2010年8月31日火曜日

ナラティブ実践者の感想

先日の全国英語教育学会で私は教師の実践ナラティブについての理論的な考察を発表しましたが、この学会では、私の他にも何人かの方がナラティブ関係の発表をしておりました。特にポスター発表で多かったので、私はその発表者およびその聴衆で教師ナラティブを経験した方々に、私の発表で芽生えてきた問題意識に基づく質問を重ねました。そうしますとやはり予想通りというか、予想以上に面白い応答が聞けて非常に興味深かったです。


典型的な応答をいくつか書いておきますと、

・書くということは、自分と向き合うこと。最初の内はリフレクションを書けないのは、時間がないからだと思っていたが、実は自分を見つめて、ありのままの自分を認めようとすることが怖かったから。

・「自分はできない」で逃げてごまかしていた。

・理論が助けてくれると思い、大学院に行ったが、自分が気づかないと自らの実践は変わらないことがわかった。


・実際に書いてみたら、驚くほどに書けなかった。授業中に様々なことが起こっているはずなのに具体的なことが書けない。生徒を見ている「つもり」だったことに気づいた。

・気づくということは生徒が見えるようになるということ。

・ジャーナルを英語で書く事で二重の意味で対象化ができる。つまり実践を振り返って日本語で表現することで、自らの実践を言語の形で対象化(第一次対象化)ができるが、日本語で書くとついつい感情的な表現(例「がっかりした」)などに引きずられてしまう。その点、英語で書くと、まずは頭の中で日本語を浮かべたとしてもそれを英語にしようとする時、その日本語表現で自分は何を感じているのか・何を言いたいのかを再検討しさらに自分の実践を対象化できる(第二次対象化)。こうすることで「生の自分」とうまく距離を取り、より十分に自分を観察できるように思う。また英語でジャーナルを書き続けることで、英語教師としての自覚と自信にもつながるように思う。



自分の研究の一つのアプローチとして、実践者の話を丁寧に聞くということを充実させてゆきたいと思います。









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