの定義は以下のとおりです。

感性 (Sinnlichkeit, sensibility):何かの対象に接した際に、そこから前-分析的な直感(=意味の端緒)を得る働き。
知性 (Verstand, understanding):感性からの直感を思考により概念(=具体的で分析的な意味)を得る働き。
理性 (Vernunft, reason):知性のさまざまな概念をまとめて理念(=抽象的で包括的な意味)を得る働き。

「優れた英語教師教育者における感受性の働き―情動共鳴によるコミュニケーションの自己生成―」(『中国地区英語教育学会研究紀要』 No. 48 (2018). pp.11-22)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/05/no-48-2018-pp11-22_88.html


ことばという概念に基づく表現は、本来、うまくまとまらないままに身体で感じられる直感に基づくものですが、近代教育では学習内容が膨大になり記号化されて教えられるため、ことばが自らの身体感覚に基づかないまま、操作されるべき記号として扱われてしまうことはデューイが100年前から指摘していることでもあります。

Education as a Necessity of Life (Chapter 1 of Democracy and Education)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2013/09/education-as-necessity-of-life-chapter.html

このような問題意識から、私は学校で使われることばを、できるだけ自らの身体で感じることができるものにしなければならないと考えています。その意味で私は英語教育は小学校「から」変えなくてはならないと論じました。




とはいえ、知性の操作だけで語られるようなことばが横行してしまっている学校現場では、下手をすれば教師も学習者も、うわべの話はしても本質的な話は決してしないことになりかねません。教師は、職員室でプロ野球やカフェの話はしても授業の苦しみを語らない(語れない)ようであったり、学習者はSNSではつながっても自分の正直な気持ちは語らない(語れない)ようであったりすることは珍しくないと思います。

そんな中で学校教育現場に、下手に当事者研究をもちこんでも、それは上滑りのまがい物になったり、せいぜい言って上述のような悩みのエンターテイメント化になるだけなのかもしれません。これまで私と共同研究者は卒業直前の教師志望学生に当事者研究を導入し、今の所、それなりの手応えを感じていますが、ひょっとしたらそれは、彼ら・彼女らが本来もつことばの力を十分に活かせていない実践なのかもしれません。

今年の私たちなりの当事者研究の試みは12月から始まりますが、今の所私が考えているのは、以下の原則を導入することです。


(1) 身体のメッセージをもっと大切にしよう

語る人の表情や姿勢、聞く自分の身体の情動の様子をもっと観察しよう。それらが表現しようとしていることばにならない想いを大切にしよう。

(2) おざなりなことばを控えよう

沈黙を埋めるためにおざなりのことばを安直に発することなく、ことばが身体から湧き上がってくるのを待とう。頭の中だけで考えたような薄っぺらなことばで自分たちの真実をごまかさないようにしよう。

(3) 自らの表現を当事者研究の原則に照らし合わせよう

身体で表現してしまった自分の情動も、ついつい発してしまった自分のことばも、それが互いの可能性を豊かにするためになっているかどうかを、当事者研究の原則に照らし合わせてみよう。


(1) ~ (3) はそれぞれ、感性、知性、理性に対応させているつもりです。基本的な考えは、感性の蠢きを大切にし、感性と切り離された知性の濫用を止め、理性で感性と知性の動きを反省しようということです。具体的には、沈黙の間に流れる気持ちを大切にし、それに薄っぺらのことばではない確かなことばを与え、互いの弱さについてユーモアをもって探究しよう、より安心できる生き方を探そう、ということになりますでしょうか。

もちろん、これらの原則を強調することにより、参加者の発言が抑制的になりすぎて、重苦しい雰囲気になってしまうかもしれません。その重苦しい空気の中で発せられることばこそが貴重なものだとしても、お手軽なことばだけを使い続けてきたような学生さんにとっては、このような場は苦しいものになってしまうかもしれません。

今年度の私たちの当事者研究実践にはまだ時間がありますから、これらの点については共同研究者とよく考えてゆきたいと思います。


と、最後は自分たちの研究の話になってしまいましたが、非常に実りの多い当事者研究の大会でした。上のまとめでその会で学んだことをすべて表現したとはとても思えません。今後共、当事者研究の営みから学び、言語教育研究者のはしくれとしてことばとコミュニケーションについて考え続けたいと思います。




関連記事

浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』(2005年,医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2005.html

浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(2002年、医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2002.html

当事者が語るということ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4103.html

「べてるの家」関連図書5冊
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/11/5.html

綾屋紗月さんの世界
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

熊谷晋一郎 (2009) 『リハビリの夜』 (医学書店)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/04/2009.html

英語教師の当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/09/blog-post_8.html

熊谷晋一郎(編) (2017) 『みんなの当事者研究』 金剛出版
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/2017.html

樫葉・中川・柳瀬 (2018) 「卒業直前の英語科教員志望学生の当事者研究--コミュニケーションの学び直しの観点から--」
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/2018.html

8/25(土)14:00から第8室で発表:中川・樫葉・柳瀬「英語科教員志望学生の被援助志向性とレジリエンスの変化--当事者研究での個別分析を通じて--」(投影資料・配布資料の公開)
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/08/82514008.html

第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/15.html






2018年10月4日木曜日

第6回 こども英語教育研究会(11/3土 百合学院中学高等学校(兵庫県尼崎市))へぜひお越しください!



「学びに向かう力」をテーマとして第6回こども英語教育研究大会が開催されます。

以下が、主催者からのメッセージです。

*****

2018年、6回目を迎えることになりました本会は「こども英語教育研究会」と「特定非営利活動法人Creative Debate for GRASSROOTS」が共催いたしております。

こんな教育あったらいいな、の思いを胸にご協力いただいている数多くの先生方、ボランティアの方々のご尽力によって開催を重ねてまいりました。 

皆さまのご協力に心より感謝いたします。

公立の小学校では、2020年より英語の教科化に向けて、英語教育への取り組みが活発になってきています。また、民間の英語教室でも、どんどん加熱する世間の英語教育熱に影響されてますます高い成果が求められるようになってきております。

‐単語や表現の詰め込みに苦しむこどもたち

-理解したり感じたりする事なく、英語を浴びせられ続けるこどもたち

‐読んだり書いたりを急ぎ足で求められて消化不良のまま頑張るこどもたち

こんなこどもたちが増えていかないように、主体的でわくわくする学びを発信する必要性を感じ、今後とも発信を続けてることで活動の輪が広がることを願っております。

皆さまのご参加、お声、またボランティアとしてご協力いただける方には是非ご協力をお願いいたします。

*****

まさに草の根で作り上げている研究会です。何の権力的な後ろ盾もなく試行錯誤で発展し続けています。

そんな姿勢に共感し、私も昔から関わらせていただいておりますが、この度、この会の顧問となることになりました。

以下は、その立場からの私のメッセージです。


*****
「現場ってすごい!」って思いませんか?

だって現場では、次から次に生じる予想を超えた出来事に対して、実践者が限られた時間と資源の中でなんとか対応しているからです。
実践者が現場で発揮する知的創造性が、凡庸な学者が書物の上で示す創造性をはるかに超えることは珍しくはありません。
この会は、そんな現場の知恵を共有し学び合う場です。
立場や権威とは無関係にともに学びを深めましょう!
*****


今回の大会でも私は時間をいただくことができましたので、以下のタイトルで50分の講演をさせていただきます。

身体から考える「学びに向かう力」
--ダマシオの”The Strange Order of Things:

Life, Feeling, and the Making of Cultures”からーー




研究会についての詳細は以下のとおりです。近くの駅からの無料送迎バスもあります。
ぜひお越しください!


大会ホームページ:https://kodomoeikyoken.org/

日時:2018年 11 月3日(土)祝日 10:00-17:10

場所:百合学院中学高等学校(兵庫県尼崎市)












2018年10月2日火曜日

上山晋平 (2018) 『はじめてでもすぐ実践できる! 中学・高校英語スピーキング指導』学陽書房



上山晋平先生は、常に誠実にな努力を続けておられる中高英語教師です。セミナーなどでお会いしても充実した資料を提供され、またいつも新たな知見を示されています。

そんな上山先生がこの度、新刊『 はじめてでもすぐ実践できる! 中学・高校 英語スピーキング指導』を出版されました。

目配りが行き届き、非常に具体的です。書いていることは単なるお題目提示ではありません。実践で苦労し、その経験をセミナーなどを通じて他人に伝え続けている人でなければ書けないような本ではないでしょうか。

「おわりに」の記述によりますと、上山先生はこの本を書くにあたり、毎年100-200ページ書く実践記録を読み返し分類した上で目次案を作成したそうです。そこからさらに必要な項目を考え、書き始めては編集し、全体としての整合性や統一性を調節したとのこと。読者を意識しながら、自分の実践について何度も振り返り、その中で知恵を凝縮し体系化したといえるでしょう。

そんな本書は、授業準備(第一章)、授業のコツ(第二章)、 活動(第三章)、宿題・試験・評価(第四章)という構成でスピーキングについてまとめています。

理論についても学習指導要領について手堅くおさえるだけでなく、CEFRや自己決定理論についてもまとめています。

自己決定理論についての関連記事
ダニエル・ピンク著、大前研一(訳) (2015) 『モチベーション3.0  持続する「やる気!」をいかに引き出すか』講談社+α文庫
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/04/2015-30.html

実践についてはもうふんだんに指導のコツが提示されています。

本のレイアウトもとてもわかりやすく、通読しやすいだけでなく、困った時などに何度も参照しやすくできています(ネットに無料の情報が氾濫するなか、書籍のレイアウトの重要性はますます高まっているように思えます)。

優秀な実践者が忙しい時間の中から、仲間である英語教師のためにこのような本をまとめる文化は日本が誇っていいものだと思います。また校務分掌や部活指導で忙しい中に、このように自らの研究を積極的に公刊する姿勢は、私としても頭が下がる思いです。少しでも見習わなければ。

「スピーキング指導について一冊」というならこの本をお薦めします。




2018年10月1日月曜日

英語教師のためのコンピュータ入門 (2018年度)





以下は柳瀬の授業(「英語教師のためのコンピュータ入門」)の受講者のためのページです。授業の資料は著作権などに抵触しない限り、できるだけここに掲載します。

以下の記事はとても長いものになりますので、受講者は適宜、ブラウザーの検索機能を使い(Ctrl + F)例えば“11/9” などと受講日などを英数字半角で入力して、求める箇所にたどり着くようにしてください。





英語教師のためのコンピュータ入門
水曜K208教室 3コマ4コマ連続授業 (12:50-14:20, 14:35-16:05)



はじめに

「コンピュータを学ぶ」から「コンピュータで学ぶ」へ

「英語を学ぶ」から「英語で学ぶ」へ

そして「コンピュータと英語で学ぶ」へ

では

何を学ぶ?

何のために?

誰のために?



Computer for Communication and Community


"The only person who is educated is the one who has learned how to learn and change."
Carl Rogers

We do not learn from experience... we learn from reflecting on experience.

Failure is instructive. The person who really thinks learns quite as much from his failures as from his successes.

The self is not something ready-made, but something in continuous formation through choice of action.

Education is not preparation for life; education is life itself.
John Dewey

Tomorrow's illiterate will not be the man who can't read;
he will be the man who has not learned how to learn
Herbert Gerjuoy
(in “Future Shock” by Alvin Toffler)

The new world of communication is blessing for the citizens of the world trained to think critically and knowledgeable about history. 
But what about citizens who have been seduced by the world of life as entertainment and commerce?
Antonio Damasio
(in "The strange order of things")

"You are not bored. You are just boring."
Anonymous


子曰、知之者、不如好之者。好之者、不如樂之者。
『論語』雍也第六 140



まずは共有しておきたい問題意識として・・・

「売り家と唐様で書く三代目」

■ 河合雅司 (2017) 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社現代新書)

■ トマス・フリードマン著、伏見威蕃訳 (2018) 『遅刻してくれてありがとう』 日本経済新聞出版社

■ Thomas Friedman Thank you for being late.  (Bb9上のスライドをダウンロード)

■ ある附属教員からのメッセージ (Bb9上のスライドをダウンロード)

■ Help teenagers embrace stresses (Bb9上のスライドをダウンロード)



この記事での凡例

このブログ記事で、記事・論文・書籍の名前の前に付けられた■、▲、★の記号はそれぞれ次のような意味を持っています。

 授業の前にきちんと読んで、そのまとめや感想などをWebCTシステム (Bb9) に書いておくべきもの(四角ですから「きちんと読め」と覚えて下さい)。

 授業の前に参考程度に読んでおくべきもの(三角ですから、四角ほど「四角四面に読む必要はない」と覚えて下さい)。

 S(秀)判定のための課題例。念のためにブログ記事だけは読んでおいてください。この記事で紹介された本を書評したらS評価の対象とします(星印ですから「輝くSを取るためのもの」)と覚えて下さい。



すべての講義についての私の原則

■ 私の講義の原則



この授業の主な目的

(1) 現代社会におけるコンピュータ文化の重要性を理解する

(2) ウェブ上の有益な英語情報を活用できるようになる。

(3) コンピュータについて自分で学べるようになるための基礎知識と検索技術を習得する。

(4) 記述統計に関する基礎的理解に基づいて表計算ソフトを使いこなせるようになる。



助言

(1) コンピュータを怖れないでください。コンピュータはあなたを助ける道具なのですから。コンピュータに対する苦手意識を払拭できたら、それだけでこの授業の狙いは達成されると言っても過言ではありません。

(2) まずは基礎的な原理と構造を理解してください。あとは操作の中から手があなたに知恵を与えてくれます。うまくいかないことやトラブルをむしろ学びの機会ととらえて、ゆっくりと手で学んで下さい。いろいろと失敗をできる時間があるのが学生の特権です。

(3) うまく動かない時にはどうぞ焦らないで。パニックになったりイライラしないで、試行錯誤したり検索したり人に尋ねたりしてください。お互いに上手に助け合う文化を熟成させましょう。

(4) すべてを理解しようとしないでもいいです。使っているうちに、少しずつわかったり発見したりしてゆくものですから。「とりあえず使える」状態になればあとは少しずつ雪だるま式に習熟できます。

(5) 授業外でのコンピュータ使用を前提としています。授業時間だけのコンピュータ使用では習熟できませんから、空き時間を使ってどんどんコンピュータを使って慣れてください。他の授業やサークル活動に関する作業もできるだけコンピュータを活用して行なってみてください。

(6) でもどうしても慣れないなら使いやすい参考書を本屋で見つけて買ってください。私も何度も経験しましたが、自分に合った参考書は多くの時間を節約してくれます。2000円以下で多くの時間が買えるのですから、これはいい投資です。

(7) 特に単純作業をやったりしているときは、自分の注意資源の数パーセントを常に「どうしたらこの作業をより効率 的に行えるだろうか」という問いに向けてください。コンピュータには便利な小技がたくさん隠されています。右クリックはしばしば行い、「ツール」「オプ ション」などはどんどん変更して、あなたのコンピュータを"personal"なものにしてください。(「とりあえず右クリック」、「ツール・オプションはとりあえず見てみる」)。

(8) 授業への要望などは積極的に知らせてください。お互いのコミュニケーションを密にすることでよい授業を創り上げてゆこうと思っています。



遅刻・欠席・参加に関する方針

・甘やかされた内弁慶でしかない「お子ちゃま」や、単位がほしいだけのために受講を希望している人はお断りします。お互いに真摯な学びの空間を育てるためです。しっかり学びたい人だけが受講して下さい。

関連記事 ▲「教養ゼミ」での学部一年生へのメッセージ


・遅刻は認めません。最初の点呼の時にいなかったら欠席扱いにします。欠席3回以上は単位認定をしないことを原則とします。やむを得ない理由があった場合は申し出てください。

・私語や居眠りなどは許しません。注意しても止めないようでしたら教室から出ていってもらいます。楽しい学習環境を保つために、最低限のケジメだけはつけます。

・なお教室に入ったら、毎回必ず違う席に座り、違う人の隣に座ってください(お互いに気軽に質問できるようにするため、一人だけ離れては座らないでください)。



授業で使う主なホームページ

・このブログ記事(授業計画など)

・広島大学Bb9(振り返りや課題の提出用)
広大ホームページの「もみじ」からアクセスして下さい。

■ Bb9の使い方

主に使うのは「教材」の機能です。課題提出はBb9で行ってください。柳瀬の個人メールアドレスへの提出は(Bb9の不調などの仕方のない場合を除いて)避けてください。
なお書き込みは、すべて授業直前の日曜日の23:59までにおこなってください



授業に必要なもの

・ラップトップ (Windows or Mac)

・学生証:K208教室への入室のために必須です。

・イアフォン:時折ラップトップから音声を聞く必要があります。


この授業での評価方法

(1)  C判定を得るためには

Bb9(後述)にその日の課題(通常、振り返り・予習課題の二つ。時に特別課題一つを加えて三つ)を期日までに出しておき、かつ実際の授業に参加しておく。

※これら二つ(あるいは三つ)の課題を、授業前日だけで行うことは困難です。「この授業は課題が厳しい」ということを覚悟して、授業が終わった日の夜から少しずつ毎日課題に取り組んでください。真面目な努力はあなたを裏切りません。

・振り返り:その日の講義で学んだことを、率直に、しかし他人にも伝わるように書いてください。文体の巧拙は知性の指標ですから、できるだけきちんとした文章を書くように努力してください。また、当然の前提として日頃から読書をしておくこと。

・予習課題:次週の授業内容の■印で示された記事を読んで、自分なりに理解できたこと・理解できなかったことを文章化してください。もし■印で示されたのが課題なら、その課題をやってみて、自分なりにできたこと・できなかったことを文章化してください。


(2) B判定を得るためには

以下の (2a) (2b) の二つの課題を毎週行い、Twitterに投稿する。

(2a) 知的な英語動画を視聴してからの投稿
TEDKhan Academyのような知的な英語動画を一本見て、ツイッターに、(2a-i)その中で印象的だった英語表現を引用、(2a-ii)その動画のURLを転載、(2a-iii)半角英字で "#kyoei" という「ハッシュタグ」をつける、の三つのことを行って毎週一回以上投稿する。上記の情報が長すぎて一つのツイートにおさまらない場合は1/22/2などの標記を行い連続投稿すること。

(2b) Graded Readersを読んでからの投稿
教英学生控室や中央図書館などにあるGraded Readers(学習者用に簡単な英語で書かれた本)を読んで、 ツイッターに、(2b-i)その中で印象的だった英語表現を引用、(2b-ii)その本の著者名・書名・出典ページ数・出版社名を転載、(2b-iii)半角英字で "#kyoei" という「ハッシュタグ」をつける、の三つのことを行って毎週一回以上投稿する。本は毎週少しずつ読めばよく、毎週一冊を完読する必要はない(ただし本気で英語を習得しようと思えばどんどん投稿してください)。

※ 追記
何らかの理由でツイッターの使用を望まない方は個別にご相談ください。

※ 参考
昨年までは、上記の課題を以下のブログに皆さんの手で投稿してもらっていましたが、セキュリティ上の理由でそのブログ投稿は中止し、ツイッター上での投稿制度に変更しました。それに伴い記述を簡略し、投稿の主な内容は印象的な英語表現だけに限りました。

▲ 広大教英生がお薦めする英語動画集
▲ 広大教英生がお薦めするGraded Readers


(3) A判定を得るためには

(2)に加えて、期末にきちんとしたポートフォリオを提出する(ただし、形式だけの無内容なポートフォリオは評価の対象とはしない)。


(4) S判定を得るためには

(3) に加えて、以下の課題をどれか一つこなしていること。

・書評作成
授業で紹介された本、もしくはそれに関連する本を読み、その書評を書いて、Bb9に提出する。
 自主性を開拓するために ―書評かプロジェクトに挑戦してみてください―

・読書会参加:「最強の読書会」に定期的に参加し、自主的な読書の習慣を身につけること。
https://hirodaikyoei.blogspot.com/2018/10/blog-post.html

※ 以上の原則に基いて、タームの最後には成績の自己申告をしていただきます。自己申告には、(1)-(4)の実績を具体的に数字などで示した上で自分が値するべき成績を申告してください。この自己申告に著しい虚偽があった場合は、単位認定を取り消し不合格にしますので、くれぐれもきちんと申告してください。



パソコン教室

パソコンの基本的な操作法にゆっくり習熟したい人は下記の講座などの良心的なものを受講してみてもいいかもしれません。

広島大学生協 パソコン総合サポート(略称PCSS)



オンラインでの無料講座

また、Microsoft Officeの使用法については、以下のようなサイトを参考にして自学自習しておいてください。(この授業では、皆さんの思考を深い所で変えて、行動を根源的に変えることを目的にしていますから、マニュアルを読めば誰でも自学自習できるようなアプリの表面的な操作方法に対してはあまり時間を割きません。た だし操作方法に迷ったら気軽に私か友人に尋ねてください)。

Microsoft: Officeのトレーニング

Microsoft At Home: Officeの便利な活用方法をご紹介

なお、以下の「動画マニュアル.com」は、MS Officeに限らず多くのアプリの使用法を動画で解説してくれているサイトです。ぜひ活用してください。

動画マニュアル.com

また書籍としては、Word, Excel, PowerPoint, Googleなどの入門書を若干教英学部生控え室に常備おいています。教英の学生さんは、適宜空いた時間などに以下の入門書を何度も眺めて、使い方に慣れ親しんでください。何度も言いますが、習うより慣れろ!です。





1回・第2回 (10/3 前半・後半)

授業方針の説明

上記の説明をした後、以下の記事を読んでもらいます。

■ 「勉強しよう」 --学部1年生の述懐--

■ 「本読め、新聞読め、英語読め」 --追いコンでの挨拶--

■ 自分が理解できないことに出会った時に

■ 考える・調べる・尋ねる

■ 学ばないことは愚かで悪いことなのか?


課題

(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。





3 10/10 前半)
コンピュータの発展とこれからの教育

■ 敎育に関するKen Robinsonの動画

■ テクノロジーによる敎育の再創造: Sal KhanTED動画

■ 動機づけに関するDan Pinkの動画

■ ダニエル・ピンク著、大前研一(訳) (2015) 『モチベーション3.0  持続する「やる気!」をいかに引き出すか』講談社+α文庫

■ 森田真生:数学の贈り物(2018/10/01)
https://www.mishimaga.com/books/sugaku-okurimono/000537.html

▲ Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo (植松努「思うは招く」)
https://youtu.be/gBumdOWWMhY




4 (10/10後半)
人工知能との共存


■ マーティン・フォード著、松本剛史訳 (2015) 『ロボットの脅威  人の仕事がなくなる日』 日本経済新聞出版社

■ 新井紀子 (2010) 『コンピュータが仕事を奪う』 日本経済新聞出版社

■ 松本健太郎 「AIが仕事を奪う」への疑問 いま、“本当に怖がるべきこと”は
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1804/13/news018.html

■ 伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017) 9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房

■ 落合陽一 『魔法の世紀』『これからの世界をつくる仲間たちへ』『超AI時代の生存戦略』

▲ ケヴィン・ケリー著、服部桂訳 (2016) 『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』 NHK出版

▲ 伊藤穰一 (2015) 『ネットで進化する人類 ビフォア/アフター・インターネット』角川文芸出版

▲ 伊藤穰一著、狩屋綾子訳 (2013) 『「ひらめき」を生む技術』角川EPUB選書

▲ 井上智洋 (2016) 『人工知能と経済の未来』 (文春新書)

▲ 西垣通 (2016) 『ビッグデータと人工知能』 中公新書

▲ 松尾豊 (2015) 『人工知能は人間を超えるか』、松尾豊・塩野誠 (2016) 『人工知能はなぜ未来を変えるのか』


課題

(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。





5 (10/17前半)
英語発音の自学自習


世界中の多くの人に楽に通じる発音技能をもっているととても便利です。ぜひ学生時代に英語の発音をマスターしてください。また、小綺麗な服装をしているととりあえず社会的に信用してもらえるのと同じように、英語の発音が誰にでもわかりやすい標準的なものであれば、とりあえずですが、英語教師としてそこそこ信用されますので、浮世の備えとしても発音技能は習得しておいてください。

発音技能の習得のために、発音記号 (phonetic symbol) を知っておくことは、必須ではないものの、知っておくと何かと便利です。そもそも皆さんは英語教師を目指しているのですから、ここできちんと発音記号もマスターしておきましょう。

発音記号については、標記が微妙に異なる場合がありますし、そもそも地域方言によっても発音(構音)の仕方は異なりますが、まずは大まかな共通事項を理解して体得しましょう。

英語の発音記号と英単語例:これらのページでまず発音記号と音(=その発音を有する単語の中の音)を結びつけて下さい。

 発音記号の読み方

 発音記号一覧表
http://hatuon.sakura.ne.jp/p_minikouza/itiran.php

■ 逆転英語ガイド:【一覧表付き】英語の母音の発音記号の違いと理由のまとめ【辞書や単語帳によって違う?
http://gyakuten-eigo.net/guide/variety-of-english-vowel-ipa/

 Phonetic symbols for English

次に、母音と子音の相互関係を図で理解します。やみくもに発音(記号)を覚えるのではなく、発音の体系性を理解して下さい。

まず母音 (vowel) です。

 Chart of English Vowels:英語の母音は、口内のどの位置で音が発生するか(前・中・後 (front, central, back) と高・中・低 (high, mid, low))、緊張した音 (tense) かしていない音 (lax) 、単母音 (monophthong) か二重母音 (diphthong) か、などで体系性をもっています。下の図で確認してください。

 上の図には二重母音/ai//a/が抜けていますので、下の図で補って下さい。

次に子音 (consonant)です。

 英語子音の発音法のわかりやすい表記:この説明で、難しい音声学用語が意味することをできるだけ体感的に理解してください。 ただし、George YuleThe Study of Language (Cambridge University Press)に従って作成したこの表でのrのは、下のConsonant Chartとは構音位置が異なっています。


子音の体系性を理解した上で、下のアプリを使ってそれぞれの発音を確認・理解し、体得を試みてください。このアプリはチャートやビデオと連動したすぐれものですから、皆さんのスマホなどにダウンロードしてもいいかもしれません。ただし有料です。
 Phonetics: The Sounds of American English



それでは甲南大学の伊庭緑先生による素晴らしいサイト(英語発音入門)で、英語発音をじっくり自学自習しましょう。

 英語発音入門



英語発音の体系性を理解した上で、以下のサイトなどを参照し、具体的なポイントに即して発音の自学自習を行ってください。

 【英語】 じつはカンタン!発音記号 がすべてわかる知恵ノート 【読み方】【覚え方】http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n172678

 英語発音がよくなる10のコツ

 田尻悟郎のWebsite Workshop

 発音が確認できる無料のオンライン辞書
http://allabout.co.jp/gm/gc/50506/

▲ Merriam-Websterでの発音表記:アメリカの辞書などではIPAではなく、アルファベットに補助記号をつける形で発音を示すものもあります。代表的なのがMerriam-Websterによるものです。
https://www.merriam-webster.com/help/pronunciation-key


▲ その他の "pronunciation respelling key"
https://en.wikipedia.org/wiki/Help:Pronunciation_respelling_key

 



S認定のためにも必要な自主課題のプロジェクトの例として、以下のようなものが考えられます。Sを取るためというより、自分のため(そしてプロジェクトの成果を見てくれる人のため)にこれらの★印課題を試みて下さい。

 上記のようなサイト・アプリなどを使って、自分がいかにして発音をマスターしていったか(あるいは誤った発音を矯正していったか)を克明に(しかしわかりやすく)記録してください。英語教師および英語教育の関係者は、そういった当事者の記録を非常に欲しがっています。その記録は学習指導で非常に役立つからです。

 フォニックス (Phonics) 入門:発音と綴字の関係を示したのがフォニックス (phonics)で、英米などでは非常に普及していますが、日本の英語教育ではまだ普及が遅れています。下のサイトなどでぜひ体系的に勉強して、自分が将来赴任した学校ですぐに配れるように教材化してみてください。

 フォニックスに興味をもった人は、ぜひ以下の記事を読んでください。
 山下桂世子先生による講演会 (「多感覚を用いたシンセティック・フォニックスと特別支援教育」)





ついでながら私見を述べておきます。英語発音に関しては時にマニアというべき人達がいて、「その発音では通じるかもしれないが、ネイティブの正確な発音ではない!」と息巻くことがあります。しかし私は、 (1) その「ネイティブ」というのは理想化された虚像であり、(2)現代ではノンネイティブはリンガ・フランカとしての英語を使用する戦略の方が効果的であり(内田樹先生の思考をゆさぶるエッセイ「リンガ・フランカのすすめ」をお読み下さい)、(3)限られた時間という貴重なリソースはマニアックな発音学習よりも、その他の(英語および英語以外の)学習に向けた方がその人の個性と才能を活かせる、と考えますので、英語発音は「世界のさまざまな人が聞いて、楽に理解してもらえる (comfortably intelligible) レベルを目指す方がいいと思います。

■ 内田樹:リンガ・フランカのすすめ

ただ、こういうことを言うと「いや、英語の発音というものは・・・」と目を吊り上げるマジメな方々がいらっしゃいます(こと発音に関してはどうしてこんなにこだわる人がいるのだろう。やっぱり「ネイティブの英語発音」が象徴的権力 (symbolic power) だからかなぁ)。 そんな方々に私も時々ギロンを吹っかけられますが、私はそのようなギロンには興味ありませんのでどうぞご勘弁を。 m(_ _)m






6 (10/17後半)
Web上の無料リソース


上記のブラウザー辞書は便利だが、時にもっと詳しく調べたくなることがある(というより英語教師なら、調べるべき)。そういった時のために、以下のようなサイトをブラウザーに登録しておこう。また、これらのサイトを使いこなせるようになるためにも、早く「英語で英語を理解できる」ようになろう!そうすれば加速度的に英語力は向上する。

 多くの辞書を「串刺し検索」できる感動的なOneLook Dictionary Search

 通常の辞書として常用し、すぐに類義語辞典 (Thesaurus)や引用集 (Quotes)が使えるDictionary com

辞書は英英辞書を原則とするとはいえ、時に英和・和英を使った方がいい場合もある。そんな時のために、以下のようなサイトもブラウザーに登録しておこう。

 Weblio辞書

 英辞郎 on the WEB


こと「英語を書く」ことにかけては、このPurdue University Online Writing Labだけは必ず使いこなしてほしい。ブラウザーに登録していても、日頃から使っていないと使いこなし方がわからないので、今後は英語を書く課題が出たら必ず、出なくても折にふれてこのサイトをよく使用・閲覧してほしい。

 Purdue University Online Writing Lab

■ 授業中課題
以下の (a) - (d) の課題のどれかを、上記のOWL: Purdue Online Writing Labをうまく活用して行ってください。

 (a) 理系の学部で勉強をしている友人に、英語のコロン(:)とセミコロン(;)の使い分けを教えてくれと言われた。その友人に使い分けをわかりやすく日本語で説明したい。これを機会に自分でわかりやすくまとめてみたい。

(b) 友人の学生がアメリカ人の先生にレポートを出したところ、「これは"plagiarism"だ!」と烈火のごとく怒られていた。先輩に「"plagiarism"ってなんですか?」と尋ねても、「『剽窃』や『盗作』と言われるけれど、適切な引用との境は結構微妙なんだよね」と、はっきりした説明が得られなかった。これを機会に自分でわかりやすくまとめてみたい。

(c) 卒論の中間発表をしていた先輩が、先生に「君は英語論文での参考文献の書き方もまともに知らないのか!」と怒られていた。思い切ってその先生に自分が研究で使った参考文献に関する情報はどのように書けばいいのですかと尋ねてみたが、「そのくらい自分で調べなさい!」と冷たくあしらわれた。これを機会に自分でわかりやすくまとめてみたい。

(d) 英語話者で運営されているある団体でアルバイトをしたいと思い、問い合わせたら、英語で履歴書を送ってくださいと言われた。英語ではどのように履歴書を書くのか、これを機会に自分でわかりやすくまとめてみたい。


 Purdue University Online Writing Labの使いこなし方を、他の大学生のためにうまくまとめてくれたら、それを私のブログからも紹介させてもらいますし、成績をSへグレードアップするための課題ともします。


著作権(文化庁:はじめて学ぶ著作権)の切れた文章はボランティアの地道な努力によってウェブ上に公開されている。これらもうまく活用しよう。

 Free ebooks - Project Gutenberg


このようなプロジェクトは、志と熱意を備えた人々によって支えられている。Project Gutenbergの創始者であるマイケル・ハートについても知ってほしい。えっ、まさかグーテンベルクについて知らないということはないですよね!
▲ マイケル・S・ハート
▲ グーテンベルク


英語の本の朗読を誰でもウェブ上で利用できるようにしているのがLibriVox
 LibriVox

 青空文庫

青空文庫の創始者の一人である富田倫生氏(広島大学付属中学校・高等学校出身!)の書いた『本の未来』も今は青空文庫で公開されている。読んで、コンピュータは単にこれまでの仕事を高速で行うためのマシンではなく、新しい文化を創り出し続けているマシンであることを理解してほしい。
▲ 本の未来


自発的に読書をすることの大切さと、その習慣を大学卒業までに身につけておかねばならないことを私はこれからも何度も言い続けるだろうが、まずどんな本を読めばいいかわからないという人は多い。下のサイトは「ちょっと堅め」の本を紹介しているサイトだが、やはり大学生のうちは少し背伸びして「難しい」という本にも挑戦してほしい。というより、Facebook, Twitter, 2ちゃんばかり読んで、まったく本を読まなくなったら、確実にバカになるとは言えないだろうか?(とはいえ、本を読みすぎてもバカになるのだがwww


 松岡正剛の千夜千冊

教養の授業などで気になる著者名が出たら、このサイトの上部にある検索窓でその著者の著作について調べて下さい。
教養は一朝一夕には身につきませんが、かといって何もしなければ1020年では大きな差になります。
教養は知的な見栄をはるためではなく、自他共により幸福に生きるために必要な素養です。ぜひ大学生のうちに自発的な読書の習慣をつけてください。


課題

(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。





7 (10/24前半)
オープンエディケーション


(1) オープンエデュケーションとは何か?

 梅田望夫・飯吉透(2010)『ウェブで学ぶ ―オープンエデュケーションと知の革命』ちくま新書

 字幕付きの無料動画で楽しく英語を学ぼう!

 斎藤孝x梅田望夫(2008)『私塾のすすめ--ここから創造が生まれる』ちくま新書

 受験対策より、何か熱中できることの方が大切

 内田樹(2008)『街場の教育論』ミシマ社

 情報リテラシーについて:内田樹

 クリス・アンダーソン著、高橋則明訳(2009)『フリー』NHK出版

 西垣通(2007)『ウェブ社会をどう生きるか』岩波新書

 メディア論と社会分化論から考える言語コミュニケーションの多元性と複合性

 佐藤学×秋田喜代美 「これからの学び」を考える (動画も見てください)




(2) 子ども向けのオープンエデュケーション

 TED EdMIT+12: 「開かれた文化」ということ

 TED Ed
"Lessons"の中からお気に入りのlessonを選び、その動画の下にある"YouTube"のアイコンをクリック ("Watch on YouTube.com) して、YouTube画面で視聴して下さい。
もし面白かったら動画の下にある"Share"のアイコンをクリックして"Embed"をクリックして、この動画を自分のブログに埋め込むためのHTMLコードをコピーして下さい。
こういったTED Edなどの動画も、動画紹介(http://kyoeivideoselection.blogspot.jp/)で選んで結構です。

 YouTube: MIT+K12 VIDEOS
"Playlists"の中からお気に入りのlessonを選び、視聴して下さい。これも面白かったら動画紹介ブログに埋め込んで、紹介記事を書いてくださっても結構です。

 Khan Academyで数学と英語を同時に学ぼう!

 Khan Academy
最初に、ログインをしないまま、画面上部左にある"Subjects"の中から好きな科目を選び、視聴して下さい。これもYouTube画面で視聴して、面白かったら動画紹介ブログに埋め込んで、紹介記事を書いてください。

ログインしたら、自分でコースを組み立てることができます。ただしログインのためにはGmailFacebookのアカウントが必要です。




(3) 一般人向けのオープンエデュケーション

 Brainpickings
ちょっとした短い時間に読める知的サイトです。

 Open Culture
一般人が知的刺激を比較的楽に得ようとした時に便利なサイトです。

Open Cultureには以下のようなまとめサイトもあり、重宝します。
Intelligent Video: The Top Cultural and Educational Video Sites

Intelligent YouTube Channels

 YouTube/Education
ここにも比較的容易な知的動画があります。これらも動画紹介に使ってください。

 柳瀬のTwitterListの一つである “Essentials” “Edge”
これらのリストは、知的情報を得るためのサイトとして優れたものを私なりに選んだものです。これらのリストのtweetsを見て、面白そうな記事を読んで下さい。もしご希望なら、これらのをsubscribeしてください。また、知的アンテナとしての自分なりのリストをぜひ作ってみてください。



(4) 大学講義のWeb配信

 MOOC(大規模公開オンライン講義)による英語文化圏の巨大な力に、他の言語文化圏は対抗できるのか?

 Academic Earth

 Free Online Courses from Top Universities

 iTunes U
アプリiTunesをあなたのコンピュータにインストールしてください(アップル社のコンピュータではない、Windowsマシンにでもインストールできます)。インストール後にiTunesを立ち上げて、iTunes Uを選んで下さい。たくさんの大学講義(動画もしくは音声)が無料聴講できますし、あなたのコンピュータやタブレットやスマホにダウンロードすることもできます。


参考: 反転授業
従来は、教室では教師の説明を聞いて知識を得て、家庭ではその知識を使う(=宿題をする)というように考えられてきたが、それを「反転」 (flip) させ、家庭をICTを通じて知識を獲得する場所、教室を知識を使う(=討論したり考えたりする) 場所と考える「反転授業」 (flipped classroom) という教育形態が近年注目を浴びています。これからの潮流となると考えられますから、以下のサイトを読んだりして、皆さんなりに学んでおいてください。


 東京大学大学院情報学環・反転学習社会連携講座

 反転授業 ICTによる教育改革の進展」 重田勝介 (北海道大学)




(5) これからの日本語と英語のあり方

今、日本では小学校から大学まで英語を使うことは無条件で良いこととみなされているようにすら思える。「グローバル化」と「英語を使うこと」を同じこととするような思考停止も見られます。

こういった状況の中、教英生はまず自分がきちんとした英語力をつける一方、英語力をめぐる議論についてもきちんと理解しておく必要があります。以下の記事や本などをきっかけにしてしっかりと考え始めてください。

くれぐれも、自分の英語力と、それを他人の英語力と比較してひがんだりさげずんだりすることしか興味がないような「英語バカ」にはならないでください。

 水村美苗(2008)『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』筑摩書房

 7/14講演会「英語教育、迫り来る破綻」に参加して

 大阪府教育長・中原徹氏の英語教育改革論を、英語教育界は無視できないし、無視するべきでもない

 寺島隆吉(2007)『英語教育原論』明石書店

 寺島隆吉(2009)『英語教育が亡びるとき』明石書店



授業中課題
TED Ed (http://ed.ted.com/)
YouTube: MIT+K12 VIDEOS (https://www.youtube.com/user/MITK12Videos/featured)の中から自分のお気に入りの動画を見つけてください(次回の動画投稿は可能な限りこれらの中から選んで作成してください)。





8 (10/24後半)
PC “personal”にする


■ 右クリックとショートカットキー

▲ Windowsのキーボードショートカット

▲ Macのキーボードショートカット


■ 「Google日本語入力」を自分のPCにインストールする

私見では、マイクロソフトの日本語変換 (Microsoft IME) は非常に使いにくく、仕事をしていてイライラしてしまいます。一番よい日本語変換はATOKで、私も一時期は有料でこれを使っていましたが、現在は無料で使える「Google日本語入力」を使っています。

Google日本語入力」でしたら例えば「きょう」と入力して変換キーを押せば「2016/10/06」や「2016106日」や「平成28106日」などに変換できます。「いま」で変換すれば「10:08」や「1008分」や「午前108分」などに変換できます。便利ですので、ぜひ使ってください。



■ 「Google日本語入力」に自分なりの単語登録をする。
画面のどこかに浮遊しているように表示される小さな長方形に、常にGoogle日本語入力のアイコン(青い丸)が出ているようにし(つまりはGoogle日本語入力を常用にし)、レンチのアイコンをクリックして「単語登録」を選ぶ。

この機能を使って、自分が個人的によく使う単語などを登録する。例えば私は「y」で「柳瀬陽介」を、「おs」("os")で「お世話になります。柳瀬です。」を登録しているので、キーボードに"y""os"と入力して変換キー(スペースバー)を押すだけで、上記の単語や文を入力できる。登録できるのは単語だけでなく、上記のような文や、自分の住所などのある程度ながい文字列も含まれる。


■ 自分のパソコンに最初からインストールされている以外のブラウザーをインストールする。

ブラウザー(インターネットを利用するためのアプリ)は、複数使えるようにしておくと何かと便利です。利用目的に応じて使い分けたりするとパスワード管理なども便利ですし、あるブラウザーが何かの理由で不調になった時も、別のブラウザーを使ってなんとか仕事をすることができます。以下、とりあえず大学のPCChromeFirefoxをダウンロードしてみてください(大学のPCは、利用者が何かのプログラムをインストールしても、電源を切ればそのPCの初期設定に戻りインストールが無効になるようになっています)。


■ 英語版のChromeFirefoxを自分のPCにインストールする

私はコンピュータ文化と英語に慣れるためには、できるだけ英語モードでコンピュータを使い、英英辞書を使って英語を読むことを強くお勧めしています。

とくにアプリの開発などは日進月歩なので日頃から英語アプリを使う習慣をつけておいてください。

「日本語でないとコンピュータが使えない」状況でしたら、非常に不便です。どうせコンピュータ用語はカタカナ語が多いのですから、とりあえずブラウザーの設定(および今後インストールするアプリやソフトウェアの設定)を英語にしておくことをお勧めします。

自分のPCChromeFirefoxをインストールする場合は、ぜひ英語版をインストールしてください。


■ ブラウザーに便利なオンライン辞書をインストールする(extension or add-on)

  Chromeの場合
画面右上の三本線アイコン→ToolsExtensionsGet more extensins
(もしくは、検索語を"Chrome Web Store"として検索)
左上の検索窓に"Dictionary"と入力
よく説明を読んで、AppsExtensionsの中から自分で一番使いやすそうなオンライン辞書を選んで下さい。
また、検索語を"Chrome ウェブストア"とすると、日本語でのAppsExtensions(この場合は英和辞書)を選ぶことができます。


  Firefoxの場合
画面右上の三本線アイコン→"Add-ons""Get Add-ons"
右上の検索窓に"Dictionary"と入力
よく説明を読んで、AppsExtensionsの中から自分で一番使いやすそうなオンライン辞書を選んで下さい。また、検索語を"firefox アドオン"とすると英和辞書を選ぶことができます。


 "アドオン 辞書"で検索する。
この項目に限らず、教師が指示する課題だけをやるだけの受け身の態度にならないでください。授業で指示される課題は、あなたの終着点でなく、あなたの成長にとってきっかけに過ぎません。
何度も繰り返して恐縮ですが、単位を取るためだけのお勉強は、長期的にはあなたの人生の無駄であり、あなたの人生を歪めかねません。社会で不適応をおこしてしまう「マジメな良い子」「受験秀才」に決してならないでください(そして教師になったらそんな子どもを決して育てないでください)。



課題

(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。

※ 次週の10/31(水)は金曜日授業の振替日となっていますから、この授業は行いません。




9 (11/07前半)
コンピュータと人間知性の共進化



(1) 情報を得るためのGoogle検索

漠然としたことばを検索エンジンに入力しても、漠然とした結果が出てくるだけだ。検索のコツは、的確な用語(可能な限り英語)や正確な数値データなどを入れて、精選した結果を得ることだ。そのためには教養が必要。

 遠田和子(2009)Google英文ライティング』講談社インターナショナル

 検索技術以前・以上の教養


とはいえ、教養は一朝一夕には身につかない。とりあえず、以下のテクニックを確実にマスターしておこう。

 意外と知らない、欲しい情報がすぐに見つかる検索のコツ

 Google検索サービス:上手に検索

 Google検索サービス:もっと賢く

 Google Scholar ヘルプ


"Heaven helps those who help themselves."ということわざを少し変えるなら、"Internet helps those who help themselves."となる。検索技術を高めてインターネット・コンピュータに習熟しよう。ちなみに後者を、あられもない俗語に翻訳すればこうなる(笑)。



コンピュータ
いちいち聞くな
ググれカス




(2) 情報と知識を構造化する


 コンピュータと人間知性の共進化について

この記事を読んで、(1)「仕事が速い人の9の特徴」で自己分析をして、(2)ツリー・マトリックス・リゾーム・タグ・マインドマップについて自分で説明できるようになっておこう。

 思考ツールとしてのプレゼンテーションソフト


授業中課題

パワーポイントを使って、「自分が大学時代にやりたいこと」をツリー・マトリックス・リゾーム・タグ・マインドマップなどの要領で作ってみよう(パソコンに自信がない人は、予習の段階でこの課題に着手してみてください。その際、上記記事の中で紹介されている「動画マニュアル」を活用してください)。

 動画マニュアル
ブックマークしておいて適宜参照してください。

 伝わるデザイン  研究発表のユニバーサルデザイン

このサイトを全部読むとなると少し長いし、専門的な箇所もあるので、ちょっと辛いかもしれない。だが、下の四つのページだけはきちんと読んで原理・原則を理解してほしい。

 伝わるデザイン:書体の選び方

 伝わるデザイン: 色彩と配色

 伝わるデザイン: 文字と文章

 伝わるデザイン: 図形と挿絵

▲ 授業中に投影するスライド








10 (11/07後半)
コンピュータ上で思考をするために

(1) 思考の構造化

 コンピュータ上で「思考」をするために

 まとまった文書の作成法

 知的作業のABC

 事務文書の書き方の比較




授業中課題

「自分が特にやりたいこと」の命題表現
前回作成した「自分が大学時代にやりたいこと」のパワーポイントファイルの一つの側面だけを取り出し、さらに詳しく課題分析をしなさい。その際は、上記の「まとまった文書の作成法」の「キーワード」と「2構造的関係の二次元的表現」を自分なりに行った上で、「構造的関係の時間的表現」にまとめること。「文書作成」までやる必要はありません。




(2) 今後のために

多くの先輩方が、部活指導と書類仕事で時間をとられて、睡眠と授業準備の時間がとれないと苦しんでいます。

皆さんの先輩が書いた以下の記事も読んでおいてください。

 「その場凌ぎで最後まで逃げようとする人はアホです」

 初任者教師として働き始めた卒業生3人の声

 ある中学校で働き始めた新卒ゼミ生からのメール

 ある私立学校で働き始めた卒業生からのメール

 「目標に向かって一直線に進むことのリスク」  ある学部4年生の述懐

▲ 部活問題対策プロジェクト
教師にとってはとても重要な問題です。皆さんも一人ひとりよく考えてください。


今後の授業ではエクセルを使い始めます。エクセルについては苦手意識をもっている人が多いので、そういった人は適切な入門書を購入するなりして、自学自習を始めておいてください。

例えば「Officeのトレーニング」 の中から、「Excel2010入門:ワークシートを初めて作成する」などの基本的なページを探して、十分に時間をかけて、エクセルに慣れておいてください。残念ですが、授業中には十分な時間を取ることができませんので、どうぞ自宅でゆっくりと時間をかけて少しずつエクセルに慣れていってください。

■ Microsoft: Officeのトレーニング

■ Microsoft At Home: Officeの便利な活用方法をご紹介

なお、以下の「動画マニュアル.com」は、MS Officeに限らず多くのアプリの使用法を動画で解説してくれているサイトです。ぜひ活用してください。

■ 動画マニュアル.com




課題

(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。
(5) 特別課題:授業中課題の「自分が大学時代にやりたいこと」のパワーポイントファイル、およびその命題表現であるワードファイルを完成させてBb9に添付で提出しなさい。





11 (11/14前半)
表計算ソフトでタスク管理表を作成


エクセルについてはほぼゼロから学び直したい人は以下のサイトなどを活用してエクセルの基礎を学んでおいてください。
(ただし本当に苦手な人は、2000円程度のわかりやすい参考書を買った方が、人生のための賢い投資になるかもしれません)。

 Office のトレーニング

 Excel 2010 入門ワークシートを初めて作成する

■ エクセルの使い方 基本操作


エクセルなどのソフトは、落ち着いて時間をかければ誰でも習得できます。もし習得できないと思っても、それはあなたの知性のせいではなく、あなたが焦ってしまったから(そしてマイクロソフト社のデザインがよくないからw)に過ぎないことをどうぞ思い出してください。


エクセルはある程度知っているよという人も以下のサイトなどはチェックしておいてください。「こんなこともできるんだ」という知識が未来の何十時間の無駄を省いてくれることもあります。

  Excel操作を効率化する便利な小技14

■ エクセル技BEST



以下は、「なんだ!カンタン!Excel塾」(http://kokodane.com/)様がまとめられているエクセルの解説記事を、柳瀬が推定する学生さんの習熟レベルに即して選定し並べ直したものです(「なんだ!カンタン!Excel塾」様には深く感謝します)。

以下の記事をチェックし、「使える」と思った手順はしっかりと練習し、「面白そう」と思った手順は記憶にとどめておいてください。

なお、以下の記事では、古いExcelのバージョンの画像が使われており違和感を覚えるかもしれませんが、Excelのコマンド構造は基本的に同じですから、画像でなくエクセルのコマンド構造に即して自分なりに試して下さい。(今回に限らず、あまりに親切に作られたマニュアルばかり見て使用法を覚えようとすると、自分で考えることを止めてしまい、少しでもソフトに変更があったら手も足も出なくなります。マニュアルに従う場合も、その手順の意味や構造などを考え、理解しながら操作して下さい)。


入力関係

A1 セルの選択

A2 セル幅より長い文字列を折り返して全部表示

A3 横移動は「Tab」キー「Enter」キーで横移動する方法

A4 数字を入力したら「####

A5 分数を入力するには

A6 オートコンプリート 

A7 セルの書式 表示形式

A8 セルの書式 配置

A9 書式の演習

A10 連続番号を入れる技

A11 ながーい連番入力もワザで簡単!

A12 スケジュール表を簡単に作成する技

A13 ひとつのファイルの複数のシートを並べて表示


データ整理関連

B1 ドロップダウンリストの作り方

B2 Excelをデータベースとして活用する

B3 オートフィルタ機能をマスター

B4 データベースをカンタン入力する

B5 Excelでデータを入力する範囲を指定するには


表示関連

C1 小数点以下1桁まで%表示

C2 点数によって色分け

C3 ウインドゥの固定

C4 「シート」と「ブック」の名前を変える

C5 シート見出しを見やすくカラフルに

C6 罫線の太さ、種類、色を設定する

C7 一行おきに色を変えて見やすくする方法

C8 パパッと表を見栄え良く

C9 Excel ふりがなを表示するには



編集関連

D1 内訳やメモはコメントで

D2 2つのセルのデータをくっつける

D3 データ範囲に名前をつけてすばやく選択

D4 いちどに複数の行を挿入するには

D5 すばやく選択範囲を拡張する

D6 罫線を除いてコピーするワザ

D7 行と列を入れ替える

D8 列の幅を変えずに表をコピーする

D9 大事なファイルにパスワードをかけたい


印刷関連

E1 ヘッダーやフッターをつけて印刷

E2 2ページ目以降にも項目名を表示して印刷

E3 Wordに転送して宛名ラベル印刷




授業中課題

以上のサイトで学んで自分でもぜひ覚えておきたいと思う機能を自分なりにまとめてファイルにしてください。自分が後々参照できる便利なファイルにしてください。







12 (11/14後半)
実習:タスク管理表を完成


皆さんにも行ってもらう課題を提示します。

 エクセルで行うタスク管理


 2014年度の印象的なタスク管理


授業中課題

以前作成した「大学時代にやりたいこと」をもとに、自分用のタスク管理表を作成してください。後々自分で使えるタスク管理表にしてください。



課題

(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。
(5) 特別課題:タスク管理表を完成させてBb9に提出してください。






13 (11/21前半)
基礎統計と表計算ソフト操作(その1
平均値から標準偏差まで



 分析ツールを読み込む(アドインする)

各種統計分析はエクセルの「分析ツール」を使えば非常に簡単に実行できます。しかし「分析ツール」は、最初はエクセルに入っていないので「アドイン」する必要があります。皆さん個人のパソコン (Windows) に「分析ツール」が入っていない場合は以下の要領でアドインしておいてください。

Excel 2010でしたら、「分析ツール」をアドインするためには、次の操作を行って下さい。「ファイル」のタブから「オプション」を選択→「アドイン」を選択→「アクティブでないアプリケーション アドイン」から「分析ツール」を選択→「設定」アイコンをクリック→エクセル画面に出てきたダイアログボックスから「分析ツール」にチェック印を入れてOKをクリック。

以上で完了です。エクセル画面の「データ」タブを選択すると右上に「データ分析」が出ているはずです。そこをクリックすればデータ分析のアドインが使えます。

このアドイン方法については、マイクロソフトがいつものように親切な(笑)マニュアルを整備してくれています。

自分のPCのエクセルでも分析ツールを使えるようにしておいてください。

なお、MacについてはOffice2016 for Macから分析ツールをアドインできるようになったそうです。Macを使用している場合は、自分で検索してアドインしてみてください。


 計算結果に出るEという記号

しばしばエクセルでは計算結果の中にEが出ますが、これは演算の都合で自動的に指数表示になってしまったものです。この表示では何のことかよくわからないので、この場合は、そのセルを、「書式→セル→表示形式→数値」のように選択し、「小数点以下の桁数」を適当に定義することによって、常識的な数値表示にすることができます。


 成績処理データファイル

このデータファイル http://www.box.net/shared/7hoqxfka7t)は、あなたが英語教師として担当した11組と12組の、校内実力テストの点数(100点満点の素点)です。1年は10組までありますが、あなたは担当していないクラスのデータはもっていません。第一回目のテストは5月に、第二回目のテストは10月に行われました。問題作成者は第一回目と第二回目で異なっています(当然問題も異なっています)。今後のいろいろな課題は、このデータをもとに行います。


また、以下の解説ファイルもダウンロードしてください。



解説ファイル

 解説ファイル その1

 解説ファイル その1への解説補助資料


 統計を「理解」するための推薦図書(教英図書室で貸出をおこなっています)
吉田寿夫 (1998)『本当にわかりやすいすごく大切なことが書いて あるごく初歩の統計の本』北大路書房
大村平『確率のはなし』、『統計のはなし』、『実験計 画と分散分析のはなし』、『多変量解析のはなし』日科技連出版社


授業中課題

(1) 平均値と中央値の違い、および使い分けを他人に説明できるようになろう。
(2) 成績データの平均値をエクセルで出そう。
(3) データのばらつき具合を直感的に示すことができるヒストグラムをエクセルで出そう。
(4) データのばらつき具合を数学的に表現できる分散 (variation) について、その算出法を他人に説明できるようになろう。
(5) 標準偏差についても他人に説明できるようになろう。
(6) 成績データを使ってそれぞれの標準偏差を出そう。





14 (11/21後半)
基礎統計と表計算ソフト操作(その1
平均値から標準偏差まで
(前半の続き)


授業中課題
(1) 分散と標準偏差について隣の人にきちんと説明してみよう。
(2) 身長と体重という異なる指標について、統一的に数値を出せるz得点について理解し、他人に説明ができるようになろう。(特に補助ファイルを参照)
(3) みなさんおなじみの「偏差値」を数学的に説明できるようになろう。
(4) 偏差値についての「考えてみよう」課題について他人に説明できるようになろう。
(5) 成績データを使って、それぞれのテストでの個々人の偏差値を出そう。



課題
(1) 振り返り(C判定のために必須): Bb9の「振り返り」欄に、本日学んだことを文章化してください。
(2) 予習課題(C判定のために必須): 来週の授業の■印のサイトを自分で読み、自分なりにわかったこと・わからなかったことをまとめてBb9の「予習課題」欄に書き込んでください。
(3) 動画課題:(B判定のために必須): 知的な英語動画に関するツイートを最低一つしてください。
(4) GR課題:(B判定のために必須): Graded Readersに関するツイートを最低一つしてください。
(5) 特別課題:それぞれの生徒の偏差値をきれいにまとめたエクセルファイルをBb9に提出してください。






15 (11/28前半)
エクセルファイルを印刷する


授業中課題

あなたはクラス担当教員として、これらテストの結果を英語科主任と各々の生徒に対して報告する義務があります。エクセルを使って必要な分析を行い、報告書を作成しなさい。なお報告書は英語科主任に対して提出するものとし、そこには、(a) 1組と2組の違いに関するクラス全体の分析と、(b) それぞれの生徒個人に対しての報告の基になる分析の最低二種類の分析が含まれているものとします。

なお提出に関しては、今回は電子ファイルだけでなく、A4に(カラー)印刷したものも提出してください。印刷してきちんと表示されるファイルを作ることが課題の一つの要素です。

A4 で印刷したらまともに読めないようなファイルは採点の対象としません。電子的にはうまくできていても、印刷するとフォーマットが乱れることはよくあることです。職場では印刷してファイルを提示することが多いのでこの要求を出します。結構時間がかかりますので、きちんと計画的に課題を完成させてください。(なお、従来は、ワードファイルにエクセルの図表を貼り付けたファイルの提出を認めていましたが、現在はすべてエクセルファイルで提出することとしますので注意して下さい)。


さらに、この課題では「相手にとって親切な文書」を作成することを大切にしてください。以下の問いについて自分なりに答えてみてから文書を作成してください。(言い換えるなら、甘やかされた中高生が作成するような課題文書を作成しないでくださいということです)。

・自分がやったことを書き連ねた文書と、忙しい他人に見せる文書の違いは何か。言い換えるなら、単位を取ることしか考えていない生徒の提出文書と、有能な社会人が提出する文書の違いは何か。
・表紙はつけるべきか。それは何故か。
・文書の冒頭には何を書くべきか。それは何故か。
・ホッチキスは紙の左上に打つべきか、それとも右上か。それは何故か。
・「そんなこと教えてもらっていないから、知りませんでした・できません」といった弁明は、自分を成長させると思うか。また、社会に歓迎されると思うか。理由を考えながら自答せよ。

 関連記事:考える・調べる・尋ねる (再掲)





16 (11/28後半)
ポートフォリオを作成する


授業中課題

ポートフォリオ作成
この授業で自分が学んだことを、自分が時折振り返って参照したくなり、かつ、他人が見てもさまざまなことが学べるような形でまとめてください。なによりも、自分が作ってよかったと思えるものを作ってください(さもないと、作業が完全な時間(ということは人生)の無駄になります。
ファイルはワードでもパワーポイントでもエクセルでも構いませんが、PDF化はしないでください(PDFでの提出はBb9の作動がおかしくなりがちなのでお断りします)。


課題 すべて提出期限は12/7(金)の15まで
(1) 印刷可能な状態になったエクセルファイルをBb9に提出すると共に、印刷したファイルを英語教育図書室(大石さんがいる部屋)に提出してください。
(2) ポートフォリオを完成してBb9に提出してください。その際には単位認定の根拠を具体的に示した上で、自分が望む判定を書き込んでください。
(3) 任意課題:S判定を得るために何か特別なことをやった人は、その成果がきちんとわかるような形式でBb9に提出してください。