以下は私の「お勉強ノート」で、8/9(木)に外国語メディア学会(LET)第58回全国研究大会(千里ライフサイエンスセンター)で開催されるパネルディスカッション「大学入試改革は、高校英語教育での四技能統合を推進するのか?」(登壇者:柳瀬陽介・寺沢拓敬・松井孝志・亘理陽一)のための準備の一環として作成しました。
外国語メディア学会(LET)第58回全国研究大会
講演・シンポジウム詳細
私はテストの権力性については、従来から、以下の記事で示したような見解をもっていました。
「テストがさらに権力化し教育を歪めるかもしれない」
(ELPA Vision
No.02よりの転載)
今回、遅まきながら読んだ以下の本は、こういった見解を強く裏付けてくれるもので、大変参考になりました。
The Power of Tests
A Critical Perspective on the Uses of Language Tests
A Critical Perspective on the Uses of Language Tests
Elena Shohamy (2001).
London: Routledge
以下、この本のPart Iの概要を私なりに書きます。忠実な翻訳ではない私の(恣意的な)まとめなので、ご興味をもった方は必ず原著をご参照ください。( ) 内の数字はアマゾンのKindle版に示されたページ数番号です。私は印刷された本をもっていませんのでそのページ数番号が印刷本と正確に対応しているかどうかのチェックはしていません。私の経験では時に電子書籍でのページ数表示が印刷書籍のページ数と対応していない場合があるので、ここに一言書いておく次第です。
以下のツイッターなどをフォローされている方々には周知のことですが、現在、大学入試への民間四技能試験導入に関してさまざまな問題点が指摘されています。
KIT
Speakee Project
阿部公彦
Takashi
Matsui
大学入試への民間四技能試験導入に関する私個人の見解については、近い内にこのブログで表明しようと予定していますが、とりあえず以下では「お勉強ノート」を公開する次第です。
*****
はじめに
* 1985年時点でのイスラエルのある教育政策決定者の発想:英語オーラルテスト導入の唯一の目的は、教師にスピーキングを教えることを強制することだった。(xi)
* その時、テスト開発者である著者は、多くの教育制作決定者にとってはテストは管理 (control) の手段であることを遅まきながら理解した。(xii)
* テストそのものよりもテストがどのように使われるか (uses) に注目すべき。(xii)
* 以下の問いかけが重要。テストはなぜ導入されようとしているのか。その背後にある動機 (motives) は何か。どんな実行計画 (agendas) の一部なのか。誰の実行計画に従おうとしているのか。テストを導入する本当の動機は何なのか。背後にはどんな政治 (politics) があるのか。誰が何をなぜ押し進めようとしているのか。どのような政治的関係 (political constellation) の中でこのテストの必要性が作り上げられたのか。どのような成果 (outcomes) が期待されているのか。(xii)
* 時にテストは、何か他の実行計画のための手段 (means) もしくは言い訳 (excuse) に過ぎない。テストは教育的組織以外の組織 (different bodies) によって、管理、選別 (screen)、階層化 (classify)、グループ分け、懲罰 (punish)、威嚇 (threaten)、権力体制の権威の誇示 (demonstrate authority) のために使われうる。(xiii)
* テストの権力について学んだことは、言語テスト政策が事実上の (de facto) 言語政策になりうることだ。(xiii)
重要な書籍・会議
* SpolskyのMeasured Words (1995)
(xiv)
* 1997年のAmerican Association of Applied Linguistics (AAAL) 会議 (xiv)
この本について
* この本は、テストそのものではなく、テストがどのように利用され、どのような効果 (effects)や帰結 (consequences) を生み出すかについて考察する。テストは独立・中立の (isolated and neutral) 出来事ではありえず、教育的・社会的・政治的・経済的文脈に埋め込まれていることを示す。テストはこの複合的な文脈の中で解釈され理解されなければならない。 (xvi)
Part I テストの権力 (The
Power of tests)
* 伝統的なテスティング
(testing ―「テスト実施」とも訳すべきかとも思ったがここでは「テスティング」としておく―) ではテストを受ける経験もしくはテストが受験者 (test takers) に引き起こす意味や感情についてはほとんど注意を払っていなかった。だが、権力体制 (authority) がテストを懲戒手段 (disciplinary tools) として利用するなら、受験者はテストを恐れると同時にテストが定めること (their rules) に従うようになる。 (p. 1)
1 「利用重視」のテスティング (‘Use-oriented’ testing)
1.1 伝統的テスティング (Traditional testing)
* 伝統的テスティングは科学の分野に属するものと考えられ、テストは心理測定学 (psychometrics) という科学できめ細かく定められた規則に従わなければならないとされた。(p. 3)
* 伝統的テスティングではほとんどの場合、統計的に信頼できなくなることを恐れて客観的なタイプのテスト項目 (objective type items) だけを利用する。要約・レポート・ロールプレイ・ポートフォリオ・自己評価 (self-assessment) ・他者評価 (peer-assessment) なども、客観的テスティングの判断基準 (criteria judgment) に準じることが求められる。 (p. 3)
* 受験者が行うこと (performance) をテストに合わせるべきで、テストが受験生が行うことに合わせるべきとは考えられていない。 (p. 4)
* 伝統的テスティングは、テストを、人々・社会・動機・意図・利用・衝撃 (impacts)・効果・帰結などからは切り離された独立した出来事だとみなす。 (p. 4)
1.2 「利用重視」のテスティング
* 「利用重視」のテスティングは、テストが複合的な文脈に埋め込まれているとみなす。テストを受験することによって受験者に何が起こるかについて考える。つまり、テストによって作られる知識、テスト対策をする教師、テストのための教材や教育方法、テスト導入の決定、テスト結果の利用、テストを受験せざるをえない子どもをもつ保護者、テストの倫理性 (ethicality) と公正性、テストが教育と社会にもたらす長期的・短期的帰結などである。 (p. 4)
2 受験者の声
(Voices of test takers)
2.1 個人的報告 (Personal accounts)
* 受験者はテストというゲームには規則があり、それが合理的でなく意味をなさないものであっても (even if they are not rational and make no sense) 規則には従わなければならないということを学ぶ。(p. 10)
2.2 まとめ (Conclusions)
* 受験者はテストの権力性 (tests are powerful) を強く認識すると同時に、自分たちには権力がない (power-less) と思い、受験のために要求されることや受験がどんな帰結を引き起こすかについて自分たちができることはほとんど何もない (have little control) と思い込んでいる。(p. 13)
3 テストの権力性を高めてしまうテスト利用法
(Powerful uses of tests)
3.1 テストは受験者に弊害をもたらす (Tests have detrimental effects on test takers)
* しばしば一種類のテスト得点の結果だけで、勝者と敗者、成功と失敗、不合格と合格が生み出される。(p. 15)
3.2 テストは懲戒のための道具として使われる (Tests are used as disciplinary tools)
* テストは受験者に対してある種の行動を強要する (impose) ための方法として使われる。テストが、受験者が何を知り・学び・教えられるべきかを規定する (dictate) ことになる。(p. 16)
* フーコーの Discipline and punish: The birth of the prison (1979) (『監獄の誕生』)からの引用。
The examination combines the technique of an observing hierarchy and
those of normalizing judgment. It is a normalizing gaze, a surveillance that
makes it possible to quantify, classify and punish. It establishes over
individuals a visibility through which one differentiates and judges them. That
is why, in all the mechanisms of discipline, the examination is highly
ritualized. In it are combined the ceremony of power and the form of the
experiment, the deployment of force and the establishment of truth. At the
heart of the procedures of disciplines, it manifests the subjection of those
who are perceived as objects and the objectification of those who are
subjected. (Foucault, 1979: 184)
* テストは社会的テクノロジー (social technology) である。 (Madaus, 1990) (p. 17)
* テストは、テスト作成者 (test makers)、テスト利用者 (test users)、政策決定者の価値を反映するため、現存する社会的・教育的不平等性 (current social and educational inequalities) を残したままにしておく (perpetuate)
可能性がある。
(Madaus, 1990) (p. 18)
* テストは個人のレベルを超えて、カリキュラムを管理 (control) したり共同体の知識を再定義 (redefine) して教育システムに影響を与えることもあるし、移民制限や(ランキングを通じての)予算配分などで政治システムに影響を与えることもある。 (p. 18)
4 テストの権力性を高めてしまうテストの特徴 (Features of power)
4.1 テストが権力的な機関によって管理運営される (Tests are administered by powerful institutions)
* テストに権力を与えてしまう一つの重要な特徴は、テストが権力的な機関 (powerful institutions)によって管理運営 (administer) されることだ。 (p. 20)
4.2 テストが科学の言語を利用する (Test uses the language of science)
* テストは科学の言語を使って管理運営されるので、客観的で公平で真実であり信頼おける (trustworthy) であると思われる。(p. 21)
* MacIntyre (1984) (『美徳なき時代』) によるならば、官僚が目指すことは、もっとも経済的・効率的なやり方で目的のために手段を調整することであるため、官僚は普遍法則めいた一般化 (universal law-like generalization) の形で体系化された科学的知識を好んで使うことになる。 (p. 21)
* (しっかりと勉強をしている)テスト実施者 (tester) は一般化の困難性を熟知しているが、管理者や政策決定者や一般市民はテスト実施者は専門家であり常に科学的な知見を提供してくれるものだと思いこんでいる。 (p. 21)
4.3 テストが数字の言語を利用する (Tests use the language of numbers)
* 科学の言語と同じように、数字の言語は客観性・科学主義・合理主義の象徴だと考えられ、真理・信頼
(trust) ・正統性 (legitimacy) ・威信 (status) という幻想を与える。 (p. 21)
* 数字は、受験者を階層化 (classification) し標準化 (standardization) して、受験生を一本の共通のものさし( a common yardstick) で判断できるようにしてしまう。テスト結果を数字の形だけで提供することによって、決定や認可
(sanction) を下す者に権力・権威・管理権・正統性が与えられることになる。 (p. 22)
* フーコーの引用
it is the documentation of the written examination, in combination
with the quantifiable mark, that made it possible not only to objectify individuals,
but also to form, describe, and objectify groups. (Foucault, 1972, p. 21)
* フーコーによるなら、テストが書面でなく口頭で行われていた時代には、受験者はテスト実施者と対話をすることができ、質問をすることも追加説明をすることもできた。しかし、書面によるテストでコミュニケーションの性質が対話から一方向型になり、受験者の見解や解釈は考慮されないようになった。 (p. 22)
4.4 テストが文書化を自らの基盤とする (Tests rely on documentation)
* フーコーの引用
The examination that places individuals in a field of surveillance
also situates them in a network of writing; it engages them in a whole mass of
documents that capture and fix them. The procedures of examination were
accompanied at the same time by a system of intense registration and of
documentary accumulation. A ‘power of writing’ was constituted as an essential
part in the mechanisms of discipline. (Foucault, 1979: 189)
* 文書化により個々人が再定義化され、記述可能・分析可能な対象となった。また、受験者全体のデータが整備されそれとの比較で個々人を評価できるようになった。(p. 23)
4.5 テストが客観的なフォーマットを使う
(Tests use objective formats)
* 現在、多くのテストが多肢選択式やT-F式の「客観的」 (objective) なテスト項目を使っているが、これらが「客観的」とされるのは、一つの正解(一つの真理、一つの解釈)しか許さないからだ。だが、複数の解釈が可能なリーディングのテストではこの考え方は問題視されるべきだ。 (p. 24)
* 受験生に実際に文章を書かせるライティングテストでは、時間・内容・評価基準 (scoring rubrics) を定め、採点者を管理的に訓練することで客観性を担保しようとしている。たしかにこれで信頼性は上がるだろうが、ライティングが実際のライティングからかけ離れることによって妥当性が低くなってしまう。 (p. 24)
4.6 まとめ
* これら五つの特徴がテストの権力性を高めている。
5 テストという権力の登場 (Emergence of power)
5.1 権力的な道具としてのテストの登場 (Emergence of tests as power tools)
* 20世紀においてテストは元来、人間の平等と民主主義を促進するために開発された。 (p. 25) 真の能力主義 (meritocracy) を創出するために作られた。 (p. 26)
付記:最近読んだ記事ですが、The
New York Timesのコラムニストの David Brooks は The Strange Failure of the Educated Eliteの中で、現在のmeritocracyは、Exaggerated
faith in intelligence, Misplaced faith in autonomy, Misplaced notion of the
self, Inability to think institutionally, Misplaced idolization of diversityの点でおかしくなっていると主張しています。ひょっとしたら現在は、さまざまな20世紀的な考え方を再定義するべき時期なのかもしれません。
The Strange Failure of the Educated Elite
5.2 前提と原則 (Assumptions and principles)
* テストは、誰でも受験でき客観的で科学的で客観的項目(多肢選択式など)を使っているかぎり公正な選抜方法 (procedures for fair selection) であると考えられた。 (pp. 26-27 )
* たしかにテストは客観的で公正で科学的な方法を取ったのかもしれないが、実際には以前から続く階級差 (class differences) を存続 (perpetuate) させる効果的な道具になった。 (p. 27)
5.3 中央集権的システムと分権的システムにおけるテストの利用 (The uses of tests in centralized and decentralized systems)
* テストは中央集権的システムにおいては「選抜」のために、分権的システムにおいては「民主化」 (democratization) のために機能する傾向がある。 (p. 29)
5.4 管理手段としてテストを利用する (Uses of tests as a means for control)
* テストによって世の中が縁故主義から能力主義へと移行していったが、同時にそれはテストが人生の成功を決めかねないものとして認識されるようになったことを意味するようになった。テストは特定の行動や実行計画を管理的に強要する懲戒的な道具 (disciplinary tools) となりはじめた。 (p. 34)
* テストは知識を測定する装置から、知識を強要し存続させる方法へと変わった。 (p. 34)
* テスト実施者にとっても受験者にとっても、テストは他の目的のための手段に過ぎない。テスト実施者にとってはある特定の知識を教師に教えさせ学習者に学ばせることが目的であり、受験者にとっては進学などの機会を得ることが目的でありる。学習者が実際にその知識をきちんと習得 (master) するかは両者にとって二次的なことにすぎない。 (p. 34)
付記:テストが知識の習得状況を測定して習得されていない分野を発見するにせよ、たいていの場合においてその分野の授業はそこで終わり、授業はカリキュラムの次の段階に進む。テストは学習者に何かをマスターさせるためというよりは、学習者を選別するために用いられているように思える。
関連記事:テクノロジーによる敎育の再創造: Sal KhanのTED動画
* 現在テストは、客観的で民主主義的な選抜のためというよりは、権力と管理のための権威的で懲戒的な道具 (authoritative and disciplinary tools) として使われている。 (p.
35)
5.5 まとめ
* テストは「出自による社会」
(‘ascribed’ societies) から「努力による社会」 (‘achieved societies’) への移行を助けた。だが同時に、テストは中央集権的な組織が教育を管理するための手段にもなっていった。 (p. 35)
6 テストの権力性をさらに高める誘惑 (Temptations)
6.1 テストが一般市民にとって権威的なものと認識される (Tests are perceived by the public as authoritative)
* テストがいったん中央集権的な組織による管理の方法となってしまえば、受験者はそれに対してめったに反対しなくなる。 (p. 37)
6.2 テストの合格点決定が権力体制によって決定される(Tests allow flexible cutting scores)
* 合格点 (cutting scores) は、権力体制にとって「誰を入れて、誰を排除するか」という門番役 (‘gate-keeping’ tools) の機能を果たすことになる。 (p. 38)
6.3 テストが人々を管理し知識を定義するために効果的である (Tests are effective for control and for defining knowledge)
* テストを導入する者が、そのことによって学ぶべき知識を新たに作り出したり、既存の知識を再定義したりしたいとする誘惑は大きい。 (p. 38)
6.4 テストが一般市民、特に保護者に対する訴求力をもつ (Tests have strong appeal to the public, especially parents)
* テストを導入することによって、政治家は一般市民に対して訴求力をもつことができる。管理が十分ではないと一般市民が思っている教育のような分野において、テストは社会秩序 (social order) の存在を示す象徴となるからだ。テスト導入を、一般市民は政治家が真剣に取り組んでいる印であると解釈しがちである。 (p. 39)
* テストは管理と規律
(discipline) を象徴するものであり、効果的な学習がなされていることを示す印だと認識される。 (Tests symbolizes control and discipline and are perceived as an
indication of effective learning). (p. 39)
6.5 テストは「客観的証明」を配信するために便利である (Tests are useful for delivering ‘objective proofs’)
* 一般市民は、テストは権威的なものだと信頼しているので、テスト結果はありとあらゆる議論の証拠として使われる。
6.6 テストによって予算がかからない効率的な政策決定が可能になる (Tests allow cost-effective and efficient policy making)
* 教師教育を充実させたり新たなカリキュラムや教科書を開発することによる教育改革に比べたら、テストを懲戒のための道具として使うことははるかに簡単であり予算もかからない。
(p. 40)
6.7 テストによって権力体制は自らの行動を可視化し証拠とすることができる(Tests provide those in authority with visibility and evidence of
action)
* 政策決定者にとっての誘惑は、テスト導入によって、自分たちは何かをやっているという証拠 (evidence of action) を官僚や一般市民に与えることができることである。 (p. 41)
以上が私なりのまとめです。本の残りの部分については以下に目次だけ示します。
Part II Uses of tests: studies and cases
7
Domains of inquiry
8 A
reading comprehension test
9 An
Arabic test
10
An English test
11
Cases of the uses of tests
Part III Uses of tests: conclusions and
interpretations
12
Conclusions
13
Process of exercising power
14
Consequences
15
Symbols and ideologies
Part IV Democratic perspectives of testing
16
Critical language testing
17
Collaborative approaches to assessment
18
Responsibilities of testers
19
Rights of test takers
20
Epilogue
*****
締切 (6/30) 迫る!
若い皆さんの声を聞かせてください!
若い皆さんの声を聞かせてください!
第2回英語教育小論文コンテスト
10代・20代が考える英語テストのあり方
最優秀者には図書券一万円を贈呈の上、
広大教英学会シンポジウムにご招待!
締切:2018年6月30日(土)
チラシ画像をクリックすると拡大します。
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