この記事は、学部生向けのある授業の補助資料として作成したものです。
これからの人工知能の発展、日本の人口減少や格差拡大の可能性を考えると、学校敎育が、みなさんが受けてきた授業をそのままあるいは微調整して繰り返すだけではいけないと私は強く考えます。
もちろん文部科学省もそういうことは十分承知で、「思考力・判断力・表現力」や「主体的・対話的で深い学び」といったキーワードが使われています。しかし、現在検討されている、「思考力を問う」というテストが、具体的な書き方を予め定められた数十字の記述を「客観的」に採点するものであることを聞くと、(この春に大学院を修了した私のゼミ生のことばを借りるなら)「御冗談でしょう」と言いたくなります。私たちはもっと根源的に学校教育のあり方を考え直さなければならないのではないでしょうか。
以下では、数あるTED Talkの中でも非常に人気のあるKen Robinson氏の動画およびその書き起しの一部を掲載します(書き起しは
“Ideas worth spreading” としてWeb上に無料公開されているものなので、出典情報を明記した上でその一部を転載することには問題がないと考えました)。書き起しの前にある数字は講演でその発言が現れる時間です。書き起しの下にある「※」印以降の文章は私の蛇足です。
これらの動画をきっかけに学校教育について創造的に考えたいと思います。
Ken Robinson TED 2006
Do schools kill creativity?
02:24 子どもの豊かな才能を私たちは潰している。
And my contention is, all kids have
tremendous talents. And we squander them, pretty ruthlessly.
※ 教員希望の若者のほとんどは、学校教育の成功者であるだろうから、学校教育が実は一部(あるいは多くの)子どもの可能性を潰しているという可能性について思いをはせることが少ないのかもしれない。しかしこの可能性の認識がない者が教壇に立ってはいけないのではないだろうか。
02:57 創造力は読み書き能力と同じぐらい重要だ。
My contention is that creativity now is as
important in education as literacy, and we should treat it with the same
status.
※ これも口では誰も同意するだろうが、やっていることを見るとこれを実践している人は少ない。というより、創造的であること―そのために、これまでの慣習と異なることをやることや、結果的に間違いであるアイデアを口にだすことなど―を嫌う人は学校教育関係者には多い。
05:22 子どもはわからなかったらとりあえずやってみる。
What these things have in common is that kids will take a chance. If they don't know, they'll have a go.
※ このやり方は、「とりあえず手を動かしてから考える」というやり方で市井の人々の中にも生きていたが、ひょっとしたらこういった考え方は学校教育の影響力の浸透と共に生命力を失いつつあるのかもしれない。
05:22 子どもはわからなかったらとりあえずやってみる。
What these things have in common is that kids will take a chance. If they don't know, they'll have a go.
※ このやり方は、「とりあえず手を動かしてから考える」というやり方で市井の人々の中にも生きていたが、ひょっとしたらこういった考え方は学校教育の影響力の浸透と共に生命力を失いつつあるのかもしれない。
05:22 「間違っても当然」ぐらいでないと何も新しいものは生み出せない。
What we do know is, if you're not prepared
to be wrong, you'll never come up with anything original -- if you're not
prepared to be wrong.
※ 後の方でも出てくるし、本当に重要な問題なのだが、テスト・評価が学びをいびつなものにしてしまっているという本末転倒についてなんとかしなくてはならない。しかし、現在の「教育改革」はますます標準化されたテストの影響力・権力を大きくしようとするものである。
05:22 間違いを恥ずかしいこととして人々の創造性を奪う学校教育
We stigmatize mistakes. And we're now running national education systems where mistakes are the worst thing you can make. And the result is that we are educating people out of their creative capacities.
※ 日本の学校で育った人にとって、自他の間違いを辱めることは、もはや空気のように当たり前のことになっているのかもしれない。
05:22 間違いを恥ずかしいこととして人々の創造性を奪う学校教育
We stigmatize mistakes. And we're now running national education systems where mistakes are the worst thing you can make. And the result is that we are educating people out of their creative capacities.
※ 日本の学校で育った人にとって、自他の間違いを辱めることは、もはや空気のように当たり前のことになっているのかもしれない。
06:06 私たちは創造性を身につけるのではなく、創造性を捨て去っている。
I believe this passionately, that we don't
grow into creativity, we grow out of it. Or rather, we get educated out of it.
So why is this?
※ この考え方には賛否両論あるかもしれないが、この考え方を極度に拒否する人はなぜそう考えるのだろう、という点が私には興味深い。
09:52 大学の教授というものは頭だけ、おそらくは左脳だけで生きている。
There's something curious about professors
in my experience -- not all of them, but typically, they live in their heads.
They live up there, and slightly to one side. They're disembodied, you know, in
a kind of literal way.
※ 大学教員の一人としていうなら、かなりの程度、これはあたっている(笑)。
11:03 [国民の税金で運営する]公教育システムは19世紀以前にはなかった。それが姿を現したのは産業社会の必要性に対応するためである。
Around the world, there were no public
systems of education, really, before the 19th century. They all came into being
to meet the needs of industrialism.
※ -ismをどのように訳すべきか、今一度考えてみよう。 “Industrialism”も英英辞典で定義を読んでみよう。
参考記事:"-ism"を馬鹿の一つ覚えみたいに「主義」と訳すなかれ
11:42 すべての公教育が大学教育の前倒しになってしまっている。
If you think of it, the whole system of public education around the world is a protracted process of university entrance. And the consequence is that many highly-talented, brilliant, creative people think they're not, because the thing they were goo at a school wasn't valued, or was actually stigmatized. And I think we can't afford to go on that way.
※ たしかにこれ以上学校教育が人々の創造性を潰すことを許している余裕など今の社会にはないのではないか。
12:57 知性の三つの特徴。(1) 多様性、(2) 動態性
We know three things about intelligence.
One, it's diverse. ... Secondly, intelligence is dynamic. ...
14:52 (3) 独自性
And the third thing about intelligence is,
it's distinct.
※ しかし実際は、知性とは、標準化テストで測定できる同質的で静態的なものと考えている(あるいはそのように無自覚的に認めている)人の方が多いのではないか。
16:27 今ならADHDで片付けられそうな女の子に対してある賢明な医者が言ったことば
"Mrs. Lynne, Gillian isn't sick; she's
a dancer. Take her to a dance school."
※ このエピソードは非常に印象的。もちろんこれは数少ないエピソードの一つにすぎないのかもしれないが、私はこういった台詞を適切にいえる敎育者でありたい。
16:51 私たちは偉大な才能を善意からの治療で潰していたかもしれない。
She's [=Gillian Lynne] been responsible for
some of the most successful musical theater productions in history, she's given
pleasure to millions, and she's a multi-millionaire. Somebody else might have
put her on medication and told her to calm down.
※ この最後の文の可能性は、ひょっとすると今後増してくるかもしれない。この可能性を極限まで突き詰めた社会を描いた作品として映画『時計じかけのオレンジ』がある。私は学部生の時に、教養の心理学の先生の「教師志望なら一度は見ておくべき」ということばを信じて見た。見るべきだったと思う。ただ、そこに描かれた社会のグロテスクさを私は忘れることができず、数年間は嫌な気持ちが残ったし、今も、この映画を再び見る気にはなれない(一度で十分)。それだけの「名作」だと思う。
18:34 私たちは[テスト対策のためでなく]子どもを全人的に敎育しなければならない。未来は私たちのものではなく、子どものものである。
What TED celebrates is the gift of the
human imagination. We have to be careful now that we use this gift wisely and
that we avert some of the scenarios that we've talked about. And the only way
we'll do is by seeing our creative capacities for the richness they are and
seeing our children for the hope that they are. And our task is to educate
their whole being, so they can face this future. By the way -- we may not see
this future, but they will. And our job is to help them make something of it.
※ 多くの学校教師は想像力を働かせることを自分にも学習者にも禁止する。未来は年配の教師のものというよりも、若い学習者のものであるのに、学習者の未来についてしばしば断言する。しかも権力者として。これについてはこの記事の末尾に紹介する植松努さんの動画をぜひ見てほしい。
Ken Robinson TED 2010
Bring on the learning
revolution!
03:16 人間の資質はしばしば隠れている。私たちはさまざまな環境を作り出してそれが現れるようにしなければならない。それが敎育のはず。
And human resources are like natural
resources; they're often buried deep. You have to go looking for them, they're
not just lying around on the surface. You have to create the circumstances where
they show themselves. And you might imagine education would be the way that
happens, but too often, it's not.
※ 人間の才能はしばしば隠れており、それを掘り起こす、いや、それが自生してくる環境を思慮深く提供するのが敎育者の役目というのはそのとおりだろうと私も考えます。
05:00 改革を阻むのは「他のやり方なんてない」という
“常識”。
The great problem for reform or
transformation is the tyranny of common sense. Things that people think,
"It can't be done differently, that's how it's done."
※ これは本当に怖い。同質性が高く、他人と同じであることに高い価値をおく日本ではこの「常識」が強いのだとすると、日本はこれからますます創造性に乏しい社会になっていくのだろうか・・・
06:41 私たちの考えの多くは前世紀の状況に対応するために作られたものだが、私たちはそれのとりこになっているし、そのことを自覚すらしていない。
And many of our ideas have been formed, not
to meet the circumstances of this century, but to cope with the circumstances
of previous centuries. But our minds are still hypnotized by them, and we have
to disenthrall ourselves of some of them. Now, doing this is easier said than
done. It's very hard to know, by the way, what it is you take for granted. And
the reason is that you take it for granted.
Introduction
of The End of Average by Todd Rose (2017)
08:32 敎育について私たちがとりこになっている考え。(1) 直線性。しかし人生は直線的なものではなく、有機的なもの。人生は状況との共生関係の中から生まれてくる。
But, you see, there are things we're
enthralled to in education. A couple of examples. One of them is the idea of
linearity: that it starts here and you go through a track and if you do
everthing right, you will end up set for the rest of your life. Everybody who's
spoken at TED has told us implicitly, or sometimes explicitly, a different
story: that life is not linear; it's organic. We create our lives symbiotically
as we explore our talents in relation to the circumstances they help to create
for us. But, you know, we have become obsessed with this linear narrative.
※ これについては、下の記事も参照していただければありがたいです。
教育研究の工学的アプローチと生態学的アプローチ
農業はわずか2世代で工業化し投資の対象となった。では教育は?
自然栽培的な教育? ― 杉山修一 (2013) 『すごい畑のすごい土 ― 無農薬・無肥料・自然栽培の生態学』幻冬舎新書を読んで
09:23 敎育の目的は[大学の]教員を創り出すことのようだ。
I think you’d have to conclude the whole
purpose of public education throughout the world is to produce university
professors. Isn’t it?
※ 大学教授とは言わないまでも、教師は学習者に自己像を押しつけていないだろうか。一人ひとりの個性を理解する前に、特定の価値観を押しつけてはいないだろうか。自分のような「学校での優等生」ばかりを優遇していないだろうか?そしてそんな「優等生」が職業化したような官僚や知識人の言うことばかりを聞いていないだろうか。そうやって時代のイデオロギーを強化していないだろうか。仮にどんな時代にも社会的結束を高めるためのイデオロギーは必要だとしても、時代が変わったらどうなのだろうか?学校教育について考えるのに(元)優等生のことばばかり聞くことはやめるべきなのではないだろうか。
10:46 人間の共同体には、能力に関する単一の考え方でなく、多様な才能が必要。
You know, to me, human communities depend
upon a diversity of talent, not a singular conception of ability.
※ 冗談半分で言うなら、こういうことは漫画『ワンピース』を読めばよくわかる(笑)。
10:59 私たちの能力観と知性観を再構成しなければならない。
At the heart of the challenge is to
reconstitute our sense of ability and of intelligence. This linearity thing is
a problem.
12:41 (2) 同質性。敎育が標準化されたファーストフード・チェーンのようになっている。しかし、個別化することによってうまくいっているレストランもある。
The other big issue is conformity. We have
built our education systems on the model of fast food. This is something Jamie
Oliver talked about the other day. There are two models of quality assurance in
catering. One is fast food, where everything is standardized. The other is like
Zagat and Michelin restaurants, where everything is not standardized, they're customized
to local circumstances. And we have sold ourselves into a fast-food model of
education, and it's impoverishing our spirit and our energies as much as fast
food is depleting our physical bodies.
※ 昨今の「教育改革」は、基本的に敎育という営みをどんどん標準化する方向で動いているように思う。こういった考え方自体を問い直さなければならないのではないか。
14:31 敎育のメタファーを工業モデルから農業モデルに変える。教師は学習者を直線的に製造することはできない。教師ができるのは、学習者が育つような環境を創り出すだけ。
So I think we have to change metaphors. We
have to go from what is essentially an industrial model of education, a
manufacturing model, which is based on linearity and conformity and batching
people. We have to move to a model that is based more on principles of
agriculture. We have to recognize that human flourishing is not a mechanical
process; it's an organic process. And you cannot predict the outcome of human
development. All you can do, like a farmer, is create the conditions under
which they will begin to flourish.
※ 同様の教育観はジョン・デューイも提唱している。
John
Dewey (1916) Democracy and Education
(デューイ『民主主義と教育』の目次ページ)
15:05 敎育を状況に合わせて個別化し、学習者に合わせて個性化する。この動きを大切に。
It's about customizing to your circumstances
and personalizing education to the people you're actually teaching. And doing
that, I think, is the answer to the future because it's not about scaling a new
solution; it's about creating a movement in education in which people develop
their own solutions, but with external support based on a personalized
curriculum.
※ 学びの個別化と個性化を、一人でも多くの敎育関係者がそれぞれのやり方で実践し、その実践を社会が共有してゆけば、敎育の「革命」は、「上」からでなく「下」から可能なはず。
ジョン・ホロウェイ著、大窪一志・四茂野修訳
『権力を取らずに世界を変える』 同時代社
Ken Robinson TED Talks
Education 2013
How to escape education's
death valley
02:42 中退の問題だけでなく、学校で疎外感を感じてそこから何も得られない子どものことについても考えよう。
But the dropout crisis is just the tip of
an iceberg. What it doesn't count are all the kids who are in school but being disengaged
from it, who don't enjoy it, who don't get real benefit from it.
※ 私は何度も言っていますが、幼児の時は世界のどこの国の子どもと同じように活発だった日本の子どもの少なからずが、高校卒業ぐらいまでには、どこか虚ろな目をして、自分が本当にやりたいことがわからなくなってしまっているとするならば、学校敎育は何をしてしまったのだろう。
最近のニュースだと、日本の高校生は自己肯定感が、米中韓にくらべて著しく低い。
国立青少年敎育振興機構
2018(平成30)年3月
高校生の心と体の健康に関する意識調査―日本・米国・中国・韓国の比較―
学校教育が作り出している影について敎育関係者はもっと自覚的であるべきではないか。
02:55 人生が豊かになるための三つの原則があるが、それらは現代の教育文化に反している。
There are three principles on which human
life flourishes, and they are contradicted by the culture of education under which
most teachers have to labor and most students have to endure.
※ (ごく少数の例外を除くなら)日本の教師が怠け者だと私は思わない。ただ努力の方向が間違っているのではないかと私は考えている。
03:29 最初の原則は、人間は本来的に多様であるということ
The first is this, that human beings are
naturally different and diverse.
※ 必ずしも廉価ではない詰め襟の学生服などを制服として年中着用させながら、「創造的であれ」なんて、私には冗談にしか思えない。
04:22 教育改革は、多様性ではなく、狭い範囲での同質性を求めている。
Education under "No Child Left
Behind" is based on not diversity but conformity. What schools are encouraged
to do is to find out what kids can do across a very narrow spectrum of
achievement. One of the effects of "No Child Left Behind" has been to
narrow the focus onto the so-called STEM disciplines. They're important. I'm
not here to argue against science and math. On the contrary, they're necessary
but they're not sufficient. A real education has to give equal weight to the
arts, the humanities, to physical education.
※ WIKIPEDIA: No Child Left Behind Act
2005年にアメリカで制定された小学校・中学校の改革法案で、高い到達基準を設定しその達成状況を標準化試験で測定すれば敎育はよくなるという考えを特徴の一つとした。
06:20 人生を豊かにする原則の二番目は好奇心である。好奇心があれば子どもは放っておいても学ぶ。
The second principle that drives human life
flourishing is curiosity. If you can light the spark of curiosity in a child,
they will learn without any further assistance, very often. Children are
natural learners.
※ 大学教師として、一番苦労するタイプの学生の一つは、自らの知的好奇心を失ってしまったような学生さん。半ば虚ろな目で「言われたらなんでもやりますので」と告げられると、若干ことばを失ってしまう(「君は誰の人生を生きてるの?」)。
06:20 教師の役割は学びを促進することである。だが、敎育の焦点は今、テストにある。もちろん標準化されたテストにも役割はあるが、それが敎育の中心となるべきではない。敎育におけるテストは診断的なものであるべきだ。
The role of a teacher is to facilitate
learning. Thad’s it. And part of the problem is, I think, that the dominant
culture of education has come to focus on not teaching and learning, but
testing. Now, testing is important. Standardized tests have a place. But they
should not be the dominant culture of education. They should be diagnostic.
They should help.
※ diagnostic testingとは本来は医学用語だが、転じて教育界で使われる場合は、学習者がつまずいているところを知り、教師が授業を改善するために使うテストを指す。
09:24 しかし今は順守(コンプライアンス)の文化がはびこり、子どもも教師も定められたやり方に即することが求められている。
So in place of curiosity, what we have is a
culture of compliance. Our children and teachers are encouraged to follow
routine algorithms rather than to excite that power of imagination and
curiosity.
09:24 人生を豊かにする原則の三番目は、人間は本来、創造的であるということ。人生は創造と再創造の中から形成される。
And the third principle is this: that human
life is inherently creative. It's why we all have different résumés. We create
our lives, and we can recreate them as we go through them.
※ 人生とは、他人が定めた課題をこなすことではなく、自分にとってやりがいのある課題を見つけそれに取り組み、さらに課題を再発見することというのは、当たり前のことのようでいて、必ずしもそうでない。ここには漠然とした(しかしおそらく正しい)不安があるのだろうか。たしかに、現在の政治状況を見ると、日本の権力構造への信頼はもちがたいように思える(最終的には、権力構造をしっかりと使いこなせていない国民がその責任をもたなければならないのだろうが・・・)。
10:39 創造は他の選択肢や可能性を想像することから始まる。しかし、敎育は標準化の文化にそまっている。
We all create our own lives through this
restless process of imagining alternatives and possibilities, and one of the
roles of education is to awaken and develop these powers of creativity. Instead,
what we have is a culture of standardization.
※ 標準化されたテスト対策を過剰にやることが、創造性の涵養を阻んでいるというのは、俗説を超えた正しい認識であるように思えますが、何か?(笑)。
13:30 敎育が指令と管理のやり方で行われている。
You see, there's a big difference here
between going into a mode of command and control in education -- That's what
happens in some systems. Central or state governments decide, they know best
and they're going to tell you what to do. The trouble is that education doesn't
go on in the committee rooms of our legislative buildings. It happens in
classrooms and schools, and the people who do it are the teachers and the
students, and if you remove their discretion, it stops working. You have to put
it back to the people.
※ 重要な箇所だと思うので翻訳
ここで[私が提唱していることと]大きく異なるのは、敎育を指令と管理のやり方で行うことです。このやり方が進行している敎育システムもあります。判断をするのは中央政府や地方政府です。敎育についてもっともよく知っているのは政府であり、政府があなたに何をするかを告げるのです。しかし問題は、敎育は立法府の建物の会議室で行われているのではないということです。敎育が行われているのは教室と学校で、敎育に関わっているのは教師と学習者なのです。もし教師と学習者の自由裁量を奪ってしまったら敎育は機能しなくなります。敎育を[政府から]人々のもとに戻さなければなりません。
14:14 現在の教育政策は機械的な教育観に基いている。
[M]any of the current policies are based on
mechanistic conceptions of education. It's like education is an industrial
process that can be improved just by having better data, and somewhere in the
back of the mind of some policy makers is this idea that if we fine-tune it
well enough, if we just get it right, it will all hum along perfectly into the
future. It won't, and it never did.
※ ここも翻訳
現在の多くの教育政策は、機械的な教育観に基づいています。敎育は生産過程と同じで、よいデータを入れればそれだけで改善されるぐらいに考えています。政策決定者の心のどこかには、この過程を微調整すれば、敎育は十分にうまくいき、敎育という機械がブーンといい音をたてて未来を創り出すという考えがあります。ですが、そんなふうにはなりません。かつてそんなふうになったこともありません。
16:35 条件さえそろえば必ず生命は発展する。
If the conditions are right, life is
inevitable.
※ このあたりの「死の谷」の比喩の使い方にも注目。いいスピーチはしばしばすぐれたメタファーを基調にして話される。
山口周 (2017) 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」』 光文社新書
17:57
Great leaders know that. The real role of leadership in
education -- and I think it's true at the national level, the state level, at
the school level -- is not and should not be command and control. The real role
of leadership is climate control, creating a climate of possibility. And if you
do that, people will rise to it and achieve things that you completely did not
anticipate and couldn't have expected.
※ ここも翻訳
本当に偉大なリーダーは知っている。国・地方・学校のどのレベルでも、敎育は、指令と支配ではないし、指令と支配でやってはならないということを。リーダーの本当の役割は、風潮を管理し、可能性を大切にする風潮を創り出すことだ。そうすれば人々は立ち上がり、まったく予期もしてきなかったし、期待することすらできなかったことをやるだろう。
←これは大げさに思えるかもしれませんが、私はここ25年ぐらいでさまざまな先生の優れた実践を知り、このことは事実だと確信しています。
18:24 動きをつくりだそう。動きが集まればそれが革命になる。教育に必要なのは革命なのだ。
And if we can encourage more people, that
will be a movement. And if the movement is strong enough, that's, in the best
sense of the word, a revolution. And that's what we need.
※ 「革命」ということばには否定的な含意が拭い難くつきまとっているが、しかし、学校教育には、「下」からの同時多発的に発生する小さな「革命」が連動することが必要だと私は考えます。あまりにも安直かもしれませんが、ここでCharlie ChaplinのThe Great
Dictator (Final Speech) の
“soldiers” を
“teachers” に置き換えて聞くのも一興かもしれません。
こういったスピーチに対して冷笑的な構えを見せる人もいらっしゃることも私は承知しています。冷笑的な構えを好む人は何を守ろうとしているのかというのは私の個人的な興味ですが、それはさておき、かつてはこういったスピーチを本当に必要とした時代があったこと、そしてそういった時代は再び訪れるかもしれないことは忘れるべきではないと考えます(ひょっとしたらそれは今かもしれないという可能性も含めて)。
参考1
Ken Robinson RSA Animate
Changing education paradigms
この動画はKen Robinsonの講演音声を切り貼りして作ったものですが、図解がすぐれているので非常にわかりやすいです。
参考2
Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo
植松努「思うは招く」
植松努「思うは招く」
日本語でのTED Talkですが、ぜひ見てください。教師という権力者が(無自覚に)どれだけひどいことをなしうるのか、どれだけの可能性を潰しかねないのかを知ることは、教師志望者にとって必須のことだと思います。
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