AILA2008に参加しました。感じたことの一つは、(第二)言語教育に関する経済的、政治的、社会的分析が多いこと、(第二)言語教育研究として英語以外の言語も多く対象になっていることといった、いわば当たり前のことが当たり前になされていることです。日本にいますと、第二言語教育学界とは心理学研究の植民地のようであり、いかにして「英語」という唯一の第二言語を効率よく教えるかという発想でしか物事が語られない場合が多いので、AILA2008のように当たり前のことが当たり前に研究され、語られているところに行きますとほっとしました。
経済・政治・社会といった観点からの研究は、心理学的研究と並んで、いやおそらくはそれ以上に重要です。言語そして教育が複数の人間による営みである以上、個人あるいは個体の認知メカニズムだけを対象とする心理学ばかりが第二言語教育研究であるといわんがばかりの日本の英語教育界(特に学会誌のレフリーの感覚)は明らかに偏っていると思います。
経済というお金の流れに基づく営み。政治という権力と権利に関わる営み。社会というコミュニケーションによって構成される営み---これらにはそれぞれの分析が必要です。英語教育という総合的な営みを解明するには、これらの分析を一つずつ丁寧に積み重ねて、多角的・多層的に現象を見ようとする知的忍耐が必要です。
寺島隆吉先生の『英語教育原論』(明石書店)―ちなみに明石書店の代表である石井明男氏は「アジアのノーベル賞」とも言われるラモン・マグサイサイ賞を受賞(2008年度)しました—は、この意味でやはりどうしても読んでおくべき本でしょう。私はこの本を今年度の『英語教育増刊号』「英語教育図書 – 今年の収穫・厳選12冊」の中の一冊に選びましたが、日本の英語教育界の体制の偏りと老体化を様々な機会に自分自身も感じ、また驚くぐらい多くの人からもそう告げられたので、ここでこの本を紹介することにします。
教育は政治に振り回されていないか。政治は経済に操られていないか。そうして英語は商品となり、英語教師は無自覚なセールスマンとなっていないか。いや、その「商品」に興味を示さない学習者を「おちこぼれ」と呼んで切り捨ててしまう、セールスマン以下の存在になっていないか。このような時代に英語教師がなすべきことは何なのか—ぜひ本書をお読み下さい。
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追記
こういった意味でも、9/15の慶應大学シンポジウムはぜひ注目したいと思います。参加ご希望の方は、http://oyukio.blogspot.com/2008/08/blog-post_819.html へアクセスしてください。
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2 件のコメント:
コメントすべきか否か,大いに逡巡いたしましたが,学会誌編集に携わる者として一言述べさせていただくことにしました。
具体的に,どの学会誌のどのような編集方針が,先生のおっしゃる「個体あるいは個体の認知メカニズムだけを対象とする心理学ばかりが第二言語教育研究であるといわんばかりの」レフリー感覚なのか,よく分かりません。少なくとも私が携わっている,あるいは携わってきた学会誌の編集において,そのような偏った見方はしてこなかったと思います。
我々のような「中間」世代として,確かに,ご指摘ような古い体質との「戦い」が学会運営や学会誌編集に際してないわけではありません。先生がおっしゃる危機感も,程度の差こそあれ,共有していると思っています。だからこそ,実際に運営・編集に参加しながら,それを変える努力をしています。それだけに,先生ほどの影響力がある方が「体質批判」を繰り返されると,それを鵜呑みにした読者が,例えば採択不可となった場合にその原因を「学会の体質」に片付けてしまうのではないかと危惧しています。
私のような者が口幅ったいことを申し上げました。ご容赦ください。現在携わっている学会誌でも,幅広い研究が共存できるように,査読に際しても「読むべき人」が読んで評価できるシステムを構築していく所存です。こうして微力ながらも具体的に抗っている者もいることを知っていただきたくコメントいたしました。
失礼いたします。
Naokiさん、
コメントをありがとうございました。私からのお返事は
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2008/09/blog-post_04.html
に掲載しましたので、ご覧頂ければ幸いです。
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