英語教育2010年10月増刊号の目次が大修館のホームページでも公開されたので、ここでも紹介します。ここをクリックしてください。
ご覧になったらお分かりのように、今年の増刊号の特集Iは「英語教育キーワード」です。キーワードというのは時代を動かす力になりますが、案外に理解されていなかったり誤解されていたりします。浅薄な理解あるいは端的な誤解は、キーワードを旧来の思考の癖に変容させ、世の中をしばしば反動的にしたりしますから、キーワードの的確な理解は必要です。どうぞこの特集をお読みください。
特集IIの一環として私は「英語教育図書:今年の収穫・厳選12冊」を書かせていただきました。ただ12冊を選ぶだけでなく、それらの本が現時点において書かれることの意味合い、読む際の視点などを提示して、読者の皆さんにいろいろと考えていただく書評にしたつもりです。原稿料をいただいて書いた文章ですから、このブログの文章と違ってw、わかりやすさや文体にも気をつけて書いたつもりです(もちろん私の能力の範囲内においてですが)。これらの12冊を読んだことのない方はもとより、読んだ方にも楽しんでいただけるような文章を目指しましたので、どうぞ読んでやってください。
ちなみに紹介した12冊は以下のとおりです。世の中には万人向きの本というものはないわけですから、できれば私の書評やアマゾンなどの書評なども読んで、書籍の意味合いを理解した上でお買い求めください。
靜哲人『英語授業の心・技・体』研究社
江利川春雄『英語教育のポリティクス』三友社出版
寺島隆吉『英語教育が亡びるとき』明石書店
笹島茂/サイモン・ボーグ『言語教師認知の研究』開拓社
藤本一勇『外国語学』岩波書店
黒田龍之助『ぼくたちの英語』三修社
森山卓郎『国語からはじめる外国語活動』慶應義塾大学出版会
森住衛・神保尚武・岡田伸夫・寺内一『大学英語教育学』大修館書店
福井希一・野口ジュディー・渡辺紀子編著『ESP的バイリンガルを目指して』大阪大学出版会
和泉伸一『「フォーカス・オン・フォーム」を取り入れた新しい英語教育』大修館書店
新英語教育研究会『新しい英語教育の創造』三友社出版
田尻悟郎『(英語)授業改革論』教育出版
番外編として書名だけ言及したのが下の5冊です。
卯城祐司『英語リーディングの科学』研究社
田中武夫・田中知聡『英語教師の発問テクニック』大修館書店
大塚謙二『教師のためのICT簡単面白活用術55』明治図書
横溝紳一郎編著『生徒の心に火をつける』教育出版
吉田達弘他編『リフレクティブな英語教育をめざして』ひつじ書房
なお今回の書評で私が靜哲人先生の『英語授業の心・技・体』に対して書いたことを、江利川春雄先生が面白がってくださり、靜先生は靜先生で反論を書いてくださったことは、以前の記事でお知らせした通りです。
この靜先生の立論と私のコメントは、私が接する狭い世間の範囲内ではそれなりの反響を呼んだようです。
以前の記事で私は、
私としては、この靜先生のコメントが私の書評(増刊号に掲載)と共に読まれるならば、特に付け足して言うことはありません。
と書きました。この表現を書いたときに、誤解されることを防ぐためにもう少し文を足そうかとも思ったものの、足すのも野暮だと思い上のような表現としましたが、やはり不必要な誤解を避けるために若干付け足しておきます。
私が上に「特に付け足して言うことはありません」と書いたのは、私は必要な論点は増刊号書評で書いたと思っているからです。靜先生のブログ記事は、ぜひその記事が基盤としている私の書評を読んでくださればと思います。両方を比べれば、靜先生が私の書評のどの部分を引用し、どの部分を引用せずに論じているかがわかります。また引用している箇所もどのように引用しているかにご注意いただければと思います。
私がこのブログの直前の記事で言いたかったことは、人が何を取り上げ何を取り上げないかを観察することで、その人の考え方がわかるということです。そうやって(自分も含めた)多くの人の考え方を観察するなら私たちの思考も多少は現実的なものになるでしょう。一面的で固陋な思考は現実に対応できませんからね。
私が一番避けたいのは、観察をほとんどせずにどんどん自説を肯定し、異説を否定することです。そのような断言は勇ましく、その他にすることがない一部のウェブ読者を喜ばせたりしますが、私は現実生活を改善するにはそのような断言合戦は有効でないと考えますので、距離を取りたいというのは前から申し上げている通りです。
靜先生のブログ記事は私の書評記事と併せて読んでください、とお願いしましたが、このお願いは自動的に、私の書評記事が靜先生の『英語授業の心・技・体』と共に読まれるべきことを含意します。共に読みますと私が靜先生の本のどこを引用し、どこを引用していないか、また引用するにせよどのような引用をしているかを観察できます。
靜先生のブログ記事は私の書評記事と併せて読んでください、とお願いしましたが、このお願いは自動的に、私の書評記事が靜先生の『英語授業の心・技・体』と共に読まれるべきことを含意します。共に読みますと私が靜先生の本のどこを引用し、どこを引用していないか、また引用するにせよどのような引用をしているかを観察できます。
もちろん私の書評は原稿分量という制約、靜先生のブログ記事は忙しい毎日という制約のもとで書かれたものです。また制約がほとんどないような文章でも、書き手はその思いを過不足なく書く事はほとんど不可能であり、読み手が書き手の思いを過不足なく読み取ることもはなはだ難しいものです。ですから表現の細部について必要以上に騒ぎ立てることはあまり意味ある行為ではないでしょう。
しかし、そういったことを勘案した上で冷静にお互いを観察してゆけば、その観察から私たちの思考の癖も顕になるでしょう。それぞれの癖を理解した上で、それぞれの癖を多様性と捉えて使い分けてゆけば、多少は私たちの思考も行動も柔軟になるでしょう。あまりにひどい癖はたしなめる必要がありますが、私たちは(完全な)合意を求めてコミュニケーションをするより、差異を必要な前提そして当然の結末としてコミュニケーションを続ける方が実りが多いと考えますので、私はこのように訴える次第です。(よかったらこの論文も読んでやってください)。
しかし、そういったことを勘案した上で冷静にお互いを観察してゆけば、その観察から私たちの思考の癖も顕になるでしょう。それぞれの癖を理解した上で、それぞれの癖を多様性と捉えて使い分けてゆけば、多少は私たちの思考も行動も柔軟になるでしょう。あまりにひどい癖はたしなめる必要がありますが、私たちは(完全な)合意を求めてコミュニケーションをするより、差異を必要な前提そして当然の結末としてコミュニケーションを続ける方が実りが多いと考えますので、私はこのように訴える次第です。(よかったらこの論文も読んでやってください)。
まあ、私の書評はともかく、今年の増刊号は(もw)充実していますから、お買い上げの上、どうぞ皆様の思考と行動の糧にしてください。活字出版とウェブ表現の棲み分けは、電子書籍の台頭でますます混迷の色を深めてきましたが、活字出版のこれまでの伝統とノウハウを活用することなしにウェブ文化が発展することはないことだけは確かでしょう。このブログを読んでくださるのはありがたいのですが、本や雑誌の活字出版も買って読んでねw
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【広告】 というわけで『リフレクティブな英語教育をめざして』と『危機に立つ日本の英語教育』をぜひ買ってね(笑)。
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