2018年6月21日木曜日

喜多壮太郎 (2002) 『ジェスチャー 考えるからだ』 金子書房



不如意な外国語を使う時に、やたらと身体を動かす人がいます(実は私もそんな一人であります)。言いたいことのイメージはわかっているのだけれど、どのことばを選んだらいいかわからない時、その抽象的なイメージを手の動きや顔の表情などを使ってなんとか表現しようとして、そのうちにそのイメージを表現することばにたどり着いたりします(「比喩的身振り」)。あるいは、ある出来事の描写をする際に、その登場人物になったように振る舞うことによってできるだけ遅滞なく描写をしようとします(「演技的表現法」)。身振りは通常、「非言語的」 (nonverbal) とされますが、ひょっとしたら身振りが言語を生み出すことを促すという意味では「言語的」とすらもいえるのかもしれません。

あるいは単語を思い出して発音するのが容易ではない外国語では、母国語で話す時以上に、指差しと共に指示詞を多用してコミュニケーションを図る人が珍しくはありません(「直示的身振り」)。自分では思い出せない単語を、代わりに聞き手に思い出させ言ってもらうために、その単語が表す物体の形象を手の動きで表現することもあるでしょう(「映像的身振り」)。外国語使用において身振りが果たしている役割は小さくはなさそうです。

外国語を教える際にも、生徒の発言を促す教師は、しきりにうなずくかもしれません(「会話調整型の慣習的身振り」)。朗読の際の重要表現を示す時に声の調子だけでなく、手を動かして表現を強調することもあるでしょう(「修辞型の慣習的身振り」)。「よくやったね」という気持ちをことばではなく親指を立てて表現するかもしれません(「表出型の慣習的身振り」)。教室の人間関係を盛り上げるために、チームで何かがうまくいった時ハイタッチをすることを促す教師もいます(「遂行型の慣習的身振り」)。生徒も英語のリズムを刻もうと自然に手を動かしているかもしれません(「拍子」)。

しかしいくつかの教室では、身振りがとってつけたようなものになっています。単語ごとに決まったジェスチャーを教師が決めて、それを児童・生徒にさせるものの(「単語型の慣習的身振り」)、児童・生徒はただ手を動かしているだけで顔の表情はまったくいきいきしていないこともあります。ある教室では、教科書本文を最初は何度も機械的に―しかし発音などは正確に―音読させた上で、「じゃあ、次はこれに感情を込めて朗読してみよう」という指示が教師からなされました。それを見ていた私は、「どうしてこれだけ機械的な音読練習で情感を奪われた文章に感情を込めることができるのだろう」と思いましたが、果たせるかな生徒の朗読も、とても人工的なものでした。英語スピーチで "I have two reasons" などと言う時の空々しい二本指もよく見るものです。

この本の著者の喜多先生は、ジェスチャーを「あることを表現しようという意図の達成に向けての行為の一環として起こる」もの (p. 14) と定義しています。身振り、少なくとも自然な身振りは、何かを(他人あるいは自分自身に対して)表現したいという意欲があってはじめて発生するものといえるでしょう。別の表現を使えば、身振りは内因性のもの (intrinsic) であり、外因性 (extrinsic) で引き起こされた身振りは、どこか外見だけのウソっぽいものになるのかもしれません。身振りが外国語の使用や教育において重要だとしても、身振りをやたらと強要すればいいというものもなさそうです。

以下も前の記事と同じように、7/15(日)に京都外国語外国語大学で開催する公開研究集会(外国語教師の身体作法―学習者との身体的同調をうながすための実践的工夫)の準備の一環で作成した「お勉強ノート」です。前に引き続き、原語が英語である用語はできるだけカタカナ語ではない翻訳をしています。ですから「ジェスチャー」を「身振り」、「エンブレム」を「慣習的身振り」としています。

とはいえ、 “gesture” を「身振り」と訳してしまっていいものか少し懸念もあります。上で見たように “gesture” には表現の意図が前提となっていますが、「身振り」はどうでしょうか?「身振り」には非意図的もしくは半意図的なものもないでしょうか?あるいは非意図的・半意図的な身体動作は「しぐさ」と言い分けることも可能でしょうか。こうなると「身振り」や「しぐさ」といった語についても少し歴史的にでも考えるべきなのでしょうが、その時間は今はないので、ここでは「身振り」をこの本での「ジェスチャー」の言い換え表現としておきます。


以下のノートは、この本から私がきわめて恣意的に作成したものです。非常に選択的でもありますので、ご興味のある方は、必ず原著をお読みください。


喜多壮太郎 (2002) 『ジェスチャー 考えるからだ』 金子書房



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■ 非言語的であり言語的でもある身振り

「ジェスチャーはイメージが基になっているという意味では非言語的であるが、思考を言語化する過程で生み出されるという意味では言語的である」 (pp. 5-6)


■ 「身振り」の分類 (pp. 12-49)

1 慣習的身振り (emblem):形と意味が社会的に慣習化した約束ごととして成立
1.1 遂行型の慣習的身振り (performative emblem):例、会釈
1.2 単語型の慣習的身振り (word-like emblem):例、小指を立てる(「恋人」)
1.3 表出型の慣習的身振り (expressive emblem):例、ガッツポーズ
1.4 メタ談話型の慣習的身振り (meta-discursive emblem):談話を構成する発話の相互関係を示す
1.4.1 会話調整型の慣習的身振り (conversation regulating emblem):例、うなずき
1.4.2 修辞型の慣習的身振り (rhetorical emblem):例、手刀を振り下ろして重要ポイントを強調
2 自発的身振り (spontaneous gesuture):社会的慣習としては定型化していない自発的な動き。
2.1 拍子 (beat):話の内容にかかわらず同じ形で繰り返される上下(あるいは左右)の運動
2.2 表象的身振り (representational gesture):話者が自由に対象を指示したりその形象を描写する動き
2.2.1 直示的身振り (deictic gesture) :時空的隣接性により対象を指示
2.2.2 描写的身振り (depicting gesture):形象的類似性で対象を描写
2.2.2.1 映像的身振り (iconic gesture):物理的対象を描写
2.2.2.1.a 演技的表現法 (enactment mode):登場人物の視点で動作を演じる
2.2.2.1.b 客体化表現法 (objectification mode):観察者からの視点で物理的に描写
2.2.2.1.c 彫塑的表現法 (sculpting mode):対象物の表面を撫でるような動きで描写
2.2.2.1.d 輪郭線表現法 (outlining mode):対象物の輪郭をなぞるような動きで描写
2.2.2.2 比喩的身振り (metaphoric gesture):抽象的な対象を描写

以上の分類を簡略化したのが下の図です。



■ 擬音語・擬態語

「さまざまな情報源(たとえば、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、感情、運動、空間的思考など)から得られた情報を命題化せずに「生のまま」でとらえ、ある状態または出来事を表現したもの」 (p. 72)
「擬音語・擬態語においては、誰の主体的行為が、表されている出来事を引き起こしたのか特定しえない。つまり、主体性というものを客観的に語りえない『無主体的な観点』から、その瞬間における事象を「生のままの印象」として捉えたもの」 (p. 74)


 考える身体

「表象的ジェスチャーをするということは、身体で考えることである。この身体による思考によって、論理、概念、言語といった分析的思考の殻を打ち破った発想を行うことが可能である。」 (p. 169)



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