2018年2月22日木曜日

伊藤穰一 (2015) 『ネットで進化する人類 ビフォア/アフター・インターネット』角川文芸出版


「インターネットはすでに道具ではなく、環境である」とはこの本のシリーズ(角川インターネット講座)の共通認識です。

この本の編著者の伊藤穰一(https://joi.ito.com/jp/) Joi Ito (https://joi.ito.com/) 氏が現在所長を務めるMITのメディアラボは、ニコラス・ネグロポンテの「コミュニケーションは社会の土台であり、テクノロジーの登場によってコミュニケーション構造が変化すると、社会はあらゆるかたちで影響されていく」という基本認識のもと「未来を創造する」研究所として設立されました。メディアラボはもちろんインターネット技術に多大な貢献を果たしましたが、その四代目所長に就任した伊藤氏は、そんなメディアラボも、文化はそれほど「インターネット的」ではないことに気づき、所長としてメディアラボを、よりオープンで変化にとんだイノベーションに対応する構造に作り替えようと企図しました。

その中で学び実践している原則は、下の本にまとめられている通りですが、

伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017)
『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房

この本は、そんな伊藤氏が、アフター・インターネットの時代性と脱専門 (antidisciplinary) 性を踏まえた上で活躍している研究者に執筆を頼んでまとめた本です。

寄稿者は以下の通りですが、これらの人たちが説明している現在と切り開いている近未来はまさに衝撃的なものです。おそらくその衝撃は下に挙げたウェブページを見るだけでは伝わらず、本書を読まないとわからないでしょう。

スプツニ子!
http://sputniko.com/
ケヴィン・スラヴィン (Kevin Slavin)
https://www.linkedin.com/in/slavin
藤井直敬
https://wired.jp/innovationinsights/post/wired/w/virtual_reality_changes_us/
田中浩也
http://xd.sfc.keio.ac.jp/people/faculty/hiroya-tanaka/

この方々たちの共通点は、高い専門性をもつだけでなく、アートに対する理解が深く、自分の専門以外の人々とのコミュニケーションが密であることかとも思います。もしかすると「研究者」に求められる資質も大きく変化しているのかもしれません。


編者の伊藤氏自身が書いた「バイオ・イズ・ニューデジタル」の章の主張も、下に紹介する引用を読んだだけでは伊藤氏は単に大言壮語をしているだけだと思われるかもしれません。(伊藤氏は同じようなことを90年代にインターネットの意味を語った時にも経験しました)。

進展する人工知能技術や遺伝子工学から想像できる人間の未来というのは、コンピューターと人間が一体化してそのすべてがネットワークでつながった形になるだろう。それは比喩ではなく、真の意味での「グローバルブレイン」だ。 (Kindle の位置No.2814-2816)


そういった「バイオとエレクトロニクスの完全融合」をもたらすのはコミュニケーションです。伊藤氏はコミュニケーションを次のようにとらえます。

バイオとエレクロニクス完全融合の本質部分には、ネットワークコミュニケーションがあることは言うまでもない。というより、生命を定義するうえでは、「生命はコミュニケーションする存在だ」という考え方もできるだろう。

生命は一般に「外界との明確な境界を持ち代謝と自己保存や自己複製を行う存在」と定義されるが、生き残りのために外界や仲間とのコミュニケーションは必須だ。正確には、コミュニケーションを巧みに用いたものだけが生命体として生き残ってきたといえる。 (Kindle の位置No.2844-2848)

伊藤氏は次のことばでこの本を閉じます。

ネットワークとコミュニケーションの技術は、バイオ世界を解明しつつ同時にバイオと完全融合していき、それによって生み出される新しい技術と哲学が深淵に光をもたらすはずだ。

深淵に潜む、あるいは深淵でわれわれが創造する「真新しい何か」が何 あるかは、もちろんまだわからない。だが、このシナリオは「予想される未来形」ではなく、「現在進行形の確定的な現実」なのだと、僕はいま強く訴えたい。(Kindle の位置No.3053-3054)


社会の変化と進化がますます加速する今、自分の目の前にあるだけの現実にとらわれてしまっていては危ないと思います(もっとも、私は目の前の現実をよく見ていないことからしばしば失敗をしていますが 苦笑)。






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