2010年1月12日火曜日

人間、ハンナ・アレント

20世紀におけるハイデガー哲学の影響の大きさは否定しようがない。彼の哲学は、精神病理学や認知科学にも影響を与えた。哲学そのものにおける影響はもちろんのことはるかに大きなものであり、ハイデガーがいなければ私たちが知るデリダはいなかった。レヴィナスもいなかった。ガダマーも。そしてアレントも。

『アーレントとハイデガー』は二人の関係に焦点を当てる。二人はともに卓越した哲学者でありながら、人間的には哀れなほどの弱さと脆さを抱え、お互いを必要としながら離れざるを得ない関係にあった。


アレントは『人間の条件』の出版において、かつての彼女の師であったハイデガーに私信(1960年10月28日)で、この本のすべてほとんどは彼に負っていると述べている。彼女がこの本に献辞を掲載しなかったのは「私たちのあいだの」「不運なめぐりあわせ」ゆえに過ぎないと述べている。(152ページ)

アレントはハイデガーに対して「ハンナ」であった。そしてハイデガーは「マルティン」であった。ハンナは54歳の時に70歳のマルティンに対して結局は出せなかった私信で「私は誠実でありつづけるとともに不実でもありました、どちらも愛のゆえに」と述べている。(7ページ)

簡単に言うならハンナは18歳の時にマールブルク大学に入学してそこの教師ハイデガーに出会う。彼は『存在と時間』を完成させようとしていた35歳気鋭の哲学者であり、既婚者で二人の子どもを持つ男であった。しかしハンナとマルティンと強烈な恋愛関係・不倫関係に陥ってしまう。

情事がはじまってほぼ一年後の1926年にハンナはマルティンのいるマールブルクを離れる決意をする。「あなたの愛ゆえに、これ以上あなたにとってことをむずかしくしないために」というのが彼女の言葉であった。(32ページ)しかしマルティンの方はすでにこのころハンナとの関係が自分の社会生活に影響を与えると思っていたのか、彼女を遠ざけようとしていた。

1928年にも―アレントが下に述べる博士論文を完成させる一年前である―ハンナはここに引用するのが痛ましいぐらいのセンチメンタルな手紙をマルティンに送っている。(45-46ページ)

1929年にハンナは同じくハイデガー門下生であったギュンター・シュテルンと結婚する。周囲は二人をお似合いと祝福したが、1950年に書いたある私信でハンナはマルティンとの別れの後「だれでもかまわないとばかりに愛してもいない人と結婚してしまったのです」と告白している。(104) はたせるかなこの結婚生活は長くは続かず1937年に離婚にいたる。(だが二人は結婚中も結婚後も友好的な間柄でありつづけた)。

一方ハイデガーはナチスに入党し、1933年にフライブルク大学総長に就任し、ヒトラーへの忠誠を公言する。ユダヤ人を妻にもつヤスパースは同じく1933年に大学行政への参加から締め出され1937年には教授の地位を奪われそれ以降彼の著作はドイツでの発表を許されなくなる。ハイデガーはこれらすべてに沈黙をもって応えた。(71ページ)


ハイデガーは、彼の恩師にて友人、そして地位を引き継いだフッサールに対しても学部への立ち入りを禁じているが、これもフッサールがユダヤ人であったがゆえと推定されている。(92ページ)

このフッサールへの処置について1946年になってのハンナはヤスパースへの私信で「ハイデガーを潜在的殺人者とみなさざるを得ない」と書いている。(92-93ページ)この怒りはハンナ自身がユダヤ系ドイツ人で、ドイツから亡命しなければならなかったことを考えればもっともであろう。

しかし1950年にハンナはマルティンに会っている。ハンナはこのことをヤスパースに1951年の手紙で「おわかりでしょう。私は心に疚しいところがあるのです」と述べている。(94ページ)

ハンナは1940年にハインリッヒ・ブリュッヒャーとようやく「愛と自分のアイデンティティの両方を失わずにもっていられる」(61ページ)結婚をすることができていた。にもかかわらず1950年のマルティンとの再会では彼の姿を目にするや「突然、時間が止まってしまったかのようでした」と述懐している。(96ページ)

1955年、ハンナはすでに50歳に近づこうとしているがマルティンと再び会うことに心乱されてしまう。「要するに、私はいま30年まえにしたのとおなじことをしようとしていて、どういうわけかそれを変えられないのです。この話に見出しをつければ ― 《それ》が始まったときと同じ法則によって・・・」とハンナは告白している。マルティンの心をつなぎとめたいとする欲求は5歳の子どものようであった。(138-139ページ)

ハンナがマルティンと彼の妻に対して落ち着いた態度を取れるようになったのは、彼女の哲学的・学術的・知的卓越が誰が見てもゆるぎないものになった晩年になってといえるかもしれない。



後年の私たちからするなら、あれほど人間として下劣であったハイデガーに、あれほど人間に対する深い洞察を示したアレントがこれだけ執着し続けたということは理解に苦しむことである。

この本(『アーレントとハイデガー』)を執筆した文学研究者であるエルジビェータ・エティンガーは、次のように説明している。

ふたりの関係の全期間をつうじて、それぞれが相手に依存していたのだが、その依存の仕方にはふたりの生き方、必要、個性に差があるのと同様に、ちがいがあった。若いころのアーレントは、愛と、庇護と、導きを必要としていた。彼女が7歳のとき、父親は梅毒で死去。その少しまえには、彼女がひじょうになついていた父方の祖父もなくなっている。彼女が愛し慕った母親は、しばしば湯治や親戚への訪問にでかけてゆき、そのたびに幼い娘は、母親がもう帰ってこないのではないかと不安におびえた。マルタ・アーレントはハンナが13歳のときに再婚。この結婚はハンナの生活に深い混乱をひきおこした。(8ページ)

彼女は途方に暮れ、自分を無力で無防備に感じたが、それでも外向きにはつねに健気に胸を張っていた。「若いときから身に染みついたこのばかげた強迫」と、彼女は1945年に夫のハインリッヒ・ブリュッヒャーに書いている、「いつも世間の手まえでは・・・すべてが申し分なくいっているかのように虚勢を張る、これが私のエネルギーのじつに多くを食いつぶしてしまうのです」。卓越した学者となった成人してからのアーレントは、じっさい世間の目には自信にあふれた人、傲然とした人にさえ見えた。しかしハイデガーの目にそう映ったことはいちどもなかったのである。

大学一年生の彼女は、ハイデガーのなかに恋人、友、教師、そして庇護者を見いだした。彼は、彼女をとこしえに愛し、助け、導こうと約束した。彼の蠱惑的な愛の告白に陶然となって、彼女はそれまでいちども解いたことのない防衛の姿勢を棄てた。「影」(Die Schatten)と題された1925年の未公刊の告白録のなかで、彼女は彼に向けて自分の幼年期と少女期の恐怖感、自信のなさと傷つきやすさを描いている。(9ページ)


こういった人間、ハンナ・アレントをうまく説明する理論の一つがユング心理学である。以下ユング派のジョン・サンフォードによる『見えざる異性』に即して説明を試みよう。整理のために箇条書きにする。整理は本に基づいているが、時に思い切って私の言葉も補っているのできちんと理解したい人は必ず自分で本を参照してください。

●アニマとアニムス
アニマとは人格の中にある女性的要素、アニムスは人格の中にある男性的要素である。アニマは男性において、アニムスは女性において大きな働きをなす。アニマ・アニムスは私たちが人間関係を作り出し、また自らの全体像を求めて努力する時に必ず関与してくる「見えざる異性」(the invisible partner)だからである。(9ページ)

●外の人に投影されるアニマとアニムス
アニマとアニムスは、それぞれ男性と女性の潜在する心的要素であるが、それは通常外側に投影されたかたちで自覚される。投影は無意識の心的メカニズムであるから、通常人はアニマ・アニムスを自分自身のものとは考えずに、自分以外の他人に、自分の外にあるものとして眺める。(16ページ)

●完全には意識化できないアニマとアニムス
通常、投影はそれを意識化することにより消え去るが、アニマとアニムスに関する限り、それは人間の無意識の深い層にある「元型」なので、無意識的な投影がなくなるまで完全に意識化することは不可能である。(17ページ)

●アニマ・アニムスを投影された相手
投影された相手は過大評価されるか、過小評価されるかのどちらかである。(20ページ)

●アニマ・アニムスが否定的な影響力をふるう時
アニマが否定的な影響力をふるうのは、男性が自分自身の女性的な側面をないがしろにしている時である。同様に、アニムスが否定的な影響力をふるうのは、女性が自分自身の男性的側面に気づかず過小評価している時である。

●アニマ・アニムスに支配された時
男性がアニマの否定的な影響下にある時、しばしば彼は「女が腐ったよう」になり、暗く、不機嫌で、神経過敏、引っ込み思案になり、皮肉や当てこすりをして客観性を失う。女性がアニムスに支配された時、しばしば彼女は干からびた男のような理屈屋になり、凡庸な正論を野太くなってしまった声で述べ続け、周りを辟易させる。(58ページ)

●なぜアニマ・アニムスは否定的な支配力を行使するのか
自分らしい生き方、豊かな情緒や創造力を生かす余地をいっさい拒否され、耐え忍ぶことのみを強制された女性を想像してみよう。彼女はきっと不満をいだき、否定的な性格を帯びるだろう。それと同じことが、男性の人格のなかで抑圧され認められず、その男性と十分に人生を共有できずにいるアニマに言える。(59-60ページ)

●近代におけるアニマの抑圧
近代文化は男性的なものを過大評価し、女性的なものを過小評価する傾向があるので、男性がアニマに気づかないだけでなく、女性すらも自分自身のアニマを抑圧してしまう危険性がある (人間は男性であれ女性であれ両性具有であると考えられるので ―たとえばプラトンの寓話を想起せよ― 女性にもアニマはあり、男性にもアニムスはある。) (81ページ)

●アニマ・アニムスに気づくには
「人は自分自身の人格については常に無知である。己を知るためには、他人が必要である」というユングの言葉が示すように、私たちは自分が無意識で抑圧しているアニマ・アニムスを自覚するには、それを投影する異性の相手をしばしば必要とする。(90ページ)

●アニマ・アニムスの目的
アニマ・アニムスとは「集合的無意識」の擬人化であり、アニマ・アニムスの心理的な目的は、自我と集合的無意識を結びつける働きをすること、意識の世界と内なるイメージの世界との間に、橋を架ける働きをすることである。(110ページ)

●アニマ・アニムスとの結合
男性の自我とアニマの結合、女性の自我とアニムスの結合は、現実世界では異性との関係によって育まれるが、この対立物の結合は、男性性を演じ、女性性を演じている現実生身の男女のあいだで起こるのではなく、対立物が究極的に統合されるところ、つまり、ひとりの人間の心の内部で起こる。(198ページ)




こういった整理で理屈付けをするなら、次のようにも解釈できるかもしれない。

▲ハンナはハイデガーにアニムスを見いだした。

▲ハイデガーに投影されたアニムスは、不安定な子供時代を送ったハンナの無意識の投影であるため、非常に強力であったと考えられる。

▲ハンナ・アレントの生涯とは、ある意味、彼女がハイデガーに投影していたアニムスを、自らの著作のロゴスによって自分自身の中に統合しようとした過程と表現できるかもしれない。

▲ハンナ・アレントは、マルティン・ハイデガーとの現世では結ばれることのない関係に長年心理的に翻弄されながら、ハインリッヒとの幸福な結婚と旺盛な著作活動などを通じて彼女自身の人生を完成させようとしたとも解釈できるかもしれない。


このように解釈すると、ハンナ・アレントがまだマルティンとの深いが不毛な関係の最中にある23歳の時に書いた『アウグスティヌスの愛の概念』(Der Liebesbegriff bei Augustin)はとりわけ興味深い作品となる。実際この本の訳者である千葉眞先生も、この本の実践的・実存的脈略として、ハンナアレントがユダヤ人であったことと、マルティン・ハイデガーと恋愛関係にあったことをあげている。(240-246ページ)この本でアレントは「アウグスチヌスとの対論を通じて、自己と隣人と世界に対するムズからの魂の位置づけを探求しているとはいえないだろうか」(245ページ)というのも千葉先生の見立てである。


以下はそういった『アウグスティヌスの愛の概念』の私なりのまとめであるが、いつものように偏りや不備が多いに違いないものであるから、興味がある方は必ず実際にご自分で本を読んでください。

■この本の性質
これはハンナ・アレントが1929年に、23歳の時にカール・ヤスパースのもとで完成させ出版した博士論文である。

■この本の主要テーマ
「神の前で、現世に属するものすべてから孤立した人間が、そもそもどのようにして隣人への関心を保持することができるのか」 (11ページ)

■アウグスチヌスの「愛」 (amare) の定義
所有されていない「善きもの」 (bonum) を欲求 (appetitus) すること。だが、この「所有への欲求」 (appetitus bhabendi)は、「失うことへの恐れ」(metus anittendi)へ転化しうる。人間は「一時的なもの」(res temporales)を渇望するかぎり常に「失うことへの恐れ」と「所有への欲求」を持つ。 (13-15ページ)

■「善きもの」としての生
「愛」(amare)が追求する「善きもの」とは生そのものであり、恐れが回避しようとする「悪しきもの」とは死そのもの。「至福の生」とは失われることのない生であるが、地上に属する生は「生きながらえの死」(mors vitalis)ないしは「死ずべき生」(vita mortalis)に過ぎず、たえず「恐れ」に転化しかねない。 (16ページ)

■誤った愛(amare)としての「欲望」(cupiditas)
アウグスチヌスは、世界に固執する現世的な愛(amare)を、誤った愛とし、これを「欲望」(cupiditas)と呼んだ。だがこの「欲望」は人間をこの世界の住民となす。(24-25ページ)

■正しい愛(amare)としての「愛」(caritas)
アウグスチヌスによれば、永遠と絶対的未来を追求する愛(amare)が正しい愛であり、それは「愛」(caritas)と呼ばれる。この「愛」によって人間は彼岸世界の住民となる。(24-25ページ)

■神を見いだす
人間は神を見いだすことにより、自らに欠けているもの、自らがそうでない永遠なるものを見いだす。人間はこの「最高善」である神を愛することにより自分自身を正しく愛する。(32ページ)

■最高善の追求による現在と自己自身の忘却
「最高善」の追求と願望により、現在は忘れ去られ、とび超えられてしまう。現在の忘却とは、現在の生を未来の待望の生へと変える努力と表裏一体であり、それは同時に自己自身の忘却でもある。こうした忘却において人間は、その人自身であること、個人であることをやめる。かくして人間は神でも永遠でもあることなしに、死すべき存在としての自らの存在様式を失う。(34-35ページ)

■神学的な「隣人愛」
この神学的思考からするなら、隣人は、自分同様に神の前に立っているという関係でとらえられ、現世の具体的対応によって触れ合う人間ではなくなってしまう。(54ページ)

■「世界」の二重の意味
第一の意味は、神の「被造世界」(Schöpfung)である「天と地」(coelum et terra)であり、第二の意味は、人々がそこに「住み」(habitare)それを「愛すること」(diligere)によって構成する「人間世界」(Menschenwelt)である。

■人間世界の中の個人
人間世界では、個人はもはや自分自身の起源そのものに対して孤立した関係には立たず、他の人々とともに協力して構成してゆく「世界」(mundus)の中に生きる。ここで個人は、自分が何者であるかを、もはや「神に由来する良心」(conscientia ex Deo)を通じて聞くのではなく、むしろ「異質な言語」(aliena lingua)を通じて聞く。こうして人間は神に由来する者であるにとどまらず、世界の一人の住人となる。 (114ページ)

■神学的な「隣人愛」の問題
しかし上に述べた神学的な「隣人愛」の定義では、人間世界での[私たちがおそらくは自然に感じている]隣人への愛をうまく説明できない。(140ページ)

■人間の第二の起源
人間はアダムからという起源をもっている。アダム以降の人間は[神による直接の創造によってでなく]「出生」によって生まれてきた。私たちは死者たちに由来し、死者たちとともにある「社会」に存在する。私たちの共同体は歴史的である。 (150ページ)

■人間の二重の起源性
神に帰属するものでありながら、人類に帰属するものでもあるという人間の二重の起源性が私たちの「隣人愛」をうまく説明するのではないか。 人間は神の前にそれぞれ孤立しながら、歴史的な社会において人類に帰属してもいるという二重の意味において隣人を見いだす。(167-168ページ)

こういったこの本のまとめから、上記のユング的解釈 ―おそらくは擬似ユング的解釈― を試みれば次のようになるかと思います。


▲ハンナは、恋愛感情が実らない人間がしばしば行うように、実らない愛の欲求を神に求め、心理的な救いを得ようとした。

▲神学的な愛の概念は、現世的な愛を誤った愛とし、マルティンに執着せざるを得ないハンナを救う途をひらいた。

▲しかし神学的な愛は、個々人を孤立させるだけであり、人々が自らの救済だけを求め、隣人も具体的に捉えずにただ抽象的にしか捉えられないなら、ハンナが次第に気がつかざるをえなかったユダヤ人を巡る社会的問題は解決の途をとざされてしまう。

▲ハンナはアウグスチヌスの著作の中に、人間の二重の起源が記されていることを彼女自身と彼女の時代の救いとしようとした。つまり人間は神の被造物としてだけでなく、人間の社会の中に生まれ落ち人間の社会の中で生きてゆく者としても存在する。人間は孤立感に苦しみがらも連帯できるし、連帯しなくてはならない。それはハンナ・アレント自身の姿でもあった。


まあ、私の強引で単純すぎる解釈はともあれ、この本にはアレントが晩年力説した人間の複数性、そしてその根拠となる「聖書の第二創造神話」の萌芽が見られるかとも思います。また『人間の条件』で強調される「出生」などの概念もここで既に見られます。


しばしば人は最初の作品に、その人の全体を粗雑ながらに書き込もうともします。その意味でこの本を読むことはアレント理解にとっても重要なのかもしれません。

最近、人間にとっての物語―その人の人生という物語―の重要性を感じたりもしていますので、ことさらに面白く読みました。

おそまつ。


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