もともと退屈な説明と、木で鼻をくくったような答弁しないから、外国人記者が少なかった政府による英語記者会見ですが、ついに4月25日の会見では、一人の外国人記者も来ませんでした。
それでもひな壇にいる日本の「偉い人」は流暢な英語で、誰もいない会場に向かって30分近くしゃべり続けます。(さすがに日本語での説明の英語通訳はありませんでした)。
動画を見ていて、信じられない気持ちになりますが、さらに驚くべきは、説明が終わったあと、ひな壇の司会役が「何か質問はありませんか?なければこれで終ります。ご参加に感謝します」と英語で言っていること。
絶句。
外国で怪我をして病院に行った日本人が、医者に "How are you?"と言われ、"Fine thank you, and you?"と答えたというジョークは有名ですが、誰も来ていない記者会見会場で30分近く語り続け、最後に質問を求めて、参加への感謝を述べたというのは、ジョークでなく、実話です。
日本の「偉い人」って凄いなぁ。
オイラだったら、一人も記者がいないなら会見は始めずに、終了時刻まで記者が来るのを待ち、来なかったら退場するだけだけれど、日本の「偉い人」はそんな判断もしないんだね。(えっ、できないの?)
英語教育が技術的・技能的側面ばかりに偏っていては駄目だということが、わかっていただけましたか?
記事は、
動画は、
にあります。試聴にはニコニコ動画への(無料)登録が必要ですが、ぜひ見てください。日本の教育関係者は必見です!
※どなたかこのニコニコ動画をYouTubeに上げていただけませんか?日本の事実としてこの記録を残しておきたいです。
追記 2011/06/11
毎日新聞 2011年6月7日 東京夕刊の「特集ワイド:外国人特派員の見た原発事故 冷静な国民、迷走の国会」に以下の一節が掲載されました。
一時は「誰もいない記者席に向かっての発表」と揶揄(やゆ)された保安院の外国人記者向け会見。その「不人気」のワケを、この日の会見に姿を見せなかった米国人記者に聞いた。「理由は大きく三つある」と言う。
まず、ここ数年、東京の取材拠点を閉鎖する海外メディアが相次ぎ、特派員が減ったこと。メディア業界の経費削減に加え、「ジャパン・パッシング(日本素通り)と、経済成長を続ける中国に東アジア報道の重点を移す傾向がある」と指摘する。
さらに、大手海外メディアには日本人記者を抱える社が多く、首相官邸や保安院が開く通常の会見に記者を出していることもある。そして最後の一つは「肝心なことは決して話さない保安院、東電の会見に出ても無意味だから」。彼は語気を強めて言った。「ミスター・ニシヤマ(西山審議官)は極めて有能で誠実な官僚。同時に、日本の官僚主義の弊害の象徴そのものだ」
http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2011/06/07/20110607dde012040007000c.html
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2 件のコメント:
文科省が推し進めてきた「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」の成果であり、浅薄なスキル主義のなれの果てですね。
ちょうど本日、鳥飼玖美子さんからいただいた新著『国際共通語としての英語』(講談社現代新書)を読んでいました。そこには、こうありました。
「コミュニケーション」とは「相互行為」であり「関係性」である、と言えるでしょう。コミュニケーションが二者の関係を構築する相互行為だとするならば、コミュニケーションは、当事者が誰かということと、それを取り巻くコンテクストを無視しては考えられません。/それなのに、「コミュニケーションは単なるスキル」だと軽く考えているから、うまくいかないのではないでしょうか。(107頁)
東電の関係者や官僚のみなさんは、ぜひコミュニケーションとは何かを学ぶべきでしょう。
その上で、原発事故の真実を明らかにし、これまで垂れ流してきたCMのウソを謝罪し、国民とのコミュニケーションを図るべきです。
江利川先生、
わざわざのコメントに感謝します。
昔、オウム真理教の広報が、部外者にはほとんど理解不可能なことを外国人記者相手に流暢な英語で「ディベート」していた時も、私は英語教師としていろいろ考えさせられましたが、今回はそれ以上です。
でも学生さんと接していても「空気を読む」「他の人の顔色を伺う」あまり、きちんと発言しない学生さんが多いです。
いや、私のような教員も「事を荒たげず」ばかりで、適当なことばかりお互いに言い合っているのかもしれません。これは学会でもそうです。
「言語コミュニケーション」について改めて考えなおさなければと思います。
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