日本赤十字社が東北関東大震災義援金を受け付けています
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html
【今回の災害でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りします。ご遺族の皆様に心からのお悔やみを申し上げます。またご自宅などの多くを失った方々に心からのお見舞い申し上げます。加えていま避難所で苦難を覚えている方のためにお祈り申し上げます。地震も津波も原発もまだ予断を許しません。私たちがなしうることをすべてなしえますように。私は現在このような方針の下、ブログ活動をしています。】
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福島原子力発電事故により、放射能被害が懸念されています。直接の物理的・化学的・生物学的被害はもちろんですが、それだけでなく、憶測や不安に基づく心理的な害―本来は生じる必然性などないのだが私たちの知識・理解不足で起こしてしまうストレスや病気などの人災―についても警戒しなければなりません。原発から十分に離れた地域の住民にとってはむしろこの心理的な害の方が大きいといえるでしょう。
これから福島県あるいは日本全体が被る風評被害のことを考えると、私たちはデータの数字解釈のリテラシーを上げて、科学者による発表を正しく理解し、また自ら発言する必要があります。それが教育を受けた者、生徒・学生を教える者、外国語を使える者、そして 何 よ り も マ ス コ ミ!の責務の一つかと思います。
現在、この文章を書いている時点でも、東大病院放射線治療チーム(http://twitter.com/team_nakagawa)や同じく東京大学大学院理学系研究科の早野龍五先生(http://twitter.com/hayanoなど)が次々に信頼できる情報をtwitterで流しています。しかしその情報も、私たち市民が正しく理解できなければ無用ですし、私たちが自分たちの無知・偏見・疑心暗鬼から誤解すれば有害にもなりかねません。私たちは短期的にも中長期的にもデータ解釈の能力を高めなければなりません。
以下は私が昔、読みかけのまま放っておいて、先ほど急いで読了した『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法―初歩からベイズ推定まで (ハヤカワ文庫)の内容の一部を紹介するものです。私達自身と日本という国を、不要の心理的な害や風評被害から守るため、少しでも研究・教育で統計数字を扱う者は、今一度統計について学び直し、上記のような専門家からの情報を正しく理解・活用しませんか。
■パーセントではなく頻度(実際の数字)で考えよう
もしある人が殺人の容疑で裁判にかけられたとします。検察があげる証拠は一つだけですが、それは「その容疑者のDNAが被害者から発見されたものと一致した」というものだけです。ただし検察が呼んだ専門家はこう証言しました。
「この一致が偶然である可能性は10万分の1です」(19ページ)
こうなると私たちは、やはりその容疑者が真犯人だと思うのではないでしょうか。
しかし証言が次のようだったらどう思うでしょう。
「10万人に1人は一致するでしょう」(19ページ)
これだと「ちょっと待てよ」と思いませんでしょうか。「10万人に1人はいる」ということは、もし人口が100万人いたら10人、1000万人いたら100人は、被害者と同じDNAをもった人間が存在するということです。この本の著者が訴える最も大きな点が、「パーセント(だけ)でなく、実際の頻度で考えよう」ということです。
■ある検査で病気だと判定されたら・・・
次に、あなた自身が、病院で検査を受けたところ、非常に怖い「なんじゃもんじゃ病」について「陽性」であると告げられたと想像ししてください。もちろん、言葉の「陽性」(positive)とは「医学の検査などで、ある刺激に対して反応がはっきり現れること。陽性反応のこと。⇔陰性(negative)。」です(kotobank)。検査に関する説明は以下のとおりです。
1 ある人がこの病気にかかっていれば、90%の確率で陽性になります。
2 病気にかかっていなくても約1%の確率で陽性と出ます。
3 人口のほぼ1%がこの病気にかかっています。
(323-324ページ。ただし表現を改変)
しかし、この文章は、おそらくほとんどの人にとって理解しにくいものでしょう。あなたは理解できず、とにかく検査で陽性となっているのだから「なんじゃもんじゃ病」なんだと、パニックになるかもしれません。あるいはせいぜい90%という数字だけに注目して、9割の確率で自分は病気なんだと悲観するぐらいでしょう。
ですが、同じ内容を「自然頻度」で表現してみましょう。上の説明に相当する部分を上の文章の番号で示します。
100人の人間を考えてください。このうち1人はなんじゃもんじゃ病にかかっており(3)、検査を受ければほぼ陽性という結果がでます(1)。しかし、残りの99人のうち1人も陽性になります(2)。(325ページの表現を一部改変)
こうなると少しは理解できます。本当になんじゃもんじゃ病である人は100人のうち1人です。残りの99人は病気ではありません。しかしこの99人に検査をしても(残念ながら検査技術の限界で)1人が陽性、つまりは病気だ、と判定されてしまいます。
となると、あなたは、陽性と判定された2人のうちにいるわけです。その中で本当になんじゃもんじゃ病である人は1人で、残りの1人は病気ではない(つまりは検査が間違いであった)わけですから、あなたが本当に病気である確率は50%です。まだ希望はありそうです。
検査で陽性と告げられると、私たちはもう100%病気であると考えてしまいます。しかし、人間は間違う存在です。科学検査とて、後から見れば間違いである結果を出しえます。
陽性(=病気だ)と判定したのに、実際は病気ではなかった場合は「偽陽性」(false positive: FP)と呼ばれます。逆に陰性(=病気ではありません)と判定されたのに、実際は病気であった場合は「偽陰性」(false negative)と呼ばれます。
これに対して、陽性と判定されて実際に病気だった場合は「真陽性」、陰性と判定されて実際に病気ではなかった場合は「真陰性」と呼ばれます。
以上の関係を、本書の80ページを少し改変して示しますと次のようになります。
同じことを別なように表現したのが次の図です。
もし「陽性」と判定されたら、あなたがやるべきことは本当に病気でありかつ陽性判定が出る人(真陽性)の数と、病気ではないのに陽性判定を受ける人(偽陽性)の数を比べることです。
私たちはとかく目立つ数字(例えば90%)だけを取り出して、他の数字を無視したり理解できなかったりして、目立つ数字ばかりに振り回されてしまいます。これは怖いことです。また時には専門家(とみなされている人)も、上記の真陽性・偽陽性・偽陰性・真陰性の概念を理解できず、次のように言ってしまい、無用の悲劇を起こすこともあります。本当に怖いことです。以下は、この本のにあるエイズ(HIV)についての二つの見解です。
「検査結果が陽性だということは、あなたの血液のなかでHIVの抗体が見つかったことを意味します。これは、あなたがHIVに感染しているということです。あなたは一生、感染者で、ほかのひとにHIVをうつす可能性があります。」 ― イリノイ州保健局
「もし、結果が陽性だったら自殺する。」 ― ある受診者
■「リスク」と「不確実性」の違い
以上の例では様々な数字が出ましたが、このように経験的データに基づいて確率や頻度のように数字で不確実性を表すことができるとき、私たちは「リスク」について語っています(49ページ)。この本が勧めているのはこの「リスク」についての理解力(リスク・リテラシー)を高めることです。
これに対して、経験的証拠がなくて、考えうる結果のそれぞれに数字をあてはめることができない、あるいはあてはめることが好ましくない状況では、私たちは「不確実性」について語っています(49ページ)。今、さまざまな数字が出回っていますが、私たちはそもそもその数字が「リスク」についてのものなのか、「不確実性」についてのものなのかを見極めておく必要があります。「不確実性」に基づく数字なら、それは予測というより憶測と呼ぶべきではないでしょうか。
■「由らしむべし知らしむべからず」よりも「考える市民を育成」
今回の福島原発問題では、政府がきちんと、かつ迅速に情報公開しているのかという疑念が寄せられています。しかし、一般市民はどうせ細かいことは理解できないのだから、一般市民は政府広報をだまって信頼するべきだ(「由らしむべし知らしむべからず」)といった態度は、これだけ世界が緊密に結びついている現代においては通用しません。そんな態度は日本の市民だけでなく、世界各地の市民・組織・国家が許しません。
しかしそうはいっても、一般市民の間では理解能力に様々な程度が存在します。中にはこういった理解をどうしても不得手とする人もおり、そういった人に対してはまさに「由らしむべし知らしむべからず」という態度が正しいのではとすらも思えます。でも、今回のように高度で複雑で広範囲に影響が及ぶ問題では、日本・世界の様々な市民層に理解を促し、それぞれの立場での協力を求める必要があります。様々な人々がそれぞれに理解を深め、賢明な行動を取る必要があります。
一方で私たちは「政府や東電はしっかり伝えろ」と要求します。しかし他方で私たちはお互いに「しっかりと理解しよう。誤解を避け、憶測ばかり語るまい。とりわけデマをとばすことなどは絶対にやめよう」と自らに努力を求めるべきです。(ちなみにTwitterのデマ発信源は、Googleリアルタイムを使ってすぐに特定できます(http://ebilog2009.seesaa.net/article/191045647.html))。
この本は、トーマス・ジェファーソンの言葉を引用しています。
社会の究極的な権力を安全に委ねられる対象として、人民以外には考えられない。もし、人民が充分な思慮をもって支配権を行使するほど賢明ではないと思うなら、対応策は人民から権力を取り上げることではなく、人民に思慮を教えることなのだ。(347ページ)
Wikipediaには、この原文がありました。
I know no safe depository of the ultimate powers of the society but the people themselves; and if we think them not enlightened enough to exercise their control with wholesome discretion, the remedy is not to take it from them, but to inform their discretion by education. This is the true corrective of abuses of constitutional power.
Letter to William Charles Jarvis, (28 September 1820).
http://en.wikiquote.org/wiki/Thomas_Jefferson#1820s
今、日本国民全員の啓発が必要です。さもないと無用の不安などの心理的な害、そのストレスからの病気、風評被害、ひいては差別といったさまざまな問題が生じかねません。教育者はいまこそ静かに落ち着いて学ぶことの重要さを伝えるべきかと思います。精神的に強くなるだけでなく、科学的な理解も国民全体で向上させることが日本に必要だと私は考えます。
英語教師など外国語を使える者はそれに加えて、諸外国民にきちんと日本について説明する責務ももっています。この責務を今私は充分に果たせていませんが、自ら負うべき課題としてここに書いておきます。
『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法―初歩からベイズ推定まで (ハヤカワ文庫)
追記
間違いのないように書いたつもりですが、もし上の説明に間違いがあればご指摘ください。すぐに修正します。
追追記
いつ消えるかわからない動画ですが、「シーベルト」に関する総統閣下の見解は、思わず笑ってしまうほどの見事な作り込みの中で、科学的知識のコミュニケーションの重要性を説いています。これは見事な動画だと思います。
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1 件のコメント:
ある方が「匿名」でコメント投稿を下さいました。善意の情報提供かとは思いますが、そのご投稿は掲載しません。
私は原則としてネット上の匿名発言は認めますが、歓迎はしません。日頃でも本名あるいはネット上の人格同一性が示されるニックネームを歓迎しております。
今回のご投稿は、ほとんどがある所からの情報を引用したものでした。内容は、それ自身議論を呼び科学的検討を要することでありますが、それを引用する「匿名」氏の責任や見解が明確には示されていないと判断しました。
さまざまに情報が錯綜する現在は、(自らが引用する言葉も含めて)自分の発言に、平常時以上に責任をもつべきだと思います。ご自身が科学者にせよ一般市民にせよ、ご自身の社会的信用をかけて発言するべきだと考えます。
今回ご投稿くださった「匿名」様、幸い日本は表現の自由が守られた国です。誰もあなたがツイッターやブログを作成し発言することを妨げはしません。今回ご投稿くださった内容は、どうぞご自身の媒体でご自分の責任で発言してください。
2011/03/20
柳瀬陽介
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