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三日前に生じた2011年東北地方太平洋沖地震およびその被害・影響に関しては、内閣総理大臣も言うように「未曾有の国難とも言うべき」「戦後65年間経過した中で、ある意味でこの間で最も厳しい危機」であり、「果たしてこの危機を私たち日本人が乗り越えていくことができるかどうか、それが一人ひとりすべての日本人に問われている」と言えるでしょう。ここは「しっかりと乗り越えて、そして未来の日本の本当に、あのときの苦難を乗り越えて、こうした日本が生まれたんだと言えるような」取り組みを私たち一人ひとりが行うことが必要です。内閣総理大臣の言葉をさらに引用します。
私たち日本人は、過去においても厳しい状況を乗り越えて、今日の平和で繁栄した社会をつくり上げてまいりました。今回のこの大地震と津波に対しても、私は必ずや国民の皆さんが力を合わせることで、この危機を乗り越えていくことができる、このように確信をいたしております。
どうか、お一人おひとり、そうした覚悟を持って、そしてしっかりと家族、友人、地域の絆を深めながら、この危機を乗り越え、そして、よりよい日本を改めてつくり上げようではありませんか。そのことを心から全国民の皆さんにお訴えをし、私の皆さんへのお願いとさせていただきます。 どうかよろしくお願いします。
ここで一国の首相が行っているのは指示や命令ではありません。国難を乗り越えるために、私たちの一人ひとりに自覚的に行動していただきたいというお願いです。首相もわかっています。日本国の力は国民一人ひとりにあることを。さらにその一人ひとりが独自に考え行動しつつも、周りとの協調を常に考え、私の利益でなく場の利益(つまりは公益)を大事に思うところにあることを。
日本人とは、一人の集中的な知性からの指示・命令によって動く群衆ではなく、それぞれがそれぞれに共感的に考えあい行動する民衆だと私も考えています。この分散的でありながら協調的である知性こそは日本の強みだと思います。卓越した個人は決して多くないものの、集団としてはなぜか強いというのが日本文化の特徴ではないでしょうか。内田樹先生もおっしゃるように、否定的なことばを抑制する「寛容」、平時のルールとは異なる非常時のルールを創り上げる「臨機応変」、復旧を一義としイデオロギーや商売を絡ませない「専門家への委託」(および信頼)といった原則を確認しつつ、協調的にこの危機に立ち向かえば、日本は物質的な意味だけでなく精神的な意味でも立ち直り、さらに成長することができると信じます。
自分をそのような日本人の一人と考える私としては、今回被災しなかった西日本の人間として何ができるのかということを、先週末の地震報道を見ながらそれなりに考えておりました。以下は私なりに考えた、私なりにできると思うことです。私なりにこの方針で行動しながら、状況をよく観察し柔軟に対応し、国難を乗り切るために努力する無数の国民の一人として振舞いたいと思います。
(1)短期的方針:たちまちの復旧のために
今朝取り急ぎ、私が信頼する機関に義援金を送りました。復旧のためには何よりもお金が必要だと思います。私はケチで自己中心的な人間ですが、それでも今回の災害は見るに見兼ねます。税金の投与を待つ前に、わずかばかりのお金を送ります。また今後とも状況に応じて義援金を送りたく思います。なお義援金の送り方については糸井重里氏の考えに共感しつつ、個人ができる範囲で送ることができればいいと考えています。
佐々木俊尚氏も言うように、傍観者でも評論家でもなく、関与の軽重はあれどあくまでも当事者として振舞いたいと思います。少なくとも文句ばかり言って自らは何も行動しようとしない人間にはなりたくありません。自分が傍観者的な態度を取りそうになっていたら、少しでも自分でできることはないかを考えるようにしたいと思います。あるいは評論家的物言いをしそうになったら、少しでも具体的で建設的な提言ができないか考えたく思います。程度の差こそあれ、自分も当事者だという意識を保ちたく思います。
(補記:国民が心を合わせることに関しては、池田信夫氏のような懐疑論を心の隅に置きながらも、私は今は佐藤優氏のような考えにくみします。ただし、佐藤氏の、北海道や沖縄の多くの人々を排除してしまいかねない「大和魂」といった言葉には賛同できません。実は、今回ずっと私の心にひっかかっていることの一つは、私は沖縄に対してこれまで同じような同胞意識をもっていただろうか、ということです)。
(2)中期的方針:復旧の間に被災者の代わりに
被災地の方々は本来の仕事どころではありません。まずは救助、治療、回復、復旧、復興に全力を尽くさざるを得ません。また関東圏も少なくとも4月末までは計画停電で思うように本来の仕事ができません。しかし、その分の仕事は、今回は被害がなかった地域の日本人が少しでも肩代わりすることはできます。
少なくとも、電気・ガス・水道などまったく問題がない地域の日本人はその心意気で仕事をすることができます。被災地の方々の悲嘆や苦労を思えば、日頃以上の集中力で仕事をすることは簡単です。そうして日本全体の力を損なわないようにすることができます。私の仕事は教育・研究ですが、国難を思い、いつも以上に集中力を高めて仕事に励みたいと思います。
アゴラの技術的説明によると私の地域からは今のところ節電に協力することもできません。西日本の人間としては、被災地および計画停電で影響を受ける地域の皆さんが思うように仕事ができない分、仕事に集中することが国民としてやるべきことかとも考えます。(ただし今後、原発の見直しがなされることは必定でしょうから、いかに節電しながら人間的に豊かな生活ができるようにするかは工夫したいと思います)
現在滞米中の陸上の為末大選手は、災害直後に救助訓練を受けていない人々ができることは遠方からの支援に過ぎないと述べ、「アスリートにできる事」として、敢えて「大切なのは毎日のトレーニングを淡々と行う事」と述べています。私も同感します。スポーツや文化活動など、ともすれば「不必要」「不要不急」と思われがちの仕事をしている方は、今こそ丁寧に仕事をするべきだと思います。また武術の稽古などをしている方も今こそきちんと稽古をするべきでしょう。やがてその濁りのない判断力や間髪入れない反応力などの身心の力が活用される時がくるのでしょうから。
しかし同時に―ここは誤解してほしくないのですが―日常生活も静かに楽しみます。人生というのは生きる価値があるすばらしいものだということを実践し、穏やかな顔で毎日を過ごせるようにします。その穏やかな笑顔が、少しでも被災地の方々に伝わることを願います(傲慢・不遜な言い方になっていたら申し訳ございません。なかなかうまく表現できませんが、私が言いたいのは、目をつり上げて「非常時にけしからん!」とわめく憲兵みたいにはなりたくないということです。困難な時期だからこそ静かで穏やかな態度が必要だと思います)。
日本がこの大災害にも関わらず、国全体としては国力を落とさなかったら、そして品位を保っていたら、これは世界の方々にも何か参考にしていただける例を提示できると言えないでしょうか。世界中から寄せられた善意と称賛の言葉に応えるためにも、被害のなかった地域の人間としては仕事に励みたいと思います。
(3)長期的方針:未来の日本のために
近年の日本は政治にせよ経済にせよ社会にせよ、まさに混迷の状態でした。「このままではいけない」と多くの人が思いながらも、膠着状態から抜け出せず、幕末・明治の先達や第二次大戦後の復興の様を思い出そうとしていました。
今回のこの災害で、Twitterではさまざまの善意・建設的な言葉が見られます。日本の底力を見る思いを得ると同時に、ひょっとしたら私たちは自信を取り戻そうと必死なのではとさえも思えます。
私はここで皮肉屋になるつもりはありません。村上春樹氏が『アンダーグラウンド』や『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』で言うように、あるいは小川洋子氏が『物語の役割』で言うように、人間には自らを支える「物語」あるいは「語り」が必要です。今、日本人は、これからの自分たちを支える語りを集団で紡ぎ出そうとしているようにも思えます。そしてこれは大切なことです。決して冷笑すべきものではありません。未来の日本を創り出すために、私たちは今、必死に語り合っていると私は考えます。私も今、自らを取り戻すために語っています。
この語りは、おそらく日本だけのものでなく、世界的にも、意味あるものとなるのかもしれません。日本だけでなく多くの国で、限りない私益の追求を助長するような資本主義に対する懐疑、過剰消費による環境破壊に対する懸念、加速する孤立的個人主義およびその反動への憂慮などなど、「近代」的な生き方への疑念は高まってきました。その疑念は「ポスト近代」といった言葉で表現されつつも、近代の枠組みの中にありながら近代を超える生き方を模索する試みは容易であろうこともなく、私たちは資本主義の「勝ち組」となり、原子力発電などを当然視し、人々の連帯が失われることを仕方ないこととしてきました(あるいは逆に過剰な紐帯を求めようとしてきました)。
しかしこの未曽有の国難は、日本国民の気持ちを今一度合わせることを可能にしました。被災者の方々を踏み台にするような言い方をするつもりはありませんが、私たちは今回の犠牲を貴い犠牲として、私たちがこれまでに蓄積してしまった歪を少しでも正すことを試みることはできます。
失われた命や財産を取り戻すことができないのなら、私たちはそこから何か新しいものを創り出すしかありません。不謹慎な言い方に聞こえてしまうことを恐れますが、ジャズミュージシャンの菊地成孔氏の果敢な発言を借りるなら「ワタシは、この未曾有の災禍により、我が国も、そして地球も、昨日までよりはより良く成るとしか思えません。愛を灯しましょう。身体の中心に」となります。今回の大惨事からできるだけ学び、未来を創り上げるための長期的な努力を始め、そして継続したいと思います。
追記
重ねて、今回の災害でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りします。ご遺族に慰めと癒しが与えられますように。被災された方々の安寧を心よりお祈りします。速やかな救いと確たる希望が与えられますように。上記の文章があまりにも傍観者的であり、今回被害にあわれた方々のお気持ちを損ねるものでないことを願っております。もし少しでも損ねたとしたら伏してお詫び申し上げます。
追追記
これを投稿しようとしていた矢先、スラックティビズム(英: slacktivism)という言葉をTwitterで知りました。「『怠け者(slacker)』と『社会運動(activism)』とを掛け合わせた合成語で、努力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す」そうです。自戒のためにこの言葉を覚えておきたいと思います。
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2 件のコメント:
柳瀬先生今晩は
やはり、先生のお考えは深い。
自分の浅さ、狭さを思い知らされます。
自分のすべきことを淡々と粛々と行うこと以外にできることは無い。結局人は自分で自分自身を支えることしかできない。人のために何かができるなんて思うのは、思い上がりに過ぎない。
仙台に住んでいる伯母と叔父に連絡がつかず、心配です。
ホッピーママさん、
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
いえ、私は浅いです(笑)。
本当に深い人なら言葉でなく、行動で示しています。
それにしても仙台の伯母様と叔父様にご連絡がつかないのはさぞご心配でしょう。ご無事を心よりお祈りさせていただきます。そのくらいしかできなくてごめんなさい。
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