2011年8月22日月曜日

翻訳家・山岡洋一先生のご冥福をお祈り致します

購読しているメールマガジンから、翻訳家の山岡洋一先生がお亡くなりになったとの一報が流れてきました。8/20(土)未明の心筋梗塞による急逝(享年62歳)とのことです。

私は翻訳界の人間ではありませんが、山岡洋一先生は、日本で最も尊敬されていた翻訳家のお一人であったことは、先生のお仕事と文章、そしてお人柄、および様々な方の証言から、確信しております。

と言いましても、私が山岡洋一先生のことを知ったのはほんの最近で、翻訳のことを調べているうちに、山岡洋一先生の




を知り、その質の高さと、長年の積み重ねに驚き、英語教育界の方々にもぜひ山岡洋一先生のことを知っていただこうと、このブログでも



という記事も書いたりしておりました。

先生のお話を直接聴ける機会があることを知り、そのセミナーに参加(「翻訳通信」100号記念関西 セミナー)して、懇親会にも参加させていただきましたら、初対面にもかかわらず先生には、率直、真摯に、かつ丁寧にお話しして頂きました。その態度は、懇親会に参加していらした全員に別け隔てなく示されていたもので、私は本当に優れた業績を残す方というのは人格的にも素晴らしいのだなと感銘を受けました。(今からすると、先生の語り口や仕草に直に接することができたのは本当に幸運だったと思わずにいられません。先生の立ち居振る舞いは今でも鮮明に覚えています。)

その後も山岡洋一先生は、精力的にお仕事をなさり、かつ毎月一日には「翻訳通信」を発刊され、私なども大いに学ばせていいただいておりました。

また「日経ビジネス」に掲載された



は上記の「翻訳通信」のエッセンスを凝縮したとも言えるもので、これだけを読んでも、山岡洋一先生がどれだけ広く深く翻訳というものを考え実践なさっていたのかがわかるかと思います。


私を含め、多くの人間が、そんな山岡洋一先生が、いつまでもお元気に活躍されて、私達を引っ張っていってくださることを当然のように思い込んでいたはずです。近代日本を作った翻訳のこれからをさらに考え、日本の翻訳界・出版界の未来を切り開くことは、山岡洋一先生がいらしてくれるなら可能だと思っていたはずです。そこへ突然の訃報で、私も大きな喪失感を覚えています。ご家族やご友人の皆様のお悲しみなどはいかばかりかと思わざるを得ません。


ここに山岡洋一先生のご冥福をお祈りさせていただきます。





追記

先生の代表作の一つは『国富論(上)』と『国富論 (下)』です。私は、この古典を山岡洋一先生の日本語で読めるのならと購入しましたが、まだ未読といったていたらくです。いつか時間を見つけて、山岡洋一先生を偲んでこの本を読みたいと思います。


追追記

翻訳家のブログ"Buckeye the Translator"に山岡洋一先生を追悼する以下のような記述がありました。私もまったく同感です。


実力派でテキトーな翻訳をきらい、このブログのカラムで紹介している『翻訳とは何か―職業としての翻訳』など、翻訳を支えているのは翻訳者だと舌鋒鋭く論を展開されるので、文章を読んでいるとどんな怖い人かと思うのですが、実際に会ってみると、はにかんだような笑い方が印象的で、むしろ人前にあまり出たがらない、そんな方でした。

翻訳通信を出す(昨年は100号記念講演会があった)、ノンフィクション出版翻訳忘年会を毎年開催するなど、お金にならないことでも後進や業界のためになることをいろいろとされていた方で、まだまだ、業界の灯台として多くの後進の行くべき道を照らしていただけると思っていたのですが。
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2011/08/post-af79.html




2011年8月18日木曜日

学会口頭発表:「言語教師志望者による自己観察・記述の二次的観察・記述」のスライド

山形大学で2011年8月20日(土)-21日(日)に開催される第37回全国英語教育学会の第6室(133) - 21日(日)10時20分-50分で、口頭発表する発表のスライドとハンドアウトをここに掲載します。ご興味のある方はダウンロードしてください。







研究の概要は以下のとおりです。


■背景:質的研究やリフレクションは英語教育界でもだんだん受容されてきたが、その理論的理解はまだ十分でない。

■定義:本研究は「リフレクション」を、ルーマンに倣って「自己観察と自己記述」と定義してリフレクションひいては質的研究についての探究を深める。

■目的:(1)理論的には、自己観察と自己記述の自己言及性に着目し、意識とコミュニケーションの「オートポイエーシス」(自己組織化・自己再生産)、および意識とコミュニケーションのインターフェイス(「構造的カップリング」)形式としての言語の解明を行う。(2)実証的には、言語教師志望者の自己観察・自己記述およびそれの二次的観察・記述のデータを得て、そのデータを基に(1)で述べた理論的見解の妥当性を検討する。

■方法:(1)理論的にはルーマンの『社会の社会』の枠組みを主に使う。(2)実証的にはWebCTシステムに8週間にわたって蓄積された言語教師志望者14名の文章をデータとして用いる。

■意義:この研究は、これまでの応用言語学が十分に開拓していない ―複雑性を援用した研究でも十分に扱っていない― 自己言及性を前面に出す独自性をもち、かつ実際のデータも使うところに意義を有する。

■結論:言語は意識とコミュニケーションのそれぞれの自己言及、および両者のインターフェイスにとっての重要な形式であることがデータからも確かめられた。言語による自己観察と自己記述は個人と共同体の可能性を広げるものであること、さらには「本当の自分」といった確定はできないこともデータから裏付けられた。



アウトラインは以下の通りです。

1 序論
1.1 背景
1.2 先行研究
1.3 問題
1.4 意義
1.5 方法
1.6 免責


2 理論的解明
2.1 観察自体の盲点性
2.2 自己の不確定性
2.3 二次的観察の複数性・多元性
2.4 伝統的認識論が扱い難い自己言及性
2.4 自己言及によるオートポイエーシス
2.5 オートポイエーシスの回帰的安定


3 データ収集の方法
3.1 プロジェクトの概要
3.2 理論的導入
3.3 書記言語による自己記述(5週間)の方法
3.4 音声言語によるグループでの二次的観察・記述(3週間)の方法
3.5 データ整理の方法


4 データ解釈の結果
4.1 意識システム
4.1.1 自己観察
a) 促進される自己観察
b) 昔のことは書きやすい
c) 最近のこと(大学時代)は書きにくい

4.1.2 自己の「固有値」
a) 自分の枠組みの自覚
b) 「固有値」への固着
c) 「固有値」からの解放

4.1.3 オートポイエーシス
a) 現在の私に受け入れられやすいように自分を再編成
b) 創られる自分
c) 観察・記述された自分に戸惑う
d) 自己観察・記述による自分の探究
e) 観察対象の自己と観察者の自己の変容

4.1.4書記言語でのオートポイエーシス
a) 自己の発見
b) 自己の編集
c) 自己の創作
d) 自己への違和感
e) 二次的観察による発見

4.2 言語
4.2.1 メモ言語とコミュニケーション書記言語
a) 一般的な困難性
b) 書記言語としての特徴:文体による修飾、文体選択

4.2.2 書記言語と音声言語
a) 書記言語の間接性と音声言語の直接性
b) 書記言語の残存性と音声言語の消散性
c) 書記言語の集中性と音声言語の拡散性

4.2.3 第二言語での表現
a) 言語化の困難性
b) 言語表現の自覚
c) 強制なしでの正確性の追求
d) 第二言語の異文化性

4.3 コミュニケーションシステム
4.3.1 コミュニケーションを通じての意識システムのオートポイエーシス
a) 関係性の中での意識システム
b) 関係性の中での意識システムのオートポイエーシス
c) 関係性認識の違い

4.3.2 言語コミュニケーションのオートポイエーシス
a) コミュニケーションの中からのオートポイエーシス
b) コミュニケーションシステムから逃れられないコミュニケーション


5 結論
5.1 研究課題への答え
5.2 発展的考察
5.3 実践的示唆
5.4 本研究への批判と応答
5.5 今後の課題





意識・言語・コミュニケーションの関係図は以下の通りです。





追記 (2011/08/22)

学会口頭発表を録音した音声ファイルをアップロードしました。ご興味のある方は聞いてやってください。お聞きになる際は、発表に使ったパワーポイントスライドを見ると多少はわかりやすいかと思います。






参考記事

言語文化教育プロジェクト (2011年度)

ルーマンによる「観察」「記述」「主体」の概念

その他のルーマンに関する柳瀬ブログの記事




2011年8月17日水曜日

近日発刊予定 『成長する英語教師をめざして ― 新人教師・学生時代に読んでおきたい教師の語り』(ひつじ書房)



この4月から教壇に立った卒業生の一人に先日偶然会った。お互い先を急ぐ用事があったので、短い時間しか話ができなかったが、何とか元気そうだったので、それが何よりだと思ったし、彼にもそう言った。

学生生活から社会人生活への変化というのはものすごいものだ。学生時代は、気に入った同年代友人とだけ気楽に話をしていればよい。授業は単位を取りさえすれば十分で、疲れたら休めばいいだけの話だ。だが社会人生活はそうはいかない。つきあうのは、年上ばかりの教員集団で、その年長者は新人にとっては意味不明の仕事言葉ばかりを話す。授業は生徒を席につかせることから始まり、私語をする者、眠る者、つまんないと公言する者の相手をすることになる。どんなに疲れても休むことは許されない。

黒板を前に見て座っていた学生時代と、黒板を後ろにして立たなければならない教師時代の違いは大きい。まあ、金(授業料)を払う方から、金(給料)をもらう方に変わったのだから仕方ないといえばそれまでなのだが、それにしても予想以上に・・・と多くの新任者は思う。


John Lennonは"Nobody Told Me"で、ちょっとおどけたような調子で次のように歌う。


Nobody told me there'd be days like these

Nobody told me there'd be days like these

Nobody told me there'd be days like these

Strange days indeed

Most peculiar, Mama.





John Lennon- Nobody Told Me (Lyrics)


人生の思わぬ展開に驚くことから人間が逃れることはできないだろうから、私たちは「誰も教えてくれなかったよなぁ・・・」と人生の折々に言うはめになる。しかし、そんな時でもせめてこのJohnのように、どこか余裕を保っていたい。

Johnのように自らを冷静にユーモアをもって見つめるためには、日頃から人々の声に耳を傾けている必要がある。実は人々は自らの人生を折々に語っている。その語りを丁寧に拾っていれば、本当はかなりのことを学べる。そうやって学んでおけば、人生もそれほど驚きの連続とならず、平静を保つことができる。時に避けがたい思わぬ出来事に遭遇してもパニックに陥らないで済む。

だが人々が語り教えてくれる機会に、なかなか遭遇できない。人々は忙しすぎるし、多くの現代人は気のおけない談笑という文化を失ってしまった。語りを聞いておくべき若い人はたくさんいる。ぜひ聞きたいと強く願う若い人もいる。語っておきたいと思っている年長者もいる。しかしそれらの人々が語りを共有する場がなかなかない。



ひつじ書房からこの8月の後半に発刊される『成長する英語教師をめざして ― 新人教師・学生時代に読んでおきたい教師の語り』は、さまざまな学校種・環境・年齢で活躍(そして苦労)する教師24名の声を集めたものです。ぜひ若い世代の英語教師・英語教師予備軍に読んでいただきたいと編者(組田幸一郎さん、奥住桂さん、そして私)は願っています。

この本は8/20-21に開催される全国英語教育学会 山形研究大会のひつじ書房出展ブースでも展示される予定です。よかったらその時にでも手にとって下さい。

アマゾンなどでの取り扱いが始まりましたらまたお知らせします。

というわけで宣伝でした(笑)。