2010年3月15日月曜日

高校教員7年目を終えて:ある卒業生からの手紙

新人教員というのは、しばしば「自ら直接見聞した教員行動の模倣」か「教え込まれた行動」しかできません。なぜそのように教えるのかと問われても、模倣をしている場合でしたら口ごもるだけですし、教え込まれた行動をしているだけでしたら「教え込まれた語り」(例、「だって指導要領では・・・」「○○先生がおっしゃるように・・・」等)をするだけです。

私は、新人教員が職場に適応できたかどうかの指標として、自らの語りを紡ぎ出せるかどうかが重要ではないかと仮説的に思っています。いや、「指標」といいましたが、ひょっとしたら「契機」 ―教員の適応・成長を促す一つの要因― ですらあるのかもしれません。このあたりはゆっくり考え、観察を続けたいと思います。「自らの語り」といいましても、それを紡ぎ出す「場」「人間関係」「ことば」「状況認識」などなどたくさんの要因があるので、拙速は避けなければなりません。


下に掲載したのは、ある卒業生からいただいた手紙です。この卒業生は教員生活を7年間送ったのですが「新人」とは言えないでしょうが、この人なりの自発的な語りとして非常に興味深く読みました。このような語りを共有し、教員一人ひとりが自らの語りを紡ぎ出して、それをさらに共有できるようになればと思っています。

以下、手具体的な情報を消して、本人の承諾を得た上でその手紙を掲載します。手紙をくれた卒業生に心から感謝します。本当にありがとう。




拝啓 柳瀬陽介先生

先生、お元気でいらっしゃいますか。大変ご無沙汰しております。■■です。先生には、学部のときから大学院まで、大変お世話になりました。

 このたびは、近況報告をしたく、一筆申し上げることにいたしました。

私は■■県■■高校に5年勤務したのち、現在は■■県立■■高校に勤務しております。早いもので、高校教員7年目を終えようとしており、この3月1日には、私にとって2度目の卒業生を送り出すことができました。

教員3年目からは連続して学級担任をしており、■■高校の1・2・3年担任(3年間持ち上がり)、そして転勤後、■■高校2・3年担任(2年間持ち上がり)を務めました。学級担任として卒業生を送り出すことは、教員として何物にも代えがたい喜びでした。7年間で2度もその喜びを味わえたことは、幸運としか言いようがありません。

 この2つの学級は、ともに大好きな学級ですが、ある意味で対照的です。かたや「クラスのほぼ全員が、海外に数週間の語学研修に行くことができた豊かな」学級、かたや「家庭状況が苦しく、昼食はカップ麺しか食べない生徒が1人や2人ではない」学級、でした。ちなみにカップ麺というのは、嗜好ではなく、安いからです。昼休みになると、職員室に「お湯をください」と生徒が入ってきます。これは一例で、書き尽くせない、あるいは書くべきでない状況を抱えた生徒の方が多かったです。

 前者の学級には、教科指導と進学指導に力を注ぐことで、充実していました。私が担任した学級の生徒の英語力は、前年までの生徒に決して引けをとらないまでに成長しました。進学指導でも予想以上の実績があがり、ある程度自信をもって進学指導ができるようになりました。

 後者の学級には、生活指導と進路指導に力を注ぐことで、これも充実していました。授業は「力をつける授業」というよりは「わかる授業」を前面に出して行いました。今、私の授業に、特別なことは何もありません。生徒が(授業妨害などに困らずに)安心して・(グレーゾーンの生徒であっても)安定して授業を受けられる状態を、継続しているだけです。

 こうして書くと、教科指導も、生活指導も、進路指導も、少しはできるようになったのかと思います。もちろん、それにもたくさんの失敗と勉強と周囲の方々の支えが必要でした。しかし、教科指導に、生活指導に、進路指導にかまけて(というのも変な言い方ですが)、大切なことから逃げてきたように私は思っています。

家庭状況が苦しい生徒達を(形はさまざまですが)愛情でもって支え、たくましく育てる同僚が周りにいました。それに比べ、私は何と「(上っ面だけ)優しい」「(生徒はきっと望まないであろう)同情心をもった」「生徒のことを何にも分かってない」教員であったことかと、たびたび痛感したのです。一番のベースになるものが決定的に欠けている。

 一番のベースになるもの、それは――陳腐すぎる言葉ですみません、でも別段新しい言葉もいらないと思うのです――「人間としての幅の広さ」です。「厳しさが本当の優しさ」「同情などいらない。たくましく生きていけるよう指導する」これらを実践していかなくてはなりません。というよりも、これらを基盤とした教科指導を、生活指導を、進路指導を(結局のところはこれらを基盤とした生き方を私自身が)していきたいと思うのです。

一番厳しさを向けるのは自分に対してでなくてはならないし、一番たくましいのも自分でなくてはならない。生徒への指導がすべて自分に返って来る――この生活を楽しんで生きていきたいと思います。

 「授業がわかる」「生活指導に筋が通っている」「進路指導がためになる」も嬉しいです。ですが、「頼れる」「相談に行きたい」「厳しいけど伸ばしてくれる」教員になりたいと思っています。これが今の私の目指すところです。



 Appendix
 この3月の私の学級の卒業生は、■道(全国高校生■位の賞をはじめとする)、■■、■■コンテスト、■検定など、教科学習以外の分野で、目覚ましい成績をあげました。(英検受験者はゼロ・・・もっと担任を立てなさい!・・・涙)
その大活躍に、私も大いに触発されまして、ある決心をしました。

それは、「英検1級をもう1度。ただし今度は満点で通る」ことです。

動機は単純です。
今の学校の生徒が教えてくれた「努力の積み重ね」を、自分で実践してみようという、ただそれだけのことです。

できると思っています。


 長文大変失礼いたしました。
 先生も心身の健康に気をつけられてください。

敬具

■■■■





【広告】 というわけで実直な語りと語りから学ぶ方法が満載した『リフレクティブな英語教育をめざして』を買ってね(笑)。






0 件のコメント: