2010年6月9日水曜日

N.ルーマン著、馬場靖雄・赤堀三郎・菅原謙・高橋徹訳 (2009) 『社会の社会 2』法政大学出版局

ここでは前の記事での『社会の社会 1』のまとめに引き続き、『社会の社会 2』について私なりにまとめます。ですがこのまとめは前回以上に恣意的であり、この本で非常に重要な第五章「自己記述」に関しては私の理解が不十分なのですべて割愛している有様です。この本に興味をもたれた方はぜひ実際にこの本をお読みください。


いくつか細かいことを最初に申し上げておきますと、以下の引用では技術的な理由で、<< >>の表記を【 】に変換しています。訳語については、"Gesellschaft"の訳語として「全体社会」が使われているように思えるところは「社会」と変更しました。それ以外の引用は翻訳書の通りですが、若干の箇所は私の方で加筆しましたので、その箇所は〔 〕で表記しました。[ ]の箇所は翻訳者の方自身が挿入した箇所です。



■システム分化としての分化

ルーマンは「分化」(Differenzierung)を、「相異なるものの統一性を(あるいは、統一性の確立を)表している」ものとして、社会学が当初から取り扱っていた概念であるとしています(887ページ)。しかしルーマンの「分化」は「システム分化」に限定されたものです。システム分化を彼は次のように説明します。(説明の中に出てくる「環境」という言葉の私なりの短い定義は「あるシステムが自己と認識しない部分」というものです)

したがってシステム分化とは回帰的なシステム形成に他ならない。すなわちシステム形成の結果に、当のシステム形成を適用することなのである。そこではあるシステムの内部においてさらなるシステムが形成されるわけだが、そうする中で前者は、部分システムとその環境という区別によって再構成されることにもなる。今や部分システムから見れば、包括的システムの残余部分は環境となる。部分システムにとって総体システムは「部分システム/部分システムの環境」という差異の統一性として現れてくる。言い換えればシステム分化は、システム内環境を産み出すのである。つまりここで生じているのは、これまでしばしば用いてきた概念を再度使用するならば、システムと環境の区別がそれによって区別されるものの中に、すなわちシステムの中に【再参入】することなのである。(890ページ)




■分化と分出

上の説明でもシステムの中から部分システムが産み出される過程が簡単に説明されていましたが、それをルーマンは「分出」(Ausdifferenzierung)と呼びます。「分化」(Differenzierung)と「分出」(Ausdifferenzierung)は紛らわしいのでここで言及しておきます。



■歴史上見られた四種類の社会の分化

ルーマンはこれまでの社会の歴史では、(1)環節分化、(2)中心と周辺の分化、(3)階層分化、(4)機能分化が見られたとし、以下この枠組で論考を進めてゆきます。



■環節分化した社会

環節分化は、「社会が原則として等しい部分システムへと区分され、それらが相互に環境を形成することによって」成立します(931ページ)。そのためのもっとも単純な形式は離れて住んでいる家族と社会というふたつの水準を備えたシステムです(932ページ)。ですがもちろん環節分化はそれにとどまりません。

環節分化の過程は、それ自身の帰結へと適用されうる。つまり、回帰的に反復されうるのである。かくして家族と村落との上に部族が、場合によっては部族連合が形成される。このような方向へと成長することによって、確かに最後には何十万もの人を包摂できるようになるだろう。しかしその分だけ、包括的統一体におけるコミュニケーションの密度は低下してしまうのである。(934ページ)



■中心/周辺分化した社会

かくして次の分化が生じます。中心と周辺の分化です。この分化の典型としては(古典的な意味での --ハート・ネグリ的な意味ではない--)「帝国」があげられます。ルーマンは帝国をコミュニケーションの観点から次のように捉えます。

われわれは帝国の概念をもう少し厳密に把握するために、帝国というものを歴史的に、コミュニケーションの可能性が拡張されたことによるほとんど自然な副産物として理解する必要がある。したがってすでに述べたように、明確な境界が欠落していることは、帝国という形式の一部なのである。代わって登場するのは地平である。地平は到達可能なものを規定し、到達可能なものとともに変化する。つまり帝国とは、コミュニケーションの意味地平なのである。ただしそのコミュニケーションとは、官僚制エリートのそれであり、エリートたちは帝国の唯一性から出発する。そして空間的境界を(そもそもそれを認めるとしての話だが)、自身の事実的影響範囲の一次的限界として受け取るのである。(965ページ)


かくして帝国による中心と周辺の分化が生じますが、それが高ずると次の種類の分化の萌芽が見られるようになります。

帝国の文化的中心と地方生活との間に生じていた違いが顕著になればなるほど、それは【高度分化】を成立させ、自身をそのように解釈するための明白な動機となってくる。それに対応するように高伝統(High Tradition)/小伝統(little tradition)などにみられるようなゼマンティク上の分裂が生じる。その結果、土俗/都市(folk/urban)連続体上での等級づけがなされるのである。(966ページ)

中心/周辺図式の最も重要な相のひとつとして、次の点が挙げられる。すなわち中央においては(十分に大規模な都市でも、帝国形成との関連における中心でもよい)階層化が、古いタイプの小社会において可能であったものをはるかに超えるかたちで可能となっていたのである。(967ページ)
このように見るならば中心/周辺の区別はその一方の個、すなわち中心において、分化の他の形式のためのチャンスを与えていることがわかる。さしあたりは特に階層化のためのチャンスを、である。この区別は、極端なかたちで定式化するならば、分化形式の分化なのである。地方ではまだ環節分化が、都市ではすでに階層分化が、というわけだ。
このように大帝国は、不等性という基礎の上でふたつの異なる分化形式を組み合わせ、その組み合わせの中で[それぞれの形式を]拡充していけた。それはすなわち、中心/周辺分化と階層化である。(967-968ページ)




■階層分化した社会

「階層」をルーマンは次のように定義します。

われわれは、社会が位階秩序として代表=表出されており、位階の差異抜きには秩序を表象することができない場合に限って「階層」という表現を用いることにしよう。上層が下層に対して親族関係を取り結ぶことは、もはや承認されない。あるいはそれは嘆かわしい、通常ならざる事態だと見なされるのである。それゆえ社会を、共通の血統に基づく親族システムとして記述することは、もはやできなくなる。その代わりに登場してくるのは、秩序のためには位階の差異が必要だとの観念である(もちろんのこと、相異なる社会の間の関係に関しても)。したがって階層化された社会は、「社会とは親族の連関に他ならない」との観念とは、決別せざるをえなくなる。そうすることで社会は、集権化された政治的支配を、また聖職者によって司られる宗教を受け入れることができるようになる。(972-973ページ)


しかし階層分化した社会にも次の種類の分化が芽生え始めます。例えば、階層分化した社会には様々な種類の威信がありますが、それらが分化し始めるわけです。

社会の地位システムはさまざまな威信の基礎に、すなわち貴族に、政治的-官僚的支配に、商業帝国に関わらなければならなくなる。中世においても貨幣経済がますます発展していく中で、この経験がくり返された。政治と経済が重なり合うというわけにはいかなかったのである(【支配dominium】という表現は両者の間を揺れ動いてはいたのだが)。支配は領土として確定されていたわけではなかった。境界がどのように引かれていようと、交易はそれを越えて行われていたのである。(1010ページ)


例えば市場は次のように発展してゆきました。

近代初期において、市場によって媒介される取引は急速に増大していった。市場がローカルに、ないしは地域的に分化している状態は、商品特殊的な(つまり、純粋に経済的な)分化によって変形されていく。あるいはむしろ、「置き換えられていく」というべきかもしれない。生糸の市場、穀物の市場、最後には絵画市場、図版市場、彫刻市場に至るまで、である。それに対応して市場の概念は特定の、取引のために用意された場所との関係から解き放たれて、形式概念となる。この概念が指し示すのは取引固有の論理であり、その論理は他の社会的メルクマールには何ら依存していないのである。それとともに経済は消費によって、つまり自分自身によって方向付けを行い始めるが、この点はそれ以降維持されていくことになる。こうして経済の働きの増大は外的な指令から切り離される。(1012ページ)

経済は、システム固有の手段を用いて、すなわち価格(貨幣価格=利子を含む)を介して自身を再発生させていくことを学ぶ。経済はますます、階層を通して掌握される資産源から独立していく。(1013ページ)


かくして次の種類の社会分化、機能分化が生じます。



■機能分化した社会

さまざまな複数の機能に分化した社会においては、人間もさまざまな複数の機能システムに関わります。そうなると生物的個体としての人間を社会の構成要素として考えることが適切でなくなります。さまざまな機能システム(でのコミュニケーション)により社会が構成されていると考えるべきかと思います。

人間を、諸機能システムのうちのひとつのみに所属するというかたちで配置することなどできない。例えば法だけに関与するのであって経済には関与しない、教育システムには関与せずに政治にのみ関与するというわけにはいかないのである。最後にそこからの帰結として、「社会は人間よりなる」などとはもはや主張できないことになる。(1031ページ)


それぞれの機能システムは独立しています。

それぞれの機能システムが担うことができるのは、ただ自身の機能だけである。緊急時であろうと、たえず行われている[他の機能システムによる]補完というかたちであろうと、他のシステムに手を出すことはできない。統治の危機が生じた場合には、科学が真理を用いて助け船を出す、などというわけにはいかないのである。政治は、経済の成功を成し遂げる可能性などもたない。政治が政治として、経済の成功に大いに依存しているとしても、また政治はそれを成し遂げうるかのようにふるまうものだとしても、事態は何ら変わらないのである。経済は、貨幣の支払いの調整という点で科学に関与しうる。しかしどれほど多くの貨幣をもってしても、経済が真理を産出することはできない。財政上の展望によって[ある分野の研究活動を]誘導したり刺激したりすることはできる。しかし何かを証明することはできないのである。科学が支払いに対して報いるのは【謝辞acknowledgement】によってであって、証明を含む論証によってではない。(1052ページ)


現在、例えば教育システムにせよ、学術システムにせよ、経済システムの論理でコントロールしようという風潮が強く制度化までされつつありますが、その直接的結果として教示くシステムや学術システムが決定されるということはないわけです。

しかし異なるシステムがまったく無関係に共存しているわけではありません。ある種のシステムとある種のシステムは「構造的カップリング」により連動します。ルーマンはいくつかの例をあげます。

政治と経済のカップリングは第一に、租税と関税によって達成される。ただしこの場合でも、支払いとして貨幣を使用することはすべて経済システムの内部で生じるという点は何ら変わらない。しかしその使用を政治的に条件づけることはできる。(1070-1071ページ)

法と政治の間のカップリングは、憲法によって規制される。一方で憲法は政治システムを法へと結びつけるのであり、その結果(それが機能するならば!)違法な行為は政治的に失敗するということになる。他方で憲法は、政治的にインスパイアされた立法を経由して、法システムに革新をもたらすことを可能にする。そしてその革新が今度は成功ないし失敗として、政治システムに帰せられるのである。このようにして法の実定化と政治の民主化は密接に関連することになる。(1072ページ)

法と経済との関係においては、構造的カップリングは所有権および契約によって達成される。(1072ページ)

学術システムと教育システムとがカップリングされるのは、大学という組織形態によってである。(中略)ふたつのシステムは分離したままだったが、いわば兼務されるかたちで作動していたのである。(1074-1075ページ)

〔政治システムと学術システムについては〕今日では明らかになっているように、この活動〔=学術システムの専門家による政治システムへの助言〕を既知の知の応用として把握するだけではもはや不十分である。この政治と学術の構造的カップリング装置は、学術の中になお存在している不確実性をコミュニケーションの中で[表明することを]差し控えさせなければならない。少なくとも弱めなければならないのである〔なぜならばそうしないと助言が現実政治に必要な権威を失ってしまうからである〕。その一方で政治問題を、学術的問題であるかのよう決めてかかることがないようにしなければならない〔なぜならば政治問題を学術的問題と同一視してしまうと、政治問題が持つ複合性が過度に単純化されてしまうからである〕。助言によって転移されるのは権威ではなく不確実性である。それに伴って次のような問題が出てくる。すなわち、専門家が学術的にはいかがわしいものだとみなされたり、さらには[実際には]政治的にインスパイアされた論争が学術的な知識の評価の相違であるかのごとく扱われたりするという問題である。結果としては、助言とは学者でも政治家でもなく、むしろ相互的刺激のハイウェイと、構造的カップリングのメカニズムと見なされなければならないということになるのかもしれない。(1075ページ)

教育システムと経済(ここでは雇用システム)との関係について言えば、構造的カップリングのメカニズムは成績・修了証明書とその発行のうちに存している。(中略)学校および大学にとってはこれは異物を意味しており、常に喜んで受け入れるというわけにはいかなかった。教育者の見解に基づく教育ないし【教養】という本来の課題が困難に陥ってしまうからである。にもかかわらず、[教育という]システムのキャリア構造に対するこの影響は強力だった。(1076ページ)


この諸機能システムの独立性と、構造的カップリングによる連動性を理解することは、単純な新自由主義的な発想による市場原理の横暴と、それが失敗に終わる宿命や、学問の単純な「応用」は現実的な問題を解決しないし現実的問題をそのまま学術的論考には移せないこと、などをうまく説明することを可能にすると思えますがいかがでしょう。



■システムへの「刺激」

構造的カップリングが意味していることは、あるシステムの外部である環境(あるいはその環境にある他のシステム)は、あるシステムに対して直接的な影響を与えることはできないということです。環境(あるいは他のシステム)は、あるシステムに「刺激」を与えることができるだけです。「刺激」をルーマンは次のように説明します。

刺激(ないし【摂動】という近代的概念が把握しようとしているのは[簡単の場合と]機能的に等しい事態である。ただしこの概念は、社会の分化の異なる形式に反応してもいる。この概念が占める理論上の場所は、「作動上の閉鎖性(オートポイエーシス)とシステムと環境との構造的カップリングとの関連」というテーゼのうちに存している。いうまでもないことだがどの瞬間においても環境は大規模にシステムへと介入してくる。しかしそれによってシステムが決定されることはありえない。というのはシステムの決定はただ独自の作動の(ここではすなわち、コミュニケーションの)回帰的ネットワークを通してのみ生じうるからである。その点でシステムの決定はその種の回帰を、またそれに対応する作動の連続を可能にする、システム独自の構造に拘束されているのである(構造的決定)。したがって刺激もまたシステム状態であり、それがシステムのオートポイエティックな作動の継続を励ますのだという話になる。その際刺激だけでは、そのために構造が変化するか否かはさしあたり未決のままである。したがって以後の刺激によって学習過程が導き入れられるか否か、あるいはその刺激は一回限りの出来事であるがゆえに時間の経過とともに消え去っていくものとみなしてよいかどうかについても同様に未決のままである。両方の可能性を未決のままに保っておくことによってシステムのオートポイエーシスの保証が、また同時に進化能力が、保証されるのである。(1080ページ)




■「世界社会」の成立

話を社会のありように戻しますと、現在はテクノロジー(メディア)が、コミュニケーションを、つまりは社会を大きく変えています。

世界規模でのコミュニケーションがほとんど時間を要さず、テレコミュニケーションのかたちで実現されうることによって、空間的障壁はますます弱められていく。もはや情報は、物や人のように輸送されるには及ばないのである。むしろ世界システムは、あらゆる作動と出来事の同時性を実現する。同時的なものは因果的にコントロール不可能だから、このシステムが及ぼす効果もコントロール不可能となる。したがって、既に示唆していたように、世界社会の全面的実現から出発する意外に選択肢はないのである。(1102-1103ページ)




■世界社会は機能分化社会であり、階層分化的な古い形の帝国ではない

私はPhillipsonらの言語帝国主義論に一部で共感を覚えながらも、その理論構成が単純すぎて勧善懲悪的ともいえるぐらいで、学術的にはとても賛同できないというのは前に書いた通りですが、ルーマンの次の説明も、古い帝国概念は、現代社会の把握において有効ではないことを示しているかと思います。(私はPhillipsonはHardt and NegriのEmpire概念を理解していないと考えていますが、Hardt and Negriの主要理論基盤はスピノザであり、フーコーであり、そしてルーマンです)。

すでに成立していた世界社会の内部において、伝統的な範型に従って【帝国】を打ち立てようとした最後の巨大な試みはソヴィエト・システムとともに破綻した。そのように破綻したのは他でもない、世界社会の機能分化に直面してのことであった。ソヴィエト共産主義帝国では、経済・政治・科学・マスメディアが絡み合うのを回避できなかった。[それらの領域の間の]境界を【封鎖する】ことも、内的状態と外敵状態との比較を阻止することもできなかったのである。とりわけそこから生じる刺激を情報へと変換することを組織の水準において効果的に阻止することができなかった[つまり、すべてを「党」によって決定しようと試みられたが失敗した]。それゆえにスステムが急速に崩壊するに至ったのである。この事例を一般化できるとすれば、地域的な単位が世界社会との戦いで勝利を収めることなど、明らかにありえないはずである。世界社会の影響力に抗して自身を主張しようと試みても、敗北する結果にしかならないだろう。(1103ページ)



以上が現時点での私のまとめです。あと数回はきちんと読み返さないと私はまだルーマンがわかったとは言えないでしょうし、重要な箇所は原著をきちんと参照して考えなければならないでしょう。勉強不足を痛感する次第です。


追記

後日、「ルーマンによる「観察」「記述」「主体」の概念」の記事を追加しました。
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/08/blog-post_14.html


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