***広報***
「ナラティブが英語教育を変える?-ナラティブの可能性」
(2009/10/11-12、神戸市外国語大学)
第1日目登壇者:大津由紀雄、寺島隆吉、中嶋洋一、寺沢拓敬、松井孝志、山岡大基、柳瀬陽介
第2日目コーディネーター:今井裕之、吉田達弘、横溝紳一郎、高木亜希子、玉井健
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資本主義の暴走は20世紀前半にもありました。大企業が発展する一方、公害、長時間労働、低賃金、児童労働、不平等の拡大、小さな市町村の荒廃などの社会問題は深刻になりました(27ページ)。アメリカでさえ第一次大戦前には社会党員が10万人にまで増えました(29ページ)。
しかし戦後1950年代の爆発的な経済発展は、アメリカにおいて民主主義と大規模資本主義の両立という問題を雲散霧消させてしまいました(36ページ)。企業は賃金上昇と福利厚生の充実を進め、労使の対立は影を潜めました(47ページ)。しかしそれは市場をライバルにとられる心配がなかったからこそできた大盤振る舞いでした(62ページ)。
しかし1970年代半ばからアメリカの巨大寡占企業の地位がゆらぎ始めました。各種テクノロジー(特に輸送・通信技術)の発展により、消費者と投資家がこれまでにない力をもつシステムができあがったのです(70ページ、81ページ)。やがて「グローバル化」という言葉が人々の口にのぼるようになってきました。
高まる消費者の声にひたすら対応した企業(例えばウォルマート)はこの環境の中で強大になってゆきました。投資家の声に応えるためには、企業の最高経営責任者(CEO)は株主の利益を最大化することを選びました。その結果、1990年代の投資家の株保有期間は2年あまりでしたが、2002年には1年未満、2004年には半年になりました(96ページ)。
この超資本主義時代に生き残る企業は消費者と投資家にはとても親切です。ですがその代償は、労働者、市民、生活者といった消費者・投資家以外の存在を冷遇することです。またもや労働条件の悪化、不平等の拡大、地域社会の崩壊などの社会問題が深刻になりました。
社会問題を解決するのは政治の仕事でしょうが、暴走する資本主義を生き残る企業は、巨大な資金力で政治家の政策決定や科学者の専門的判断に影響を与えています。超資本主義の企業は政治と知識を買収しているのです(199ページ、215ページ)。
CSR (Corporate Social Responsibility; 企業の社会的責任)の動きが社会問題を解決するというのはおためごかしです。企業にとってCSRはブランドイメージを高め、競争力を維持するための必要悪です。市場原理に合わないことは決してしません。また悲しいことに消費者としての私たちの多くも、少しでも安い商品を買うのです。企業はその性質上、儲かることしかやりません。甘い期待からここを間違えては大変なことになります。
企業は政治の代わりになれません。ましてや学問の代わりにもなれません。
正義と真理の追究の営み--政治と学問--を企業の手から人間に取り戻さなければなりません。大金持ちなら永遠に消費者・投資家でいられるかもしれません。しかしそういった少数の人間だけが富み栄え、残りの大多数がどんどん没落し人間の尊厳さえ失いかねない社会は、人間らしい社会なのでしょうか。私たちはそういう社会を望んでいるのでしょうか。
政治と学問に共通する人類遺産である民主主義--正義と真理の前での人間の平等と自由--を私たち市民が守らなければ、この世はひどい社会になるかもしれないというのはジャック・アタリも言っていることでした。
著者のライシュは、ハーバード大学教授、ブランダイス大学教授などを経て、現在カリフォルニア大学バークレー校教授。クリントン政権で労働長官。『アメリカン・プロスペクト』の共同創立者兼編集者。『ニューヨーカー』『アトランティック・マンスリー』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『ウォールストリート・ジャーナル』などへの寄稿多数。2003年に経済・社会思想における先駆的業績によりバーツラフ・ハベル財団賞受賞。2008年5月『ウォールストリート・ジャーナル』紙で「最も影響力のある経営思想家20人」の1人に選ばれたそうです。この本は偏狭なイデオローグによる作品ではありません。
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