日本語の書き言葉の歴史は、奈良時代に他国の文字である漢字とめぐりあい、日本語を必死になって漢字で書き表そうとしたところから始まります。
次の平安時代は、漢字を手なずけ、ともかくにも日本語を話すように書き表すことができるようになり、言語芸術の花を開かせます。色とりどりの美しい花が咲き、その中には現代に受け継がれる文章の花も咲きました。
その後の鎌倉・室町時代には、ふたたび書き言葉は話し言葉から離れ始め、平安時代の話し言葉の文法は姿を変えて行きます。
次の江戸時代は、現代語に連なる話し言葉が形成された時期です。日本の歴史の近代化は、明治以降ですが、日本語の歴史は一足お先に、江戸時代に現代語の基礎が出来上がっていきます。
(中略)
明治時代になると、話し言葉と書き言葉は、絶望的に離れてしまいました。人々は、書く言葉を話す言葉に近づけようと戦い、ともかくにも両者の一致を完成させます。(7-8ページ)
以下、私にとって勉強になった点を列挙します。私の言葉が入っており、しかもそもそも恣意的な選択ですから、この本に興味をもった方は必ずご自身でお読みください。
■書き言葉は官僚制度と共に始まった
漢式和文が書かれたのは大化の改新で官僚機構が整備された頃から。(50ページ)
■知識人は外国語も書ける
『続日本書紀』『日本後記』『続日本後記』『文徳実録』『三代実録』などの平安時代の国史は漢文つまり外国語である中国語で書かれた。文学方面でも『凌雲集』『経国集』『文華秀麗集』といった漢詩集も漢文=中国語で書かれた。(54ページ)
知識人が外国語で書けることは、明治時代では夏目漱石の漢詩などでも観察されるとおりであり(古井由吉(2008)『漱石の漢詩を読む』岩波書店)、現代でも多くの科学者は英語で論文を書いている。
■訓読には独特の和語が使われている
現在高校で教えられる漢文では、漢語はできるだけ漢語で読むという江戸時代の訓読法に従っているが、奈良時代や平安時代にはできるだけ和語に翻訳して訓読しようとする傾向があった。しかし例えば「眼」を「ガン」と音読みにしないで「まなこ」という和語に翻訳して訓読したが、当時の日常会話で使われる和語は「め」であった。単語だけでなく言い回しも例えば「いかにいはんや」「すべからく・・・べし」など日常で使われない表現が使われた。(57-58ページ)
この非日常的表現の多用は、幕末の書き言葉である漢文および漢字かな交じり文でも同じであった。(175ページ)
また他では使われない独特の表現は、近代の英語からの翻訳文体でも多く観察されている。(58ページ)
■ひらがな文がなぜ日本語の代表的文章とならなかったのか
ひらがなは、当時の話し言葉を基盤とし、物語・日記・随筆という散文を中心とする文学を開花させた(80ページ)が、以下のような理由で本格的な書き言葉には成長できなかった。
(1) ひらがなが多すぎると読みにくい。
(2) 政治・経済・宗教といった抽象的な意味を表現するには漢語の方が便利であり、ひらがなはもっぱら男女関係の機微などの表現に使われた。
(3) 元々は和歌で鍛えられたひらがな文は、語句と語句との関係を明確にすることを不得意とした。(84-86ページ)
■江戸時代の話し言葉の限界
江戸時代は、現代語に連なる話し言葉が形成された時期といえるが、江戸語にしても武士階級と町人階級では言葉が異なり、さらに町人階級でも武士たちと付き合う大商人と普通の町人の言葉は異なった。ちなみに町人言葉は明治時代には東京語の下町言葉へと進化していった。(145ページ)
さらに移動の自由がなかった領民はその領内でしか通じないような言葉を話していた。明治政府はこういった状況で「標準語」を制定する苦労を担ったが、その様子は井上ひさしの戯曲『国語元年』にうまく描写されている。(169ページ)
■五箇条の御誓文は新たな書記言語創設の宣言でもあったといえるかもしれない
江戸時代まで、公用文や正式の文書は漢文か漢式和文(変体漢文)で書かれていた。漢字カナ交じり文で書かれた五箇条の御誓文はその意味で画期的であり、一部の人間にしかわからない漢文(要は外国語)を書記言語としたままでは近代化は成功しないことを当時の政府が理解していたことが推測できる。(177-179ページ)
■言文一致運動が単純には進展しなかった理由
一つには人々の意識が身分制度からなかなか抜け出せず、旧来の支配層は支配構造を言語的に維持しやすい文語(訓読文系の表現)を好んだ。もう一つにはそれまでの話し言葉で豊かに表現区分していた話し手と聞き手の人間関係を、書き言葉でも通用するように新たな表現を模索することは困難であった。(185-186ページ)
■西洋語翻訳での漢語
当時の知識人の主な教養は漢学であり、漢語は和語より抽象表現にすぐれ、かつ短く簡潔な表現も得意としていたので、西洋文明の消化は、それまでの教養基盤である漢文を創造的に活用することにより行われた。(189ページ)
私の偏頗なまとめは以上です。ポスト近代の英語教育を考えるため、現在、日本語を歴史的に考えるために何冊か本を読んでいますが、歴史的考察は本当に面白いです。私たちが現在当然視していることが、ほんの少し前の大変革であったことを学ぶことは、これからほんの少し後にあるかもしれない大変革について考えるための知的想像力を刺激してくれるようです。読みやすく短い新書ですから、皆さんもぜひお読みください。
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