2011年3月16日水曜日

身体を整えて、心の苛立ちや不安を鎮めましょう


日本赤十字社が東北関東大震災義援金を受け付けています
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html




【今回の災害でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りします。ご遺族の皆様に心からのお悔やみを申し上げます。またご自宅などの多くを失った方々に心からのお見舞い申し上げます。加えていま避難所で苦難を覚えている方のためにお祈り申し上げます。地震も津波も原発もまだ予断を許しません。私たちがなしうることをすべてなしえますように。私は現在このような方針の下、ブログ活動をしています。】



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関東圏の方は、計画停電で公共交通機関が麻痺し、長い行列で待つことも多いかと思います。

その時間をイライラしながら待つのではなく、忙しくて日頃できない身体の調整の機会としてとらえるのはいかがでしょうか。残念ですが地震や原発あるいは停電に関して、一般市民ができることは限られています。そうならば、徒に心を荒げることなく、身体を整えることで心を鎮めるというのはいかがでしょう。「安全な地域にいるから、お気楽なことを言いやがって」とお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。でも、昔の日本人はそうして身心を整えていたと思うのです。イライラしていいことはありませんから、もしよかったら身体の調整を試みられたらいかがでしょう。


あるいは相次ぐ地震や、なかなか収まらない原発問題などで強い不安をお持ちの方も多いかもしれません。心を自己意識で制御しようとするのは難しいものですが、実は心は身体を整えることで落ち着かせることができます。武術や茶道あるいは坐禅などをやられている皆さんでしたら、ぴたりと「型」に即した姿勢をとるときに心が静まることは実感されていることと思います。不安を鎮めるためにも身体を整えてはいかがでしょう。

嘘だと思われるかもしれませんが、下にありますような姿勢をとり、上虚下実が達成され、背筋がすっと伸び、肩の力が抜け、みぞおちが緩み、身体の正中線が保たれますと、人間は怒ったり邪な気持ちをもつことができなくなります(逆に言いますと、怒ったり邪な気持ちをもった瞬間、人間の身体は強張り歪みます)。


以下は、私が読んだままになっていた、武蔵野身体研究所矢田部英正先生の本の一部を紹介するものです。これを機会にまとめてみます。



『からだのメソッド』

この本の特徴はひたすら具体的でわかりやすいことです。狙いは「見えない身体感覚を調えることによって、眼に見えるからだの形を整える」(9ページ)こと、そして「自分のからだに<気づき>をもたらす」(10ページ)です。

第一章では「立ち方」を検討します。まずはバランスが、左右の足、爪先と踵、足首の内と外、のそれぞれでどのようになっているかを身体感覚で確かめます(15ページ)。次に「足の付け根から爪先まで、脚の中心に自分の骨の存在を自覚」できるかどうか確かめます。自覚できれば次に「骨盤から足が生え、大地にしっかりつながっている感覚」を確かめます。その感覚があれば「背骨は自然とまっすぐのびているはず」(23ページ)です。さらには頭が背骨の上にきちんと乗っているかを確かめるために「耳と肩」「鼻と臍」をまっすぐにつなぎます(25ページ)。

このような身体感覚を探るようなことは、忙しい日常ではやろうとしません。やってみたら楽しく気持ち良いので習慣になるのですが、やるまでがなかなか大変です。今回の行列待ちを、この立ち方の検討に使ってみればと提案する次第です。

第二章は「歩き方」です。この章はとても啓発的です。なぜなら「日本の「履物」と西洋の「靴」は、本来、まったく異なる歩き方を要求しているため、同じ一つの歩き方だけで対応していると、見た目に不自然なだけでなく、健康的にもさまざまな問題の生じてくる危険」(30ページ)があるからです。

かくして「西洋式の歩き方」と「キモノの歩き方」です。わかりやすい説明とイラストで両方の歩き方を実践・実感することができます。どちらかといえば西洋式の歩き方に傾斜しながらも、いぜんとしてキモノの歩き方をひきずっている現代日本人の多くは「キモノの歩き方」をとても面白く感じることと思います(武術オタクの私としては「キモノの歩き方」の合理性に驚いています)。矢田部先生は二つの歩き方を使い分けることを提言していますが、私はもっぱら「キモノの歩き方」を練習し実践しています。

第三章は「坐り方」です。デスクワークの多い人には本書の96ページの写真で示されている「立ち腰」「反り腰」「へたり腰」の違いをぜひご自身の身体で実感していただきたく思います。多くの人が「よい姿勢」と思っているのは、胸をはる「反り腰」で、実はこれは腰椎に悪い坐り方です(そういえば、いわゆる「よい姿勢」をすることが得意な学生さんは、長年剣道をやっている人でしたが、彼は腰痛持ちと言っていました)。私も「椅子を換えたら姿勢が変わり、姿勢が変わると・・・」で書いたように腰痛で困り、その後治りましたので、このあたりはとても共感できます(注)。

第四章の「食作法」、第五章の「呼吸法」もさまざまな気づきをもたらしてくれます。日常の立居振舞がこれほどに深い面白さを与えてくれるのかと思うことでしょう。

第六章は、このメソッドを実践した学生さんのレポートですが、次の感想など、都市生活を送っている方には興味深く読めるのではないでしょうか。


実生活のなかでも自信をもって自然体の姿勢をとろうと意識するようになった。たとえば電車に乗ってつり革につかまっているとき、座席に腰かけているときなど、何気ない時間の過ごし方が変わった。かつては何も考えずに目的地の駅まで過ごしていたが、姿勢というものを意識して、背骨の上に頭を乗せ、胸は張らないでみぞおちを緩めるなど、ひとつひとつの型を意識するようにした。すると、心にある種の余裕というか、理由のない焦りがなくなった。

すわっていたときには、足を組むか、爪先を立て、遊ばせていたことが多かったのだけれど、仙骨を立てるように意識することによって、足は地面に落ち着き、ぴったりと地に着いた足の裏からじんわりと心も落ちついていく感触があった。(171ページ)。


上は、この本のごくごく一部の内容ですが、少し試してごらんになってはいかがでしょう。きっと新しい発見があることと思います。



(注)
「椅子を換えたら姿勢が変わり、姿勢が変わると・・・」の記事を書いた後、私は十年以上直らなかった歯の噛みあわせが正しくなり、椅子に座ると必ずといっていいほど足を組んでいた癖もなくなりました。

ある友人は次のようなメールをくれました。


「姿勢」は大切だと思います。小学校の教員として長く勤めていますが,授業や集会時の児童の後ろ姿から,その教師や学校の実力がある程度わかるんですよね。後ろ姿を見て,「おっやるな!」と思った子は,当然前から見ると目に力があります。若い先生たちには「後ろ姿で90%はわかる。目を見れば確信できる。」なんて偉そうに言っています。心の状態や思考の深さなど,ある程度は姿勢からつかめると思います。特に小学生は正直ですから,体に表れるのでしょう。かけ声だけの「姿勢」ではなく,「良い姿勢」が「旺盛に学びを求める姿勢」につながるように今年もがんばろうと思います。


また、授業でもこの話を少ししたところ、思いの外反響が大きかったので驚きました。以下はその一部です。


今回の授業の中で姿勢についての話があったので、姿勢についていくつか述べたいと思います。

私自身、座っているときは足を組んだり、机に肘をついたりと、かなり姿勢が悪いという自覚があります。小学校から高校まで剣道をしていたのですが、現役の頃はいい姿勢を保つ指導をよく受けました。しかし、右半身を前に置く基本の姿勢を小さい頃からしていたので、左足の付け根が骨盤の方に少し食い込んでしまっていたらしく、両足の長さにかなり差ができ、中学時代からは、腰痛に苦しみました。私の道場では、常に基本の姿勢を崩さない稽古が行われていましたが、友人の道場に行った際、左足を前に出して行う稽古があり、ずっと基本の構えだけをしていた私にとってかなり違和感と難しさを感じました。その道場の友人たちは、その稽古をしていたためか、腰痛などは全くないと言っていました。左側を前に出す稽古が体のバランスを上手く保っていたのかもしれないと思います。

また、私の祖母は80歳を超えているのですが、昔から華道と茶道をしていて、教室に行くときは毎回着物を着ています。華道や茶道は、綺麗な姿勢を保たなければならない上に、着物を着ることで背筋が伸びるので、祖母は高齢にもかかわらず全く腰が曲がっていません。それどころか、車を運転したり毎月旅行に行ったりする、私以上にパワフルです。

祖母を見ていると、若いうちから正しい姿勢を保つことで、年をとっても元気に過ごすことができるのだと強く感じます。

今のままの崩れた姿勢をしていたら、将来どうなってしまうのか今からかなり不安です・・・(Tさん)



今日の授業の最初にあった姿勢についての話だが、この話を聞きながら僕が考えたのは姿勢に関する自身のエピソードである。小学生の時からずっとサッカーを続けてきている僕だが、小学6年生の時に足のかかとの激しい痛みでプレー中に苦しむことがあった。病院に行っても特に異常はないとの診断だし、身長が急激に伸びていた時期だったので単なる成長痛ではないかと考えていた。しかし、ある日親のすすめでスポーツ選手専門の整骨院に出向いた時、普段の姿勢や寝ている時の姿勢が悪いからかかとに負担がかかっていると言われ、本当に驚いたことがあった。実際それを忠告されてからは、日常生活で特に姿勢に気を配るようになり、結果的には痛みがなくなっていったのが事実である。今日先生が言われていた通り、姿勢というものはなめてはいけないなというのが、言わば教訓のようなものとして自分の中にある。これから机やコンピュータに長時間向きあうことがあるわけなのだから、日頃から姿勢には意識を置いた生活を心がけていこうと思った。(O君)




お話の中で特に二つのお話が印象に残りんました。まず一つ目は「姿勢」の大切さです。私はだれから見ても分かるよう、ひどく猫背です。自分が猫背だということに気付き始めたのは小学校高学年の頃でした。親に、「そんな姿勢しとったらしょんぼりしとるように見えるけ直しんさい」と何度となく言われ続けましたが、結局直ることなく今に至りました。

先生もおっしゃっていたように姿勢の悪さからさまざまな悪影響を受ける、と私も身をもって感じます。私も椅子に座るときは必ず足を組むのですが、それによって姿勢も曲がるし骨盤もゆがむしで、数分間その姿勢でいるだけで背中や骨盤に気持ち悪さを感じてすぐ組み替えてしまい、そっちのことに気を取られて授業中集中できないことがあります。また、私は五分間しか立ち読みができません(笑)姿勢が悪いから肩に疲れを感じさせているのだと思います。

このように姿勢の基本が身についていないだけでも多くの影響を及ぼしています。このほかに基本が大切だということの例として、私の部活動の話を用いようと思います。私は中高とバスケ部に所属していましたが、試合中によく足がつったり怪我をすることがありました。高校三年の時にスポーツクリニックに通っていたのですが、そこで先生に「頻繁に怪我をするのは足に十分な筋肉がついていないからだ」と言われました。筋肉をつけるのは簡単ではないし引退間際だったので、内心「今更そんなこと言われても遅い!」思っていました。今考えると、いちばん基礎・土台となるものが弱かったからすぐ怪我をしたりフォームが崩れたりしていたのです。「基本が大事」という教訓はどんなことにも当てはまるだろうし、基本を飛ばしていると他でカバーしようとしてもなかなか成果として現れないでしょう。(Aさん)




今回の授業では、姿勢のお話が印象に残りました。私自身座るときに足を組む癖があり、そのせいなのかはわかりませんが、最近腰痛に悩まされています。特に寝るときが辛くて、仰向けになることができません。そのことをこの前母と話したところ、なんと母も私とまったく同じ症状に悩まされているそうです。でも今のこの年齢で母と同じ、というのは自分でも納得いかないし、将来も不安なので、姿勢には気を付けていこうと思いました。余談ですが私は中学生のころ自力でO脚を直しました。その直し方は、歩き方を変える、という簡単なものでした。歩くときに意識して1本の線の上を歩くようにするとO脚はなおせます。特別に時間を割いて何かするのではなく、普段の生活の中でちょっと意識するだけで姿勢は変えられるので、これから心がけていこうと思います。(Nさん)




姿勢の大切さの話を授業でされてから最近意識するようにしています。私は歩くときは猫背にならないよう意識しているのですが、座るときの姿勢までは意識してませんでした。小学校では先生がクラス全員に姿勢を指導していたので気をつける習慣があったのに、何も言われなくなってだんだんと癖のある座り方になっていることに気がつきました。受験勉強のときは長時間座って勉強していたので勉強するたび腰が痛くなって、勉強に集中できない日もありましたが、今思えばそれは自分の姿勢が原因だったかもと思います。座るときの姿勢も意識していきたいです。(Kさん)




今回の授業で印象に残ったのはみんなも書いているように姿勢の話です。
昔から僕は姿勢が悪く中学生のころからよく腰が痛いと言っていました。
高校に入って部活の時に腰をひねってしまい接骨院に通うようになりました。
そのときに先生に普段から姿勢をよくすれば今回のけがはなかったのにと言われ後悔しそれからは姿勢に気をつけているのですがあまり改善できていません。今回の授業はもっと真剣に姿勢について考えるきっかけになりました。(MA君)




授業の始めに、先生が姿勢についての話をし、私も思い当たる節がありました。

中・高と同じ塾に通っている剣道部の友達がいるのですが、彼は姿勢をいつも気にかけており、決して頬杖を突いたり、足を組んだりして勉強することはありませんでした。

彼は中学から高校に進学する段階で中学英語がアルファベット以外何も身についていない状態でした。ですが、高校1年生の時に中学校の文法、単語、熟語、その他事項をおよそ半年で全て覚えきってしまいました。普通3年間かけてじっくりやるところを、同党の質で約半年で完了してしまったという事実に、その時の私は感心しながらも不思議に思っていました。今回の授業では、彼の吸収力の高さは姿勢の良さによるものかもしれない、と考えました。

私はパソコンを使ったりペンで何かを書くとき、かなり顔を近づけて描きます。小学校の頃から癖になっており、今でもそれは治っていません。ただ、直そうという意志が弱いことも分かっているので、今では無理やり二つの距離を遠ざけるようにしていますが、その他の面でも少しずつ直していけたらと思います。(MN君)



あるいは、次は武術関係のブログ記事ですが、なるほどと思わされました。


「体の声」について

 重心が僅かでも変化すると、それに従い、体が求める在り方は中央から指先に至るまで刻一刻と変化する。
 
 それが快楽原則に則り動けば「ダンス」となり、人を崩せば「体術」、剣を握れば「剣術」、杖を持てば「杖術」となる。

 問題は、その瞬間その瞬間に、自分の体がどう在りたいのかすら、人間は分かっていないという事だ。

 筋力トレーニングや癖、生活習慣、偏見などが「体の声」を耳から遠ざける。

 私にとって武術とは、失われた体の声に対する「聴力」を取り戻して行く作業になりつつある。

 耳の底にある「異物感」が、いつも私を苛立たせる。
 








■『美しい日本の身体』


ギリシャ語で「姿勢」を意味するhexisという言葉には、人間の「資質」や「知識」、「能力」といった意味が同時に込められていたそうです(10ページ)。モースは、人のたたずまいに映し出される、社会的・文化的習慣(habit)の型をhabitusと呼びましたが、これはギリシャ語のhexisのラテン語訳だそうです(42ページ)。

日本にもこの「姿勢」に関する素晴らしい文化があり、矢田部先生はこの新書でそれを解説します。一言で述べるならそれは「小手先の動き」を戒め、「目線、指先といった末端の動きが、身体の中心とのつながりにおいて実現すること」(46ページ)を大切にする文化です。別の観点から言いますと「腰を入れる」ことや「丹田を練る」こと、つまり解剖学的にいえば「骨盤の内部に身体を統率する中心をつくること」(61ページ)です。「丹田への気付きはウエスト部分に上昇しがちな動作の基点を骨盤内部の仙骨へと下げるのに有効で、そのことによって腰には無理な負担がかからず、骨格の自然を有効に活用する基礎を築くはたらきを持っている」(159ページ)から、日本文化は丹田(下丹田)を重視していたわけです。丹田が錬られれば「上虚下実」(じょうきょかじつ)が得られます。

このように日本文化は骨盤にうまく動作の基点をおくことを重視していますから、動きの練磨を「骨(コツ)」をつかむことと表現し、ひたすら筋肉増強をはかる西洋近代スポーツと大きく考えを異にしています。


これら柔術や弓術の身体技法に特徴なことは、筋肉を増強させることに重きをおかず、むしろ「力を入れない」ために神経を集中させる指導法が見られる点にある。「骨(コツ)をつかむ」という日本語は、この脱力状態において体感される「骨(ほね)の感覚」に由来するもので、運動を支える力の源が、表層の「筋肉」から「骨」へと深まってゆくと、その技術は筋力とはまったく異質な力を発揮するようになる。(204ページ)


しかしこの「骨(コツ)をつかむ」ということは存外難しいものです。自身、体操選手であった矢田部先生は次のように言います。


倒立で30メートル歩くことよりも、倒立で30秒ピッタリ静止することの方がはるかに難しい。これが立ち姿勢や坐姿勢になると誰にでもできることなので、そうした日常の動作をわざわざ省みることは少ないけれども、微動だにしないで5分でも姿勢を保つことは容易にできることではない。実際にトライしてみれば「からだの自然」に従って「立つ」「坐る」ということの技術的な奥深さが実感できるだろう。

身体の歪みや偏りというのは、外観的には筋肉のバランスに端的にあらわれるので、長時間同じ姿勢を保とうとすれば、日頃負担のかかっている筋肉に痛みや痺れが生じてくる。これは身体が自然なバランスを取り戻そうとする一つの段階でもあって、正坐なり、結跏趺坐なり、一定の型に従って訓練を続けていくと、いずれ筋肉に負担をかけずに「骨格の自然」に身を委ねることを、自然体と言ってもよいが、実際にそれが実現したときには骨と骨のバランスを司る「中心の感覚」が自覚されてくるはずで、その部位というのはやはり骨盤の中心に位置する「仙骨」に落ち着いてくる。(205-206ページ)


人間の「意図」よりも、自律した「自然」の方に信頼をおいてきた日本文化の深さ、勁さ、そして美しさを少しでも取り戻したいものです。






■『日本人の坐り方』

圧倒的に面白い読み物です。いわゆる「正坐」は、それだけが「正しい」特権的な坐り方ではなく、漱石ぐらいまでの日本人には「端坐」と呼ばれていたもので、日本の昔の着物・袴が許した多彩な坐り方の一つに過ぎなかったことを、数々の写真・図画・引用で示します。正坐(端坐)にしても「真」「行」「草」の三種類があることをご存知でした?「真の端坐」(左右の踵をぴったり合わせて、踵の上に尻を乗せる)を一度試してみてください。骨盤がうまく前傾し「立ち腰」になると同時に肩が落ち、「上虚下実」(じょうきょかじつ)を実感することができます。






■『椅子と日本人のからだ』

事務所や学校では坐ってばかりいるのに、日本人は椅子に無頓着です。かといって高価な椅子を買っても存外に合わなかったりします。西洋近代の考え方は「人間工学」で人間が楽に坐れるような特殊構造を椅子に組み込みますが、実は椅子に頼らずに坐ることを追求した(たとえば坐禅!)文化をもつ東洋の考え方の方が合理的です。

腰痛に悩み、高価な椅子を買おうと思っていたら、その前にこの文庫本を読んでみてください。(ちなみに私は友人に薦められたこの椅子を今は使っています。これ以上高価で特殊構造をもった椅子は不要(あるいは逆効果)と私は思っています)。






■『たたずまいの美学―日本人の身体技法』

矢田部先生の最初の著作で、他の本と比べるとやや硬い印象を受けますが、日本人の身体技法についてよくわかります。他の本を面白いと思った方でしたら、この本を読んでも面白いと思われることでしょう。



ずいぶん長い記事になりました。

でもこの「国難」を、日本古来の身心文化で乗り切ろうではありませんか。





追記

立ったり坐ったりしている時に、身体各部を緩める「ゆる体操」(運動科学総合研究所:高岡英夫先生をやるのもいいかと思います。(実際、陸上選手がスタート前に身体をブラブラさせている姿はよく見るものです)。しかし人前で以下のビデオのように本格的にやってしまうと楽しい結果になるかもしれません(笑)













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