3 質的研究の位置づけ
これまで質的研究は量的研究と対比して語られてきた。だが、この位置づけはやや単純すぎるかもしれない。メリアム(2004: 5-6)は、おそらくハーバマス(2000)に従って、研究を実証主義的(positivist)、解釈的(interpretive)、批判的(critical)の三種類に分ける。研究の実証主義的方法においては、科学的で実験主義的な調査をとおして、定量的な知識を得ることを目的とする。この観点からの教育の「日常世界(リアリティ)」は、静的で、観察・測定可能なものである。次に、解釈的方法においては、教育はひとつのプロセスとみなされ、学校は生きられた経験の場となる。こうしたプロセスや経験の意味の理解が、演繹的というよりは帰納的で、仮説または理論の検証ではなく生成を目指すモードによって研究が進む。多元的な日常世界が、人びとによって社会的に構成されることを前提とし、「唯一の真理」の決定は求めない。第三の方向性である批判的方法においては、教育は、社会的・文化的な再生産・変革のためのひとつの社会制度だとみなされ、教育実践の領域における権力や特権、抑圧へのイデオロギー的批判を目指す。
質的研究は、このうち、二番目の解釈的な方向性を強く持つものである。フィールドワークにより、実践者の生きる世界をできるだけ再構成するような記述を第一に目指し、既存の理論との整合性よりも、現実との整合性を重要視するのが質的研究といえよう。質的研究はそのため、新たな記述法や研究方法の開発も厭わないのである。
一方、量的研究は上のまとめならば、実証主義的なものである。自然科学を範とする実証主義は人類の知的遺産であり、英語教育研究においてもその精神が有効である場合においては実証主義的研究方法を採択すべきことは言うまでもない。
他方、質的研究と量的研究の二元的対比からこぼれおちがちなのが、上のまとめの三番目の批判的研究である。もとよりイデオロギー批判の形を借りた、それ自身がイデオロギー的な言説を生成することは、私たちは研究者として断じて許してはならないが、教育が社会的制度であり、社会的制度は価値に基づいたものである以上、教育を語る際には、その価値についても語らざるを得ない場合がある。古今東西、どんな時代・場所においても、現存の制度(そして価値)が完璧だった例はない。そのことからすると英語教育研究も場合によっては、現存の英語教育制度の依拠する価値について語らなければならない場合も生じるかもしれない。その語りは、価値に関する語りであるがゆえ、必ずしも実証に寄らない、「批判的」な語りにならざるを得ないかもしれない。それを禁ずることは、教育研究としては不適切であろう。以下、私たちは、批判的研究を積極的には目指さないものの、質的・解釈的研究の探究が進むにつれ、批判的言説が必要となれば、それを無闇に否定はしないものとする。
2007年9月29日土曜日
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