(iPhoneでもKindleは読めるけれど、さすがに画面は小さくて快適な読書はできなかった)。
PCの大きな画面で本が読めるのは私にとってはありがたい。
さらにAmazon.comのKindle Storeで私が購入した本は、職場PCでも自宅PCでも出張用ラップトップでもiPhoneでもどこでも読める。これはありがたい。iPhone, Dropbox, (最近導入した)Evernoteなどでどんどん情報のユビキタス(偏在)化は進行している。最近情報革命は急激に加速しているような気がする(Kindle for iPhoneの登場が2009年12月14日、iPadの発表が2010年1月27日、そしてiPadへの購買意欲を(少なくとも私のような人間にとっては)少し削ぐこのKindle for PCの登場が本日である。なんと目覚しい変化!)
これで私の英語での情報入手方法は、無料のGoogle, Google Books, Google Scholar, Hathi Trustに加えて、有料での
があるので、非常に強力になった。ひょっとしたら私の読書習慣(言語選択・書籍購入)は大きく変るかもしれない。なにせ英語なら日本語よりも、格段に良質の情報がはるかに大量にしかも廉価で入手できるのだから。
インターネット以前の時代の私に取って書籍とは大型書店でのみ出会えるものであった。田舎に住む人間にとって都会の大型書店は憧れの空間であった。
インターネットとAmazon.co.jpにより書籍は、ネット上で高度な検索サービスとcrowd sourcingにより供給された関連情報によって出会うものになった(大型書店に行くのは、思いもかけない偶然の本との出会いを楽しむたまの気晴らしだけになった)。
今回のKindle for PCで書籍とはネット上での英語空間でまず出会うものというように購買習慣が変るかもしれない。書籍は持ち運ぶものでなく、ネット空間(cloud)に常在するものというように認識も変るかもしれない。
もちろん私の場合は英語で読書するには、日本語読書よりも時間がかかる。しかし、これだけ英語情報の流通が快適になり、なおかつ良質な情報は英語空間にあるとしたら、私の読書での英語の比重はどんどん高まってゆくだろう。
水村美苗の『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』での懸念は一層現実味を帯びてきたといえる。
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