2011年5月10日火曜日

新人教員として高校で働き始めた元ゼミ生からのメール

先日、中学校で働き始めた新卒ゼミ生からのメールを掲載しましたが、今度は高校で働き始めた新卒ゼミ生からメールをもらいました。彼女もこの3月に学部を卒業したばかりです。新人教員がどう育つか、周りがどう育てるかというのはとても大切な事なので、本人の許可を得てここで掲載します。


柳瀬先生

お久しぶりです。お元気ですか?

4月になり、社会人になって「先生」として毎日学校に行くようになりました。「右も左もわからないということはこのことなんだ!」と日々感じました。
1か月経って、「何にもわからない」から「わからないことがたくさん」と思えるようにくらいには慣れました。

お察しのことと思いますが、私はこの1カ月よく泣きました(笑)(生徒の前では泣いてません)

社会人になってからよく長電話をするようになりました。
辛くなったときに話を聞いてくれたり心配してくれる友だちがいてくれて本当に良かったと思います。
大学で得たものの中で一番大切で大きなものです。

悩んでも辛くても止まれません。
授業は毎日あって、その50分は私がいないとどうしようもありません。
お給料をもらっている以上果たすべき責任を果たさなければいけません。

大学生はそれに比べると時間があります。自分で自由に調整できる時間があります。
今となっては、進路や勉強や人間関係について、時に立ち止まってじっくり考えることのできた大学時代はとても貴重な時間だったんだなと思います。

授業は課題点だらけです。
しかも「わかっている」のにできないことが多いのです。
目標のある授業、生徒の活動がメインの授業、達成感のある授業・・・
理想を口にするのは容易いけれど、それを実現するのはとても難しいということを痛感しています。

今私は目標や活動(what)を考えるだけで精いっぱいになっていますが、whatを実行するためには、そのためのステップをどう置くのか・そのステップをどう踏むのかというhowも考えなければなりません。
考えれていないのが現状です。

社会人1年目、教員1年目。
当たり前のことですが、ベテランの先生方と比べると、授業力・指導力は格段に低いです。

しかし、毎日授業があり、生徒の50分間に責任を持っています。
「授業力の不足を補うにはどうすればいいのか」「生徒を授業に引き付けるだけの力量がないならどうすればいいのか」と考えた時に、新人の私にできることは「しょうがないけえ、授業聞いちゃろうかぁ。協力しちゃろうかぁ」と生徒に思わせることかなと思いました。

教員1年目。
しかし、自分という人間としては22年目です。
「高校教師に必要なのは教科指導力」と言われますが(もちろんその通りでしょう。私にまだまだ不足している「教科指導力」をこれから高めなければなりません)教育は人と人との関わりの中で行われる以上、人間性は必ず問われます。
教員として自信が持てない部分は、自分という人間としてとして勝負しようと思っています。

具体的には、まず私が学校と授業を楽しむことが目標です。
これが私の今目指すべきステップです。

「楽しむこと」は肩に力が入りすぎていて忘れていたことであり、失敗や課題が積み重なる中でできなくなっていたことです。

手さぐりは続きます!

まだまだ書ききれていないことがたくさんあるので、また先生とお話ししたいと思います。
その時には、よろしくお願いします。
泣くかもしれませんが(笑)

季節の変わり目なので、お体にお気を付けください。

Y.Y.




社会人一年生というのは、もうそれだけで大変ですが、教員の場合、授業ではいきなり一人きりで教えます。当たり前だと思われるかもしれませんが、民間の会社でしたらたとえば新人がいきなり一人で営業周りをすることはないでしょう(少なくもともしっかりした会社では)。民間会社では、まず実際の仕事を離れた純粋な研修期間を経て、それから先輩社員に付き添う形で少しずつ仕事を覚えてゆきます。一人だけで仕事をするのはある程度の月日がたってからです。

しかし新人教員は、校務分掌の仕事もよくわからないまま、いきなり仕事場の最前線に放りこまれます。ベテランでも手を焼く教育困難校と言われる学校でも、授業中は一人で生徒を掌握しなければなりません。

「新任研修」といったものはありますが、業務の合間に研修に出たりしなければなりませんから、民間会社の純粋な研修とずいぶん違います。新人教員の一年目はしばしばかなり過酷です。

教員は児童・生徒を大切に育てることが仕事ですが、各自治体・教育委員会は大切に新人教員を育てているでしょうか。

新人教員の待遇改善のために具体的に行動できていない自分を恥ずかしく思います。













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