2010年8月31日火曜日

ナラティブ実践者の感想

先日の全国英語教育学会で私は教師の実践ナラティブについての理論的な考察を発表しましたが、この学会では、私の他にも何人かの方がナラティブ関係の発表をしておりました。特にポスター発表で多かったので、私はその発表者およびその聴衆で教師ナラティブを経験した方々に、私の発表で芽生えてきた問題意識に基づく質問を重ねました。そうしますとやはり予想通りというか、予想以上に面白い応答が聞けて非常に興味深かったです。


典型的な応答をいくつか書いておきますと、

・書くということは、自分と向き合うこと。最初の内はリフレクションを書けないのは、時間がないからだと思っていたが、実は自分を見つめて、ありのままの自分を認めようとすることが怖かったから。

・「自分はできない」で逃げてごまかしていた。

・理論が助けてくれると思い、大学院に行ったが、自分が気づかないと自らの実践は変わらないことがわかった。


・実際に書いてみたら、驚くほどに書けなかった。授業中に様々なことが起こっているはずなのに具体的なことが書けない。生徒を見ている「つもり」だったことに気づいた。

・気づくということは生徒が見えるようになるということ。

・ジャーナルを英語で書く事で二重の意味で対象化ができる。つまり実践を振り返って日本語で表現することで、自らの実践を言語の形で対象化(第一次対象化)ができるが、日本語で書くとついつい感情的な表現(例「がっかりした」)などに引きずられてしまう。その点、英語で書くと、まずは頭の中で日本語を浮かべたとしてもそれを英語にしようとする時、その日本語表現で自分は何を感じているのか・何を言いたいのかを再検討しさらに自分の実践を対象化できる(第二次対象化)。こうすることで「生の自分」とうまく距離を取り、より十分に自分を観察できるように思う。また英語でジャーナルを書き続けることで、英語教師としての自覚と自信にもつながるように思う。



自分の研究の一つのアプローチとして、実践者の話を丁寧に聞くということを充実させてゆきたいと思います。









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2010年8月30日月曜日

達セミ15周年おめでとうございます

8月28日に達セミ(英語教育達人セミナー)の15周年パーティが開催されました。私は衛生管理者講習会に出なければならなかったのでパーティは欠席しましたが、お祝いの言葉だけは送らせていただきました。

ここにそのメッセージを掲げ、改めてお祝い申し上げます。


達セミと日本の英語教育
柳瀬陽介(広島大学)
達セミを語らずして、現代の日本の英語教育を語ることはできない。
私は格闘技ファンなので格闘技のたとえを使う。
大山倍達という空手家がいた。極真空手の初代総裁である。戦後日本の格闘界を考えた際、空手はもとより、打撃系格闘技、立ち技系格闘技の選手を見ていると、驚くほど多くの人が大山倍達の直接の弟子・孫弟子だったり、分派した筋の弟子だったり、間接的に影響を受けた人あるいはその弟子だったりする。
大山倍達が行ったことは伝統空手の枠をやぶったことだ。今、私達が当たり前のように思っている直接打撃制、上段回し蹴り、下段回し蹴り、ウェイトトレーニング、オープントーナメントなども、大山倍達が先陣を切って日本の格闘界にもたらしたものだ。大山倍達の革新がなければ現在の日本の格闘界はない。大山倍達を慕う人間が多くあってこその日本の格闘界である。
谷口幸夫先生と達セミも、大山倍達と極真空手にたとえることができると私は思っている。今、活躍している英語教師を思い出して欲しい。この人とこの人は現在も達セミで講師をやっているからもちろん、あの人もあの人もそういえば元々は達セミ出身だ、あの人とあの人のつながりも元々は達セミだと、いかに達セミ出身が多いかすぐに気づくだろう。
谷口先生が行なったことは、英語教師の学びの枠をやぶったことだ。日本的な人脈、学校脈・学閥、地域性を飛び越え、全国で英語教師の出会いを促進し続けた。埋れていた多くの逸材を掘り起こした。その逸材に刺激を得て、多くの人が英語教師として学び始め、彼・彼女自身逸材となった。逸材と逸材が相互に刺激を与え合い、英語教育実践共同体が生まれた。それは開かれた共同体であり、さまざまな人々を、それぞれの形で結びつけている。
この英語教育実践共同体 ―何の後ろ盾もなく、達セミが築いた縁だけでつながっている英語教師たち― を抜きにして現代日本の英語教育は語れない。想像してほしい。これらの英語教師がいない日本の英語教育界を。それはずいぶんと寂しく、活気を欠いた世界であろう。日本の英語教育実践の活力の多くは達セミに由来している。
達セミのつながりが日本の英語教育実践を切り開いた。さまざまな人々が現れ、つながった。そこに一貫しているのが谷口先生である。毎週のように全国をまわる谷口先生である。
これを15年間続けたこと。これほどの偉業があろうか。谷口先生、本当にありがとうございます。達セミ15周年を心からお祝い申し上げます。










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2010年8月27日金曜日

純粋な「英語教育」って何のこと? 複合的な言語能力観



英語教育の人と話していて、議論が日本語のことになると「それは日本語教育・国語教育の話でしょ。私たちは『英語』を教えているんだから」とそれ以上の議論を拒まれることがしばしばあります。そういった方々の頭の中にはひょっとしたら「純粋な英語教育」などというものがあるのかもしれません。思考力や世界に関する非言語的知識が入ってきても、英語教育関係者の多くは「そうなると『英語』の教育・試験じゃなくなりますよね」と言います。

でも「純粋な英語」なんてまったくの人工的な想像体です。日英バイリンガルでは両言語使用において脳血流の様子が異なるといった粗い論はさておき、日本語を第一言語として成長した者が第二言語使用の様々な側面において日本語の影響を払拭できないことは最近の様々な実証研究が明らかにしていることでしょうし、SLAにおける"Bilingual turn" (Ortega)が訴えていることでもあるでしょう。

私たちの「英語」には「日本語」が侵入しています。そして虚心坦懐に私たちの身の回りのカタカナとアルファベットを見直せば、私たちの「日本語」にも既にかなりの「英語」が侵入していることは自明でしょう。私たちの英語は日本語に汚染され、日本語は英語に汚染されています。純粋な英語も純粋な日本語もありません。(そもそも「英語」も「日本語」も政治的に構築され制度的に維持された想像体です)


それなのに日本語の影響からも、思考力や世界に関する非言語的知識の影響からも(奇跡的に)逃れている純粋な「英語」に固執し、そういった「英語力」を育み測定することこそが自らの使命と考える英語教育研究者の方々の思考というのが私にはよくわかりません。


ひょっとしたら学習指導要領の「英語」 ―他教科と区分されて規定されている「英語」― を思考の基盤としているのでしょうか。現行の指導要領の枠組みでしか物事を考えない人は英語教育界には結構いますが、私はどうもそうした思考法に共感できません。

「はじめに学習指導要領あり、学習指導要領は神とともにあり、学習指導要領は神なりき。万物はこれに由りて成り、成りたる物に一つとしてこれによらで成りたるはなし」

これはは大学人・研究者の思考法ではないでしょう。



「いや指導要領は関係ない。私が言いたいのは『英語』は『英語』だということだけだ」とおっしゃる方もいるかもしれません。しかし"English"でなく「英語」という言葉を使っている時点で、私たちは日本の歴史的文脈の中に絡め取られています。「英語教育」も、例えば米国や英国で語られる"Teaching English to Speakers of Other Languages" (Otherという表現に注意!)とニュアンスを異にします。ひょっとしたら海外留学経験が長い方などは、幕末以来の日本の英語教育の歴史文化を忘れ、英米などでのTESOL文化に適応することに熱心なのでしょうか。いずれにせよ私が「英語教育」を語るとき、日本語・日本文化(さらには思考力や非言語的側面)は欠かすことのできない要因です。それらを捨象した純粋な「英語教育」なんて科学的でもなければ、常識的でもない、非現実的で非生産的な想定に過ぎないと思っています。

私たちの言語能力を、第一言語能力に第二言語能力を付け足したものと単純に捉えるべきでないでしょう。さらには「両者には共通基盤がある」という以上に、私たちの言語能力には複数の言語が分け離すことができない形で複合していると考えるべきなのではないでしょうか。

Common European Framework of Reference for Languages: Learning, Teaching, Assessment (CEFR)は言語能力について次のように述べています(強調は柳瀬)。


Plurilingual and pluricultural competence refers to the ability to use languages for the purposes of communication and to take part in intercultural interaction, where a person, viewed as a social agent has proficiency, of varying degrees, in several languages and experience of several cultures. This is not seen as the superposition or juxtaposition of distinct competences, but rather as the existence of a complex or even composite competence on which the user may draw. (Council of Europe 2001, p. 168)

複合的言語文化能力が意味するのは、複数の言語をさまざまな度合いで使いこなすことができ、複数の文化での経験をもつそれぞれの人間が、それぞれに社会的主体として、コミュニケーションの目的に応じて複数の言語を使い分け、複数の文化が混在する状況でのやりとりに参加することができることである。この能力は、それぞれに独立した別々の言語能力を積み木のように縦横に並べたものと考えてはならない。複合的言語文化能力は、一つの複合的な能力で、元々は複数の要素からできたのかもしれないがもはや分離することができない一つの化合物ともいえる能力であり、この能力を人は状況に応じて使いこなすのである。(拙訳)



追記(2010/09/02)

"Plurilingual and pluricultural competence"を私は機械的に訳して「複言語主義的能力・複文化主義的能力」としていましたが、これは「複合的言語文化能力」とするべきでしょう。上の翻訳も変更しました。ついでに「積み木のように」という語も今日加えました。



水が2個の水素原子と1個の酸素原子からなるとしても、化合物としての水は水素とも酸素とも異なる性質を持ちます。同じように私たちの言語能力が例えば日本語力と英語力から成り立っているとしても、化合物としての言語能力はモノリンガルの英語力ともモノリンガルの日本語力とも異なる複合的な性質をもっているというべきでしょう。

私は日本語などのことを考えずに英語教育のことを考えられません。言語能力における複数の言語の複合性について私たちはもっと考えるべきではないでしょうか。


追記
上では、一つ言語の中の複数性については書けませんでした。やはりブログといった中途半端な文章を書かずに、きちんと論文を書かなければ。反省。









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学校に行けば行くほどバカになるかもしれない(試験には受かるかもしれないけど)

職場の命令で、第一種衛生管理者試験のための講習会に出ている。朝9時から夕方5時までの三日間の講習で、さきほど二日目が終わった。講習を受けているうちになんだか自分が進学校にいる中途半端な落ちこぼれのように感じてきた。さらにはこんな勉強ばかりしていれば、試験には合格するかもしれないが、バカになるかもしれないと思い始めた。



断っておくが、講師の先生はいい人である。第一種衛生管理者資格取得をそれぞれの職場で期待された社会人が、最短の時間で試験に合格するように淡々と説明を進める。話術も決して下手なわけではない。

だがその説明にはwhyがない。ただ膨大な試験範囲のうちの何(what)を覚えるべきかを、過去問題の題材分析から端的に告げる。さらに過去問題の問い方を分析した上で、どのように(how)覚えておけばいいかを次々に告げる。受講生からの質問を招くこともせず、導入話も脱線話もなく、ひたすらに合格のためのwhatとhowを伝える。効率的なことこの上ない。そういえば私の高校時代の世界史の授業もこのようなものだった。

職場で「有害業務」にまったく携わらず、物理学や化学の基本的知識を欠いている今の私が衛生管理者試験に合格するのは容易ではない。しかしこの講習が合格への「最短経路」の一つであることは間違いないだろう。私だって、根性を据えて丸暗記に励めば合格できるかもしれない。

だが思った。こんな勉強ばかりしていたら ― この試験科目だけでなくあらゆる科目でこんな勉強ばかりしていたら ― 私はバカになってしまうのではないか。


バカというのは新しい状況に対応できない奴のことである。効率ばかりを追求した受験合格のための勉強ばかりしていたら、人はwhyを問うことを忘れる。Whyを問う喜びも忘れる。ひたすらにwhatとhowを教えられることを待つ。それをひたすらに覚える。こうして過去の問題にはおよそ見事に対応できるが、新しい問題に対してはみじめなほどに対応できない人間になる。過去の問題への機械的な対応力が高くなればなるほど、新しい問題への創造的な対応力が低くなるのではないかとすら思える。覚えられたwhatとhowは財産になっているはずだが、それらを使いこなす力がまったく育っていないからだ。


学校に行けば行くほどバカになるのだろうか(試験には受かるかもしれないけど)。


断っておくが学校教師は善意の人である。試験合格という結果を強く求められているのだから、Whatだけを述べ、過去問対策・記憶術のHowを述べる。Whyは捨てる。WhatへのWhy(なぜA=Bなのか)も捨てる。HowへのWhy(なぜA=BにXという方法で対応すべきなのか)も捨てる。そもそものWhy(なぜAを教えるべきなのか)も捨てる。Whyを捨てて、学習者に最小の労力で結果を獲得させる。それがいい教師だと信じて疑わない。教材研究は過去問題の分析だけである。

かくして学習者もwhyを忘れる。子どもの頃は「なんで?」と繰り返していたはずなのに、知的な喜びや興奮などを忘れて、感情を押し殺す。教えられたwhatとhowを淡々と覚え身につけることこそが学びだと思い込む。そうして試験に合格し、自分は合格したのだから頭がいいに違いないと思う。


しかし試験とは、新しい職場や大学などの現場で、どんな状況にでもそれなりに対応できる人を選ぶためのものではなかったのか。自ら考え判断し行動し、その試みを振り返り修正し再試行する人間こそが必要なのではなかったのか。過去の知識は重要だが、それにこだわるのではなく、それを活用し時には捨て去ることができる人物が求められているのではないか。さらに情報化が進行した現代においては、多くの情報を自分の頭の中に入れておくより、自分の頭で考え仮説を立て、情報はその仮説に基づいて素早く参照すればいいのではないか。受験対策の勉強は、そのような創造的で探究的な人間を育てないという意味で反教育的とすらもいえるのではないか。


講習会での私は、次々に進む説明を受け、「なぜそうなるのか」を考える時間をもつこともできず、次第に講師の先生が提供してくれた受験対策や記憶術をメモするだけになっていった。だんだんと学ぶことを諦めてきた。最小の努力で合格できればいいとだけ思い始めてきた。

衛生管理というのは、産業革命以来の数多くの労働災害で怪我をし病を患い亡くなっていった方々の犠牲の上に成立した尊い学びだというのに。学ぶことで物理学や化学や法学の考え方を理解し、世界と社会をより深く知ることができるはずなのに。講師の先生だって、最短時間での結果を求められていなかったら、ご自身の理解と経験に基づき、もっと知的に面白い講義ができたはずなのに。

でもほとんどの人はそんなことを想像もせず、感性と感情を抑えて、直観の働きも忘れる。いや自ら考えることすらも放棄する。そうして覚え、合格する。

そのように自分の感性・感情・直観・思考を捨てることができない私のような不適応者は、かくして落ちこぼれる。徹底的に落ちこぼれて不合格を覚悟し自ら面白いことだけをやればいいのだが、落ちこぼれ方が中途半端だと、説明を聞きながら手悪さをしたり意味なく携帯をいじくったりする。今回自ら思ったのだが、そのように授業とは関係ないことをしてしまうのは、ひょっとしたら自分にはまだ自由意志が残っているかどうかを確認したいからだろうか。気がついたら必要もないのに携帯でメールをチェックしていた自分には、その行為が自分の主体性の確認の行為であるように思えた。みずからの正気を保つ行為のようにすら思えた。


日本の学校文化にはこのような受験勉強文化がどれぐらいはびこっているのだろう。教師はどれだけ「善意」で合格への最短経路を教えているのだろう。保護者もどれだけ最短経路を求めているのだろう。子どももどれだけ最短経路と最小労力を要求してしまっているのだろう。

もし日本の学校がこのような最短経路・最小労力・結果重視の勉強ばかりに傾倒してしまっているのなら、私たちは集団でバカになろうとしているのではないか。一人ひとりが善意をもってバカの坂をころがり落ちているのではないか。



ハイ、二日間の勉強に疲れただけです。明日の最終日もちゃんと勉強します。そして合格できるよう努力します。なんせ職場からの指示ですからね。かくして私たちは・・・




追記
衛生管理者の試験は、五つの選択肢の中から正しいもの(あるいは誤ってしまうもの)を一つ選ぶ形式です。ですがひっかけ問題は少ないように思えます。また合格レベルは6割(ただしそれぞれのトピックで4割以上得点していなければならない)ですから、試験としては、受験生にまあ最低限の勉強をしてもらって合格させ、あとは職場でその資格の責務に基づき経験を深めさせることを狙っているのかもしれません。ですから上の文章は衛生管理者試験への批判でなく、日本の試験対策一般への批判とご理解ください。









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2010年8月26日木曜日

翻訳教育の部分的導入について

日本教育学会ではいろいろな方々とお話ができてとても勉強になりました。いくつも書きたいことがあるのですが、学会終了後に、またしも多用の波にのみ込まれてしまい、なかなか文章が書けません。しかし記憶が途絶えてもいやなので、少しずつ書いてゆこうと思います。

学会発表では、翻訳を英文和訳、作業訳、英文解釈と区別した上でその意義を主張しました。まずはその区別を下に示します。

言語使用の様態

書き言葉でのテクスト産出

理解過程での話し言葉使用

テクストの自律性

原典から自律

翻訳

一読して原典の意味がわかる日本語。 時に意訳とも呼ばれる。同化(目標言語重視)と異化(起点言語重視)の二極の志向をもち、その超克に翻訳言語(目標言語)の創造の可能性がある。




英文解釈

原典の理解を助けるための口頭での解説や問答。しかし入試対策のため明治中期 (ほぼ1890年代) 頃から英文和訳とも呼ばれるようになった。

原典と併存

英文和訳

辞書の訳語と「公式」により原典を機械的に日本語化したもの。 これを要求するのが訳読法。紙媒体で行われる入試はしばしば原典の理解の証拠を英文和訳に求めた。

原典に依存

作業訳

学習などの目的のために、辞書の訳語を原典に添えること。原典の文をそのまま訳出したら直訳あるいは逐語訳と呼ばれる。


ここで区別している「翻訳」とはあくまでも書き言葉として記された自律的なテクストであり、原典を参照することなく意味が理解できる作品です。この原典との関係において「翻訳」は、原典を横においておかないと意味理解が困難な「英文和訳」や原典に書き込まれただけの「作業訳」とも異なります。

また「翻訳」は書き言葉の作品である点で、原典理解のための準備的作業である話し言葉使用に過ぎない「英文解釈」とも異なります。


この区別は万人に受け入れられているものではありませんが、議論というものは用語の明確な定義を必要とするものですから、実りある議論のために私は私なりにこのような区別・定義を提案してみる次第です(またこの区別・定義はこれまでの議論ともそれなりの整合性を持っているものと私は思っています)。


さてこの定義での「翻訳」ですが、これは私は高校・大学英語教育のどこかで部分的に導入すべきだと考えています。英語教育でも翻訳教育を行うべしという主張です。少し説明してみます。

まず翻訳教育の意義ですが、それはこれが高度の言語教育だからです。英語習得のためにも、日本語力の成熟のためにも有益だと考えるからです。英語と日本語が相まって、複合的に言語力を高めると考えられるからです。

まずは英語の面から論じてゆきましょう。英語のテクストはもちろん、翻訳も英文和訳も、いや作業訳や英文解釈もなしに理解することは可能です。いわゆる直読直解という理解で、英語を常用するときにはもちろんこの直読直解が通常の理解形態になります。

ですがその直読直解という到達点に至るまでにはさまざまな過程・訓練が必要だというのは、習い事の常というものでしょう。

英語よりも先に日本語を書き言葉のレベルまで習得している日本人英語学習者にとって、(直読直解という到達点に達する以前に)英語を理解する際にもっとも有効な媒体(メディア)はやはり日本語でしょう。テクストを書くことで何かを意味するとは、そのテクストの文字通りの意味(literal meaning)を発語する行為(locutionary act)だけで構成されるのでなく、その言語文化で話者が込めた話者の意味(speaker meaing)を発話の内に込める行為(発語内行為)(illocutionary act)でもあり、さらにその発話を媒介にして読者に何らかの影響を与えようとする行為(発語媒介行為)(perlocutionary act)であるというのは語用論の標準的理解です。発語行為は書かれたテクストからほぼ復元可能ですが、発語内行為はその言語文化における筆者の心を推測しないかぎり明らかにできません。発語媒介行為は、筆者がテクストの読者をどのように想定していたかということ、およびその想定した読者は実際にどう振舞うだろうということを考えないと想像すらもできません。

テクストには直接書かれていないこの発語内行為と発語媒介行為を理解しなければ十全にテクストを理解したとはいえません。発語内行為と発語媒介行為の理解は、話し言葉での英文解釈でも明らかにできますが、書き言葉としての翻訳としてある一つの言語表現にしなければならない時に、いわば研ぎ澄まされた形で明らかにされます。文字通りの発語行為に基づきながらも、筆者が込めた発語内行為と意図した発語媒介行為を織り込んだ上で言語表現する翻訳において、翻訳者は自らの理解の妥当性を、本人がもつ最高の表現媒体である日本語で吟味できます。

私たちはここで書き言葉のもつ効果に注目する必要があります。語られるやいなやすぐに消えてしまう話し言葉と違って、書き言葉は残ります。書いた本人の前に残り、吟味する対象となります。書き言葉の利用により私たちは自分の理解を対象化できます。対象化により私たちは自分の理解を長時間にわたり多面的に検討できます。この検討を通じて生み出されるのが翻訳作品です。きちんとした翻訳を試みるなかで私たちは深くテクストを読むことができます。翻訳は精読の唯一の形態ではありませんが、一つの優れた形態であります。これは翻訳を(英文和訳を、ではありません!)試みた人なら納得してもらえることではないでしょうか。

日本語の面からすれば、翻訳とは自らの日本語語彙を総ざらいし、日本語文法を駆使する試みです。ある意味、ある言語表現を別の言語で表現するということは(深いレベルでは)不可能なことなのですが、この不可能性こそが抵抗となり、私たちはこの抵抗により自らの日本語力をさらに深める(あるいは高める)ことができます。

このように翻訳を行うことは、英語を深く理解することと日本語を掘り起こすことを同時に複合的に行うことだと私は考えます。翻訳が高度の言語教育の一つというゆえんです。


このように複合的な言語教育概念に抵抗を示す方もいらっしゃいます。そのような方の頭の中には「純粋な英語教育」や「純粋な国語教育」という概念が揺ぎ無い現実として君臨しているのかとも思います。私としてはそのような「現実」がどのようにしてそのような方の頭の中に確立していったのかに興味があるのですが、それはまた別の記事で書くこととしまして、話を翻訳教育に戻します。


翻訳教育の本質的な意義は以上述べた言語教育の側面にありますが、翻訳教育には実利的な、というより副産物的な意義もあると思います。それは翻訳作品に対して批判的に接することができるということです。

翻訳を自ら真剣に試みたことがない者は、世間に流布している翻訳作品をただ読むだけです。その翻訳日本語を唯一のテクストとして理解しかねません。しかし翻訳を経験した者は、一つの翻訳作品の背後には数多の結実しなかった翻訳表現があることを心底理解しています。だからその翻訳日本語にとらわれてしまうことも少ないでしょう。これが翻訳作品への批判的態度として、読書生活の実利となると私は考えます。


このように私は翻訳が意義深い教育体験になると考えていますが、翻訳教育をするためにはもちろんいくつかの前提があります。ここではその前提の一つだけについて語りますが、それはテクストに対する敬意が必要ということです。

どうでもいいような内容がおざなりな表現で書かれたテクストを私たちは翻訳しようとは思わないでしょう。私たちが翻訳するテクストは、筆者がどうしても伝えたい内容を、それ以外には考えがたいような精度で表現したものです。読者として敬意を払わざるをえないテクストです。この敬意があるからこそ私たちは「翻訳の不可能性」を痛感するわけです。「翻訳の不可能性」と言えば笑い出してしまうような安直なテクストばかり使っていれば翻訳教育は決してできません。

さらに言及すべきは、きちんとした翻訳には非常に時間がかかり、翻訳はほんのわずかのテクストに対してしかできないということです。といっても、時間をかけ呻吟し検討することにこそ翻訳教育の本質があるわけですから、私たちは翻訳が大量のテクストをこなせないことを嘆くべきではありません。こういった量を求めない教育は、教育の大衆化と知識人の凡庸化に伴い、ますます少数派になっていますので、ここで言及する次第です。

以上に述べたような翻訳教育は、とりあえず英語教育の枠組みの中に入れるにせよ、部分的にのみ導入するべきでしょう。翻訳は精読の一つの形ですが唯一の形ではありません(例えば朗読という形による精読も考えられます)。また精読は英語教育のすべてではありません。ですから私は翻訳は「単元」としてある英語科目の一部分に導入するぐらいがよいのではないかと考えます。


以上、とにかく書きなぐりました。この対象化を通じてまた翻訳について考えてゆきたいと思います。てか、疲れた。腹へった。飯食って発泡酒飲んで寝ます。というより寝させて!(笑)。












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2010年8月20日金曜日

「ポスト近代日本の英語教育―両方向の「翻訳」と英語の「知識言語」化について―」スライドと配付資料



明日(2010/08/21土曜)に開催される日本教育学会第69回大会の一般研究発表部門で使用するスライドと配付資料をここで公開します。ご興味のある方はダウンロードしてください。(私の口頭発表の音声ファイルも後日掲載する予定です)






配付資料(表)は以下の通りです。発表の骨子を書きました。




ポスト近代日本の英語教育
―両方向の「翻訳」と英語の「知識言語」化について―

柳瀬陽介(広島大学)

http://yanaseyosuke.blogspot.com/

1 序論

指導要領の日本語排除、英語学力低下、口頭英語重視、方針や見通しの欠如

2 英語教育と近代日本語の成立

2.1 翻訳による書記言語としての近代日本語の成立

近代日本語は国民国家言語として政治主導で創出、西洋言語からの翻訳が貢献

2.2 近代化の完遂と「英文和訳」の隆盛そして凋落

学校制度の中で翻訳が「英文和訳」に変容、「英文和訳」は学校内外で嫌われ始める⇒いきおい余って英文解釈、作業訳、翻訳まで否定

3 情報革命と「知識言語」

3.1 情報革命のメディア生態学

情報の汎用記録・大量保存・高速検索・連結化、知識の体系化・偏在化・進化

3.2 機能分化による「知識言語」概念

社会=コミュニケーションが環節分化⇒中心/周縁分化⇒成層分化⇒機能分化、英語も知識言語として機能分化的に普及している、情報革命と高度知識社会化が英語の普及を後押し、英語は中心/周縁分化や成層分化的に普及しているのではない、英語教育は知識言語という核をもとに拡充すべき

4 ポスト近代の「言語」と翻訳

4.1 複数の言語と言語の複数性

知識言語として英語が人類を単独支配することの是非、複言語主義による複合的な言語能力観、一つの言語の中の複数性、英語教育と日本語(国語)教育は複合している

4.2翻訳の倫理性と政治性

コミュニケーションと言語成立における翻訳の重要な働き、翻訳教育の導入は短期的には無理だが長期的には検討すべき、翻訳により日本語文化が人類に貢献、日本語の維持・進化にも貢献

5 ポスト近代日本の英語教育の道筋

(1)口頭言語重視路線、(2)書記言語重視に転換: (2a)日本の知識言語を英語にしてしまう、(2b)英日・日英両方向の翻訳を部分的に導入、(2c)両方向の翻訳を全面的に導入




配付資料(裏)は以下です。発表の要旨を別の形でまとめました。




今回翻訳について考えてみて、改めて翻訳の意義を再認識することができました。翻訳は精読の究極の形の一つかとも思います。

それでは取り急ぎファイルの公開まで












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2010年8月18日水曜日

藤本一勇(2009)『外国語学』岩波書店

私はこの本を、授業の一貫として学生さんと一緒に一字一句揺るがせない態度を共有しながら読んでみたら面白いのかなと思っているのですが、本日はこの本の翻訳論について少しだけ引用します。


翻訳においては、それを真剣に行なおうとする限り、常に原典を裏切ってしまうような思いに襲われます。著者の藤本先生は、このように他者の言語を変形し歪曲してしまうことを「原暴力」と呼びます。(私はこの言葉は少しおどろおどろしくてあまり好きではないのですが、そのまま引用します)。


翻訳は他者の言語を自己の言語へ転移する以上、必然的に変形と歪曲を伴うものであり、このレベルの暴力は避けがたい。これを原暴力と呼んでおこう。(58ページ)


この原暴力は、私がこのように本の一節を引用しているだけでも、著者の意図を歪めているかもしれないという形で現れているものだと私は理解しますが、藤本先生は、、翻訳者が自らの原暴力を自覚することにより、翻訳という行為が倫理的試練になると論じます。


翻訳とは、自己が振るわざるをえない原暴力を否認しないという倫理的試練が課される行為である。それは単なる偽善でも自虐行為でもない。他者に向けて、また他者との関係において自己を生成変化させていく、可能性に満ちた積極的な行為なのである。(58-59ページ)


この主張はベンヤミンの主張につながります。


ベンヤミンが翻訳について問おうとしているのは、「伝達不可能性」あるいは「翻訳不可能性」という事態そのものである。すなわち、翻訳みずからの限界、自らの不可能性である。それが反転して翻訳の可能性―実際的可能性と同時に倫理的可能性―につながる。(73ページ)


つまり翻訳とは、決して同化できない(またするべきでもない)他者のことばを、他者への敬意を失わずに、自らのことばに変えるという不可能かつ暴力的な行為というわけです。しかしその不可能性や暴力性を自覚しあえて引き受けることにより、自らの他者との関係が開けると言えましょうか。(こう書きながら私は、藤本先生の論考を数行で表現しようとする、理不尽で禍々しい「翻訳」を自分はしているのだなと思わされます。しかしこの著作の素晴らしさを感じた私にとってこの著作との関係を否認することは不可能ですし、私の言葉を一切使わずにただ「この本は良いから読んでください」とだけ述べるのは、一見、「翻訳」を回避するという点で倫理的なようでいて、実は無責任なことなのかなとも思えます)。


しかし、ベンヤミンは、この無にも等しいと思われる到達不可能なもの(他者)への「志向性」を、翻訳の可能性―翻訳不可能なものに直面しつつ、それを自己のシステムのうちに同化させることなく、その他者性を尊重すること―として浮かび上がらせる。翻訳はそれが「目指したもの」に対して「不適切で暴力的で異質」であるということを自己のシステムの限界として引き受け、みずからが歪曲(さらに抹消)せざるをえないものへ向かって終わることなく応答しようとすることによって、他者に開かれる自己の可能性を、さらには他者への開けによって自己が生まれ変わる可能性を切り開く。翻訳とは、みずからの不可能性を自覚しつつ、しかしそれでも不可能なことをなそうと欲望することによってみずからを可能にするという、「アイロニカル」かつ特異な行為なのである。(75ページ)



このような言語体験は日常の第一言語使用ではなかなか体験できません。いや第二言語・外国語教育の場でも、「実用性」ばかりがもてはやされ、その教育的意義を問うことが忘れ去られた昨今、なかなか体験できません。


通常、言語コミュニケーションを、たとえば日常的に口頭でいわばプラグマティックに行っている場合、その場の実務的な目的が達せられればよいのであって、外国語や自国語といった言語の境界線(限界=極限、あるいは臨界)の問題や、相手の言語や意図にどこまで肉薄できるか(あるいは不可能か)といったような根本的な問題は、ほとんど意識しないで済まされるだろう。その意味で、翻訳は、外国語との関係において、翻って自国語との関係において、ある意味、極限的な経験ではある。しかし、翻訳があぶりだす極限的構造は、自国語であれ外国語であれ、日常的・一般的に言語を使用する場合にも、その基礎にあることは忘れてはならない。(82ページ)


ここに翻訳の教育的意義があるのかもしれません。

考えて見れば、自らとは異ならざるを得ない「他者」をそれでも理解しようとし、理解できないままに共に生きることは、社会性の基盤です。


社会の根本的な絆は、いかに他者と付き合うか、他者の他者性をどのように受け止めるかにある。その意味では、子どもの頃から嫌というほど―場合によっては、教条的に―聞かされた、「他人の身になりなさい」という命令は、不可能なことをやりなさいという命令であり、不可能だと知っていてなお、それでもその不可能事を引き受けることが社会の源であるということを物語っている。言語とは、本質的に考えていくと、単に知的・記号的・技術的な現象であるのではなく、他者との社会的・倫理的関係のまさに接点=「絆」であることがわかる。外国語を学ぶこと、さらにはその極限状態である翻訳の試練に身をさらすことは、社会性の根本を見つめなおす機会を与えてくれるのである。(85ページ)


今回こうして私は藤本先生の著作のほんの一部だけを私の恣意で選択し引用し、さらにはそのことばを私のことばで言い換えるという自国語内翻訳をし、なぜ私はこのようなことをしているのだろうと思いました。

しかしこの記事を書きながら、つまりは引用と翻訳を行ないながら、本を読んでいただけでは決してわからなかったことがわかりはじめるという喜びを感じました。そして私はおそらく他の人間と同様、わかったこと、あるいはわかったかもしれないことを伝えたいという一種本能的な欲望をもっている存在なのでしょう。この喜びと欲望―絶えず他者に否定され苦しみと後悔に転じてしまうかもしれない喜びと欲望―が私を動かしているのであり、創り上げているのかもしれません。これらを失ったとき私は生きる意味の多くを失ってしまうのかもしれません。


私の歪曲はここまでとします。熟読玩味するべき本かと思います。どうぞお読みください。


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追伸、
こういった「翻訳」の実践は、中学校レベルで中嶋洋一先生がなさっています。やはり中嶋実践はすごかったのだと思わされます。この本もぜひ手にとってください。

『15(フィフティーン)―中学生の英詩が教えてくれること かつて15歳だった全ての大人たちへ』










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2010年8月16日月曜日

水村美苗(2008)『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』筑摩書房

いつものように私なりにこの本をまとめます。恣意的で歪んだまとめになっています。特に水村が文学者として文学に関して厚く論考しているところを、私は軽視している偏りなどは自分でも気づくくらいです。ご興味のある方はどうぞ実際にこの本を読んでください。

以下、1から10の論点に分けてまとめてみます。



1 この本に関する誤解


■日常的な口頭言語としての日本語が亡びると言っているわけではない

この本が話題になり、タイトルだけ聞いた私は「私たちの生活言語である日本語が亡びるというのは大げさだろう」と早計したが、これは誤解であった。後述するように水村は、書記言語として確立した現代日本語が、書記言語としての力を失ってしまうかもしれないという可能性を『日本語が亡びるとき』というタイトルで表現している。


■英語教育と言語教育の本でもある

日本語が書記言語としての力を失うかもしれないという可能性は、英語が世界史上でなかったほどの力をもちはじめたという事態から生じている。だからこの本は英語教育をどう考えるかという本であり、かつこれからの日本で、日本語、英語、および他の言語をどう教育してゆくべきかという言語教育の本でもある。


■単なる紀行エッセイではない

この本の第一章は紀行エッセイ風であり、私はそこでいったん読書を中止してしまったが、私が考えるにこの本の中心はやや理論的な第三章と第四章であり、英語教育・言語教育の理論的立場からこの本を読む人は第三章と第四章から読み始める方がいいと思われる。この理論的理解抜きに第七章の「英語教育と日本語教育」だけを読むことは勧められない。



2 この本の前提:書記言語と口頭言語の区別

■書き言葉に関する俗見

書き言葉は話し言葉を書き表したにすぎないという俗見は誤りである。この本の議論は書記言語と口頭言語の区別(例えば福島(2008)Ong(2002)などを参照)を前提としてるので、この区別はきちんと理解しておく必要がある(本文中でも何度も説明される)。





3 水村の用語

以下の用語(水村は彼女自身これらの用語を< >か「 」で囲んで使っている)は本書で重要な役割を果すのでここで定義を引用しておく。


<普遍語>

英語の"universal language"に該当する表現とされ(105ページ)、人類の歴史の中ではラテン語、中国語、アラビア語、フランス語がこの名にふさわしい地位をある時期占めていた。だが現代の英語はそれら以上の力をもっている。(82ページ)

普遍語は長年にわたる人類の叡智が蓄積されつつ大きく拡がっていったものである。(122ページ)普遍語はまずは<読まれるべき言葉>(128ページ)であり、<図書館>に蓄えられるべき言語である。(125ページ)

こういった意味で<普遍語>は何よりも「学問=scienceの言葉」である。(128ページ)学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いたことが<真理>、<読まれるべき言葉>であるかを問うことだからである。学問は<普遍語>でなされるのが当然である。(129ページ)

実際、自然科学のコペルニクス(1473-1543)、ガリレオ(1564-1642)、ケプラー(1571-1630)、ニュートン(1642-1727)、哲学のエラスムス(1456-1536)、ホッブス(1588-1679)、スピノザ(1632-1677)、ライプニッツ(1646-1716)らはみなラテン語で書いた。(130ページ)

日本でも『解体新書』が日本で初めて訳された西洋の書物とされているが、実際は日本語ではなく当時の<普遍語>であった中国語(漢文)に訳されたのである。(165ページ)

現在、学問で英語が多用されているが、別に背後に世界の学者の合意があるわけでも、英語人の陰謀があるわけでもない。学問は<普遍語>なされるのが当然という学問の本質から英語に一極集中しているのである。(250ページ)

インターネットの時代、もっとも必要になるのは「片言でも通じる喜び」などではなく、世界中で流通する<普遍語>を読む能力である。(289ページ)



<現地語>

英語で言うところの"local language"。(105ページ)別名、「口語俗語」(vernacular)。(111ページ)基本的に発せられたとたんにその場で空中にあとかたなく消えてしまう話し言葉。(122ページ)

ヨーロッパのさまざまな<現地語>で文学とよべるようなものが書かれるようになったのは12世紀以降。ダンテ『神曲』は14世紀初頭。チョーサー『カンタベリー物語』は14世紀後半。シェークスピアは16/17世紀。(173ページ)



<国語>

英語の"national language"に該当。「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言語」と定義できる近代的概念。「公用語」(official language)ほどはっきり規定されていない場合が多い。(105ページ)

アンダーソン(『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』)によれば、ヨーロッパでは活版印刷技術ができた頃に資本主義史上が成立していたので、ラテン語出版の市場が飽和した後に、強力な<現地語>あるいは「口語俗語」が出版語(print language)という書き言葉に進化した。これが国民国家言語として政治的にまとめられる<国語>の母体になった。

17世紀後半からの啓蒙主義は<国語>で花ひらいた。ジョン・ロック(1632-1704)は途中から、ヒューム(1711-1776)やアダム・スミス(1723-1790)は最初から英語で書いた。モンテスキュー(1689-1755)、ヴォルテール(1694-1778)、ルソー(1712-1778)はフランス語で書き、カント(1724-1804)は(大学で職を得るための本を除いては)ドイツ語で書いた。(138ページ)。

後年、これらの国が力をつけるにつれ、フランス語、英語、ドイツ語の三極構造ができ、これらの言語は<国語>でありながら<普遍語>の色彩ももつにいたった。(140ページ)



■<二重言語者>

日本語での「バイリンガル」は二ヶ国語を「話せる」という意味、つまり二つの口頭言語を操れるという意味で理解されることが多い。水村の議論は書記言語を中心としたものなので、水村は「二重言語者」という用語を使い、「自分の<話し言葉>とは違う外国語を読める人」を意味する。(106ページ)



4 柳瀬の言い換え

以上の水村の用語は非常に有用であるが、若干誤解を招きやすいと考えられるものもあるので、以下に言い換えを提案する。

■<普遍語> ⇒ 知識言語(knowledge language)

水村の言う<普遍語>は、実際には使用者の普及(知識人のみ)と使用対象(科学、学問、その他抽象性が高く時空的な限定をかなり免れている話題)において「普遍」(すべてのものにあてはまること。すべてのものにきょうつうしていること。三省堂『大辞林』)あるいは"universal"(of, pertaining to, or characteristic of all or the hole; applicable everywhere or in all cases; affecting, concerning, or involving all. Dictionary.com Unabridged Based on the Random House Dictionary, 2010)の要件を充たしていない。

<普遍語>は、水村自身も言うように何よりも「学問=scienceの言葉」であり、その話題が知識(〔哲〕〔英 knowledge; (ドイツ) Wissen〕認識によって得られた内容。厳密には、独断・空想などと区別される真なる認識によって得られた客観的に妥当な命題ないしは命題の体系をいう。あやふやな信念と区別され、一般に「正当化された真なる信念」として定義される。三省堂『大辞林』)あるいは"knowledge"(acquaintance with facts, truth, or principles, as from study or investigation. Dictionary.com Unabridged Based on the Random House Dictionary, 2010)であることを主要な特徴としている。この意味で<普遍語>よりは「知識言語」(knowledge language)の方が的確だと思われる。

なお「学識言語」(learned language)や「科学言語」(scientific language)も考えられるが、前者はラテン語といった古いタイプの言語を連想させやすく、後者は話題を狭義の科学だけに限定しその他の広範囲に妥当する話題を除外させてしまいがちなので、やはり「知識言語」(knowledge language)をここでは用いることとする。


■<国語> ⇒ 「国民国家言語」(nation-state language)

日本ではしばしば「国語」は日本語だけを指し、かつそれには「日本人の精神的血液なりといひつべし。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持せられ」が含意が明治以降の言語政策者に込められているので、ここでは<国語>のそういった意味合いを払拭し、かつその政治的性格を明らかに示すために「国民国家言語」(nation-state language)という用語を使う。




5 翻訳の重要性

この本の素晴らしいところの一つは、言語(特に書記言語)における翻訳の意義をきちんと認めていることである。その主張を上記の用語修正を踏まえて言い直せば次のようになる。


■国民国家言語は、知識言語を翻訳することで現地語を書記言語へと成熟させたことにより成立した

国民国家言語とは、もとは現地語でしかなかった言葉が、広い意味の知識言語からの翻訳という行為を通じ、知識言語としても機能するようになった言語である。(133,164ページ)

水村はここで翻訳の非対称性を捉え、翻訳を、上位のレベルにある知識言語に蓄積された叡智、さらには知識言語によってのみ可能になった思考のしかたを、下位のレベルにある現地語の書き言葉へと移す行為と説明する。現地語は翻訳を通じて書き言葉として成熟し、やがて国民国家の誕生という政治的背景を得て国民国家言語となるのである。(134ページ)




6 水村の一番の主張

私が理解(誤解)する限り、水村がこの本で最も訴えたいことは次の問題である。他所と同じように私なりに敷衍して書く。


■国民国家言語としての日本語の凋落

国民国家言語の出現により「先進諸国」での国民国家言語の学習は、最先端知識の獲得とも生活感情ともつながった豊かな言語の恩恵にあずかることを意味した。

しかし現在、知識言語としての英語がICTの普及と相伴って絶大な力をもち始めている。これは「英語の世紀」に入ったとも表現できる。(239ページ)。

かくして現在、知識を求めようとする人々は日本でも英語で書かれたものを読もうとする。日本語という国民国家言語を知識言語としては一段格の劣るものと認識し始める。英語で知識を蓄えた者が、英語でも書けるようになるにはある程度の時間はかかるが、そもそも知識は日本語でなく英語に集積しているのだという認識が徹底すれば、知識を極めようとすればするほど英語で書こうと動機づけられ、自ら知識共同体に参加するためもっぱら英語で読み書きする者となる。日本語は日常生活のための言語であり、知識のための言語ではないと考え始め、そう行動し始める。

この結果、日本語といった英語以外の国民国家言語は力を失い、長期的に見れば現地語に凋落さえしかねない。知識言語と現地語という言語の二重構造が再び蘇ってこようとしている。(239ページ)

かくして知識言語、国民国家言語としての「日本語が亡びるとき」が迫っている。




7 歴史認識

■国民国家言語で学問ができるのは例外的

こういった水村の問題意識の背景にあるのは、現地語を書記言語に進化させた国民国家言語で学問ができたのは、長い人類の歴史を振り返ってみれば、本の限られた地域で、ほんのわずかなあいだのことでしかなかったという歴史認識である。(144ページ)


■翻訳機関としての大学が国民国家言語形成に貢献した

日本語で学問ができるようになったのは、日本の大学が大きな翻訳機関として機能したからである。実際、日本の旧制高等学校や大学の主な役割は、英語、フランス語、ドイツ語という知識言語の域にまで達した外国の国民国家言語を教え、「二重言語者」を翻訳者として育てていた。そして日本の「二重言語者」は上記三ヶ国語らをよく読みながらも、それらの言語では書かず、新しい書記言語・国民国家言語としての日本語を形成しながら日本語で書いてきた。(200ページ)かくして日本では(最近の最先端自然科学分野を除くなら)一応あらゆる学問を日本語でできるようになったわけである。



8 歴史的想像

■もし日本が植民地になっていたら

もし明治期に日本が例えば英国の植民地となり、その植民地統治が長く続いたなら、日本の知識人層は、栄達の途を英国政府と日本の現地人の間のリエゾン(連絡係)になることに見出し、伝える英語で読むだけでなく、英語で書くようにもなっただろう。その結果、現地語としての日本語は書記言語としては発展せず、現在のような日本語は成立しなかっただろう。(179-180ページ)



9 知識人の英語集中への危惧

水村は英語集中という未来を恐れている。学問だけでなく文学までもが英語によって集中的に書かれる未来である。ここでは水村の言葉を正確に引用する。


だって、想像してみてください。これから百年先、二百年先、三百年先、もっとも教養がある人たちだけでなく、もっとも明晰な頭脳をもった人たち、もっとも深い精神をもった人たち、もっとも繊細な心をもった人たちが、英語でしか表現をしなくなったときのことを。ほかの言葉がすべて堕落した言葉 ―知性を欠いた、愚かな言葉になってしまったときのことを。想像してみてください。一つの「ロゴス=言葉=論理」が暴政をふるう世界を。なんというまがまがしい世界か。そして、なんという悲しい世界か。(94ページ)




10 日本の学校教育に対する水村の提言

以上のような考えを元に、水村は日本の学校教育について次のように主張する。これも水村の言葉を引用する。ここでの「日本語」および<国語>とはもちろん書記言語としても成熟し、先端知識も扱える国民国家言語としての日本語である。


学校教育を通じて日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきであるという当然の前提を打ち立てねばならない。英語の世紀にはいったがゆえに、その当然の前提を、今までとはちがった決意とともに、全面的に打ち立てねばならない。(中略)学校教育という、すべての日本人が通過儀礼のように通らなければならない教育の場において、<国語>としての日本語を護るという、大いなる理念をもたねばならないのである。(284-285ページ)






以上で、私なりの偏り歪んだまとめを終えます。

この本を読んだのは半年以上前で、それ以来まとめようと思いながら、機会を見出していませんでしたが、今回学会発表のために泥縄式に(泣)まとめてみたらやはり勉強になりました。というより私の今回の学会発表(日本教育学会8/21(土)午前の一般研究発表)の基底にあるのはこの本だとも思えてきました。(私ってやっぱり独自性がないのよね 笑)。


ともあれ、良い本です。ぜひご自身で熟読してください。


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山口仲美(2006)『日本語の歴史』岩波新書

読みやすくわかりやすい新書です。福島直恭『書記言語としての「日本語」の誕生』ほどには書記言語と口頭言語の区別を厳密にせずに、著者の山口先生は日本語の歴史を平易に説きます。その要旨は次の文章にまとめられるでしょう。


日本語の書き言葉の歴史は、奈良時代に他国の文字である漢字とめぐりあい、日本語を必死になって漢字で書き表そうとしたところから始まります。
次の平安時代は、漢字を手なずけ、ともかくにも日本語を話すように書き表すことができるようになり、言語芸術の花を開かせます。色とりどりの美しい花が咲き、その中には現代に受け継がれる文章の花も咲きました。
その後の鎌倉・室町時代には、ふたたび書き言葉は話し言葉から離れ始め、平安時代の話し言葉の文法は姿を変えて行きます。
次の江戸時代は、現代語に連なる話し言葉が形成された時期です。日本の歴史の近代化は、明治以降ですが、日本語の歴史は一足お先に、江戸時代に現代語の基礎が出来上がっていきます。
(中略)
明治時代になると、話し言葉と書き言葉は、絶望的に離れてしまいました。人々は、書く言葉を話す言葉に近づけようと戦い、ともかくにも両者の一致を完成させます。(7-8ページ)


以下、私にとって勉強になった点を列挙します。私の言葉が入っており、しかもそもそも恣意的な選択ですから、この本に興味をもった方は必ずご自身でお読みください。



■書き言葉は官僚制度と共に始まった

漢式和文が書かれたのは大化の改新で官僚機構が整備された頃から。(50ページ)


■知識人は外国語も書ける

『続日本書紀』『日本後記』『続日本後記』『文徳実録』『三代実録』などの平安時代の国史は漢文つまり外国語である中国語で書かれた。文学方面でも『凌雲集』『経国集』『文華秀麗集』といった漢詩集も漢文=中国語で書かれた。(54ページ)
知識人が外国語で書けることは、明治時代では夏目漱石の漢詩などでも観察されるとおりであり(古井由吉(2008)『漱石の漢詩を読む』岩波書店)、現代でも多くの科学者は英語で論文を書いている。


■訓読には独特の和語が使われている

現在高校で教えられる漢文では、漢語はできるだけ漢語で読むという江戸時代の訓読法に従っているが、奈良時代や平安時代にはできるだけ和語に翻訳して訓読しようとする傾向があった。しかし例えば「眼」を「ガン」と音読みにしないで「まなこ」という和語に翻訳して訓読したが、当時の日常会話で使われる和語は「め」であった。単語だけでなく言い回しも例えば「いかにいはんや」「すべからく・・・べし」など日常で使われない表現が使われた。(57-58ページ)
この非日常的表現の多用は、幕末の書き言葉である漢文および漢字かな交じり文でも同じであった。(175ページ)
また他では使われない独特の表現は、近代の英語からの翻訳文体でも多く観察されている。(58ページ)


■ひらがな文がなぜ日本語の代表的文章とならなかったのか

ひらがなは、当時の話し言葉を基盤とし、物語・日記・随筆という散文を中心とする文学を開花させた(80ページ)が、以下のような理由で本格的な書き言葉には成長できなかった。
(1) ひらがなが多すぎると読みにくい。
(2) 政治・経済・宗教といった抽象的な意味を表現するには漢語の方が便利であり、ひらがなはもっぱら男女関係の機微などの表現に使われた。
(3) 元々は和歌で鍛えられたひらがな文は、語句と語句との関係を明確にすることを不得意とした。(84-86ページ)


■江戸時代の話し言葉の限界

江戸時代は、現代語に連なる話し言葉が形成された時期といえるが、江戸語にしても武士階級と町人階級では言葉が異なり、さらに町人階級でも武士たちと付き合う大商人と普通の町人の言葉は異なった。ちなみに町人言葉は明治時代には東京語の下町言葉へと進化していった。(145ページ)
さらに移動の自由がなかった領民はその領内でしか通じないような言葉を話していた。明治政府はこういった状況で「標準語」を制定する苦労を担ったが、その様子は井上ひさしの戯曲『国語元年』にうまく描写されている。(169ページ)


■五箇条の御誓文は新たな書記言語創設の宣言でもあったといえるかもしれない

江戸時代まで、公用文や正式の文書は漢文か漢式和文(変体漢文)で書かれていた。漢字カナ交じり文で書かれた五箇条の御誓文はその意味で画期的であり、一部の人間にしかわからない漢文(要は外国語)を書記言語としたままでは近代化は成功しないことを当時の政府が理解していたことが推測できる。(177-179ページ)


■言文一致運動が単純には進展しなかった理由

一つには人々の意識が身分制度からなかなか抜け出せず、旧来の支配層は支配構造を言語的に維持しやすい文語(訓読文系の表現)を好んだ。もう一つにはそれまでの話し言葉で豊かに表現区分していた話し手と聞き手の人間関係を、書き言葉でも通用するように新たな表現を模索することは困難であった。(185-186ページ)


■西洋語翻訳での漢語
当時の知識人の主な教養は漢学であり、漢語は和語より抽象表現にすぐれ、かつ短く簡潔な表現も得意としていたので、西洋文明の消化は、それまでの教養基盤である漢文を創造的に活用することにより行われた。(189ページ)



私の偏頗なまとめは以上です。ポスト近代の英語教育を考えるため、現在、日本語を歴史的に考えるために何冊か本を読んでいますが、歴史的考察は本当に面白いです。私たちが現在当然視していることが、ほんの少し前の大変革であったことを学ぶことは、これからほんの少し後にあるかもしれない大変革について考えるための知的想像力を刺激してくれるようです。読みやすく短い新書ですから、皆さんもぜひお読みください。


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福島直恭(2008)『書記言語としての「日本語」の誕生 ―その存在を問い直す』笠間書院

「書記言語」(書きことば)と「口頭言語」(話し言葉)の差を明確にした上で、日本語の歴史を総括し、著者自身の研究も伝えるこの本は、読んで大変勉強になりました。

通説では、「音声」なら話しことば、「文字」なら書きことばと簡単に捉えられがちですが、NHKニュースが音声で伝えられながらも文体上は書きことばと考えることからも、この通説には再考が必要です。

著者の福島先生は、「口頭言語と書記言語は同じ言語の別の姿である」(8ページ)と両者を区別します。書記言語とは「典型的には、文字化して視覚的な媒体として受容されることを発信者が念頭に置いた場合に選択されることが多い言語変種」(32ページ)というのが福島先生の規定です。ですから書記言語は言語使用状況ひいては社会状況の変化と共に生じるということになります。


書記言語が口頭言語の存在とは別に成立する理由は、簡単に言えばそれぞれの用途が違うからである。そして口頭言語の用途は言語獲得以来、どの社会にも普遍的に存在するものであるのに対して、書記言語の必要性は限られた社会だけに生じるものである。書記言語とは、口頭言語が存在しているだけでは間に合わないような言語使用条件が現れた言語社会だけに成立するものである。(35ページ)


ですから書記言語の成立は、単に表記法の追加であるだけでなく、社会の大変革であるわけです。


社会における書記言語の成立と普及という出来事は、その言語社会の言語のみならず、政治、教育、思想、人々の価値観や行動様式など、あらゆる文化的側面に大変革をもたらすのは確かである。もたらすことがある、というのではなく必ずもたらす、さらにいえば、もたらすために書記言語が生み出され広められるとさえいえるものなのである。(29ページ)


ということはたとえ文字化された言語でも、読み手と想定される人間が、日常的な対面的コミュニケーション(相互作用的コミュニケーション)の相手の範囲に近いもの(56ページ)であり、言語の自律性が低く、文脈依存性が高い言語表現なら、それは十全な意味での書記言語ではないことになります。

こういった前提に基づき、福島先生は日本語の歴史上に現れた書記言語は二種類しかないと主張されます(42ページ)。「訓読文系言語変種」と「現代標準日本語」の二つです。(両者はそれぞれ「訓読文」、「日本語」(ただし常に鍵括弧を付ける)というように表記されます。(44ページ)(注1)

ここで歴史的進展を少し整理しておきますと、単なる文字表記の誕生と本格的な書記言語の成立を別物と捉える福島先生は、書記言語成立までの状況を以下のように区別します。


(1) はじめに無文字の状態が長く続いた
(2) 次に文字は獲得していても、社会全体としては、未だ書記言語は必要とされていない時期があった
(3) 次に口頭言語と書記言語が併存する社会が到来した (46ページ)


そうして書記言語としての訓読文は成立したのですが、それは使用者と使用対象においてきわめて限定的なものでした。


A 訓読文を使いこなせた(不自由なく読んだり書いたりできた)のは日本社会の一部の人間に限られていた
B 訓読文は日常生活すべての場面に対応できる言語変種ではなく、学問、宗教などの限られた領域に関わる情報伝達にしか対応していなかった (46ページ)


この訓読文は、もともとは中国語文典の翻訳から生じたものです。もちろんこの場合の中国語は文典として成立しているものですが、口頭言語ではなく書記言語でした。書記言語としての中国語を日本語に翻訳し、その日本語翻訳を時空を共にしない他の日本人にも理解してもらえる文書にしようとする中で書記言語としての訓読文は成立したといえるでしょう(福島先生は「訓読文とは、非常に単純化していえば、(中略)もとはといえば翻訳のためだけの言語変種である」(191ページ)とも述べています。)

この訓読文成立までの過程は

(i) 変体漢文(注2):一見漢文のように見えるが、漢文の統語法を全く無視して、日本語の統語法に基づいた順で表記されているもの。
(ii) 宣命書:意味を表す漢字を大きく、意味を排除して音だけ利用した漢字を小さく書いたもの。
(iii) 訓点語:宣命書に加えて文字以外の記号もいろいろ使ったもの。
(iv) 万葉仮名専用表記:すべて意味を排除して音だけを利用した文字として漢字を使用した表記。
(以上、本書25-27ページの記述を引用者がまとめたもの)


とまとめられます。

著者の、訓読文を書記言語として認めても、和文(仮名文―『源氏物語』や『枕草子』などの平安仮名文学作品で用いられた言語変種)を書記言語としては認めないという主張は、きわめて興味深いものですが、その根拠としては、(ア)訓読文と比べると和文には、文と文との論理的関係を明示するタイプの接続詞が少ない(54ページ)、(イ)和文には、統語論的には完結しているが、意味的には後続する文と一体化して解釈する方が妥当な表現(現代日本語なら「雨が降っているからだろうか 客が少ない」)が相当見られること(63ページ)などがあげられています。

「文と文の間には必ず明確な切れ目があること」が、「言語内情報完結度が高い言語変種」としての書記言語にとって「情報処理を円滑に行うために必要な要求」である(73ページ)ことからしますと(イ)の根拠にも納得できます。

逆に言いますなら、「日常的な口頭言語によるコミュニケーションの場では、文という単位を他のもっと大きな、あるいはもっと小さな単位と区別することなどあまり必要とされない。また、そういう単位動詞のつながり方もさまざまであり、100%つながっているか100%切れているかのどちらかどいうものではない」(77ページ)わけであり、ここでも書記言語と口頭言語の区別を明確にする必要性が認識されます。


さて訓読文に続いて、第二の書記言語となった現代日本語(「日本語」)ですが、この成立にはいわゆる「言文一致」運動が大きく関わりました。しかし著者はこの「言文一致」という表現は誤解を招きやすいものであることを次を引用して強調します。(というより、情報処理の要求がまったく異なる対面コミュニケーション用の口頭言語と時空を越えたコミュニケーション用の書記言語が同じになることは考えがたいと著者は主張しています)


言文一致体とは、書きことばにおける新しい共通語であって、それは話しことばがそのまま文字で書き表されるようになったということではない。
鈴木義里(2003)『つくられた日本語、言語という虚構―「国語」教育のしてきたこと』右文書院45ページ


またこの書記言語としての「日本語」も自然に成立したというよりは、

まず先に、全国規模での普及という幻想を国民に持たせるという言語変種が必要とされて、そのためにはその言語変種は書記言語でなければならず、その条件に合う言語変種として「日本語」が新たに創り出された(172ページ)


ものであると著者は述べますが、この主張はイ・ヨンスクの『「国語」という思想』に重なるものです。 

明治の近代化においては、国民の広い階層が書記言語による書物を読み書きする必要がでてきたので「日本語」が多くの日本人の懸命の努力の末に成立したといえましょうか。

この他にもたくさん興味深い論考・事実が提示されております。ぜひご自身でお読みください。


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(注1)近代の訓読文系の書記言語(のみ)をさして著者は「文語」という用語も使います。(118ページ)

(注2)「変体漢文」は現在では「漢式和文」とも呼ばれます。「変体漢文」は中国語の文字を使うものの、音声的にも統語的にも日本語だからです。山口仲美(2006)『日本語の歴史』岩波書店48-49ページ)








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2010年8月15日日曜日

伊藤和夫(1997)『予備校の英語』研究社

この本は、江利川春雄先生も高く評価されていますが、やはり素晴らしい本でした。予備校という「ホンネ」だけが通用する「泥臭い」世界(229ページ)で、東大哲学科時代はスピノザで卒論を書いた(240ページ)伊藤先生が、英語を学ぶ生徒と英語を教える自分自身を分析したこの本は、現実的で啓発的で読みやすい第一級の英語教育論です。「予備校」などとは特に関係なく、どこか軸足を失った現代日本の英語教育関係者(特に高校と大学)にとって必読の書とすらいえるでしょう。


この本で印象的だったのは、伊藤先生がとても現実的・具体的で、文部省の指導要領のずさんさを指摘しながらも、決して自分の業界のやり方である受験英語を礼賛せず問題点を分析した上で、大学の傲慢な怠慢もしっかりと指摘しているところです。


以下は、私なりにかなり歪めた上でこの本の要点をまとめたものです。引用ページは書いてあるものの、私なりの書き足しなどがたくさんありますし、何よりまとめかたが私の偏った視点によるものですから、本書に興味をもたれた方は必ずこの本をご自分でお読みください。この本には下の記述などでは到底語り尽せない豊かな内容があります。


以下、
1 指導要領はお題目に過ぎない、
2 だが受験英語にも問題点がある、
3 大学入試英文和訳問題にも問題点がある、
4 お題目でも受験英語礼賛でもない途を見いだすことが必要、

という順番で、私なりにこの本の一部を恣意的にまとめてみます。タイトルなどはほとんど私の言葉ですから、これらの表現を伊藤先生の表現と混同しないようにご注意ください。伊藤先生の主張をきちんと理解したい人は、繰り返しになりますが、必ずご自分で本を読んでください。




1 「まんべんなく英語力を伸ばす」はお題目に過ぎない

文部省が指導要領などで掲げる「英語のオールラウンドな力を伸ばすための教育」といった文言は、到達点を明らかに定めていない、精神論的な教える態度に関するものであり、教育上の目標ではない。(2ページ)



2 受験英語の問題点

受験英語は目標がしっかりしており、方法論の上でも引き継ぐべき優れた遺産がたくさんあるが、批判すべき点も多々ある。


2.1 英文解釈の「公式」は非体系的で非本質的

英文解釈の参考書中の名著とされる山崎貞の本(『新々英文解釈研究(復刻版)』)なども、英語表現の本質ではなく日本語への訳出の際に苦労する点を「公式」として示しただけになりがちであった(40ページ)。

つまり英文解釈の参考書は、結局は「こういう形はこう訳す」でけに終始し、訳は一例として提示して英語の構造と意味を納得させるという本質的な説明を欠きがちであった。(45-46ページ)


2.2 文法用語も非体系的に乱発された

高校の英語で英文法の時間がなくなり文法教科書がなくなって以来、学校文法は公の場での議論と切磋琢磨の場を失った。(60ページ)予備校や塾といった「ウラ」にまわった文法教育は、一部で新奇な文法用語の非体系的な乱立を招いてしまった。(58-59ページ)


2.3 過度に分析的な英文解釈法も逆効果

同じように学校英語の文法軽視の反動として、原仙作(『英文標準問題精講』)などの精緻な分析が過大評価され、一部で英文を過度に分析してしまう学習法がもてはやされてもしまった。(71ページ)


2.4 文法を公理ととらえる誤りに捉えられてしまっている

これらの文法教育の誤りは、文法説明は一つの考え方であり、そういう考え方をすれば多くの場合うまく英語が説明できるのであるということに気づかず(あるいはその論点を巧みに回避して)、文法説明をまるで幾何学の公理のように先験的に与え、それを英語のすべての表現に打倒させようとしたことにある。(71ページ)この誤った想定のためにいかに生徒と教師が悩んだかを知るには当時の英語雑誌のQuestion Boxを集大成した『クエスチョン・ボックス・シリーズ』を見ればよい。(72ページ)


2.5 しかし基本的な文法教育は必要

しかし外国語を学ぶためには、「言葉の言葉」である文法用語は基本的な範囲で必要である。(190ページ)



3 大学入試の英文和訳

英文和訳は大学入試には適しているが、数々の問題点があり、限界もある。


3.1 英文和訳は高等教育への適性を測ることができる

優れた英文和訳問題では、例えば因果関係の認識や「必要」と「有用」の区別といった高度な言語能力についてある程度の妥当な判断ができる。こういった能力の有無は、海外旅行での「会話力」などより、はるかに学校教育にとって本質的なことである。(91ページ)


3.2 大学側の怠慢が機械的で不自然な訳をはびこらせている

英文和訳を出題する大学が「採点基準とまではいかずとも、正解例、許容した答案例を公表するのは当然の義務」であるのに、大学はそれを怠っている。その結果、高校や大学では機械的(あるいは「公式的」)で不自然な日本語になる昔ながらの訳出法を「読みにくくてもこの訳のほうが大学入試では無難だ」と教えざるをえない。(84ページ)


3.2 高校・予備校教師も不自然な日本語に無自覚

しかしその開き直りに乗じて、一部の高校・予備校教師は「直訳」や「逐語訳」と称してでたらめな日本語を教室でしゃべり、ひどい場合には書き取らせる。これは英語理解に役立たぬばかりか、生徒の日本語感覚を破壊する蛮行である。(144ページ)


3.3 きちんとした翻訳を教える場がない

「日本語だけを読んでわからぬものは訳とは言えない」という基準は翻訳にとって不可欠だが、仮にこの基準を大学入試の採点で採択したとしても、こういった翻訳法は大学入試以前のどこでいつ誰が教えることになっているのかということが抜けている。(141ページ)


3.4 現実的には翻訳の質を入試で採点することは困難

大量の答案を公正に採点しなければならない入試で、受験者と採点者の間に英文の意味を日本語でどう表現するかについての「約束」が現実問題としてはある程度は必要だろう。(226ページ)


3.5 テストに対する現実的な割り切りが必要

なんとか教えることはできてもテストで測定することは不可能なことはある。それを無理にテストすることは、「重層的な薄明の領域を無理に黒と城で割り切ろうとする思考態度を学生に植えつけることとなり、学生の頭脳を硬くすることになって、無益であるのみならず有害である」。(145ページ)テストに対して現実的な割り切りが必要である。



4 「英語のシャワー」や「訳読こそが王道」を超える必要がある

たくさんの英語を速く読ませていればそのうち何とか英語力はつくというのは迷信であるが、さりとて旧来の訳読式が万能であるわけでもない。この神秘主義と訳読式の対立を超える新しい契機が必要である。(157ページ)


私なりのまとめは以上です。



最後に大学に勤める私にとって最も耳の痛い伊藤先生の言葉を引用します。この言葉を掲載することで私は英雄気取りをすることはできませんが、さりとてこのことばに頬かむりをすることもできないので、ここに紹介だけする次第です。

入試問題に対する解答例を公表せよという声があがってから久しいが、大学当局は拒否の理由すら明言せぬままほほかぶりを押し通している。倚(かた)よらしむべし知らしむべからず、というのは封建時代を象徴する言葉であるが、大学の頑冥な態度を見るとこの言葉を想起せざるを得ない。(中略)どうしてこうなるかを考えると、結局密室の中での欠席裁判、弁護人なしの一審制という中世的な制度に突きあたるのである。理性と批判に対し開かれた世界であることをもって存在理由とすべき学問の府が、何ゆえにこの問題に対してかくも閉鎖的であり続けるのか筆者には理解できない。(113-114ページ)



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イ・ヨンスク(1996)『「国語」という思想』岩波書店

十年以上ぶりにに読んだら、はたせるかな面白かったです。やはりこの本は、言語教育関係者必読の名著といえましょう。

以下、私の印象に残った点を私なりにまとめます。恣意的な選択ですし、私の書き換えも多く入っていますので、ご興味の方は必ずご自身でこの本を読んでください。


■近代国民国家的な「国語」の誕生
フランス革命の際のフランス語は「国語」(langue nationale)として「国民」(nation)の精神的統合の象徴となった。(iiiページ)

■「国語」から「日本語」へ
近代日本において「日本語」という地盤は確立しておらず、むしろ「国語」という理念が先行し、それによって「日本語」が徐々に確立していったといえる。(iiiページ)

■森有礼に関する通説
例えば時枝誠記は森有礼について「明治の初年に、森有礼が、日本語廃止、英語採用論を唱へ、アメリカの言語学者ホイットニーにたしなめられたことは、有名な話である」と述べているが、こういった見解が森に関する通説となった。(6ページ)

■森有礼の実際の主張
しかし森がホイットニーに対して実際に提言したのは、日本が「通商語」として英語を採用することが不可欠であるということであり、日本語の使用をやめるべきだとは一言も述べていない。(7ページ)

■森有礼の簡易英語論
森は実利主義に徹しており、彼は英語の綴りや動詞活用などの不規則性を正す簡易英語(simplified English)を提案した。(8ページ)

■ホイットニーの反論
森に対するホイットニーの反論は主にこの簡易英語論に対するものであった。(9ページ)

■日本の言語状況に対するホイットニーの意見
ホイットニーは、「土着の言語」である日本語による教育こそが日本の社会的文化的発展にとって必須と述べているが、そのためには日本語をローマ字化し、さらには「日本で中国語のしめていた地位を英語にゆずり、英語を学問語、古典語(the learned tongue, the classical language)にする」よう提案している。つまり中世におけるラテン語やイギリスの植民地における英語の地位を日本においても英語にもたせるべきだとホイットニーは主張した。(9ページ)

■森有礼の日本語廃止論
森が日本語の廃止について述べたのは『日本の教育』の序言であり、そこで彼は、西洋の学問、芸術、宗教から学び、日本の国家の法律を保持するためには「日本の言語」(the language of Japan)では不十分だと述べている。(10ページ)[ちなみに森はこれらの文章を国外で英語で書いている]

■森有礼にとっての「日本の言語」
森が「日本の言語」として捉えたのは、日本語と中国語の無秩序な混合状態であり、また話しことばと書きことばの間に絶望的な隔たりがある状況であった。(11ページ)森の時代の「日本の言語」はまだ近代的に成熟していなかった。

■馬場辰猪の森批判
『日本語文典』とも通称される、おそらく日本最初の記述的体系性をもった日本語の文法書An Elementary Grammar of the Japanese Languageを書いた馬場辰猪は、森を批判し、英語の強圧的な導入は言語の壁により国内に社会階級の分裂をもたらすだろうと説いた。(14-17ページ)

■近代的書きことばを持たなかった明治初期の日本
しかしその馬場でさえ、日本語は話したが、書くのは英語だった(21ページ)という事実が端的に示すように、その頃の日本には近代文明を表現できる書き言葉が育っていなかった。(22ページ)

■言文一致の必要性
漢文訓読体から脱却し、近代的な書きことばを創り上げるには、聞いても読んでも誰でも同じように理解できるという「言文一致」の理念と、その理念に基づいて実際に言文一致の言語を創り出すための冒険が必要だった。二葉亭四迷は、思うように文章が書けないとまずロシア語で書いてからそれを口語日本語へと逆翻訳したというが、これもそういった言文一致の日本語を創り出すための試行だったのかもしれない。(22ページ)

■「国語」の二つの課題
やがて日本語は「国語」として結実し始めるが、その「国語」とは、言文一致をはたし、かつ「国体」イデオロギーにつながる国家的意識を確立するという二つの課題を担うこととなった。(23ページ)

■言文一致と社会変動
話しことばと書きことばの不一致が急に問題になったのは、一つにはそれまでの社会秩序が崩壊したからともいえる。武士階級と知識人の文化語であり行政語であった漢文あるいは漢文訓読文が、民衆のうえにふりかかったきたからである。(47ページ)

■福沢諭吉の文体
福沢諭吉が著作で用いた「世俗通用の俗文」は国民的コミュニケーションのための画期的な発明であったともいえる。(48-49ページ)

■国策としての言文一致
1900年(明治33年)に帝国教育会は、「言文一致会」を発足させ、言文一致を国家の言語政策のなかにとりこんだ。(66ページ)後には、言文一致が国家・国運・国勢を左右する国家事業としてとらえられた。(70ページ)

■「国語」の理念は明治20年代を土壌としている
明治10年代が自由民権運動と欧化主義の時代とすれば、明治20年代は日清戦争(1894-95年/明治27-28年)を頂点とする官民一体による統一的「国民」の創出と「国家」意識高揚の時代であったといえる。国語の理念はそういった背景に育まれた。(86
ページ)

■「国語科」の設立は明治20年前後
中学校においてそれまでの「和漢文科」が「国語及漢文科」になり、師範学校で「国語科」が設立されたのは1986年(明治19年)の学校令による(文部大臣は森有礼)。帝国大学において「和文学科」が「国文学科」に改称されたのは1889年(明治22年)。(87ページ)

■上田万年とドイツ留学
上田万年は国語改革に大きな影響を及ぼしたが、それには彼のドイツ留学(1890年明治23年から)が大きな影響を与えている。
19世紀前半のドイツではフンボルトの創設したベルリン大学に象徴されるように、古典主義と人文主義が教育の指導理念とされていた(111ページ)、上田が留学した頃はちょうど青年文法派が進出し、科学的言語学によって古典語以外の言語にも古典語と同等の研究対象としての価値が認知されはじめていた頃だった。(110ページ)。1890年に国王ヴィルヘルム2世は「ドイツ語をギムナジウムの教育の基礎としなければならない。われわれは若いドイツ国民を教育すべきであって、若いギリシャ人やローマ人を教育すべきではない」と述べた。(112ページ)。

■上田万年の言語観
上田は帰国後、明らかな国家的意識をもって言語を捉える。彼の次の発言などは近代日本の<国語>イデオロギーの特徴をよく表している。
言語はこれを話す人民に取りては、恰も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、精神上の同胞を示すものにして、之を日本国語にたとえていえば、日本語は日本人の精神的血液なりといひつべし。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持せられ、日本の人種はこの最もつよき最も永く保存せらるべき鎖のために散乱せざるなり。(122-123ページ)

しかしその当時まだ「言文一途[ママ]の精神を維持し居る国語」は確立していなかった。(141ページ)

■規範としての学問
上田にとって客観的現実の分析は手段に過ぎず、国語はなによりも規範設定を目的とする学問であった。(148ページ)上田(および彼の後継者の保科)の特徴は、客観的立場からの言語の記述と説明が、いつのまにか規範設定の論理になっていくことであった(224ページ)

■保科孝一
上田万年の門下からは、新村出、小倉進平、金田一京助、橋本進吉、藤岡勝二、岡倉由三郎などが出たが、言語政策と言語教育で上田の仕事を引き継いだといえるのは保科孝一である。(162ページ)

■保科の留学
保科は1911(明治44)年-1913(大正2)年にヨーロッパに留学するが、そこでボーゼン州におけるポーランド人の「ゲルマン化政策」(同化政策)を学ぶ。このドイツ社会とポーランド人の関係は、後日、日本と挑戦の関係と二重写しになる。(230ページ)

■ゲルマン化政策での言語政策
ゲルマン化政策においては、公用語、裁判語、軍隊語、教育語としてポーランド人にドイツ語を使わせた。中でも教育語としてのドイツ語採択が最重要視された。(238ページ)

■皇民化政策での言語政策
1937(昭和12)年には日本の植民地支配のクライマックスとして皇民化政策が実施され、すべての植民地異民族を「皇国臣民」へとつくりかえることが至上命令とされた。(245ページ)

■「朝鮮語及漢文」
1911年(明治44)年の朝鮮教育令にはたしかに「朝鮮語及漢文」という科目があったが、実際には漢文のみが、あるいは漢文解釈のたんなる補助手段としての朝鮮語が教えられたにすぎなかった。この科目は「国語」教育のための補助手段であった。(252ページ)

■「教化意見書」
1910年(明治43)年に作成された内部資料の「教化意見書」は、大日本帝国が世界の国々は類例のない「無比ナル国体」にもとづいているという前提から始まり、その「国体」は「万世一系ノ天皇ヲ戴ケル日本帝国民ノ忠義心」により支えられているとしている。(256ページ)

■植民地支配における「国語」
日本が自然主義的「国体」概念に固執すればするほど、異民族の「同化」はそもそも不可能に思えてくる。(260ページ)しかし、<内面>と<外面>、さらに<自然>と<人為>を媒介する言語(国語)を学ぶことによって同化は可能とされた。(261-262ページ)

■満州国での言語政策
だが実際の言語政策は具体的とはいえず、多民族国家である満州国でも公用語は何語かが法的に定められることはなかった。(265ページ)1939(昭和14)年の国語対策協議会では、植民地からの国語教育担当者から、アクセント、発音、語法、語彙などすべての面で「標準語」が定まっていないことに不満が集まった。(293ページ)

■結び
近代日本の「国語」は脆弱であり、植民地どころか国内でさえ、一貫した言語政策を打ち立てることはできなかったといえる。(311ページ)




私の勝手なまとめは以上です。以下は蛇足で、私見を述べます。


○私たちが現在「日本語」と信じて疑わない、書きことばに基づきながらも話しことばとしても通用する言語を創りあげた明治の先達はやはりすごかった。

○「日本語」を創り上げる際に、それまでの漢文調の言語教養と江戸の話し言葉、加えて、新たな外国語からの翻訳活動が大きく関与したことは、漱石の文体を見ても明らかだろう(参考『漱石の漢詩を読む』)。日本語は、伝統に基づきながら、新しいものを取り込むことによって創造された。

○この「日本語」の創成という観点から明治の文章を通時的・体系的に読んでみたら面白いだろう。(老後の楽しみね。笑)

○しかしその「日本語」が、民衆自身が生み出す書きことばや話しことばにまでなったかというのは別問題であり、これは現在にいたるまで学校教育の大きな課題となっている。「きちんとした日本語」が書け、話せるようになることは学校教育の一つの大切な目標である。

○だが現在の学校教育に対して悲観論を述べれば、学校教育関係者の言語的自覚が足りず、日本語が新たな概念(自然科学・社会科学・人文学)を表現できる力を開拓しているかどうかが疑わしくも思えてくる。私が言いたいのは「知識人層」の安易なカタカナ語使用である。

○個人的には、(名指しをして悪いが)日本語教育関係者が平気で「シンタックス」「アスペクト」「プロフィシェンシー」などのカタカナ語を使うことに怒りさえ感じている。日本語教育関係者は日本語の将来に対してどのような考えをもっているのだろう。(この話は長くなりそうなので、ここでやめる)。

○植民地政策においての言語政策は「日本語は日本人の精神的血液なり」などという感情的な理念ばかりは立派だったが、その理念が何に帰結するのかという概念的分析が欠けていた。おそらくはその結果として、言語政策はおよそ具体的でなかった。この感情的訴え・概念的分析の貧困・具体性の欠如は、先の大戦においてのみならず、現代の政策にも見られる日本の特徴の一つである。

○これから日本国が、日本語をどう創造(自己再生産)してゆくのかというのは、日本の言語教育の根本的問題の一つであろう。

○明治以降から近年までの「英語」は日本語の創造に関与していた。「英語」は単なる"English"ではなく、日本の教育制度の中の一教科であった。昨今は言語教育関係者に米英で教育を受けた者がますます多くなっているせいか、「英語」を単に"English"の普及としか考えないように見受けられる場合もあるように思う。これでよいのか。反動的な国粋主義に陥ることなく、ポスト近代の言語教育を総合的に考える必要があるのではないのか。


愚見はとりあえず以上です。


ともあれ歴史的な事実を知り、そこから考えるためにはとてもいい本です。ぜひお読みください。


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