2010年3月23日火曜日

卒業生に贈る言葉 ― Glory in heaven, peace on earth

以下は本日、講座の学位授与式で行なった挨拶の原稿です。改めて読んでみますと、ずいぶん格好をつけていますし、なにより自分が果たし得ていないことを人に説くという最悪の教師言説パターンに陥っていますが (笑)、ここに掲載します。

この春に社会に出る皆さんの人生が幸福なものでありますように。




みなさん、本日は卒業・修了おめでとうございます。

お別れの機会ですので、本日は私の好きな言葉を一つお贈りいたします。

それは
"Glory in heaven, peace on earth" (「栄光は天に、地には平安を」)
です。

もともとは新約聖書 (ルカによる福音書2章14節) の言葉ですが、聖書も翻訳によってはいろいろな違いがありますから、ここで私が紹介するのは私個人の解釈です。


若い皆さんは、これからさまざまな「栄光」を求めるかもしれません。それは力であったり、地位であったり、名声であったり、高価な持ち物であったり、美貌やかっこよさであったりするかもしれません。

私も若い頃は大いに「栄光」を求めました。いやそれは求めたというよりも、渇望したというべきでしょう。自らの不全や不安をごまかすために、ひたすらに野心をたぎらせていたというべきでしょう。


そのうちにこの言葉 ― "Glory in heaven, peace on earth" ― に出会いました。

栄光とは大いなる天に属すべきものです。地の人々に属すべきでもありません。地にある人は、愚かでやがては死すべき存在に過ぎません。"Glory in heaven, peace on earth." ― 人が求めるべきものはglory (栄光) ではなく、peace (平安) ではないでしょうか。

人間が自らの栄光をひたすらに求めたなら、そこにはしばしば大きな不調和が到来するというのが、私が直接・間接の体験や読書経験から少しずつ学んだことです。


それでも世間はしばしば栄光で人を判断しようとします。しかし私は、仮りそめに過ぎない栄光を得た人より、地に平和と平安をもたらした人こそを讃えるべきかと思います。

平安をもたらす人とは、柔和な笑顔や寛容な態度で人々に接する人です。怒りに対して怒りを返さず、憎しみに対して憎しみを返さない人です。自らの栄光より、周りの人の幸福を大切にする人です。それは皆さんの家族であり、友人かもしれません。

近代社会には様々な欲望や野望が渦巻いています。また所詮、人は欲望、野望、栄光への渇望から自由になれない存在なのかもしれません。しかし、選択をする機会、自らを振り返る機会があれば、栄光でなく平安を求められた方がいいのではないかと私は考えています。

皆さんが平安をもって、周りの人々を幸福にし、自らも幸福になりますように。そしてその幸福を次々に人々に伝えてゆきますように。

本日はおめでとうございました。



追記

ルカによる福音書2章14節の各種翻訳は以下のとおりです。

新共同訳「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ」

口語訳「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

King James Version "Glory to God in the highest, and on earth peace, good will toward men."

Young's Literal translation "Glory in the highest to God, and upon earth peace, among men -- good will."

New Living Translation“Glory to God in highest heaven, and peace on earth to those with whom God is pleased.”

New International Version "Glory to God in the highest, and on earth peace to men on whom his favor rests."

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