2018年3月1日木曜日

伊藤穰一著、狩屋綾子訳 (2013) 『「ひらめき」を生む技術』角川EPUB選書


 
この本は、現在、MITメディア・ラボの所長である伊藤穰一氏が、「ひらめき」(別のことばで言えば「セレンディピティ」)に優れた人々と行った対話をまとめたものです。

セレンディピティに優れた人は、ラッキーな人とも言えます。彼・彼女は「どこに行っても何かは見つかる」し、「探しているものは見つからなくても他のものがある」と思える人だからです。

もちろん彼・彼女は、探しているものを見つけるための努力は行います。でもその努力の中で視野狭窄にならずに、いつも広い視野をもって、別の可能性に対しても開かれた心をもっています。

この「集中しながらも因われない」とでもいえる、一見相矛盾するような姿勢を両立させていることは、変化の激しい現代にプロジェクトを行う時の心がけに通じます。

プロジェクトを遂行する際は、このようにして粘り強さと柔軟性、継続と方向転換の間で判断を下すことがすごく大切になってきます。計画性は必要だけど、常に方向転換の余地を残し、セレンディピティを受け入れる体制になければなりません。(Kindle の位置No.1252-1254)

そのようにプロジェクトを遂行し、さまざまな成果をあげている人を伊藤氏は対談相手に選んでいますが、彼らは単に業績をあげているだけの仕事人間ではありません。彼らは、人間的に豊かで、非常に知的でありながら、謙虚です。ある人は発表をする度に「いいところを一つ、よくないから直した方がいいと思うところを三つ教えてくれ」 (Kindle の位置No.1711-1713)といいます。彼らを伊藤氏は、年下だろうと年上だろうと、外国人だろうと、相手の言ったことに対して、みんな三倍くらい質問をぶつけるような人たちと評しています。(Kindle の位置No.1727)

彼らは、多様な価値観にオープンであり、社会を変えたい、社会に貢献したいという熱い思いをもっています。だからこそどんな人からも意見を聞けるのだし、どんな人とも共に仕事ができるのでしょう。

そんな彼らに共通しているもう一つの特徴は「現場主義」です。現場から離れた会議室であれこれと理屈をこねながら計画を立てるよりか、現場に行って、その場の人々と話し共に考え、その場で手に入るものを活用しながらなんとかモノやシステムを創り上げてゆきます。もちろん最初からすべてうまくいくわけはありませんから、不具合が見つかっては改善を行ったり、それこそセレンディピティで状況を打開してゆきます。

とにかく最初に身体を動かして、モノやシステムを作りながら、あるいは作った後で考え、さらにさまざまな人と対話をしてモノやシステムを進化させるのが伊藤氏の現場主義とまとめられるかもしれません。「理屈はいらない。とにかく周りがやっているようにやれ」といった反知性的な現場主義では決してありません。

伊藤氏は日本の教育についても警鐘を鳴らします。

本当は、現場の経験と理屈の両方のバランスで、学びを習得するのが理想的ですが、現場を踏ませない頭でっかちな学びが圧倒的に多いのが現状です。まだ現場主義が残っているところも中にはありますが、国の官僚や学校教育全般を含め、現場離れが深刻です。会社も、もちろん職種にもよりますが、昔ほど現場で経験を積ませることを重要視しなくなったところがほとんどです。今こそ、本を読んで勉強して学ぶより、仲間同士生きた経験を現場で重ね、実際にやってみて──ものであれば実際に作ってみて──学んでいくことの大切さを見直すべきです。それこそが、イノベーションにつながると僕は思います。 (Kindle の位置No.1752-1756).

ともあれ、この本に出てくる四人の対談相手と、対談主である伊藤穰一氏は非常に魅力的です。世の中が激変し、結局は、強欲に力を蓄える者だけが繁栄する社会になってしまいかねないようにも思える現在、こういった人々をロールモデルとして彼らの言動から学ぶことは重要なことだと思えます。

下にTEDへのリンクも貼りましたが、私もおいおい彼らの動画を見てゆきたいと思います。



J.J. Abrams

Tim Brown

Reid Hoffman

Baratunde Thurston

Joi Ito





関連記事

伊藤穰一 (2015) 『ネットで進化する人類 ビフォア/アフター・インターネット』角川文芸出版
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/02/2015.html

伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017) 『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2018/01/2017-9.html



追記(2018/03/02)

上記のまとめを終えた上で、やはり伊藤氏が第二章の図2で「創造性のコンパスモデル」として紹介している考え方が現実問題に対応するためには重要ではないかと思い、ここにその図を掲載することとしました。



この図は伊藤氏によると、Rich Goldが The Plenitude の中で示したものだそうですが、伊藤氏の信念は、これら四つの領域の専門家を一つのプロジェクトの中に入れてしまうことが創造性のために重要だというものです。

この場合理解しておくべきなのは、科学者と技術者の間、およびアーチストとデザイナーの間の相互理解が意外に難しいということです。それぞれの前者(科学者とアーチスト)がいわば無制限の本質追求を志向するのに対して、それぞれの後者(技術者とデザイナー)は実際上の制限の中での実現を大切にしており、両者の考え方が根本に違うからです。

しかしだからこそ、両者が共にプロジェクトに関わることで、それぞれが日頃抑圧している発想が喚起され、思いもかけないものが生まれてきます。プロジェクトにはこれら四種類の人間を入れること、あるいは個々人がこれら四種類の発想をもてることがこれからますます大切になってくるのではないでしょうか。

私としても、現実世界の問題に巻き込まれた時には、「科学者ならどう考えるか」、「アーチストならどう考えるか」、「技術者ならどう考えるか」、「デザイナーならどう考えるか」という四つの問いを立てる習慣を身につけたいと思います。



追追記(2018/03/02)

上の表に私なりの解釈を少しだけ加えたのが下の表です。

ここでは四つの領域は次のように簡単に定義できます。


科学:真理の探求
アート:意味の探求
工学:真理の実装
デザイン:意味の実装


工学の「真理の実装」は少しわかりにくい表現となりましたが、「自然科学で真とされている法則が実現される具体物を作成すること」ぐらいに読み替えていただけたら理解可能かとも思います。デザインの「意味の実装」も「私たちが感じている意味を具体物に実現させること」ぐらいでご理解ください。

あるいは「実装」を「問題解決」 (problem-solving) 、「探求」を「問題創造」 (problem creation) と言い換えてもいいかもしれません。工学は「真なる自然科学法則を実現できる具体物をどうやって作るかという問題を解決すること」で、デザインは「私たちが感じている意味を実現できる具体物をどうやって作るかという問題を解決すること」となります。科学は「真理に関して追求すべき問題をさらに見い出すこと」で、アートは「意味に関して追求すべき問題をさらに見い出すこと」となります。科学もアートもやればやるほど終わらなくなる営みですから、この点でこれらは工学とデザインと逆方向を目指していると言えます。

「真理」と「意味」を対比的に理解し、「探求」と「実装」を反対方向への動きと考えた上で、四種類の発想をバランス良く取り入れることが私たち人間が住む世界での現実問題に対応する際は重要だと考えます。





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