2010年9月7日火曜日

安田敏朗(2006)『「国語」の近代史』中公新書、および「英語の授業は英語で」のスローガン化に対する懸念

読み応えあり、資料価値の高い新書です。同じような題材を扱う山口仲美(2006)『日本語の歴史』(岩波新書)は読みやすさとわかりやすさを第一に考えたような作りになっていましたが、本書は分量も多く、巻末の参考文献、人物略歴、関連年表も充実しており、一度読んだらずっと手元に残して折りにふれ参照したい本となっているかと思います。

この記事ではその本を包括的にまとめることなど狙わず、現在の私の関心事である「いかにして近代的な言語が創出されてゆくのか」について、私が個人的に面白いと思った数点についてまとめます。

私の問題意識は、明治以降の日本人が日本語を創り上げたように、現代の日本人も意図的に日本語を創り上げることを試みなければ、日本語は生活のための現地語として廃れることはなくとも、知的事象を扱う「知識言語」としては衰退してゆくのではないかというものです。以下は、この問題意識に即しての私なりの偏ったまとめですから、本書に少しでも興味をもった方は必ずこの本をご自身でお読みください。


■明治初期の「日本語」の未成熟

それまで日清両属であった琉球王国を、明治政府は1872(明治5)年に一方的に琉球藩として内務省管轄にし、1979(明治12)年には軍隊を派遣し首里城を接収し、廃藩置県を行ない沖縄県を設置した。その翌年に「日本語」普及のために『沖縄対話』が沖縄県学務課によって編纂されたが、その一節は以下のように「日本語」に琉球語訳がついたものである。


貴方ノ、御時計ハ、何時デアリマスカ
私ノ時計ハ、八時デゴザリマス
最早、学校ヘ、御出ナサル時刻デハ、アリマセヌカ

ウンジユヌ。ウトキーヤ。ナンジナタフヤビーガ。
ワートキーヤ。ハチジナタフヤビーン。
ナー。ガツカウジンカヰ。ウンジミヤールジプンノー。アヤビラニ。


ここで注目すべきは、この「日本語」がいかに話し言葉として成熟していない、書きことばから急造されたものであるかということである(私を含めた琉球について無知な人間にとっては琉球語の響きに驚くかもしれないが)。(以上、引用資料も含めて14-16ページより)



■国定国語読本の誕生と「日本語」の提示

出版社と各府県の審査委員の贈収賄をうけて、文部省は小学校教科書の国定化をはかった(1903(明治36)年。ただし全教科で国定化がなされたのは1913(大正2)年)。その国定教科書の日本語の一例として『尋常小学読本 ニ』の一節をあげる。


チョーチョガ マフ ノ モ コレ カラ デス


しかし1905(明治38)年の調査ではこの日本語文体の習得は芳しくなく、文部科学省は「文法上許容スヘキ事項」「国語仮名遣改定案」を出す。そこで例示されている日本語は次のようなもの。


瓜生岩わ福島縣の人なり、十七歳のとき會津藩士瓜生氏に嫁ぎたりしが、よく夫としゅーと、しゅーとめにつかえ、下男、下女をいたわり、もっぱら家事をはげみたりしかば、家のもの、みな、むつみあいて樂しく、くらしたりき

(以上、引用資料も含めて65-69ページより)


■相次ぐ反対による「日本語」の揺り戻し

しかし上記のような「日本語」は多くの議論を呼び、文部省は1908(明治41)年に「臨時仮名遣調査委員会」を設置・諮問する。しかしその諮問案は結局撤回され、同年9月の文部省令により、「日本語」は1900(明治33)年以前の仮名遣に戻る。(71ページより)



■植民地での「日本語」

日清戦争の結果として1895(明治28)年に日本は台湾を領有した。1910(明治43)年には朝鮮(大韓帝国)を併合した。植民地での「国語」教育という課題が生じた。大槻文彦は次のように言っている。

台湾朝鮮が、御国の内に入って、其土人を御国の人に化するようにするにわ、御国の口語を教え込むのが第一である。それに就いても、口語に、一定の規則が立って居らねばならぬ。口語法わ、実に、今の世に、必要なものである。

(以上、引用資料も含めて90-92ページより)



■植民地の人々の「国語」習得

しかしいくら植民地の人々が「国語」を習得しても「真の日本人」にはなれないという排除的な認識は日本本土の人間には強かった(98ページ)。植民地での「国語」教育は、植民地統治の内面化と規律の徹底化として捉えられるが、一方で韓国の若者のなかにはファッションとして「国語」で会話するような風俗があったことの記録もある(125-127ページ)。また日本人は台湾人に日本「民族」へ「同化」することを強制したものの、台湾人は、日本を通じてもたらされる「文明」へ「同化」しようとしただけであり「同床異夢」であったという議論もある(130ページ)。言語教育に関しては、権力性に注意を払いながらも、多面的複眼的に見ることが重要であろう。



■「共通語」と「標準語」

植民地統治により「国語」は国民国家内での「標準語」から、その地理的領域を越えた「共通語」になろうとするという動きを得た。これは「国語」の固有性を強調しなくなる路線である(148ページ)。
こうした普及という現実的要請に対して「国語」と普及用の簡易化された日本語を分ける対応(「内外分離」)と、簡易化するにせよしないにせよ分けないとする対応(「内外一如」)が生じた。この分裂の様子は、国語教育学者石黒修が1940(昭和15)年に「わが国字の複雑さはいはずもがな、国語そのものも乱雑を極め、発音や語法にいづれが正しいかさへもわからないものがある」と書いていることからも推察できる(160-161ページ)



■BASIC ENGLISHにならった「基礎日本語」の試み

英文学者土居光知は1933(昭和8)年に、オグデンとリチャーズのBASIC ENGLISHにならって、単語約千語で表現できる簡易日本語(「基礎日本語」)を提唱した(169ページ)



■ラジオ放送による音声の標準化

1925(大正14)年のラジオ放送開始に伴い、音声の標準化が現実的な問題として浮上した(178ページ)



■日本国憲法の日本語

1946(昭和21)年公布、1947(昭和22)年施行の日本国憲法は、歴史的かなづかいであり、翻訳調の文体であるとはいわれるものの、口語文で書かれた(206ページ)



■表記の簡易化・漢字の制限と、それへの反発

戦後、表記の簡易化・漢字の制限という政策の流れは定着したが、1952(昭和27)年にサンフランシスコ講和条約が発効し日本国が独立すると、そういった国語審議会への不満が表面化しはじめた(223ページ)。




以上のような流れから、私の見解も加えた強引な一般化をしますと、

・近代日本語は政治的な意図をもって創られた。

・しかしその意図には、具体的な像が予め含まれていたわけではない。

・日本語を改革する動きと、日本語を保とうとする動きは常に緊張関係にある。

・植民地統治は日本語の「国語」性をあらわにしたが、「国語」はやはり「共通語」というよりは「標準語」として多くに認識されていた。

・ラジオという新メディアは日本語に影響を与えた。

・法律や公的文書をどのような日本語で書くかというのは、象徴的な意味をもつため、機能的な観点だけから考えられるべきではない。公的な日本語表現は「通じればいい」というものではない。


といったところになるでしょうか。


日本語の創出という点では翻訳が大きな役割を果たしたというのは私も最近このブログで強調していることですが、江利川春雄先生の最近のブログ記事はすばらしいものでしたのでここでも紹介します。ぜひご一読ください。


英語教育の中では、特に「英語の授業はすべて英語で行うことを原則とする」といった流れでは、日本語は必要悪としか考えられていません。英語を理解し習得するために仕方無しに使っているものであり、本来なら使わない方がいいというわけです。もちろんこのような考え方で行われる授業もあるべきでしょう。

しかしもし学校英語教育のすべてがこのように日本語を必要悪としか考えない言語教育観に支配されるなら、英語で得た知見をじっくりと日本語にする、あるいは日本語文化で培われた思想や感情を、英語の通用句にして事足れりとせずにじっくりと英語にするといった翻訳文化は死んでしまうでしょう(いや、もはや死んでおり、翻訳文化は学校英語教育以外でのみ生き残っているのかもしれません)。

もちろん現実には、たとえばIT業界では翻訳語を熟成させ普及させる時間がないといった問題もあります(西野竜太郎「なぜ IT にはカタカナが多いのか」)。しかし上のエッセイで江利川先生が紹介しているように、カタカナ語の多用・濫用で言葉の正確な理解を阻んでいるような言語使用が官僚や政治家によってなされている現状では、翻訳文化が途絶え、カタカナ語ばかりを振り回すことの弊害が気になります(例えば「マニフェスト」と「アジェンダ」って、どのように違うのですか?それは"manifesto"と"agenda"の違いと対応していますか?私たちはしばしば気分だけでカタカナを使ってわかった気になっていませんでしょうか?)。

これは実はゆっくり考え、書きたいことなのですが、翻訳を怠り、カタカナばかりを振り回す人というのは、往々にして、その原語の概念を精確に理解せずに原語をカタカナ発音してわかったふりをしているだけのように思えます。

きちんとした翻訳語として原語を日本語にすれば、その翻訳語はこれまでの日本語との緊張関係の中で意味合いがはっきりとしてきます。「その○○というのは、△△や××とはどう違うのか」と他の日本語話者に問いただされることがありますから、翻訳者は翻訳語を慎重に選定(あるいは創作)しなければなりません。そのため翻訳者は一層注意深く原語が表している意味とその領域や働きを検討します。

ところがカタカナ語にしてしまえば(あるいは辞書の直訳語を充てるだけにしてしまえば)、わかったふりだけになりがちです。カタカナ語を振り回しても、周りは原語を深く知らない人達ばかりですから、仮に誤用しても誰も指摘しません。辞書の直訳語でしたら、悪い意味での「英文和訳」「直訳」学校英語教育文化で(訳出に関する用語の区別に関してはこの記事をお読みください)、私たちの多くは「辞書に書いている訳語を原語の意味とすることは正しいこと」と思い込んでいますから、これまた直訳語を振り回す人を批判する人は非常に少なくなってしまいます。


学校英語教育というのは、日本国という文脈で行われています。学校教育は明らかに政治的な側面をもっています。そのような学校英語教育で「英語の授業はすべて英語で」といった考えを、無批判的に是認し、イデオロギー化することは、翻訳文化を(より一層)根絶やしにしてしまうことにつながりかねません。それは権力者・知識人が恣意的にカタカナ語を濫用すること、外国語にそれほど堪能でない市民が公共的な議論から遠ざけられてしまうこと、漢字への翻訳と違って造語力を持たないカタカナ語の多用で日本語の創造的造語力が失われてゆくこと(注)、なにより日本語を第一言語とする者がその言語で深く広く考え語り書くことができなくなることにつながりかねません。これは日本の学校教育が取るべき言語政策でしょうか。

明治初期の日本人にとって、政治・経済・学問・芸術は、ばらばらの現地語と西洋事情を理解できない漢文(訓読体)の集まりに過ぎなかった「日本語」で行うのではなく、英語といった既に力をもった言語で行うという選択肢は、今では考えがたいぐらい魅力をもったものだったかと思います。しかしその後の日本は(植民地統治を受けなかったという歴史的事情もあり)、外国語を自国の知識言語とせずに、近代日本語を数多の労苦を通じて創出しました。

現代の私たちは、その努力を継承すべきなのか。それとも放棄し、英語を日本における決定的な知識言語として、近代日本語がもっていた政治・経済・学問・芸術に関してもほとんどすべて日本語で表現できるという日本語の力を衰退させるのか。大げさなようですが、このあたりの方針は明確にしておかなければなりません。

前に書いたこの記事で、私は思考の枠組みのすべてを学習指導要領の「英語」においているようにしか思えない人の批判をしましたが、私の個人的印象をさらに重ねるならば、日本の英語教育政策に影響力をもっている人には「英語好き」「英語マニアの成れの果て」といった方々が多すぎるように思えます。英語教育関係者が英語が好きなことはもちろんなんら問題ではないのですが、好きが高じて視野狭窄に陥り、それが日本語の未来にさえ影響を与えてしまうなら恐ろしいことです。

学校教育というのは巨大な予算を伴い、多くの若者を拘束する強大な権力行使です。それだけにその権力の使い方にはきちんとした考察が必要かと思います。だいたいにおいて日本の権力者・知識人というのは気分やその場の「空気」でスローガンを決めたら、それを連呼するという悪癖をもっています。スローガンを連呼する人を見つけたら、あるいは自分がスローガンを連呼していることを発見したら、私たちは気をつけなければなりません。


安田敏朗(2006)『「国語」の近代史』中公新書の紹介からずいぶん脱線してしまいました。学校教育について丁寧に考えるためにも、本書のような本を読んでじっくり考えたいと思います。


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(注)中国語からの漢字の導入が表意文字の導入であり、その表意文字を換骨奪胎し表語文字化することで日本語は豊かな造語力を持ち得たのに対して、英語からのカタカナ語の導入は表音文字の不正確な導入であり、造語力を欠くだけでなく、表音にも不備があり原語へ発音においても綴りにおいても遡及することができないことは強調されるべきことかと思います。










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