2007年6月1日金曜日

藤田直也先生(近畿大学)による「リメディアル文法のとらえ方とその指導実践」

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7/14-15 英語教育「ゆかいな仲間たち」夕張大集合


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英語授業研究学会(関西支部例会 2007526日)で聞いた、藤田直也先生(近畿大学 http://www.geocities.jp/nowohyah/)による「リメディアル文法のとらえ方とその指導実践」を私は面白く聞きました。藤田先生がリメディアル学習をただ単に否定的・消極的に考えるのではなく、次のように積極的に規定していたからです。

リメディアル学習の目的:単なる復習により遅れを取り戻すのではなく、また対症療法的に教えるのではなく、新しい切り口で学習者が直面している問題を見直し、本質的概念の理解(conceptual learning)により絡まった紐をほどき、他の文法事項も今以上に理解できるようにすること。

具体例の一つは時間の概念で、英語の「絶対的『縦割り』の時間の帯」を理解する際には、「日本語の時間概念は絶対時制でなく、アスペクトにも支配されている」ことを自覚させた方がいいのではないかというもので、私は非常に面白く聞きました(具体例は省略します)。英語の学習とは、技能獲得だけでなく、認識の深化も伴なうべきと考えているからです(私は認識の深化にはそれ自体に価値があるという考えをもっています)。

藤田先生は次のようにも言います。

日本語を母語とする英語教師は、学習者も同じ日本語話者であるという事実を当然のごとく捉え、母語を空気のごとく扱い、母語の英語に対する干渉を見落としがちなのではないだろうか?

英語を教えるのに、日本語の体系を利用するという考えは、一見、習得言語にできるだけ接するべきだというアプローチに反するようにも見える。しかし、リメディアル教育が「気づかせの教育」であるならば、気づかせるための道具の利用にはなんら矛盾はみいだせないのである。

もちろんこのような教育をするためには、まずは英語教師が日本語文法を自覚し勉強し、さらに徹底的に咀嚼しなくてはいけません。しかし言語学の高度な素養を持った英語教師はたくさんいます。そういう人々により進められるこのような教育は、英語のリメディアル教育であるだけでなく、良質の「言語教育」であるように私は考えますが、いかがでしょう。

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