この夏、いろいろな英語教育関係の学会に行きましたが、そこで驚くほど多くの人から異口同音に、日本の英語教育界の老体化と硬直化に対する危惧を聞きました。私がAILA2008で感じたことの一つも、「威張る人がいない学会っていいな」といったことでした。このように低次元なことで喜びを感じなければならないところに日本の英語教育界のいびつさを感じます。
どうも日本の英語教育界には、真摯で純粋な探究よりも、権威と肩書きが大切と考えている人たちが多すぎるように思います。その方々の言動を見ていると、いかに自分の権威と肩書きを振り回し、周りにそれを認知させるかに汲々としているようにすら見えます。発言の仕方も真理と正義は自らにあることを当然の前提として発言します。それは「質問」や「コメント」でなく、「ご指導」といった体裁をとります。私の友人はぼそっと「あんな歳の取り方はしたくないな」とつぶやきました。私も同感です。
もちろんその発言の内容が的確なものでしたら、周りもそれを歓迎するでしょう。しかし残念ながら私の知人・友人が伝えてくれる事例、および私が見聞きした事例でも、発言内容は旧態依然とした考えを繰り返すだけの的外れなものが多く、ここ5年、10年で生じ、深化した新しい考えや感性に基づいて発表した若い人は、ただうなだれて「ご指導」が終わるのを待つ、あるいは体良くかわすことだけに終わっていたように思います。そこに学究的な言語ゲームは展開されません。生じていたのは凡庸な権力維持の言語ゲームです。
これでは学界の若い力が育たないのではないでしょうか。いやむしろ抑圧してしまうのではないでしょうか。自分自身、四十代という「中堅」世代になるにつれ、先達の仕事というのは、若い力を育てながら、若い力に学ぶことだと思い始めました。若い感性と思考の萌芽の可能性を鋭敏に感知し、その面白さを引き出し、自らもそこから学びながらも、その若さがもつ未成熟な点を指摘し、共に学界に新しい流れを作り出すことが、学界人が年を重ねるごとにやらなければならないことだと私は考えます。
私がこのような発言をすることで、一部の人々は烈火のごとく怒り出すかもしれません。私はその怒りを正面から受けとめます。このような考えを持つのは私一人でなく、多くの人々が私的な場でこのような考え(というよりも嘆き)を表明していることを私は知っています。私は、その一人として、このように開かれた場所でこのように発言をします。どうぞご反論などございましたら、コメントをお寄せ下さい。このブログに掲載させていただきます。
私が参加したある学会の懇談会に若い人たちの姿が少なかったことにも私は懸念を覚えました。若い人たちが進んで参加し、どんどん会話を楽しむような雰囲気を学会は作り出さないと、その学会は凋落するばかりではないでしょうか。
その点で9/15の慶應シンポの後に開催される懇親会(主催 大学院生 伊藤健彦さん)は注目に値します。誰でも忌憚なく話ができる懇親会、誰も威張る人がいない懇親会を楽しみましょう。「若手の研究者、院生、学部生、先生方、一般の人々を歓迎いたします」とありますが、自らの心の中の若さを失っていない方ならどなたでも歓迎されると確信しております(だから私も参加します 笑)。どうぞシンポに参加される方、いや参加されない方でもぜひこの懇親会には参加してください。
少しずつ、様々なやり方で、若い力を育てましょう。
懇親会の詳細は
http://oyukio.blogspot.com/2008/08/915_27.html
をご覧下さい。
追記
書いた後に思ったのですが、やたらと威張ろうとする人、自分の権威・権力を増大させることばかりに熱心な人は若い人にもいます。端的にいうなら私はそのような若者は嫌いです。過去の自分自身を思い出すからです。
2008年9月2日火曜日
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