この本で印象的だったのは、伊藤先生がとても現実的・具体的で、文部省の指導要領のずさんさを指摘しながらも、決して自分の業界のやり方である受験英語を礼賛せず問題点を分析した上で、大学の傲慢な怠慢もしっかりと指摘しているところです。
以下は、私なりにかなり歪めた上でこの本の要点をまとめたものです。引用ページは書いてあるものの、私なりの書き足しなどがたくさんありますし、何よりまとめかたが私の偏った視点によるものですから、本書に興味をもたれた方は必ずこの本をご自分でお読みください。この本には下の記述などでは到底語り尽せない豊かな内容があります。
以下、
1 指導要領はお題目に過ぎない、
2 だが受験英語にも問題点がある、
3 大学入試英文和訳問題にも問題点がある、
4 お題目でも受験英語礼賛でもない途を見いだすことが必要、
という順番で、私なりにこの本の一部を恣意的にまとめてみます。タイトルなどはほとんど私の言葉ですから、これらの表現を伊藤先生の表現と混同しないようにご注意ください。伊藤先生の主張をきちんと理解したい人は、繰り返しになりますが、必ずご自分で本を読んでください。
1 「まんべんなく英語力を伸ばす」はお題目に過ぎない
文部省が指導要領などで掲げる「英語のオールラウンドな力を伸ばすための教育」といった文言は、到達点を明らかに定めていない、精神論的な教える態度に関するものであり、教育上の目標ではない。(2ページ)
2 受験英語の問題点
受験英語は目標がしっかりしており、方法論の上でも引き継ぐべき優れた遺産がたくさんあるが、批判すべき点も多々ある。
2.1 英文解釈の「公式」は非体系的で非本質的
英文解釈の参考書中の名著とされる山崎貞の本(『新々英文解釈研究(復刻版)』)なども、英語表現の本質ではなく日本語への訳出の際に苦労する点を「公式」として示しただけになりがちであった(40ページ)。
つまり英文解釈の参考書は、結局は「こういう形はこう訳す」でけに終始し、訳は一例として提示して英語の構造と意味を納得させるという本質的な説明を欠きがちであった。(45-46ページ)
2.2 文法用語も非体系的に乱発された
高校の英語で英文法の時間がなくなり文法教科書がなくなって以来、学校文法は公の場での議論と切磋琢磨の場を失った。(60ページ)予備校や塾といった「ウラ」にまわった文法教育は、一部で新奇な文法用語の非体系的な乱立を招いてしまった。(58-59ページ)
2.3 過度に分析的な英文解釈法も逆効果
同じように学校英語の文法軽視の反動として、原仙作(『英文標準問題精講』)などの精緻な分析が過大評価され、一部で英文を過度に分析してしまう学習法がもてはやされてもしまった。(71ページ)
2.4 文法を公理ととらえる誤りに捉えられてしまっている
これらの文法教育の誤りは、文法説明は一つの考え方であり、そういう考え方をすれば多くの場合うまく英語が説明できるのであるということに気づかず(あるいはその論点を巧みに回避して)、文法説明をまるで幾何学の公理のように先験的に与え、それを英語のすべての表現に打倒させようとしたことにある。(71ページ)この誤った想定のためにいかに生徒と教師が悩んだかを知るには当時の英語雑誌のQuestion Boxを集大成した『クエスチョン・ボックス・シリーズ』を見ればよい。(72ページ)
2.5 しかし基本的な文法教育は必要
しかし外国語を学ぶためには、「言葉の言葉」である文法用語は基本的な範囲で必要である。(190ページ)
3 大学入試の英文和訳
英文和訳は大学入試には適しているが、数々の問題点があり、限界もある。
3.1 英文和訳は高等教育への適性を測ることができる
優れた英文和訳問題では、例えば因果関係の認識や「必要」と「有用」の区別といった高度な言語能力についてある程度の妥当な判断ができる。こういった能力の有無は、海外旅行での「会話力」などより、はるかに学校教育にとって本質的なことである。(91ページ)
3.2 大学側の怠慢が機械的で不自然な訳をはびこらせている
英文和訳を出題する大学が「採点基準とまではいかずとも、正解例、許容した答案例を公表するのは当然の義務」であるのに、大学はそれを怠っている。その結果、高校や大学では機械的(あるいは「公式的」)で不自然な日本語になる昔ながらの訳出法を「読みにくくてもこの訳のほうが大学入試では無難だ」と教えざるをえない。(84ページ)
3.2 高校・予備校教師も不自然な日本語に無自覚
しかしその開き直りに乗じて、一部の高校・予備校教師は「直訳」や「逐語訳」と称してでたらめな日本語を教室でしゃべり、ひどい場合には書き取らせる。これは英語理解に役立たぬばかりか、生徒の日本語感覚を破壊する蛮行である。(144ページ)
3.3 きちんとした翻訳を教える場がない
「日本語だけを読んでわからぬものは訳とは言えない」という基準は翻訳にとって不可欠だが、仮にこの基準を大学入試の採点で採択したとしても、こういった翻訳法は大学入試以前のどこでいつ誰が教えることになっているのかということが抜けている。(141ページ)
3.4 現実的には翻訳の質を入試で採点することは困難
大量の答案を公正に採点しなければならない入試で、受験者と採点者の間に英文の意味を日本語でどう表現するかについての「約束」が現実問題としてはある程度は必要だろう。(226ページ)
3.5 テストに対する現実的な割り切りが必要
なんとか教えることはできてもテストで測定することは不可能なことはある。それを無理にテストすることは、「重層的な薄明の領域を無理に黒と城で割り切ろうとする思考態度を学生に植えつけることとなり、学生の頭脳を硬くすることになって、無益であるのみならず有害である」。(145ページ)テストに対して現実的な割り切りが必要である。
4 「英語のシャワー」や「訳読こそが王道」を超える必要がある
たくさんの英語を速く読ませていればそのうち何とか英語力はつくというのは迷信であるが、さりとて旧来の訳読式が万能であるわけでもない。この神秘主義と訳読式の対立を超える新しい契機が必要である。(157ページ)
私なりのまとめは以上です。
最後に大学に勤める私にとって最も耳の痛い伊藤先生の言葉を引用します。この言葉を掲載することで私は英雄気取りをすることはできませんが、さりとてこのことばに頬かむりをすることもできないので、ここに紹介だけする次第です。
入試問題に対する解答例を公表せよという声があがってから久しいが、大学当局は拒否の理由すら明言せぬままほほかぶりを押し通している。倚(かた)よらしむべし知らしむべからず、というのは封建時代を象徴する言葉であるが、大学の頑冥な態度を見るとこの言葉を想起せざるを得ない。(中略)どうしてこうなるかを考えると、結局密室の中での欠席裁判、弁護人なしの一審制という中世的な制度に突きあたるのである。理性と批判に対し開かれた世界であることをもって存在理由とすべき学問の府が、何ゆえにこの問題に対してかくも閉鎖的であり続けるのか筆者には理解できない。(113-114ページ)
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2 件のコメント:
1日2回投稿してしまい、申し訳ありません。
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伊藤和夫と同時期に駿台で働いていた入不二基義の著作です。もう先生は既にお読みになっておられるかもしれませんが、とても面白い本だったので、ご紹介までに。
入不二先生の本は、いつか何かを拝読し、やっぱり本職の哲学者はすごいなぁと感嘆したことがありますが(題名が思い出せない・・・)、この本は未読でした。さっそく注文しました。
大学入試や大学で「精読」は必要ですね。
もっとも高校や大学の教師自身が精読できないのではないかというのがこの本のメッセージなのかもしれないのですが・・・
それでは!
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