2010年2月6日土曜日

ジュリアン・ジェインズ の『沈黙する神々』の評価について

ジュリアン・ジェインズ (Julian Jaynes) の『沈黙する神々』 (The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind) の日本での評価を知るために、私が尊敬してやまない二人の読書家の論評の一部を紹介します。
しかし、こんな本はまったくなかった。にわかに信じがたい仮説に満ちていて、その大半が眉唾とも勇敢とも、説得力があるとも暴論とも見える。まるでイマニュエル・ヴェリコフスキーの『宇宙の衝突』を読まされたとも、いやいやジグムント・フロイトの『夢判断』を読まされたとも言えるのだ。

学界はいまなおどんな“認定証”も発行していない。では、みんなが気になっていないのかといえば、かつてのぼくがそうだったように、おそらくこっそり気にかけている。アメリカのメディアは「20世紀で最も印象にのこるだろう重要な著作」とか「ダーウィンかフロイトの再来に近い衝撃」といったセンセーショナルな扱いもした。公然と賛意を示した研究者たちもいる。認知科学者のダニエル・デネット(969夜)やアントニオ・ダマシオ、またジュディス・ワイスマンやトール・ノーレットランダーシュらはこの仮説の継承に乗り出した。が、他方では、「本書の独創的発想の重みは大きすぎて、人間の心はこれほどの重荷を担えるようには
できてはいないだろう」といった批評も多かった。

(・・・)

本書でも、すべての意識の立ち上がりを促したのは「比喩力」と「物語力」だったということを、何度となく
強調している。おそらく、これは当たっているだろう。ホメーロスの才能はその継承に役立った。

しかしもっと重要なことは、そのように比喩力や物語力によって意識が自立したにもかかわらず、この意識は自己意識の相貌をとりながら、たいそうノイズに満ちたものとなって、いつもぐらぐらして、たえず有為転変に巻きこまれそうなものだったということだ。つまり、意識はとても出来の悪いものだったということだ。

この出来の悪い意識こそ、その後の人類史をたいへんなものにしていった。たとえば人類は、バイキャメラル・マインド状態の縮退と崩壊で、それまで内側にいたはずの神を外在者にしてしまった。そのため、神の代替物や代替人やその制度に必要以上の「力」を付加してしまった。これは神聖政治の堕落であって、そうであるがゆえに、新たな宗教と哲学の登場を必要とさせた。

 紀元前6世紀前後に、ソクラテス、プラトン、ブッダ、孔子、荘子、ゾロアスターらが一斉に登場してきたのは、その対策だった。かれらが総じて考えたこと、それはまさしく「出来の悪い意識をどのようにほどよく遊ばせるか」ということだったのである。






橋本大也氏の論評



とても緻密に織り上げられた理論で、ひとつの物語として、読後の満足度は極めて高い本だった。無論、検証する方法がない事柄も多いので、この仮説が全面的に肯定されることはないだろうし、完全否定されることもないだろう。ただただ面白いのだ。

ちなみに訳者は名著「ユーザーイリュージョン」と同一人物で、二人の著者にも交流があり、ノーレット・ランダーシュはこの本を「途方もない重要性と独創性を持った著作」と評したらしい。

・ユーザーイリュージョンの書評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html



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