私は今、「物語」について改めてまとめ直そうとしていますが、この記事はその一環として、Jerome Bruner (1990) のActs of Meaning (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press) から、「物語」について7つの論点からまとめたお勉強ノートです。
翻訳は私によるもので、思い切って意訳した箇所も多々あります。今回は参照しませんでしたが、この本には『意味の復権』というタイトルで翻訳がでていますので、信頼のおける翻訳をお求めの方はそちらをご参照ください。
1 なぜ物語 (narrative) について研究するのか?
・意味 (meaning)
意味こそは、人間の心理学の中心概念 (the central concept of a human psychology) である。(p. 33)
・実在対象 (realities)
たいていの人間の相互作用 (interaction) においての「実在対象」とは、文化に深く根ざした構築と協議 (construction and negotiation deeply embedded in the culture) の精妙な過程の果てに生じてくるものである。 (p. 24)
・構築主義 (constructivism)
私たちがせいぜい望みうることは、「正しさ」や「間違い」について主張する時に、自分たちや他人の視点について自覚しておくことだ (be aware of our own perspective and those of others)。こうして考えてみると、構築主義とは奇異な (exotic) なものとはとても思えない。 (p.25)
・素朴心理学 (folk psychology)
素朴心理学とは、「人々が、社会的世界 (the social world) における経験や知識や駆け引き (transactions) をまとめる (organize) するさいに用いる体系 (a system)」 (p. 35) である。
・まとめる際の原則
経験や知識のや駆け引きをまとめる際の原則 (organizing principle) は、概念的というより物語的 (narrative rather than conceptual) (p. 35) なものなので、物語 (narrative) について考察する必要がある。
・物語についての問い
物語とは何か。物語は、他の語り方や経験の他のまとめ方とどのように異なるのか。物語にはどのような働きがあるのか。なぜ物語は私たちの想像力を捉えるのか (We must now concentrate more directly on narrative -- what it is, how it differs from other forms of discourse and other modes of organizing experience, what functions it may serve, why it has such a grip on the human imagination. p. 43)
2 物語とは、意味の行為あるいは意味の協議
・意味の行為 (acts of meaning)
この本の主題は、意味生成 の性質と文化的影響 (the nature and culture shaping of meaning-making) が人間の行為 (human action) において中心的であるということある。その点を強調するため、この本を「意味の行為」(あるいは「意味によって構成される行為」)と名づけた。 (xii)
・意味は公共的に共有される
文化に参加すること (participation in culture) によって、意味は公共的で共有的(public and shared) なものになる。私たちの生活様式は文化的に適合したものであるが、それは私たちが共有している意味と概念に依拠しているし、意味と解釈の違いを協議する (negotiating differences in meaning and interpretation) ために私たちが共有している語り方の様式 (modes of discourse) にも依拠している。 (p. 13)
・意味は公共的領域で協議 (negotiate) される。
私たちの語り方 (discourse) は曖昧で多義的 (ambiguous and polysemous) かもしれない。しかしそれにもかかわらず、私たちはさまざまな意味を公共的領域に引き出して (bring our meanings into the public domain) 、そこで意味を協議 (negotiate) することができる。(p. 13)
3 物語の特徴
3.1 内容面での特徴
(1) 行為主体性 (agentivity, p. 77)
・ 人間の行為と結果あるいは相互作用
物語の主要な興味は、人間の行為とその結果、特に人間の相互作用 (human action and its outcomes, particularly human interaction)である。 (p. 78)
・行為主体・行為・目的
物語は人間の行為 (human action) もしくは「行為主体性」 ("agentivity")を強調する。行為主体が、ある目的のために行った行為を強調するのである (action directed toward goals controlled by agents. p. 77)
・行為主・行為・対象・場所など
行為主と行為、行為と対象、行為主と対象、行為と場所、所有者と所有物 (agent-and-action, action-and-object, agent-and-object, action-and-location, and possessor-and-posession) などがしばしば物語の最初で語られる。
(2) 規範からの逸脱性 (canonicality and exceptionality (p. 47))
・ 規範、あるいは予期される普通のこと
素朴心理学によって私たちは何が規範 (canonicality) であるかを共有している。その規範により、予期される普通のこと (the expectable and/or the usual)が定まる。 (p. 47)
・ 例外的で普通ではないこと
素朴心理学は、同時に、例外的で普通ではないことも理解可能にする道具立てももっている。 (Yet it has powerful means that are purpose-built for rendering the exceptional and the unusual into comprehensible form.) (p. 47)
・ 物語によって規範からの逸脱に意味を与える
つまり、文化は一連の規範を定めると共に、それらの規範からの逸脱を、すでにおなじみの信念の組み合わせを使って、意味あるものとして描写するための一連の解釈的手続きをもっていなければならない。この種の意味を得るために素朴心理学が利用しているのが物語であり物語的な解釈である。 (Thus, while a culture must contain a set of norms, it must also contain a set of interpretive procedures for rendering departures from those norms meaningful in terms of established patterns of belief. It is narrative and narrative interpretation upon which folk psychology depends for achieving this kind of meaning) (p. 47)
・ 話 (stories) は、規範からの逸脱を把握可能にすることによって意味あるものとなる。
日常的なことからの逸脱を、私たちが把握できるように説明することによって、さまざまな話が意味あるものとなる。(Stories achieve their meanings by explicating deviations from the ordinary in a comprehensible form) (p. 47)
※翻訳について:"Story"は「ストーリー」とすることも考えたが、「重要概念はできるだけ大和言葉や漢語で訳す」という方針を貫き、「話」とした。
(3) 重大性 (dramatism (p. 50))
・規範からの逸脱は道義的に重大な結末をもつ
重大性とは、規範からの逸脱が道義的な結末 (moral consequences) をもつことである。逸脱が、正統性や道義的忠誠や価値 (legitimacy, moral commitment, values) にかかわることである。そうなると話とは、最後には、どこまで正当性が保たれるかという探究になる。 (Stories, carried to completion, are explorations in the limits of legitimacy.) (p. 50)
・ 物語には道義性が絡む
ポストモダンの小説では、道義的な不均衡が曖昧にしか描かれないこともあるが、それはそのことによって物語の語り手がこれまでの慣習的道義感をひっくり返し、そのことによって一つの道義的な立場を打ち立てようとしているからである。話を語ると、必然的に道義的な態度を取らざるをえない。たとえそれが従来の道義的な態度に対する新たな態度であったにせよ。 (And if imbalances hang ambiguously, as they often do in postmodern fiction, it is because narrators seek to subvert the conventional means through which stories take a moral stand. To tell a story is inescapably to take a moral stance, even if it is a moral stance against moral stances). (pp. 50-51)
※ "moral"をここでは「道義的」と訳しているが、下の記事では「人道的」と訳している。いずれにせよ「道徳的」という語が現代もってしまった(と私が考えている)抑圧的権力性を避けるためである。「人倫的」という訳語も考えたが、現代ではあまり使われないことばなので避けた。
(4) 事実からの独立性 (factual "indifference" (p. 50), indifference to extralinguistic reality (p.44))
・実在であっても想像上のものであってもかまわない。
物語は、「実在上」 ("real") のことであっても「想像上」 ("imaginary") のことであっても、それが話 (a story) としてもっている権力 (power) は変わらない。
※翻訳について:"Power"は「力」と訳した方がいいかもしれないが、下の記事などで表明した考えに基づきあえて愚直に「権力」と訳した。
アレントの言語論に通じるル=グヴィンの言語論
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html
・ 連動性・生命実感・妥当性
[物語の一つの形式である] 自分についての物語が目指していることは、自分の内に隠された「実在」に適うことではなく、自分の内外両面においての「連動性」、「生命実感」、「妥当性」を達成することである (The object of a self-narrative" was not its fit to some hidden "reality" but its achievement of "external and internal coherence, livability, adequacy.") (p. 112)
3.2 方法面での特徴
(5) 順序性(直線化)
・構成要素がどのような順序に並べられるかで意味が決まる。
物語の主要な特性は、おそらく順序性であろう (Perhaps its principal property is inherent sequentiality)。物語は、登場人物 (characters) や行為者 (actors) としての人間が絡んだ出来事 (events) や心的状態 (mental states) や事件 (happenings) を構成要素 (constituents) としてもつが、これらの構成要素が独自の生命や意味 (a life or meaning of their own) を有しているわけではない。構成要素の意味は、全体の順序 --筋もしくはfabula-- の中での位置によって与えられる (Their meaning is given by their place in the overall configuration of the sequence as a whole -- its plot or fabula. p. 43)
・順序が標準的な形で確立され保たれる
物語では、順序についての秩序が確立され保たれることが必要である。つまり出来事や状態が、標準的なやり方で「直線化」されることが必要である。 (It [=narrative] requires, secondly, that a sequential order be established and maintained -- that events and states be "linearized" in a standard way. p. 77)
(6) 視点の複数性
・「二重の風景」 ("dual landscape")
いわゆる「実在する世界」の中での出来事や行為と同時に、主人公の意識の中でも同時に心的な出来事が生じている (events and actions in a putative "real world" occur concurrently with mental events in the consciousness of the protagonists. p. 51)。これを「二重の風景」と呼ぼう。
・近代小説からの全知の語り手 (the omniscient narrator) の消失
近代小説から、全知の語り手が消失したことにより、複数の人が異なる視点から「外の」世界を知ろうとする際の葛藤に対する現代的感性が先鋭化された。 (Modernist literary narrative, to use Erich Kahler's phrase, has taken an "inward turn" by dethroning the omniscient narrator who knew both about the world "as it was" and about what his protagonists were making of it. By getting rid of him, the modern novel has sharpened contemporary sensibility to the conflict inherent in two people trying to know the "outer" world from different perspectives. p. 51)
(7) 文芸性 (literariness)
・どのように言語を使うかが大切
物語は単に筋やテーマの重大性だけの問題ではない。どのように言語を使うかでもあるのだ (It is also a way of using language p. 59)。文芸性 (literariness) は日常で語る話においても言える (even in the recounting of everyday tales p. 59)。(この項はすべてよりの引用)
※翻訳について: "literariness" は「文学性」とも訳せるだろうが、「文芸性」の方が「文学性」よりも広い適用範囲をもつように思えるのでここでは「文芸性」とした。
・転義法 (trope) が物語がもつ権力を支える
物語はおどろくほど、転義法がもつ権力に依拠している。隠喩、換喩、提喩、暗意などなどの転義法である。これらなしには、「可能性の地平線を広げる」という物語がもつ権力が失われてしまう。例外的なものと通常のものを結びつける範囲を探究することができなくなる。(To a striking degree, it [=narrative] relies upon the power of tropes -- upon metaphor, metonymy, synecdoche, implicature, and the rest. Without them it loses its power to "expand the horizon of possibilities," to explore the full range of connections between the exceptional and the ordinary. pp. 59-60)
4 物語の基準
・物語の意味はフレーゲ的ではない
物語や話は、例えば科学のように事実や真理によって判定されるのではない。物語の意味 (meaning) は、フレーゲやラッセルの流儀での意義 (sense) と指示 (reference) に関するルールからできあがるのではない (Indeed, the very speech act implied in "telling a story" -- whether from life or from imagination -- warns the beholder that its meaning cannot be established by Frege-Russel rules relating to sense and reference. p.61)
・物語や話は、迫真性・真実味・生きている感じで解釈される。
私たちは物語を、迫真性 (verisimilitude) 、真実味 (truth likeness) 、より正確に言えば「生きてる感じ」 "lifelikeness"によって解釈 (interpret) する。 (p. 61)
※翻訳について:ここでの迫真性・真実味・生きてる感じという訳語については、正直、まだ自分でもしっくりとこない感覚です。
・物語で感じる自分の人生の連動性・生きがい・適切さ
私たちが自分語り (self-narrative) をするさいも、そこで目指していること (the object) は、自分の奥底に隠れた「実在」 ("reality") と合致した物語を見つけることではなく、自分の内外両面での連動性 (coherence)、生きがい (livability)、適切さ (adequacy) を表現できる物語を創り上げることである。 (The object of a self-narrative was not its fit to some hidden "reality" but its achievement of "external and internal coherence, livability and adequacy." (p. 112)
※翻訳について:他所にもましてここではかなり意訳をしています。
5 物語の機能
・逸脱を、耐えられるもの、少なくとも理解可能なものにする。
物語の機能とは、規範的な文化パターンからの逸脱があった場合に、その逸脱をなんとか耐えられるものにできる、もしくは少なくとも理解可能なものにできるような心の向け方 (intentional state) を見出すことである。それができてこそ話には迫真性が感じられる。(The function of the story is to find an intentional state that mitigates or at least makes comprehensible a deviation from a canonical cultural pattern. It is this achievement that gives a story verisimilitulde) (p. 50)
6 物語の効果
・相対主義ではなく開かれた心
社会構成主義や素朴心理学の考え方に従うなら、私たちは物語をまとめる場合に、物語を使う。物語は、真理に対応する唯一真正の言説ではなく、さまざまに語られうるものである。だからといって物語は、相対主義の幻影 (the specter of relativism) に怯えるものではない。物語は、開かれた心 (open-mindedness) につながる (p. 30)
※このページでは、「開かれた心」は素朴心理学について言われているだけだが、本全体の論旨から上のような解釈を私は導き出した。
・開かれた心と民主主義文化
開かれた心とは、自分自身が忠誠を誓っている価値を損なうことなしに、進んで複数の視点から知識と価値を解ろうとすることだと私は理解している。開かれた心は、私たちが民主主義文化と呼ぶものの要石である。 (I take open-mindedness to be a willingness to construe knowledge and values from multiple perspectives without loss of commitment to one's own values. Open-mindedness is the keystone of what we call a democratic culture. p. 30)
・物語による平和維持
人間には物語をする才が驚くほど与えられているので、人間の平和維持の主要な形態は、当たり前の日常の中に生じて葛藤を生み出す裂け目をなんとか耐えられるものにする状況を、提示し、劇化し、解明する人間の才によるものであるといえる。 (In human beings, with their astonishing narrative gift, one of the principal forms of peacekeeping is the human gift for presenting, dramatizing, and explicating the mitigating circumstances surrounding conflict-threatening breaches in the ordinariness of life. p. 95)
7 物語様式と論理-科学様式
・論理-科学様式は、物語様式を補完する
語り方の物語様式と論理-科学様式が融合するというわけではない。そんなことはありえない。そうではなく、論理的あるいは論理-科学的様式が、物語様式の中に生じた裂け目を解明するという課題に対応するために導入されるのだ。解明は「理由」という形で行われるが、面白いのはこれらの理由は、特定の時間を示さない現在形で述べられ、過去に生じた一連の出来事とは区別しやすいようになっていることだ。しかし、理由がこのようにして述べられる時は、ただたんに論理的なだけでなく、生きているようにも見える必要がある。物語の要求というものがここでも現れている。こここそが検証可能性と迫真性が交差する重要な交点である。両者のうまい接近を可能にするのは、うまい修辞法である。 (It is not that narrative and paradigmatic modes of discourse fuse, for they do not. It is, rather, that the logical or pradigmatic mode is brought to bear on the task of explicating the breach in the narrative. The explication is in the form of "reasons," and it is interesting that these reasons are often stated in the timeless present tense, better to distinguish them from the course of events in the past. But when reasons are used in this way, they must be made to seem not only logical but lifelike as well, for the requirements of narrative still dominate. This is the critical intersection where verifiability and verisimilitude seem to come together. To bring off a successful convergence is to bring off good rhetoric. p.94)
以上で、物語という観点からのThe Act of Meaningの私なりのまとめを終えます。まとめながら、これより書かれたActual Minds, Possible Worlds.のまとめも早くやらなければと思わされました。
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