2018年2月26日月曜日

一般社団法人「ことばの教育」の箱根研修会に参加して


短期の数値目標で次々に追い立てられるような毎日の中で、私たちは考えることを次第に止めていきます。とりわけ教育界は「学習指導要領がこう言っているから」あるいは「改革は規定路線だから」といった名目で考えることをあからさまに抑圧するような傾向すらあります。そんな中、自ら考える習慣を持つ人は世の中の大勢に違和感を感じ発言しますが、その発言は思考を止めた人々の反感を招き、考える人は孤立感を深めて行きます。

今回の「ことばの教育」の箱根研修(2/24-25)では、そんな考えることを止めない人が集まった会になったように思います。会の趣旨はそれぞれが自由に発言することです。安心できる雰囲気の中で自由に発言をする機会を保障された参加者は、私も含め多様な意見が表現される空間で、お互いに率直に質問や反論をすることを許される、いやむしろ奨励されることの楽しみを味わいました。

一般社団法人「ことばの教育」

私自身としましては日頃考えている英語教育についてだけではなく、国語教育や塾の動向、そして定時制高校の実態などを知ったことはとりわけ役に立ちました。

会の中で共有されていた懸念の一つは、公教育の危機です。英語教育における小学校英語教育の性急な導入や大学入試改革の見当はずれの方向、あるいは国語入試での思考力を測る設問の実態などは改めて考え直すとやはり異議を唱えざるを得ないものです。

そういった中で(一部の)塾がむしろ教育の本質をついているような実践を行っているのは本当に皮肉なことです。いやこれを皮肉と捉えてはなりません。塾に行ける子は限られているからです。どんな子にも豊かに学ぶ機会を与えるべき公共教育が、枝葉末節に追われ考えることを失った行政者や教師によって遂行され、まともな教育を受けるのはきちんとした塾や予備校に行ける経済力を持った家庭の子どもだけになることは、国として断じて避けなければなりません。そういったことを改めて日頃とは違う空間で考えることができたのは今回の収穫でした。

また今回は泊まりがけでの研修でしたのでいろいろな情報交換をすることができたのも収穫でした。私としては多くの読むべき子本を知ることができました。その中でも特に新井紀子先生の新刊はやはり面白く、私は帰りの新幹線の中で購入した電子書籍を読み、そしてその勢いで数学の本も買いました。さらに個人的には大津由紀雄先生と久しぶりにゆっくりお話できたのはありがたかったです。終始穏やかな態度で科学と民主主義の精神を体現されている大津先生にお会いできることは、私にとって何よりの勉強となります。

こうした実りある「ことばの教育」の一泊研修会でしたが、残念ながらまだまだ参加者は少ないです。いたずらに参加者の数を増やすべきだと思っているわけではありませんが、異なる背景と考えをもち、さまざまな実践を行っている人が集まって安心して自由に語り合える空間をもてることは、この「ことばの教育」がやっていくべき重要な事業の一つかと思いました。実は、私はこの「ことばの教育」の理事の一人でもありますので、微力ながらこの事業が発展するように努力を続けたいと思っています。









追記

以前に書いた「英語教育の 「危機」 と教育現場」という論考も上記の議論に少し関係しているかもしれません。以下は同論文(草稿)の最終段落です。

知性的概念と理性的理念を生み出す「真理の体制」である英語教育学会誌も、その他のあらゆる言説と同様、権力の網の目の中に組み込まれている。その網の目には、政治権力、教育行政権力、反体制的権力などがあり、私達が「真理」と称する現象もそれらの権力関係の影響を不可避的に受けながら生成される。特定の大きな権力およびその権力が好む「真理の体制」に無批判的に追従することは容易であり、しばしば大きな利権の獲得にもつながるが、権力の網目に絡まれながらもその権力関係性を自覚し、そこから少しでも覚めた眼で英語教育の現象を記述し分析、その上で「こころ」と「からだ」のあり様の解明をすることこそが英語教育学の課題であろう。もしそのような試みを放棄したり嘲弄したりするようなことがあれば、それは英語教育の深刻な危機であろう。



柳瀬・山本・樫葉 (2015) 「英語教育の 「危機」 と教育現場」 (草稿)



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