2019年1月16日水曜日

ユングが感情 (feeling) を「合理的機能」 (rational function) と見なしていることについて


前の記事(当事者の弱さや苦労を他人が代わりに解決することについて -- ユング『分析心理学』再読から当事者研究について考える --)を作成する際に、ユングによる「感情」および「情動」という用語法についても気になったので、以下、そのことについて書き残しておきます。


■ 価値を細やかに認識できる感情機能は合理的なものである。

ユングが感情を「合理的」であると講義で述べたことは、何人かの参加者にとって少し不可解なことであったらしく討議の時間に質問が出ました。以下は、その質問に対する答えです。

拙訳:
私が「感情」を価値づけをする機能だと説明したことを覚えていらっしゃるでしょう。[ですが]私はその説明で、感情に特別な重要性があることを示しているわけではありません。もし感情が分化して細やかな価値認識が可能ならば、その限りにおいて感情は合理的機能だと申し上げているだけなのです。

原文:
You will remember I explained 'feeling' as a function of valuing, and I do not attach any particular significance to feeling. I hold that feeling is a rational function if it is differentiated. (p. 25)

訳注:
原文の 'differentiate'は「分化」とだけ訳すのが普通だが、上では少しことばを補った。


■ 感情機能が発達しておらず、価値を細やかに認識できない場合、感情機能は非理性的なものとなる。

以下の英文は上の英文に続くものですが、もし感情機能が劣等機能で、細やかな価値認識ができなかったら、感情の発生は非文明的なもの、非理性的なものとなることをユングは認めています。思考機能が優勢で感情機能の発達が遅れている人は、時折、おそろしく単純な価値に賛同したり反発したりして周りを驚かせたりしますが、そういった例が、未発達の感情機能により非理性的態度が生じた例となるでしょう。

拙訳:
 感情が分化されていない場合、感情はただ生じるだけです[きわめて大雑把な価値認識しかしません]。その際、感情は原始的な特質をもち「理性的ではない」とも言えるでしょう。しかし意識化された感情は、価値を区別する合理的な機能なのです。

原文:
When it is not differentiated it just happens, and then it has all the archaic qualities which can be summed up by the word 'unreasonable.' But conscious feeling is a rational function of discriminating values.  (p. 26)

訳注:
原文の "it just happens"の翻訳は翻訳書とは異なる私の解釈に基づき、ことばを補いました。

補注:
「感情」をあくまでも意識的なものとするのは、「感情」を「中核意識」 (core consciousness) と同義とするダマシオの用語法とも合致します。


■ 情動は内情変化(生理学的な神経興奮)を伴う現象

上で、感情が未発達な場合それは理性的とは言えないことを認めたユングは、続いて関連概念である「情動」 (emotion) について語り始めます。ユングのまとめに従えば、情動とは身体内に起こる変化であり、それは生理学的に測定できます。

訳文:
情動について研究すると、「情動的である」ということばは、生理学的神経興奮によって特徴づけられる状態に関連して必ず使われていることにお気づきになると思います。ですから情動を測定することはできます。しかしその測定は心的側面ではなく生理学的側面についての測定なのです。内情変化についてのジェームス-ランゲ説についてみなさんもご存知でしょう。私は情動を内情変化とみなしています。「何かがあなたに内なる変化を与えた」というのと同じ意味です。情動はあなたに対して何かをする -- あなたに干渉するわけです。(中略)ですから違いをこのように説明することができます。感情は身体的には示されませんし生理学的にも感知できません。しかし情動は生理学的状況の変化なのです。

原文:
If you study emotions you will invariably find that you apply the word 'emotional' when it concerns a condition that is characterized by physiological innervations. Therefore you can measure emotions to a certain extent, not their psychic part but the physiological part. You know the James-Lange theory of affect. I take emotion as affect, it is the same as 'something affects you.' It does something to you -- it interferes with you. ... So the difference would be this: feeling has no physical or tangible physiological manifestations, while emotion is characterized by an altered physiological condition.  (p. 26)

訳注:
'Affect' という用語の翻訳にはいつも困ります。翻訳書では生理学的な意味を重んじてか「興奮」となっています。ですがこの語がもつ日常的含意は、この用語の理解を歪めてしまうようにも思います。スピノザの『エチカ』の英訳(Spinoza: Ethics: Proved in Geometrical Order (Cambridge Texts in the History of Philosophy))でもこの 'affect' は重要な用語として使われていますが、その意味、および上で述べられている意味からすると思い切って「内情変化」と訳してみました。力技ですが、「身体の『内』にある『情』動の変化」という意味を込めた訳語です。

ただ、ダマシオはこの 'affect' を基本的に「情動」 (emotion) と 「感情」 (feeling) を総称する用語としていると私は理解していましたので、これら二つの訳語の頭文字を合わせて私は「情感」と訳していました。 'Affect' をどのように日本語にしてゆくかについては、今後も考え続けようと思います。

関連サイト:
ジェームス-ランゲ説


関連記事
「優れた英語教師教育者における感受性の働き―情動共鳴によるコミュニケーションの自己生成―」(『中国地区英語教育学会研究紀要』 No. 48 (2018). pp.11-22)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/05/no-48-2018-pp11-22_88.html

Damasio (2018) "The Strange Order of Things: Life, Feeling, and the Making of Cultures”
http://yosukeyanase.blogspot.com/2018/10/damasio-2018-strange-order-of-things.html


■ 強い価値認識である感情は情動を帯びる

しかし感情を身体的・生理学的な変化としては観察できないというのは少し言い過ぎのようです。聴衆からも質問がでます。

訳文:
ヘンリー・ディック博士
前の質問に関連してのお尋ねなのですが、内情変化と感情の間の関係についてあなたはどのようにお考えなのですか?

ユング教授
程度の問題です。もしある価値があなたにとって圧倒的に強烈なものであれば、その価値[を認識する感情]はある時点で情動となるでしょう。つまり、あまりに強力なので生理学的興奮を引き起こすということです。おそらく、どんな心の過程にもわずかばかりの生理学的変化があるのでしょう。しかしそれらはあまりに小さなものなので私たちは[現時点では]それを証拠立てる手段がないのです。

原文:
Dr Henry V. Dicks:
May I ask, in continuation of that question, what is the relation in your view between affects and feelings?

Professor Jung:
It is a question of degree. If you have a value which is overwhelming strong for you it will become an emotion at a certain point, namely, when it reaches such an intensity as to cause a physiological innervation. All mental processes probably cause slight physiological disturbances which are so small that we have not the means to demonstrate them. (p. 27)


■ 情動は欲動的なものであり、感情は認識的なものである

拙訳:
エリック・グラハム・ハウ博士
情動を欲動、感情を認識とみなしてもいいものでしょうか?感情は認識に相当し、情動は欲動的であるということです。

ユング博士
はい。哲学的用語としてそのように言うことは可能だと思います。異論はありません。

原文:
Dr Eric Graham Howe:
Could we equate emotion and feeling with conation and cognition respectively? Whereas feeling corresponds to cognition, emotion is conative.

Professor Jung:
Yes, one could say that in philosophical terminology. I have no objection. (p. 28)

訳注:
'Conation' も翻訳に困ることばです。Oxford Dictionaries は、[Psychology Philosophy] The mental faculty of purpose, desire, or will to perform an action; volition.と定義していますが「意欲」と訳すほどにこの用語は日常的な英語ではないので、ここは翻訳書のとおり「欲動」と訳しておきました。

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Jakobson (1960) Linguistics and Poeticsを読む
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/06/jakobson-1960-linguistics-and-poetics.html


総じて言いますなら、ユングは長年の臨床観察を哲学的というか理論的にまとめあげたタイプ論にしたがい、感情を思考と同様の合理的機能として考えていますが、医学博士でもある彼は、その感情と生理学的な情動の関連性もきちんと視野に入れているとまとめられるでしょうか。この用語法はダマシオの用語法とも基本的に合致しています。

C.G.ユング著、林道義訳 (1987) 『タイプ論』 みすず書房
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2014/05/cg-1987.html



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