通説では、「音声」なら話しことば、「文字」なら書きことばと簡単に捉えられがちですが、NHKニュースが音声で伝えられながらも文体上は書きことばと考えることからも、この通説には再考が必要です。
著者の福島先生は、「口頭言語と書記言語は同じ言語の別の姿である」(8ページ)と両者を区別します。書記言語とは「典型的には、文字化して視覚的な媒体として受容されることを発信者が念頭に置いた場合に選択されることが多い言語変種」(32ページ)というのが福島先生の規定です。ですから書記言語は言語使用状況ひいては社会状況の変化と共に生じるということになります。
書記言語が口頭言語の存在とは別に成立する理由は、簡単に言えばそれぞれの用途が違うからである。そして口頭言語の用途は言語獲得以来、どの社会にも普遍的に存在するものであるのに対して、書記言語の必要性は限られた社会だけに生じるものである。書記言語とは、口頭言語が存在しているだけでは間に合わないような言語使用条件が現れた言語社会だけに成立するものである。(35ページ)
ですから書記言語の成立は、単に表記法の追加であるだけでなく、社会の大変革であるわけです。
社会における書記言語の成立と普及という出来事は、その言語社会の言語のみならず、政治、教育、思想、人々の価値観や行動様式など、あらゆる文化的側面に大変革をもたらすのは確かである。もたらすことがある、というのではなく必ずもたらす、さらにいえば、もたらすために書記言語が生み出され広められるとさえいえるものなのである。(29ページ)
ということはたとえ文字化された言語でも、読み手と想定される人間が、日常的な対面的コミュニケーション(相互作用的コミュニケーション)の相手の範囲に近いもの(56ページ)であり、言語の自律性が低く、文脈依存性が高い言語表現なら、それは十全な意味での書記言語ではないことになります。
こういった前提に基づき、福島先生は日本語の歴史上に現れた書記言語は二種類しかないと主張されます(42ページ)。「訓読文系言語変種」と「現代標準日本語」の二つです。(両者はそれぞれ「訓読文」、「日本語」(ただし常に鍵括弧を付ける)というように表記されます。(44ページ)(注1)
ここで歴史的進展を少し整理しておきますと、単なる文字表記の誕生と本格的な書記言語の成立を別物と捉える福島先生は、書記言語成立までの状況を以下のように区別します。
(1) はじめに無文字の状態が長く続いた
(2) 次に文字は獲得していても、社会全体としては、未だ書記言語は必要とされていない時期があった
(3) 次に口頭言語と書記言語が併存する社会が到来した (46ページ)
そうして書記言語としての訓読文は成立したのですが、それは使用者と使用対象においてきわめて限定的なものでした。
A 訓読文を使いこなせた(不自由なく読んだり書いたりできた)のは日本社会の一部の人間に限られていた
B 訓読文は日常生活すべての場面に対応できる言語変種ではなく、学問、宗教などの限られた領域に関わる情報伝達にしか対応していなかった (46ページ)
この訓読文は、もともとは中国語文典の翻訳から生じたものです。もちろんこの場合の中国語は文典として成立しているものですが、口頭言語ではなく書記言語でした。書記言語としての中国語を日本語に翻訳し、その日本語翻訳を時空を共にしない他の日本人にも理解してもらえる文書にしようとする中で書記言語としての訓読文は成立したといえるでしょう(福島先生は「訓読文とは、非常に単純化していえば、(中略)もとはといえば翻訳のためだけの言語変種である」(191ページ)とも述べています。)
この訓読文成立までの過程は
(i) 変体漢文(注2):一見漢文のように見えるが、漢文の統語法を全く無視して、日本語の統語法に基づいた順で表記されているもの。
(ii) 宣命書:意味を表す漢字を大きく、意味を排除して音だけ利用した漢字を小さく書いたもの。
(iii) 訓点語:宣命書に加えて文字以外の記号もいろいろ使ったもの。
(iv) 万葉仮名専用表記:すべて意味を排除して音だけを利用した文字として漢字を使用した表記。
(以上、本書25-27ページの記述を引用者がまとめたもの)
とまとめられます。
著者の、訓読文を書記言語として認めても、和文(仮名文―『源氏物語』や『枕草子』などの平安仮名文学作品で用いられた言語変種)を書記言語としては認めないという主張は、きわめて興味深いものですが、その根拠としては、(ア)訓読文と比べると和文には、文と文との論理的関係を明示するタイプの接続詞が少ない(54ページ)、(イ)和文には、統語論的には完結しているが、意味的には後続する文と一体化して解釈する方が妥当な表現(現代日本語なら「雨が降っているからだろうか 客が少ない」)が相当見られること(63ページ)などがあげられています。
「文と文の間には必ず明確な切れ目があること」が、「言語内情報完結度が高い言語変種」としての書記言語にとって「情報処理を円滑に行うために必要な要求」である(73ページ)ことからしますと(イ)の根拠にも納得できます。
逆に言いますなら、「日常的な口頭言語によるコミュニケーションの場では、文という単位を他のもっと大きな、あるいはもっと小さな単位と区別することなどあまり必要とされない。また、そういう単位動詞のつながり方もさまざまであり、100%つながっているか100%切れているかのどちらかどいうものではない」(77ページ)わけであり、ここでも書記言語と口頭言語の区別を明確にする必要性が認識されます。
さて訓読文に続いて、第二の書記言語となった現代日本語(「日本語」)ですが、この成立にはいわゆる「言文一致」運動が大きく関わりました。しかし著者はこの「言文一致」という表現は誤解を招きやすいものであることを次を引用して強調します。(というより、情報処理の要求がまったく異なる対面コミュニケーション用の口頭言語と時空を越えたコミュニケーション用の書記言語が同じになることは考えがたいと著者は主張しています)
言文一致体とは、書きことばにおける新しい共通語であって、それは話しことばがそのまま文字で書き表されるようになったということではない。
鈴木義里(2003)『つくられた日本語、言語という虚構―「国語」教育のしてきたこと』右文書院45ページ
またこの書記言語としての「日本語」も自然に成立したというよりは、
まず先に、全国規模での普及という幻想を国民に持たせるという言語変種が必要とされて、そのためにはその言語変種は書記言語でなければならず、その条件に合う言語変種として「日本語」が新たに創り出された(172ページ)
ものであると著者は述べますが、この主張はイ・ヨンスクの『「国語」という思想』に重なるものです。
明治の近代化においては、国民の広い階層が書記言語による書物を読み書きする必要がでてきたので「日本語」が多くの日本人の懸命の努力の末に成立したといえましょうか。
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(注1)近代の訓読文系の書記言語(のみ)をさして著者は「文語」という用語も使います。(118ページ)
(注2)「変体漢文」は現在では「漢式和文」とも呼ばれます。「変体漢文」は中国語の文字を使うものの、音声的にも統語的にも日本語だからです。山口仲美(2006)『日本語の歴史』岩波書店48-49ページ)
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