【新企画: 音声ファイルダウンロード】
胡子美由紀先生がご自身でこのDVDについて語っています
。
2分弱の音声ファイルです。
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DVD版・英語教育遺産 広島プロジェクトが、谷口幸夫先生の監修でジャパンライム社より発刊されました。このプロジェクトの理念は以下のように説明されています。
過去、日本の英語教育を支えてきたもしくは牽引してきた先生方の20年、30年、40年前の映像というのはほとんど残っていません。今回の企画は、今から20年、30年、40年後そして100年後の若い先生方や先生を目指す学生のために、今の時代でがんばっている先生方の姿を映像に記録していこうというものです。
ここでご紹介する指導方法や指導のアイディアなどが将来に継承されて、地域のひいては全国の英語教育の発展につなげていくことができればと願っています。
その記念すべきシリーズ第1弾は「広島」です。広島において日夜頑張っている先生方の日々の取り組みをご紹介します。
監修者およびこの授業者の考えでは、、胡子先生による「授業マネージメントを軸にした中1からの指導」→道面先生による「文法指導を軸にした指導」→上山先生による「授業での指導を家庭学習につなげる指導」という中学校での指導の一連の流れをもち、さらにそれを受けて森川先生の「入試に対応する自己表現力を育成する英語Ⅱの組み立て」と西先生の「『受験』に役立つ! 高校生のためのスピーキング活動例」という高校での指導につながります。
このブログでは、この順番でこの広島プロジェクトを紹介してゆこうと思います。なおこのDVDは5枚組セットでも、1枚ごとの分売でも購入できます。
■胡子美由紀先生の実践
胡子先生のこのDVDは、英語の学習習慣が身についていない学習者に対してどのように4月から授業開きをして、授業の規律を確立しながらかつ楽しく英語を使った活動に従事させるか、という観点から作成されているようです。
主な対象は中学校1年生ですが、中学の2年や3年でも、あるいはそれ以外の校種でも役立つ知見が盛り込まれています。4月最初に学級づくりがうまくゆけば一年間の授業もなんとかうまくゆくが、そこで教師が確たる方針なく右往左往していれば一年間を通じて授業運営が困難になることは多くの教師が痛感していることだと思います。4月からの新しい授業スタートに不安を覚えている人はこのDVDから多くを学べるのではないでしょうか。
本や雑誌記事などの活字と違ってDVDを見ることの長所は、活字では伝えられない視覚情報、音声のニュアンスや間合いなどを観察することができることです。
■ 教師の「役割」
私が観察した限り胡子先生は、教師としての「役割」をうまく果たしています。
「役割」といいますと、時にそれは「本物」でない「偽物」であり駄目なものだと断じられますが、そいういった即断は「本当の自分」といったものを無思考的に信じることからくる俗見とはいえませんでしょうか。
私たちは職業・性別・家族関係などから様々な社会的役割を持ち合わせており、それぞれの役割期待を与えられています。もちろん私たちは期待される社会的役割通りの行動ばかりを行うわけでなく、時に期待される役割行動から逸脱したり、役割行動への期待自身を相手に変えさせようとしたり努力したりします。その中で社会的役割にはとどまらない「個性」というものが生じてきますが、その「個性」も社会的役割期待という背景があってのことだと思います。
少なくとも「教室」という空間で、ある人間が「教師」として、ある人間集団に「生徒」として接する時には、「教師」そして「生徒」という社会的役割期待をうまく活用するべきです。「教室」という空間で、「教師」としての行動を期待されている人間が「本当の私」を出そうとすることなどは、私に取って賢明な方針には思えません。(注)
■ 中学生に「英語授業」という行動様式を教える。
しかし問題は、昨今は社会的役割期待が変化あるいは多様化していることです。以前の「中学生・高校生はかくあるべし」という役割意識は必ずしも維持されていません。「英語の授業はこんなものだろう」という期待も、各人の様々な経験や見聞から異なっていたりします。ですから「私の『英語授業』とはこんなものです」ということを、教師は学年の最初に明示しなければなりません。学習者に「○○先生の英語授業」での行動様式を教えなければなりません。
もちろんこの行動様式の教示は、一方的な強制ではなく、お互いにとって幸せな場所を創るためであるということをはっきりと自他共に示さなければならないことは、鷲田清一先生もおっしゃるとおりです。
■ しつけ、あるいは「文化的な調教」
とはいえ、この行動様式教示は、一種のしつけであり、誤解を恐れず言えば「文化的な調教」であることは言うまでもありません。さらにその行動様式は、少し強調されたものであることもしばしばです。
例として空手道場をあげましょう。空手道場に入る人の中には、外の世界でやんちゃをしている人もいます(もちろん大半は社会的常識をわきまえた人なのですが)。道場の中では殴り蹴る技術を教えます。下手をすれば人を大怪我させる技術も教えます。そういった場所で、お互いが幸せに、共に強くなる文化を創るためには、一定の規律や原則が必要です。そういった規律や原則を、外からイライラした気持ちをひきずって道場に入った時にも、練習試合などで興奮してしまった時にも堅持するためには、徹底したしつけ、あるいは「文化的な調教」が必要です。
空手道場の「文化的調教」とは、あいさつの仕方、お辞儀の仕方、口の聞き方、道場への入り方、遅れて入った時の練習への参加の仕方、練習試合の始め方・終わり方、人が怪我をした時の対処法、掃除の仕方、道衣のたたみ方、などです。入門者は最初はこういった文化的慣習を習得しなければなりません。私の通っていた空手道場では、ほとんどが成人でこのような規律獲得には何の問題もありませんでしたが、もし「やんちゃ」な人が入ってきたら、様々な方法でこのような規律を道場主(および先輩)は「調教」することでしょう。
この「調教」された規律は、道場以外の空間では少し大げさに感じられるものかもしれません。しかしその規律は世間一般で「礼儀正しい」と言われている習慣を少し誇張しただけのもので、文化的におかしなことを教えこんでいるわけではありません(実際、私は少し礼儀が求められる空間の中では空手道場で学んだ文化的習慣をアナロジー的に発揮して「礼儀正しさ」を示しています)。
「しつけ」とは、ある実践を維持するために必要な文化的習慣を教え込むことです。それは一種の「文化的調教」といってもいいぐらいの身体的訓練です。そうして獲得した行動様式は、外の世界からすればすこし大げさなようなところもあるかもしれませんが、その実践が目指すことを学ぶためには経ておくべき学習過程であるといえましょう。
■ 胡子先生の「授業規律」訓練
そういった学習者への「しつけ」という点で胡子先生の授業をDVDで見ますと、中1の4月の授業開きから、適切なタイミングで授業のルール確認を行っています。時にステッカーを与えるなど「子供だまし」に思えるようなことも行いますが、現代の中学生(あるいは高校生!)に新たな規律を教えようとするならさまざまな方法が必要なことは、多くの先生方が熟知されていることでしょう。
胡子先生は、「授業のルール」として、
のHOLE in oneをあげておられますが、DVDのよさは、このルールの徹底を具体的にどのように行うか、その実践のタイミングや雰囲気がわかることです。もちろんそういった微妙なところは、実践者の個性によってさまざまに異なりますが、ある一人の実践を見ることによって、私たちはそれを自分なりに解釈し自らの身体に流しこむことができることは私たちも知るところです。
4月最初は「黄金の三日間」と呼ばれるぐらいに大切な時期です。この「黄金の三日間」で自分の授業哲学を具体的に示すことができれば、授業は年間を通じてかなりうまくゆきます。教師としては、4月当初への準備を改めて考え直したいものです。
■胡子美由紀先生の実践
胡子美由紀(広島市立早稲田中学校)
「授業を活性化させるためのマネージメント イキイキと活動させる10rules~」
胡子先生のこのDVDは、英語の学習習慣が身についていない学習者に対してどのように4月から授業開きをして、授業の規律を確立しながらかつ楽しく英語を使った活動に従事させるか、という観点から作成されているようです。
主な対象は中学校1年生ですが、中学の2年や3年でも、あるいはそれ以外の校種でも役立つ知見が盛り込まれています。4月最初に学級づくりがうまくゆけば一年間の授業もなんとかうまくゆくが、そこで教師が確たる方針なく右往左往していれば一年間を通じて授業運営が困難になることは多くの教師が痛感していることだと思います。4月からの新しい授業スタートに不安を覚えている人はこのDVDから多くを学べるのではないでしょうか。
本や雑誌記事などの活字と違ってDVDを見ることの長所は、活字では伝えられない視覚情報、音声のニュアンスや間合いなどを観察することができることです。
■ 教師の「役割」
私が観察した限り胡子先生は、教師としての「役割」をうまく果たしています。
「役割」といいますと、時にそれは「本物」でない「偽物」であり駄目なものだと断じられますが、そいういった即断は「本当の自分」といったものを無思考的に信じることからくる俗見とはいえませんでしょうか。
私たちは職業・性別・家族関係などから様々な社会的役割を持ち合わせており、それぞれの役割期待を与えられています。もちろん私たちは期待される社会的役割通りの行動ばかりを行うわけでなく、時に期待される役割行動から逸脱したり、役割行動への期待自身を相手に変えさせようとしたり努力したりします。その中で社会的役割にはとどまらない「個性」というものが生じてきますが、その「個性」も社会的役割期待という背景があってのことだと思います。
少なくとも「教室」という空間で、ある人間が「教師」として、ある人間集団に「生徒」として接する時には、「教師」そして「生徒」という社会的役割期待をうまく活用するべきです。「教室」という空間で、「教師」としての行動を期待されている人間が「本当の私」を出そうとすることなどは、私に取って賢明な方針には思えません。(注)
■ 中学生に「英語授業」という行動様式を教える。
しかし問題は、昨今は社会的役割期待が変化あるいは多様化していることです。以前の「中学生・高校生はかくあるべし」という役割意識は必ずしも維持されていません。「英語の授業はこんなものだろう」という期待も、各人の様々な経験や見聞から異なっていたりします。ですから「私の『英語授業』とはこんなものです」ということを、教師は学年の最初に明示しなければなりません。学習者に「○○先生の英語授業」での行動様式を教えなければなりません。
もちろんこの行動様式の教示は、一方的な強制ではなく、お互いにとって幸せな場所を創るためであるということをはっきりと自他共に示さなければならないことは、鷲田清一先生もおっしゃるとおりです。
■ しつけ、あるいは「文化的な調教」
とはいえ、この行動様式教示は、一種のしつけであり、誤解を恐れず言えば「文化的な調教」であることは言うまでもありません。さらにその行動様式は、少し強調されたものであることもしばしばです。
例として空手道場をあげましょう。空手道場に入る人の中には、外の世界でやんちゃをしている人もいます(もちろん大半は社会的常識をわきまえた人なのですが)。道場の中では殴り蹴る技術を教えます。下手をすれば人を大怪我させる技術も教えます。そういった場所で、お互いが幸せに、共に強くなる文化を創るためには、一定の規律や原則が必要です。そういった規律や原則を、外からイライラした気持ちをひきずって道場に入った時にも、練習試合などで興奮してしまった時にも堅持するためには、徹底したしつけ、あるいは「文化的な調教」が必要です。
空手道場の「文化的調教」とは、あいさつの仕方、お辞儀の仕方、口の聞き方、道場への入り方、遅れて入った時の練習への参加の仕方、練習試合の始め方・終わり方、人が怪我をした時の対処法、掃除の仕方、道衣のたたみ方、などです。入門者は最初はこういった文化的慣習を習得しなければなりません。私の通っていた空手道場では、ほとんどが成人でこのような規律獲得には何の問題もありませんでしたが、もし「やんちゃ」な人が入ってきたら、様々な方法でこのような規律を道場主(および先輩)は「調教」することでしょう。
この「調教」された規律は、道場以外の空間では少し大げさに感じられるものかもしれません。しかしその規律は世間一般で「礼儀正しい」と言われている習慣を少し誇張しただけのもので、文化的におかしなことを教えこんでいるわけではありません(実際、私は少し礼儀が求められる空間の中では空手道場で学んだ文化的習慣をアナロジー的に発揮して「礼儀正しさ」を示しています)。
「しつけ」とは、ある実践を維持するために必要な文化的習慣を教え込むことです。それは一種の「文化的調教」といってもいいぐらいの身体的訓練です。そうして獲得した行動様式は、外の世界からすればすこし大げさなようなところもあるかもしれませんが、その実践が目指すことを学ぶためには経ておくべき学習過程であるといえましょう。
■ 胡子先生の「授業規律」訓練
そういった学習者への「しつけ」という点で胡子先生の授業をDVDで見ますと、中1の4月の授業開きから、適切なタイミングで授業のルール確認を行っています。時にステッカーを与えるなど「子供だまし」に思えるようなことも行いますが、現代の中学生(あるいは高校生!)に新たな規律を教えようとするならさまざまな方法が必要なことは、多くの先生方が熟知されていることでしょう。
胡子先生は、「授業のルール」として、
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2 be Original
3 Learn from your friends
4 Express your ideas
のHOLE in oneをあげておられますが、DVDのよさは、このルールの徹底を具体的にどのように行うか、その実践のタイミングや雰囲気がわかることです。もちろんそういった微妙なところは、実践者の個性によってさまざまに異なりますが、ある一人の実践を見ることによって、私たちはそれを自分なりに解釈し自らの身体に流しこむことができることは私たちも知るところです。
4月最初は「黄金の三日間」と呼ばれるぐらいに大切な時期です。この「黄金の三日間」で自分の授業哲学を具体的に示すことができれば、授業は年間を通じてかなりうまくゆきます。教師としては、4月当初への準備を改めて考え直したいものです。
【広告】 教育実践の改善には『リフレクティブな英語教育をめざして』を、言語コミュニケーションの理論的理解には『危機に立つ日本の英語教育』をぜひお読み下さい。
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