2009年9月30日水曜日

「目標を横に置くこと」

深い知恵を語るやさしい言葉を理解することは難しいことですが、私にとってのその一例は、桜井章一先生がしばしば語る「目標を横に置く」という言葉でした。どこか腑に落ちず、私はこの言葉をもちあぐねていました。

しかし最近「べてるの家」を読んで、ぼんやりと考えていたら、「あ、こういうことかな」となんとなく自分で納得できました。


近代社会で私たちはしばしば目標を「前に」置きます。

前に置かれた目標は自らが到達するべきゴールで、いわば「理想の自分」です。その「理想の自分」から「現在の自分」を引き算したら、「努力するべき自分」が得られます。その「努力するべき自分」を、「理想の自分」への到達予定日時までの単位時間で割れば、それまでの単位時間で自分が何をやればいいのかがわかります。その少分割された努力を積み重ねてゆけば目標は達成できるという方法は、ビジネスやスポーツなどの「成功本」の定番ですし、私も幾度となく実行し有効性を感じてきましたので、学生さんにも勧めたりしてきました


しかしどんなよい方法も、やり方によっては悪い結果を招きます。「目標を前に置く」近代合理主義的な方法も、達成目標を欲張ったり、期日設定を短くし過ぎたりすれば、逆効果になります。

逆効果というのは、現在の自分を否定的にしか見られなくなるということです。

目標を前に置いてしまうと、現在の自分は、常にその目標に到達していない、否定すべき存在だとさえ思えてきます。理想からすれば不足ばかりしている自分は、いつも不全で、いつしかそんな現在の自分を嫌いになったりもしてしまいます。理想と現実の主客転倒が起こってしまい、いつしか理想の自分が主人となり、現実の自分をよそ者扱い、本来は存在すべきでない者として扱い始めます。

いうまでもなく、現実の自分を自分でも肯定できないことは辛いことです。もちろんその辛さを反発材料にして、理想の自分へと邁進することもあるでしょうが、理想があまりに過大だと、現実の自分は押しつぶされたままになってしまいます。


それでは理想や目標は捨ててしまうべきなのか。



そこで登場するのが「目標を横に置く」という表現です。


目標を自らの前や先ではなく、横つまり傍らに置く。

現実のありのままの自分と目標に向かおうとする自分と共存させる。

目標地点から自分を引っ張り上げようとする理想の自分に現実の自分をコントロールされるのではなく、「目標に向かえたらいいよね」と静かに微笑む「目標に向かおうとする自分」に傍らにいてもらう。

「目標に向かおうとする自分」に、時に励ましてもらう(「目標が達成できたらすばらしいだろうね」)。

時に慰めてもらう(「目標への道って長くて険しいよね」)。

そして人間は理想からも現実からも逃げられないことを教えてもらう(「理想を目指しながら、決して到達できないのが人間なんだよね。だから苦しいことが楽しいんだよね」)


これが私なりの「目標を横に置く」ことの理解です。


この理解で、少しだけ楽になったような気がしました。






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