8 授業研究のリテラシー
授業研究には独自の高度のリテラシーが必要だと私は考えます。つまり、授業という実践の理解を適確に言語化すること、あるいは逆に授業について書かれた文章から、その元となっている理解を読み解くこと、こういった授業研究を読み書きする能力(授業研究リテラシー)は、実験研究リテラシーとは異なる難しさをもったもので、私たちはこういった授業研究のレテラシーを自覚的に向上させなければ、Exploratory Practiceという名前を使うにせよ使わないにせよ、授業研究を通じて、授業力を上げることが困難になるのではないでしょうか。
8.1 授業研究リテラシーの実際
1 ある熟練教師の場合
「授業案に、背景の考えとか書いてあっても、私はほとんど読まないんですよ。それよりも具体的な授業案だけをさーっと見て、それで面白そうな授業だったら、背景の考えも読むようにしています」⇒授業案だけから授業を想像できる高い「授業研究読み取り能力」
2 学部生の場合
授業案だけ見ても何のことかほとんどわからない。ビデオを見せても、枝葉末節のことにしか目がゆかない。授業書を読ませ、いろいろと討議させると、ビデオを見る目も育ってくる⇒「授業研究読み取り能力」を育てるために、授業書(授業研究)を読ませ、討議させる。
3 大学院生の場合
非常勤講師などを兼任している大学院生などは、授業書を読んでの討議も深くなるし、ビデオを見ても非常にいいところに目をつけたりできる。⇒ある程度の「授業研究読み取り能力」
4 『すぐれた英語授業実践』(大修館書店)の刊行
高橋先生「指導案から授業を具体的に映像としてイメージすることは、教師力を磨く効果的な自己研修法の一つである」(5ページ)
⇒しかし授業研究リテラシーのうちの、授業研究を書く能力については未開拓なのではないか。
8.2 授業研究リテラシーの今後
1 「読む」能力
授業研究(授業報告・授業分析)を読んで、その授業のどこが「すぐれて」いるのかを自分自身で判断すること、さらにはその授業を自分自身の授業に適用するにはどこをどうアレンジすればいいのか、さらなる改善の余地はないかを「自ら思考し、判断すること」(上掲書、6ページ)は教員にとって重要である。
2 「書く」能力
授業報告をただ読むだけでなく、また授業分析も「ありがたい評価」として鵜呑みにするのでなく、読者一人一人が、授業の報告・分析(授業研究)についても、どう書けばもっとよくなっていたか、自分ならどう書くかと、思考し判断してゆき、その批評を言葉にしてゆく共同体を作り上げれば、英語授業研究もより高まるのではないか。いわば授業批評の批評を通じて、授業研究のリテラシーを「書く」面においても向上させるべきだろう。
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