先日、日本の英語教育界についてあれこれと話をしていたら「ま、型どおりやっておけば無難ですよね」という話になりました。
日本の英語教育界には、おそらく他の分野と同様、「定められた路線で定められたことをこなしておけばOKで、それ以上に真剣に物事を考えたり行動したりする必要などない」といった惰性があります。この惰性こそが、英語教育の営みから活力、責任、はてまた意味を奪っているのかもしれません。
9月15日に慶應義塾大学で行われる英語教育シンポジウム(運営:慶應義塾大学大津由紀雄研究室)は、そういった惰性を打ち破るための、営々と続けられる問い直しの機会です。ここ数年間、大津由紀雄先生ほど一貫して、かつ精力的に英語教育界の「惰性」を打ち破る試みをしてきた人は私は知りません。言うまでもなく大津先生のご専門は認知科学ですが、そのように狭義の「英語教育界」から外れた方が、最も真摯に英語教育界のあり方を問い続けているというのは皮肉な幸運と言ったらよいでしょうか。
今回の登壇者は、江利川春雄先生(和歌山大学)、古石篤子先生(慶應義塾大学)、斎藤兆史先生(東京大学)、津田幸男(筑波大学)、三浦孝先生(静岡大学)、山田雄一郎先生(広島修道大学)、そして大津由紀雄先生(慶應義塾大学)となっております。
江利川先生は、現在の英語教育界で最も良心的な研究者と言えるかもしれません。ご自身の歴史研究培われた長期間にわたる丁寧な実証の精神は、数多くの慧眼にあふれる研究に結実しています。江利川先生の著作を引用される研究者も多いでしょうし、大修館書店『英語教育』の「英語教育時評」は時代批評として多くの読者の共感を得ています。
古石先生については、私は2005年12月の慶應シンポでご一緒させていただいただけですが、古石先生がご指摘なさっていた日本の外国語教育における「モノリンガリズム」(英語集中主義)の危険性はますます増大しているように思えます(危険なのは英語教育関係者にこの問題意識がないことです)。
斎藤先生は、一般メディアへの影響力という点ではおそらくどの「英語教育学者」よりも影響力をもった「英学」研究者です。斎藤先生ほどに英語が読めて、総合的な視野から日本の英語教育について考えることができる方を、これまた狭義の「英語教育学」の世界で見つけることはできないかもしれません。私はこのシンポでようやく斎藤先生に直接お会いできるので個人的にはとても楽しみにしています。
津田先生は、日本の英語教育に関して最もラディカルな問いかけを一貫されている方です。正直申しますと私は津田先生のご主張の一部には賛同できない論点があるのですが、それでも津田先生の問いかけの魅力は減ることはありません。私は津田先生に久しぶりにお会いできるので、これまた楽しみです。
三浦先生は、『だから英語は教育なんだ』や『ヒューマンな英語授業がしたい!』の著作で私はファンでしたが、今年の夏の全国英語教育学会の問題別討論会で、私は三浦先生とようやくご一緒に研究活動ができてとても有意義な時を持てました。三浦先生は地道な英語教育の営みの中で理想の灯火を絶やさないところかと思います。今回のシンポに三浦先生が入ることにより、より地に足がついた議論がされるのではないでしょうか。
山田先生に関してはもう申し上げる必要もないかもしれません。時代の騒動に巻き込まれずに、冷静に思考を重ね、また現実にも行動してゆく(山田先生と私はある地域での英語教育導入に関わっています)山田先生は日本の英語教育にとって貴重な財産です。ご著書の『言語政策としての英語教育』は英語教育関係者にとっての必読書といえます。
こういったメンバーが長い時間にわたって忌憚なく議論する今回のシンポは非常に注目されます。私もオーディエンスの一人として参加します。
参加申込は「大津研blog」でどうぞ。
http://oyukio.blogspot.com/2008/07/915.html
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