以下は、上記でダウンロードできるハンドブックの論点を私なりに整理したスライドです。ご興味のある方はダウンロードしてください。
シンポジウムで私は司会をしますので、自らの主な任務は他の登壇者の良さを活かすことだと認識しています。とはいえ、私は「言いたがり」なので、現時点で私が以上の資料を見て考えたことをまとめておきました。このようにして自分の考えを言語化していれば、当日私はあまり自らの意見を発言しなくてもすむだろう(あるいは発言するにしても短い時間で表現できるだろう)と考えて、まとめました。
まとめは、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のスタイルに倣って(笑)、桁数で命題の重要度を示すようにしました。1桁命題が最も重要な命題です。2桁命題はそれぞれの1桁命題の補注であり、3桁命題はそれぞれの2桁命題の補注である、といったように書きました。(ちなみにこのような書き方をするのに、私はWZ Editorを愛用しています。Microsoft社のWordのアウトライン機能は非常に使いにくいです。)
以下、全体の要旨・構造を理解するために、最初に2桁命題までを掲載した版を載せ、次にすべての命題を掲載した版を載せます。
学習英文法の歴史的分析および理論的分析(1-2桁命題版)
1 歴史的分析:有効な手段であったが日本の学習英文法は、やがて自己目的化・制度化され、理論的解明のないままに放置されている。
1.1 日本の学習英文法は、母語話者向けの規範文法に改良を加えて開発された。
1.2 学習英文法は、英語読解などの力を育成するためのものであった。
1.3 1890年代頃から、英文法が入試問題として出題され、手段であった英文法が自己目的化し、次第に重箱の隅をつつくような英文法問題が出題されるようになった。
1.4 1900年代頃から、英文法を意識するから英語が話せないという英文法排撃論や、すべてを英語で教授するナチュラルメソッドの紹介が始まった。
1.5 英文法への批判と擁護という図式がこれ以降変わらずに続いたのは、英語教育の理論的解明がほとんど進まなかったことを示唆している。
2 理論的分析:学習英文法は英文法を体得(embody)させるための道具であり、英語コミュニケーション力育成のための必要条件ではあるが十分条件ではない。
2.1 学習英文法とは英文法を体得するための道具である。
2.2 英文法の体得とは英語コミュニケーション力の必要条件である。
2.3 英語コミュニケーション力の育成は、英文法の体得だけでなく、体得された英文法を状況に即して活用するコミュニケーションを必要とする。
3 結論:学習英文法は、歴史的分析と理論的分析に基づいて再構築されなければならない。
3.1 歴史的分析に基づく再構築とは、学習英文法が体得のための手段であることを認識し、学習英文法を自己目的化しないことである。
3.2 理論的分析に基づく再構築とは、英文法の体得のための英文法は、英語コミュニケーション力育成のための一部に過ぎないことを理解して教育活動を構成することである。
学習英文法の歴史的分析および理論的分析(全命題版)
1 歴史的分析:有効な手段であったが日本の学習英文法は、やがて自己目的化・制度化され、理論的解明のないままに放置されている。
1.1 日本の学習英文法は、母語話者向けの規範文法に改良を加えて開発された。1.1.1 日本の学習英文法には、英米の規範文法にはない、日本人学習者のための困難点が詳述された。1.2 学習英文法は、英語読解などの力を育成するためのものであった。1.3 1890年代頃から、英文法が入試問題として出題され、手段であった英文法が自己目的化し、次第に重箱の隅をつつくような英文法問題が出題されるようになった。1.3.1 入試は重要な社会的選抜であり、そのために英文法問題の対策が制度化されていった。1.4 1900年代頃から、英文法を意識するから英語が話せないという英文法排撃論や、すべてを英語で教授するナチュラルメソッドの紹介が始まった。1.5 英文法への批判と擁護という図式がこれ以降変わらずに続いたのは、英語教育の理論的解明がほとんど進まなかったことを示唆している。1.5.1 臨教審第二次答申(1986年)でいわゆる「コミュニケーション」重視路線が定まったが、これは学習英文法についてもコミュニケーションについても理論を欠く決定であった。1.5.2 英語学力の1990年代中頃からの低下はさまざまな形で報告されているが、理論的理解のない改革ばかりが横行している。
2 理論的分析:学習英文法は英文法を体得(embody)させるための道具であり、英語コミュニケーション力育成のための必要条件ではあるが十分条件ではない。
2.1 学習英文法とは英文法を体得するための道具である。2.1.1 英文法とは、英語を構成する原理であり、この原理から著しく逸脱した表現は、いくら英単語が多く使われていても英語とは認識されない。2.1.2 体得とは、原理を身体的に理解し、随時原理にかなった行為が自らできるようになることである。2.1.3 道具とは、目的のための便宜であり、目的のために使用されることを本義とする。2.1.3.1 道具は、使用者のレベルや状況に合わせて選択されるべきであり、万人にとっての唯一の道具が常にあるとは考えるべきではない。2.1.3.2 道具は、使用者がその使用のために払う労力と、その使用から得られる便益とのバランスから決定されるべきである。2.2 英文法の体得とは英語コミュニケーション力の必要条件である。2.2.1 英語コミュニケーションとは、コミュニケーションの一例であり、人々が英語と認識する言語を主要媒体として達成されるコミュニケーションである。2.2.2 英語コミュニケーションを行うためには、英文法の体得が必要ではあるが、英文法の体得だけで英語コミュニケーションが十分に行われることはない。2.2.2.1 学んだ英文法の原理に基づいて、英語表現を構成する練習は、英文法体得の一側面ではあるが、それは英語コミュニケーションではない。2.3 英語コミュニケーション力の育成は、英文法の体得だけでなく、体得された英文法を状況に即して活用するコミュニケーションを必要とする。2.3.1 体得された英文法のないコミュニケーションは英語コミュニケーションではなく、コミュニケーションのない英文法体得だけでは実世界での十分な英語使用たりえない。2.3.2 「活用」とはWiddowson(1983)のいうところの"Capacity"であり、Bachman (2010)の主張の再表現である"Language Ability = Language Knowledge x Strategic Competence"での"Strategic Competence"である。2.3.3 空手の類例を上げるなら、「空手は型と組手で練成する。型なき組手は空手ではなく、組手なき型では実際に戦えない」となる。2.3.3.1 「フルコンタクト空手」は型を捨てて試合を重視し、ほとんど別物に変容した。2.3.3.2 型の表演だけを競技化した形競技は、型の実践性を損ない、空手からも実戦からも離れたという批判がある。2.3.3.3 空手の上達には、型による術理の徹底した体得と、組手による術理の臨機応変の活用の二つが必要である。
3 結論:学習英文法は、歴史的分析と理論的分析に基づいて再構築されなければならない。3.1 歴史的分析に基づく再構築とは、学習英文法が体得のための手段であることを認識し、学習英文法を自己目的化しないことである。3.1.1 学んだことはすべて客観的に測定されるべきであるという無思考的な近代イデオロギーは批判的に超克されなければならない。3.1.2 学んだことのすべてが、誰からも同じように外から評価されるわけではない。3.1.3 社会的選抜とは、近代学校制度が有する機能の一つであるが、そのための評価が強調されすぎると、学校本来の目的である学びが阻害されることを忘れてはならない。
3.2 理論的分析に基づく再構築とは、英文法の体得のための英文法は、英語コミュニケーション力育成のための一部に過ぎないことを理解して教育活動を構成することである。3.2.1 教師は、体得とは何か、体得は外から評価できるのか、といったことに関して理解を深めなければならない。3.2.1.1 体得とは、体得されるべき原理の記述の暗記でも再生産でもない。3.2.1.2 素人からすれば外面上は原理にかなった行為に見えても、原理が体得されていないこともある。3.2.2 教師は、英語コミュニケーション力について理解を深めなければならない。3.2.2.1 英語コミュニケーション力は、便宜上、構成要素に分けることができるが、構成要素の単なる集計が英語コミュニケーション力を生み出すわけではない。3.2.2.2 教師は、自らの外国語習得(英語以外も含む)や技芸習得を省察することにより、実践的な助言ができるようになるだろう。3.2.2.2.1 しかしこの場合の習得とは、単純な量的努力(丸暗記・筋力増強)だけに基づくものではなく、「コツ」に基づく質的なものでなくてはならない。3.2.2.3 何事においても、自ら知識や技能を習得していない者は、指導や評価を行ってはならない。
参考記事
田地野彰先生と田尻悟郎先生それぞれによる学習英文法書
Two EFL Pedagogical Grammar books by Akira TAJINO and Goro TAJIRI
言語コミュニケーション力論と英語授業(2010年度版)
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