2011年8月9日火曜日

広島大学名誉教授 松村幹男先生を偲んで



もはや旧聞に属しますが、広島大学名誉教授で、私が所属する「教英」講座を長い間お支え下さいました松村幹男先生が病気療養中のところ7月23日にご逝去されました。享年80歳でした。神道にのっとり、24(日)に通夜祭および遷霊祭、25(月)に葬場祭 が執り行われました。松村先生の御人徳を偲び、多くの人々が哀しみを共にしました

松村先生は、昨年に肺がんが見つかって以来病気療養に励まれておりましたが、昨年10月には学会発表をし、今回のご逝去の直前までも新聞の切り抜きをして、ご専門である英語教育史に少しでもご貢献なさろうと努力を重ねておられました。

まさに至誠のお方でした。驕り高ぶることから最も遠いところにおられ、派手なことも好まず、研究と教育、そして数々の行政職などにひたすら献身されていたお方でした。家庭人としてもご家族に慕われる幸福なお方でした。

私は学部時代から松村先生の薫陶を受けましたが、松村先生の美徳の千に一つも身につけないまま、馬齢を重ねてしまっていることを改めて痛感します。かつて夏目漱石は若き芥川龍之介に次のような言葉をおくったと言われています。


牛になる事はどうしても必要です。吾吾はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつながつて孕(はら)める事ある相の子位な程度のものです。

あせつては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知つてゐますが、花火の前には一瞬の記憶しか与へてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵(こし)らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後から出て来ます。さうして吾吾を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。


この言葉をこうして引用してみると、この漱石の言葉はまさに松村先生が仰りそうな言葉であるように思えます(もちろん私に龍之介のような才能があるなどとは含意していません)。松村先生はこのような言葉を常に背中で表現されていたように思います。

自らの専門を英語教育史と定めて、定年後も着実に研究を重ね、毎年一度は研究発表をすることをお亡くなりになるまでお続けになった松村先生の後ろ姿を、私などは愚かにも当たり前のように思っておりました。しかしお亡くなりになり、もう松村先生の背中を見ることができないことを知った時に、いかに偉大な背中を ―寡黙な背中を― 私は見てきたのかと思いを馳せる次第です。私は松村先生が以前にご活躍なさった講座の末席を汚している身分ですが、この松村先生がお作りになった「人間を押す」文化をどれだけ継承できるのかと思わざるをえません。

今一度改めて松村幹男先生のご冥福をお祈りします。松村先生が支えてこられたこの講座をさらに発展できるよう、恣意奔放でネズミ花火のように派手な音ばかり鳴らしている自らの愚かさを再度認識し、少しでも仕事に励みたいと思います。

松村幹男先生、今まで本当にありがとうございました。安らかにお眠り下さい。






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