2010年9月2日木曜日

イ・ヨンスク(2009)『「ことば」という幻影』明石書店



『「国語」という思想―近代日本の言語認識』よりも幅広く言語について論考する本書は、さまざまな点で啓発的です。

ここでは私が今興味をもっている文体の創出についての論考のいくつかをまとめます。私のことばも混入させながらのまとめなので、興味をもった方は必ずご自身でこの本を読んで確認してください。さまざまの報告・挿話の具体性こそがこの本の面白さかとも思いますので、拙い以下のまとめなどにとどまらずぜひ実際にこの本をお読みください。



■日本人による中国語の換骨奪胎

日本人は、漢字の訓読みと漢文訓読体という文体で、漢字を日本語の体内に溶け込ませた。ある意味、表意文字である(中国語の)漢字を表語文字として日本語の中に混入させ、日本語化した。(51-52ページ)



■福沢諭吉の撹乱的文体創造

福沢諭吉の文体創造の実験的試みは大胆なものだった。彼自身は次のように説明している(「福沢全集緒言」『福沢諭吉選集』第12巻岩波書店1981年144ページ)。

「行文の都合次第に任せて、遠慮なく漢語を利用し、俗文中に漢語を挿み、漢語に接するに俗語を以てして、雅俗めちゃめちゃに混合せしめ、恰も漢文社会の霊場を犯してその文法を紊乱(びんらん)し、唯分かりに分り易き文章を利用して、通俗一般に広く文明の新思想を得せしめん」(55ページ)




■漢文直訳体と欧文直訳体の混交による新たな文体の創造

明治を代表するジャーナリストであった福地源一郎は、明治初年の文章と明治12-3年の頃の文章を比較し「文章の退歩」を慨嘆した。「欧州開花の新事物」を漢文直訳体にもとづいて言い表そうとして勝手な造語が横行し「漢学廃せられて漢語行はるる事」となったからである。彼は「其新語は漢語に似て漢語に非ず日本語にては素より無く欧語にては無論なければ茫として其真意を知るに苦しむ」と嘆いた(62ページ)。
しかしこれは、壮大な言語的実験への保守派の反発ともとらえることができるのかもしれない。



■言語の発達には人間の意図的な努力が必要

マイノリティ言語の維持に対して、マイノリティ言語の使用域が小さくその有用性が低いことが時に反論としてあげられるが、イ・ヨンスクは次のように述べる。


語彙や文体を豊富にしていくためには、その言語をなんとか発展させようとする人間の熱意と活動が必要となる。
事実、現在は大言語とされているような言語でさえ、歴史をさかのぼれば、足りない語彙を補充し、さまざまなレベルの文体をつくりあげてきた過程が存在する。たとえば、150年前の日本語には、「社会」も「哲学」も「文明」も単語として存在しなかったし、口語文体も存在しなかった。現在普通に用いられている近代概念をあらわす漢語のほとんどは、明治時代に造語されたか、古い単語が意味拡張を遂げて生まれたのである。このような言語発達の例は、無数にあげることができる。インドネシア語の母体となったムラユ語は、多民族間の交易共通語として用いられていたこともあって、近代社会に必要な語彙がかなり不足していた。そこで、独立後にインドネシア政府は、言語委員会をつくってインドネシア語の語彙を大量に補充することに努めたのである。また、イスラエルの国民語となったヘブライ語は、宗教的言語として用いられてきたために、世俗的領域や近代科学の語彙が不足していた。そこで、ヘブライ語再生の父となったベン・イェフダは、一般の人々から新しい語彙の候補を募ることにした。ベン・イェフダのもとには、各地のユダヤ人から思い思いの案が寄せられた。そのなかには独創的なものもあれえば、かなり突飛なものもあったが、それらの案はヘブライ語再生に向けた熱意の表現であった。ベン・イェフダと彼の仲間たちは、それらの候補のなかから、ひとつひとつ語彙を選定していった。やがてそれらの新語は、ヘブライ語に定着することとなったのである。
このように、言語を用いることのできる言語領域を拡大していくことと、その言語の語彙や文体を充実させる活動を進めることは表裏一体のものなのである。(256-257ページ)



こうして見ると、日本語話者というのは、奈良・平安時代頃に中国語の漢字を換骨奪胎して日本語(訓読体)として使いこなし始め、明治期に西洋文明と接するにあたってはその訓読体をさらに破壊的に創造し新しい日本語(言文一致体)を創り上げたといえるのかもしれません。

ひるがえって現代の日本人は、日本語の表現力を拡充させようとする「熱意と活動」を先人ほどにもっているのか。改めて問われるなら、それは怪しいと答えざるを得ないのではないでしょうか。

『国立国語研究所「外来語」委員会設立趣意書』は次のように述べています。


近年,片仮名やローマ字で書かれた目新しい外来語・外国語が,公的な役割を担う官庁の白書や広報紙,また,日々の生活と切り離すことのできない新聞・雑誌・テレビなどで数多く使われていると指摘されています。例えば,高齢者の介護や福祉に関する広報紙の記事は,読み手であるお年寄りに配慮した表現を用いることが,本来何よりも大切にされなければならないはずです。多くの人を対象とする新聞・放送等においても,一般になじみの薄い専門用語を不用意に使わないよう十分に注意する必要があります。ところが,外来語・外国語の使用状況を見ると,読み手の分かりやすさに対する配慮よりも,書き手の使いやすさを優先しているように見受けられることがしばしばあります。

外来語には,これまで日本になかった事物や思考を表現する言葉として,日本語をより豊かにするという優れた面もあります。しかしその一方で,むやみに多用すると円滑な伝え合いの障害となる面も出てきます。とりわけ官庁・報道機関など公共性の強い組織が,なじみの薄い外来語を不特定多数の人に向けて使用するとき,そこに様々な支障が生じることになります。これらの組織ではそうした事態を招かないよう,それぞれの指針に基づいて言い換えや注釈などの工夫を施した上で外来語を使用することが大切です。それと同時に,その指針や工夫を公共の財産として共有する方向に進んでいくことが望ましいとも考えます。



あるいは日本学術会議は『日本語の将来に向けて』で次のように警鐘を鳴らしています。


省略や符丁を多用する若者言葉やカタカナ語の日本語語彙への流入、敬語・丁寧語の変化など、近年の日本語の多様化は顕著である。しかしさらに重大な問題は、公的な場でもカタカナ語の頻繁な使用や官庁用語への迎合、論理的接続詞の軽視などが観察されることであり、公の場での日本語表現の劣化が懸念される。(iiiページ)

もちろん言葉とは変化していくものであるが、同時にその変化を方向付け、あるいは制御することも可能である。現在進行しつつある日本語の変化が、公共的な場でも日本語表現の劣化を引き起こすのならば、何らかの方策を講ずる必要があるだろう。公の場で観察される「カタカナ言葉による現実隠蔽、民間における官庁用語の迎合的使用、単語の意味の差異の無視、論理的接続詞の軽視、定型的表現への逃亡、情緒への凭れかかり等々」は、我々の社会そのもののあり方を貧困化させるものになりかねない。(3ページ)
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-h60-5.pdf
※ちなみにこの報告書は英語教育に対しても非常に的確な批判をしています。ぜひお読みください。



「グローバリズム」ということばに煽られてイケイケドンドンで「英語、英語」と連発することなく、かといってその反動でナショナリズムに嵌って「国語」の名のもとに日本の多種多様な言語使用を抑圧することもなく、うまく世界的な「知識言語」としての英語の教育と「国民国家言語」としての日本語の教育を連動させ、かつその他の言語教育につなげて、言語的活力が豊かな社会を創り出せればと思います。


と、私はこの本を主に文体創造の点からまとめましたが、冒頭に述べましたように、この本にはさまざまな話題が取り上げられています。私が一番啓発を受けたのは、日本手話についての論考でした。


日本手話を母語とする言語共同体が存在するにもかかわらず、それを無視して日本語ないしは日本語対応手話の習得を第一の目標とする教育を行うことは、なにを意味するのだろうか(中略)。それは、マジョリティとは異なる言語と文化をもつマイノリティに対して、マジョリティへの同化を促進することにつながるだろう。そのことは、ひいてはマイノリティの固有のアイデンティティを否定することにもなる。日本手話はその背景に独自の歴史と文化をもっており、そのことは他の言語となんら変わりはない。ただそれについて書かれた資料が、他の言語に比べて不足しているだけである。日本手話がろう者に日本語を学習させる際の妨げとなるという考え方は、教育学的なものではなく、むしろイデオロギー的なものである。(237ページ)


・・・というわけでぜひ読んでください(笑)。私としては言語教師としての専門教養のための必読書の一冊として指定したいぐらいです。でも最近の学生さんって、絶望的に本を読まないのよね(泣)。算数ができなくて文系になったのに、本も読めないとそれは単なる馬・・・(自粛)


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