2010年6月7日月曜日

核を育てる -- 中嶋洋一先生から学んだこと




下記の研修で印象深かったことは、中嶋先生が表面でなく、「核」を育てようとしていることでした。

つまり、学習者でしたら、学習者の中に「喜び」を育てる。褒美でつる(=外発的動機づけ)でなく、「学びが面白い!」という内発的動機づけを育てる。さらに「考える力」を育てる。そうやって学習者を単に「教えられることを待っているだけの者」(=teachee)でなく、自律的学習者に育て上げる。

教師でしたら、教師の中に何よりも学習者に「面白い!」という感動を与えるための高い専門性を育てる。さらに学習者に信頼され、尊敬される人間性を育てる。

「表面上のテクニックはすぐに覚えられるんです。でもそんなことばかり追求していてはいつまでたっても教師として成長しない。だから私は根っこのところを強調するんです」というような趣旨のことも中嶋先生はおっしゃっていたように思います。

授業ビデオなどが頻繁に見られるようになった現代の弊害は、熟練教師の表面的な真似ばかりをしようとする初心者が増えてしまったことです。

熟練教師が20年、30年かけて到達した境地をビデオで見て、その真似を2ヶ月、3ヶ月しただけで「ボクには駄目だ」などと結論してしまう。私からすればこれはおよそ見当違いの思考法かと思うのですが、数値目標の短期達成文化に毒されてしまった --私はここで敢えて「毒された」という強い言葉を使います-- 学校文化はこのような短絡的な若者を量産していると言えるのでしょうか。

いずれにせよ、「学び」とは、一生をかけた長い営みです。私たち教師はそれを生徒・学生に伝え、自らも実践していくことが必要かと思います。

もっと地道なことを大切にしましょう。



追記:
以下は、私がTwitterで発言したことを少し変えて再掲したものです。

Teachers, develop not teachees but learners!

You don't teach to convey information (let the web do it!). Teach so that kids can live a better life.

Don't respond immediately to people who do not act the way you expect. Observe and create a new frame of mind for yourself.

中嶋洋一:ことばは教えられるものでなく、生きるため、自己実現するために自ら獲得するもの





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2 件のコメント:

ポッピーママ さんのコメント...

今晩は。
 『リフレクティブな英語教育をめざして』を拝読しました。教員研修についての新たな視点をいただき、目からウロコでした。
 勤務している学校での校内研修でも、「児童の変容」ということは話題になりますが、教室での担任教師の指導(行動)やその意味についての分析は話題に上ることはほとんどありません。
 「結局、学習指導にとっても、一番大切なのは学級経営だね。」という話にはよくなりますけど、学級経営とは具体的になにをどうすることなのか、ということには言及されることはほとんどありません。
 私の今年の問いは、教師中心の講義式授業が、結局のところ、教師の意図をすぐに察知出来る子や思考が速い子にだけ有利な授業になっているのではないか、そういう授業を自分はしているのではないか、ということです。
 小学校はほとんどの教科を担任が教えるし、ほとんどの時間担任としか一緒じゃないし、担任の言動が子どもに与える影響は、中学校高校の比ではないと思うの。そんな中で、担任としての自分自身をよけておいて、子どもだけに変容を求める研修って、どうかなぁと思っていますけど、私のこの考えを共有してくれる人は,今のところいないようです。

柳瀬陽介 さんのコメント...

ポッピーママさん、
コメントをありがとうございました。
以下の箇所、とても共感します。

 「結局、学習指導にとっても、一番大切なのは学級経営だね。」という話にはよくなりますけど、学級経営とは具体的になにをどうすることなのか、ということには言及されることはほとんどありません。
 私の今年の問いは、教師中心の講義式授業が、結局のところ、教師の意図をすぐに察知出来る子や思考が速い子にだけ有利な授業になっているのではないか、そういう授業を自分はしているのではないか、ということです。

現場の地道な分析と声をこれからも大切にしたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。