1 授業力とは何か:言語コミュニケーション力のアナロジー
1.1 言語コミュニケーション力とは?
ここでは授業という一連の行動を行う複雑なことを、コミュニケーションのために言語を発話するという比較的単純なことに喩えてみます。授業もコミュニケーション発話も、状況に応じて、一時に一つのことを選択して行ない続けるという点で似ています。ここでは、時間の流れをsyntagmatic sequenceと、ある時点で選択する幅をparadigmatic selectionと呼ぶことにします。
1.1.1 発話の構成要素とは?
発話の構成要素は語です。語を時間ごとに並べるのがsyntagmatic sequenceです。ある時点で選ぶ語の選択の幅がparadigmatic selectionです。例えば、I like X.というsyntagmatic sequenceを決定したら、Xにはfruits, sports, music, readingなどのparadigmatic selectionが考えられます。
1.1.2 発話を決定するとは?
発話を決定するとは、状況にあわせて適切なsyntagmatic sequence(平叙文、否定文、疑問文など)を決め、その主要語のところで適切なparadigmatic selectionを行うことです。言語コミュニケーション力とは、このように状況に適切なsyntagmatic choiceとparadigmatic choiceを行えることと定義します。
1.2 授業力とは?
授業力は、言語コミュニケーション力の喩えからすると、学習の状況に適した授業の組み立て方(時間軸、syntagmatic sequence)を決めて、その重要な展開の時点で、さらにそこで最も適切と考えられる行動を一連の選択の範囲(paradigmatic selection)の中から決定してゆくことと定義できます。
1.2.1 授業の構成要素とは「技」
授業の構成要素をここでは「技」と呼ぶことにします。仮に授業の時間軸(syntagmatic sequence)を、Greeting/warm-up, presentation, practice, productionと決定したら、その展開の時点ごとに選択の幅(paradigmatic selection)の中から、最も適切な「技」を選びます。もちろんGreeting/warm-upの「技」、presentationの「技」、practiceの「技」、productionの「技」が豊富であれば、最適な授業行動を行える確率も高くなります。またその「技」を時間軸に並べる授業の展開パターン(syntagmatic sequence)が豊富であっても、最適な授業行動を行える確率が高くなります。
そうは言っても、まずは選択肢を多くする前に、一つ一つの「技」の質を高めることが必要です。新人教師は特に、英語力(正確で適切な英語を流暢に使える力)やプレゼンテーション力(大人数の生徒の前での立ち居振る舞い方)、そして何よりも授業内容の教材研究を高度なものにする必要があります。こういった「技」を身につけることは、授業力の重要な必要条件ですし、英語力とプレゼンテーション力をつける訓練はベテランも欠かすべきではありませんが、これだけで授業力の全てとするわけではありません。
1.2.2 授業を決定する「教師の思考と判断」
ALT並みの英語力と芸人なみプレゼンテーション力、そして学者顔負けの教材理解を持っていても、必ずしもいい授業ができるわけではありません。また、やたらと授業のsyntagmatic and paradigmatic choicesを変化させて異なる授業ばかり行ってもいい授業であるわけではありません。「技」のレパートリーが多いだけではよい授業ができるかどうかはわかりません。教師は独自の「思考と判断」によって、自分がこれまでに練習してきた技を組み合わせて、その学習状況に適した授業を決定する必要があります。以下はある熟練英語教師の述懐です。
楽しい活気にあふれた授業をしてやりたいという善意からなのだけれど、教師は「いいクラス」を基準にして、授業はかくあらねばならないという思いを持ちがちである。その基準があると教師はどこかで生徒にむかって「このクラスはだめ。授業しにくい」というメッセージを送ってしまっているのだと思う。反応のないクラスを「いいクラス」に近づけようとして意図的に誉め言葉を多くしても、無意識の内に一方でそういうマイナスのメッセージを送っていると、生徒はどこかで嘘っぽさを感じてしまい、彼らの気持ちは教師に対して閉ざされていくだけだろう。
(中略)
中学や高校では同じ教材で同じ授業計画で数クラスを教えるのが当たり前のようになっていて授業準備の効率を考えればそれでもいいのだけれど、のりの悪いクラス用の授業をたててもいいと思う。授業のし易い活発なクラスに近づけようとするのでなく、そのクラスに合わせて授業の方法や手順を考える。同じ方法をとる場合はそのクラスにどこまで期待するか明確に意識しておく。(中略)教室で取り組む活動が多彩だと不思議なことに「どの活動についても一番よくできるクラス」というのがないのである。必ずそのクラスに合った活動があり、その時を捉えて心からほめる—これをどのクラスに対してもしたいものである。
岩本京子『現代英語教育』1997年12月号
もちろん、これは一つ一つの「技」の確かさがあってのことです。しかし、その技も適切な思考と判断で選択されなければなりません。次も、ある熟練英語教師の言葉です。
職人技とは、難しいことをあたかも簡単に行い、カン(当てずっぽうではない)で正しい判断をすることができる、熟練技です。この技は、いろいろな流儀があるようで、例えば寿司職人などは、いろいろな握りがあると聞きました。調理人の塩コショウの加減、左官職人の水加減など、職人技は色々なところで見ることができます。
この職人技は一朝一夕に習得できるものではなく、基本的な技術に裏打ちされたものです。仕事が終わってから、自分の修行に費やす時間も、特に見習いのうちは、多いようです。
これは教員も同じこと。授業には完全なマニュアルなどありません。今日は1時間目だからわざとハイテンションで行こう、3時間目だから落ち着いて授業に入ろう、5時間目だから途中で気分転換を入れようなど、何時間目にあるかによって気持ちを変えます。それ以外にも、クラスのこの頃の雰囲気は上がり調子なのか下り調子なのか、良いことがあったのかイヤなことがあったのかなどなど、いろいろな情報を授業のベースにします。
授業の前に、正直申し上げて、私は怖さを感じるときがある。恐怖ではなく、畏れです。だから、授業の準備はしっかりと行うし、指導案を書かなくても、頭の中で流れを確認します。授業中には、生徒が私の説明でしっかりと理解できているか、説明にもれはないか、この手順で良いのかと、メタ認知を働かせます。こういう基本的なことがあってこそ、「生徒の実態に応じた授業」「生徒が分かると考えられる授業」が成立すると私は信じています。
経験を積み重ねれば、イヤでも教師としての「技」は身に付いてきます。それを、他の人がまねをしようとしてもうまくいくはずがありません。まずは、基本に忠実に授業を行うことが大切なのでしょう。基本をおろそかにして、他の先生の職人技のまねをしたところで、それは自分のものではなく、うまくいくはずがないんです。
http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/2007/06/post_ba6f.html
こうして見ますと、授業力とは、(1)一つ一つの確かな「技」を身につけることと、(2)それらの「技」を適切に選択し組み合わせることができる思考力と判断力を身につけることの二つの要素から構成されていることなります。(1)については他所でも多くのワークショップがなされていますから、本日は(1)の「技でなく」、(2)の教師としての思考力や判断力をどうやって培うかということを考えたいと思います。主に考えたいのは「授業研究」は思考力や判断力を培うのに役立つのかということです。「授業研究」としては、これまでの「科学的研究」と「アクション・リサーチ」について考察し、次に2000年代に注目され始めたExploratory Practiceについて考察します。
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