2009年9月5日土曜日

小倉慶郎『大学入試東大英語長文が5分で読めるようになる―英語通訳トレーニングシステム・3ステップ方式』語学春秋社

***広報***
「ナラティブが英語教育を変える?-ナラティブの可能性」
(2009/10/11-12、神戸市外国語大学)

第1日目登壇者:大津由紀雄、寺島隆吉、中嶋洋一、寺沢拓敬、松井孝志、山岡大基、柳瀬陽介
第2日目コーディネーター:今井裕之、吉田達弘、横溝紳一郎、高木亜希子、玉井健


***広報***






ある敬愛する英語教師は、自ら英語を学び続ける中で、「そうか、基本的な知識とモチベーションがあり、正しい訓練方法さえ知っていれば英語は学べる。英語教師という存在はそれほどに必要ない」と思ったという

そうしてその先生は、自らの授業も、基本的な知識をわかりやすく学ばせて、モチベーションを高め、適切な訓練方法と訓練機会、そしてその成果を試す機会を提供するように変えていったように私は理解している。

それでは基本的な知識とモチベーションはさておくとして、正しい訓練方法とは何か。


通訳・翻訳業を経て現在大阪府立大学で教鞭をとる小倉慶郎先生は、訓練方法を


(1) クイック・レスポンス

(2) シャドーイング

(3) サイト・トランスレーション


だとする。通訳修業の経験に基づく信念である。

(1)は英語を見て日本語訳を言うのではなく、日本語訳を見た(聞いた)瞬間にすばやく英語を口頭再生することである。(2)は周知のとおりで、英語を聞きながらほぼ同時にその英語を口真似することである。(3)は訳読のように「返り読み」をするのではなく、チャンクごとに英語を見て、それをすぐに日本語に翻訳することだ。(2)と(3)を繰り返せば、「直読直解」に至ると小倉先生は言う。また、スピード重視の昨今の大学入試対策にもこの方法は非常に有効だと説く。


以前私が小倉先生の講演会を聞いて、その記事(2004/3/4掲載分をお探しください)を書いたご縁で、私はこの本をいただくことができました。私も外国語習得における身体的訓練の重要性を認識するのに人後には落ちません。ご興味のある方は、ぜひこのCD-ROMで780分のトレーニング用音声が収録されたこの本を手にとって下さい。




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追記 (2009/09/07)

上記の訓練法について数名の英語教師と意見交換をしました。
私なりにまとめてみると、次のことが言えます。

■上記訓練方法は、以下のような「基本」ができていないと無駄になる怖れがある。


(1) チャンク(英語の区切り)の中が構造的に意味理解できる

(2) 複数のチャンクの構造的意味理解を、さらに文単位で統合して理解できる

(3) 初見の英文を自力でチャンキングすること(チャンクに分けること)ができる


(1)と(2)は、日本語力、あるいは日本語・英語以前の「言語力」の領域と言えるかもしれませんが、確かにこういったレベルでつまずいている学習者は多いです。中学校の先生では(1)を教えるのに苦労されている方も多いでしょうし、高校の先生では(2)の学習者の力不足に驚く方も多いでしょう。このあたりは日本語の読書をきちんとさせることの方が近道であるような気がするのですが、これには確たる証拠があるわけではありません。

(3)も上記の訓練の落とし穴です。上記訓練ではチャンク(あるいはスラッシュ)は予め与えられているからです。チャンク(スラッシュ)なしに、いかに読めるようにするかというのが英語教師の課題であることは言うまでもありません。ただ、ひょっとしたら上記訓練を重ねることで、勘のいい学習者ならチャンキングの要領がわかってくるようになるかもしれません。ですが、これに対しても私は証拠をもっていません。



さらに追記しますと、上記訓練では日本語使用があります。新しい高校学習指導要領は、「授業は英語で行なうことを基本とする」とされていますが、このような日本語使用も禁止するのでしょうか。もしそうだとしたら、学習指導要領作成者は、


(a) 上記のような訓練方法と、「英語で基本的に行なう」授業を比較した場合、後者の効果は、前者の効果を否定できるぐらいに優れている(あるいは前者には効果がまったくないか、逆効果しかない)

(b) そのことは、高校英語教育のあらゆるレベルで真である


といったことに関して、確たる証拠を持っている必要があります。(またその際の「効果」とは何かについても、教育の目的論に基づいた吟味が必要でしょう)。

その証拠とは「英語教育実践支援のためのエビデンスとナラティブ」で紹介した分類で言えば、レベル5(「有識者」の推奨、あるいは言語学者や心理学者などの現場に関する知識・経験の乏しい「専門家」の推奨)ではとてもたりません。学習指導要領は、しばしば「法的拘束力」をもつとも喧伝されますが、もしそうならそれはきちんとしたエビデンスに基づいている必要があります。

私の考えは、英語教育実践の多様性と複合性からして、均一なエビデンス(エビデンスレベルで1aまたは2a)は得難いと思っています。したがって、少なくとも方法論に関する限り、学習指導要領にせよ何にせよ、機械的で無批判的な強制力は持たせるべきではないと考えます。

まあ、そういった強制力を意味しないことは「基本とする」という表現で担保されているというのが指導要領作成者の言い分でしょうが、民主党政権が登場することとなった現在、学習指導要領をはじめとした教育行政のあり方も根本的に考え直す必要があるでしょう。








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