2010年6月21日月曜日

2010/8/8-9全国英語教育学会:意識の神経科学と言語のメディア論に基づく教師ナラティブに関する原理的考察

以下は、第36回全国英語教育学会大阪研究大会での私の口頭発表に関する予稿です。


意識の神経科学と言語のメディア論に基づく教師ナラティブに関する原理的考察


柳瀬陽介 (広島大学大学院)


キーワード:ナラティブ,リフレクション,教師教育


1 序論

教師が自らの実践を省察し語ること―教師ナラティブ―によって成長を遂げることに関してはこれまで多くの実例が報告されている。しかしその過程に関する原理的な説明は、社会文化的理論(Socio-cultural theory: SCT)によるもの以外にはあまり見られない。たとえばTasker, et al. (2010) はSCTの立場から、対話における矛盾の外在化を教師成長の重要な契機としてとらえているが、省察・ナラティブ・実践の過程にはより細かな分析的解明の余地がある。そこで本研究では、近年の神経科学およびメディア論で明らかになった分析枠組みで、教師ナラティブを原理的に考察する。神経科学の意識の知見では教師ナラティブの心理的側面(「意識化」「自己の意識化」「言語化」)を、メディア論では社会的側面(「言語化」「共有化」「書記化」)を主に解明する。


2 分析

2.1 分析枠組

本研究では神経科学およびメディア論の知見に基づき、教師ナラティブの省察 (reflection) から実践 (practice) に至るまでの過程を、(1)意識化、(2)自己の意識化、(3)自己の意識化の言語化、(4)共有化、(5)書記言語化の五つの概念により分析する。これにより教師ナラティブに基づく新たな実践も、(a)音声言語共有から、(b)音声言語共有の書記言語化から、(c)書記言語共有から、(d)書記言語共有の書記言語化から、の四種類に分けてより詳しく考察することができる (下図参照)。




2.2通俗概念との相異

上記の五つの概念は、通俗概念と異なるため、その相異を予め明確にしておく必要がある。 (1) の意識化では、フロイト学派の無意識 (Freudian unconsciousness) は、非意識 (nonconsciousness) と異なることを理解しなければならない。前者は精神分析で意識化することができるが、脳活動の多くは決して意識化されない後者である(Edelman 2004)。(2) 自己の意識化で理解すべきは、自己が認識する「自由意志」 (free will) は実際には脳がその行動の選択を終えた後に認識される (Libet 2004) ということである。(3) の自己の意識化の言語化については、これが自らに身体化されたことばが発現する (emerge) ことを指し、教育行政や教育研究での権威に基づいた権力を持つ用語などを取り入れること (柳瀬 2009) ではないことを自覚しなければならない。(4) の共有化とは自らのことばをコミュニケーションの場で発現させることだが、これは予め定まった自らのことばを一方向的に表出することではなく、相互作用としてのコミュニケーションの中で話し手と聞き手の共同構築としてことばが発現している (Nair 2003, Nelson 2003) ことである。(5) の書記言語化については、書記言語が単に音声言語を文字化したものではない (Ong 2002) ことを理論的に理解しなければならない。

2.3 説明原理

 五つの概念を簡明に定義するなら以下のようになる。
(1) 意識化:Edelman (2004) が定義する「原意識」 (primary consciousness) であり、この強度により注意などが高まる。
(2) 自己の意識化:Edelman (2004) が定義する「高次の意識」 (higher-order consciousness) であり、これにより原意識をもつ自分を意識することができる。人間だけでなく、鏡像イメージを自己と理解できる動物もこの高次の知識をもっていると考えられる。
(3) 自己の意識化の言語化:音声言語というメディアにより自己意識が一層明確になり、かつ可塑的になる。つまり、前言語的な自己の意識化と比べて意味のゆらぎが抑えられ自己意識の統一感が高まる一方、「今・ここ」から離れた時空について思考することが容易になる。しかしverbalizationという用語が端的に示すように、書記言語化されない音声言語だけでの言語化は、出来事の動詞的把握が強く、書記言語により容易になる名詞的把握 (=出来事の対象化)が弱い。
(4) 共有化:言語化された自己意識をコミュニケーションにより他人と共有しようとする相互作用の中で、言語化がさらに社会的・文化的などの側面でさらに彫琢され強化される過程。これにより原理的には孤立した自己意識 (ルーマン2009, Humphrey 2007) も、コミュニケーションにより連動的に共変し、「相互理解」が達成された時には心の理論 (Theory of Mind) の構築により他者の知性を取り込むことができ、共同体としての学習能力が飛躍的に高まる。
(5) 書記言語化:言語のメディアが音声から文字になって以来、言語コミュニケーションひいては人間の意識や認識も変容を受けた (ルーマン1993/95, 2009, Ong 2002) 。文字により言語で表現された概念は明確に対象化され、さらにそれが時空を超えた読者に読まれる状況の到来により言語表現は自律性を増した。さらに活版印刷が普及すると言語表現は整合性・無矛盾性・首尾一貫性・線状性・因果性などを高めた。近年の電子メディアの急速な普及はさらに多様な言語表現を飛躍的に増やし、現実の多元化が進行している。


3 結論

 以上の分析枠組みにより教師ナラティブの四種類の経路は以下のように特徴づけられる。
(a) 音声言語共有からの実践:典型的には職場での語り合いからのサポートであるが、実践者はナラティブにより、複合的すぎて手に負えない状況への見通しを得て (Polkinghorne 1988) 、社会的役割としての自己を文化的に強化できる (Nelson 2003)。
(b) 音声言語共有の書記言語化からの実践:メンタリングを経てのジャーナル執筆などが例となろうが、書記言語化により自己意識が外在化されるため、その言語表現が「非自己」 (Nonself) (Edelman 2004) として、自己の心身の状況からは独立した影響要因となり、自己言及的な自己再生産 (Hofstadter 2007) がより複雑かつ強力になる。
(c) 書記言語共有からの実践:一例としてはブログなど他人に読まれるメディアへの自己記述を経ての実践変容があげられるが、早い段階から書記言語化が始まるため、当人のナラティブが流布言説の単なる借用か、深い自己省察に基づくものかで、この省察-実践過程は大きく変化する。
(d) 書記言語共有の書記言語化からの実践:例としてはメンターとの電子ポートフォリオでのコミュニケーションが考えられるが、もっとも書記言語化を含むものであるだけに、もっとも深いレベルでの省察と自己変容が原理的には期待できる。
 神経科学とメディア論により、私たちは(1)意識化、(2)自己の意識化、(3)自己の意識化の言語化、(4)共有化、(5)書記言語化などに関してより的確な理解を得る。これにより教師ナラティブ実践により明確な指針が得られる。私たちが物理法則を理解したことにより、工学的知性を飛躍的に発展させたように、私たちが無自覚に行ってきた言語コミュニケーションに対してこのような原理的理解を深めることにより、私たちの言語コミュニケーション ―ひいては社会 (ルーマン 2009) ― はいっそう高度化することが期待される (Calvin 2001)。「情報革命」によりメディア環境が劇的に変化し、神経科学の発展で人間の知性に関する自己言及的洞察が深まっている現在、言語教育の一翼を担う英語教育も一層原理的理解を深めながら、より具体的に現実の現象を分析する必要がある。


引用文献

Calvin, W. 2001. The Cerebral Symphony. Indiana: IUniverse.
Edelman, G. (2004) Wider than the sky. New York: Yale University Press. (ジェラルド・M・エーデルマン著、冬樹純子訳(2006)『脳は空より広いか』東京:草思社)
Humphrey, N. The society of selves. Philosophical Transactions of the Royal Society B (2007) 362, 745-754.
Hofstadter, D. (2007) I am a strange loop. New York: Basic Books
Libet, B. (2004) Mind time. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. (ベンジャミン・リベット著、下條信輔訳(2005)『マインド・タイム』東京:岩波書店)
Nair, R. 2003. Narrative Gravity: Conversation, Cognition, Culture. New York: Routledge.
Nelson, K. 2003. Narrative and The Emergence of Consciousness of Self. In Fireman, G., McVay, T. and Flanagan, O. (eds) Narrative and Consciousness. New York: Oxford University Press.
Ong, W. 2002. Orality and Literacy: The Technologizing of the World. New York: Routledge.
Polkinghorne, D. 1988. Narrative Knowing and the Human Sciences. New York: State University of New York Press.
Tasker, T., Johnson, K & Davis T. (2010) A sociocultural analysis of teacher talk in inquiry-based professional development Language Teaching Research, 14, 2, 129-140
柳瀬陽介(2009)「自主セミナーを通じての成長」吉田達弘他(編)『リフレクティブな英語教育をめざして―教師の語りが拓く授業研究』東京:ひつじ書房所収
ルーマン、ニクラス著、佐藤勉監訳 (1993/95) 『社会システム論(上)・(下)』 東京:恒星社厚生閣
ルーマン、ニクラス著、馬場靖雄・赤堀三郎・菅原謙・高橋徹訳 (2009) 『社会の社会 1・2』東京法政大学出版局



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