2014年8月21日木曜日

柳瀬陽介・組田幸一郎・奥住桂編 (2014) 『英語教師は楽しい 迷い始めたあなたのための教師の語り』ひつじ書房







「英語教師は楽しい」 ― これは宣言です。語用論の用語を借りるなら、performative actです。私達はこう宣言することで、そのような現実を創り出そう、あるいはより一層確かなものにしようとしています。

「あらゆる人間は、人権の点で平等である」という宣言は、当初はわずかの事実的根拠しかもたない宣言であったかもしれないのに、そのような現実を少しずつ創りあげてきました。

私達も、執筆者が実感している事実的根拠に基づきながら「英語教師は楽しい」と宣言することにより、そのような現実を創造しより確かなものにしようとしています。



私の持論は、「教職に希望がもてない国に、明るい未来はない」というものです。

教育の仕事は、他の仕事同様、決して楽なものではありませんが、教師が仕事に希望がもてないなら、その徒労感や敗北感は確実に子どもつまりは次世代の市民に伝わります。そんな次世代が創る国の前途が明るいとは思えません。

ですから、どうあっても教職という職業には、希望が、幸福感が、あるいは楽しさがなくてはなりません。



しかし、現代日本の教師の生活は、OECD国際教員指導環境調査(The OECD Teaching and Learning International Survey: TALIS) でも明らかになったように、調査国の中では最長の労働時間であったりと、決して楽なものではありません。加えて英語では、他の教科よりもはるかに外からの圧力が大きく、英語教師はさまざまな要求を突きつけられています(その中にはかなり非現実的なものもあります)。

このような現状で、無責任な放言ではなしに、自らの毎日を振り返りつつ「英語教師は楽しい」と宣言できる教師はいるのでしょうか。



編者は「これは」と思う方々に声をかけました(様々な事情で声をかけそこねた方々もいらっしゃいますが)。

しかし多くの方々は、「英語教師は楽しい」というこの本のタイトルに躊躇しました。中にはこのタイトルで書くことの苦しさを訴えた方もいらっしゃいました。

そういった方々に、私達は決して嘘や無責任な放言はせずに、いわば「ほろ苦い喜び」としての楽しさを書いて下さいとお願いしました。もしどうしても書けそうもなければ、このお話は忘れて下さいともいいました。

そうしてそれぞれの著者が、自らの実体験をもとに原稿を書いてくれました。

英語教師が置かれる現状を知るにつれ、英語教師という職業選択に自信を失いかけそうになっている若い方、中堅の方、そしてさまざまな責任を負ったベテランの方が、この本から、英語教師という職業のほろ苦い喜び、あるいはしみじみと感じる幸福感を感じていただければと思っています。

「本のサブタイトルには、明るいことばを並べた方が売れます」という営業サイドの助言にもかかわらず、私達編者は「迷い始めたあなたのための教師の語り」というサブタイトルを選びました。「英語教師は楽しい」ということばに、重層性と多面性があることを示したかったからです。何度も繰り返しますが、この本は決していいかげんなお気楽本ではありません。

さらにこの本では、教師教育者を中心とした執筆者も加え、現代日本の英語教育の現状を理論的に俯瞰する考察も掲載しました。力作揃いです(注)。この理論的考察により、この本は英語教育に関する見通しを得ていると自負しています。

加えて、3.11という未曾有の経験を経た英語教師の手記も掲載しました。この執筆者の方々は特に原稿を書くことに苦労されました。経験があまりも巨大すぎたからです。しかし、3.11を風化させないためにも、私達編者はこれらの執筆者に原稿の完成をお願いし続けました。このセクションはこの本に深みを加えていると私は確信しています。

詳しい目次と執筆者一覧は、ひつじ書房のホームページに掲載されてあります。




私達編者は、これらの執筆者には自信をもっています。英語教師や英語教育論者としての実力や生き様を踏まえて人選したからです。いいかげんな「お為ごかし」は決して言わない人たちです。そして原稿は誠実で正直なものです。





こういったすべてのことを踏まえた上で、私達は宣言を繰り返します。




英語教師は楽しい




どうぞぜひお買い上げの上、ご一読下さい。











(注)
理論的考察の一環として、私はここ数年考え続けてきた、現代英語教育と資本主義的発想の親和性について、まとめました。そういった考察の予備ノートは、これまでもこのブログで公表してきましたが、「難しい」との声をいただいてきました(笑)。この本の原稿では、私はこの内容をできるだけわかりやすく噛み砕いて書くことに心血を注ぎました。ご一読いただければ幸いです。



追記

と、私はいつものように熱く語ってしまいましたが(苦笑)、この本のバランスを保ってくれたのに大きな働きをしてくれたのが、本の体裁としては第二編著者・第三編著者となっている組田さんと奥住さんです。特に奥住さんは、「はじめに」で、見事にこの本を総括してくれました。奥住さんの自然体の文章は、私はなかなか書けないだけに、奥住さんがこの本の総括を書いてくれたことには本当に感謝しています。

また、表紙のイラストも奥住さんによるものです。タイトル、表紙、さまざまな文章が、全体として一つの融合体を作り、「英語教師は楽しい」という宣言に深みを与えてくれたのではないかと編著者としては思っています。



追記2

ある方が「SLAの研究結果も大切だと感じていますが、この本ではその研究からは導き出せないとっても大切なことが出ているのではないかと思います」と言ってくださいました。

私の狙いもまさにそこにありました。学会論文ではどうしても、査読を通るために、既成の方法論を前提にした書き方でしか書けないようなところがあります。

しかし、本来、質的研究いやいかなる研究とて、テーマの解明と探究が第一であり、方法論はそのために最適の方法を選ぶにすぎません。最初に方法論ありきではないわけです。佐藤学先生は次のようにおっしゃっています。

最後に、本書の中心主題である「フィールドワークのメソドロジー」について付言しておこう。初学者から「メソドロジー」に関する質問を受けることは多いし、かなり経験を積んだ自立した研究者からも「メソドロジー」の妥当性に関する質問を投げかけられることは少なくない。この問いに答えるのは至難である。なぜなら、これらの問いを発する人のほとんどは、研究主題や研究対象やリサーチ・クエスチョンとは無関係にフィールドワークやアクション・リサーチの「メソドロジー」が存在するものと想定している。これらの人びとの質問は、その方向を転換する必要がある。この問いを発する人びとは自らの研究の意図や主題や研究対象やリサーチ・クエスチョンの曖昧さを問い直すべきなのである。フィールドワークもアクション・リサーチも方法論は多様であり複雑である。研究テーマにより研究対象により研究方法は千編自在に変化し、ひとつの研究を行うごとに最も説得力のある方法を研究者自身が自ら創造しなければならない。その創意のなかに研究の価値が内包されているというのが、私の25年間の経験から導きだされる結論である。(佐藤学:13ページ)。








この本は、出版市場における読者の精査という、既成の方法論での学会査読とは異なる種類のスクリーニングを経るものですから、既成の方法論にはこだわらず、とにかく執筆者がもっとも訴えたいことを、読者に正確に伝わるように書いていただきました(執筆者の方には7回書き直しをしていただいた方もいます)。

もちろん、私とて方法論的自覚や考察をまったく怠っているわけではありません。それらの研究は、最近でしたらJACET中部地区大会シンポジウムや、国際応用言語学会の発表でそれらの論点の整理を図っています。

ともあれ、この本は「読者に伝わること」を優先して作りました。ぜひお読みいただけたらと思います。